雨空から覗く晴れ
ダイゴさんが消えていった119番道路に足を踏み入れる。多量の水を含んでぬかるんだ土が靴を汚しながら跳ねた。湿気が今まで感じてきていたものとは段違いだ。
山々に囲まれている影響で天候が崩れやすいらしく、先程まで顔を覗かせていた綺麗な水色の空は鉛の雲で隠れきってしまっていた。早くここを通り過ぎなければ雨でびしょびしょになりそうだ。
なるべく野生のポケモンやトレーナーたちと遭遇しないように気を配りながら足早に進む。多少時間はかかるが、バトルをした場合よりも遥かに早くヒマワキにはたどり着けることだろう。
しかしその努力も無に帰して、あと少しというところで雨粒が俺の頭に降り注いできた。決して弱くはない雨足で身につけていたものが水気を帯びていくのがわかる。
「ちゃもっ!?」
外に出ていたフレアが驚いてボールに戻った。どれだけ水が嫌いなのかは知らないが、なにもそんなに怯えることはないだろうに。どこかの温泉なんて火をかけたら逆に燃え盛るって聞いたぞ。
とにもかくにも、雨宿りが出来そうなところを探すしかない。ここから一番近いのは…
「よし、天気研究所に行こう」
―――
――――
走った甲斐もなく、服の端や髪の毛から水がとめどなく落ちていくという結果になった。
これはヒマワキに走ったほうが良かったような気もするが、考えたって後の祭りだ。研究所でタオルでも借りて雨がやむのを待つことにする。
「…?」
『どうした?』
流石にびしょびしょのまま入るというのも忍びないのである程度服を絞って入ったのだが、扉を抜けた先の床は拭かれてもおらずびしょ濡れだ。朝に職員が濡れながら出勤したとしてもおかしいほどの水量で。
更に今の時間は午後を回っている。いくらなんでもここまで濡れているのならすぐ清掃されるはず、だと思うのだが。
体毛が濡れて普段よりも小さくなったリオルが、俺の視線を辿って床を見る。途端にその汚さに顔をしかめ、受付の人がいるだろうカウンターの方向を睨みつけた。
そんなに怒る必要もないだろうに。掃除をしろといったところで、俺たちがまた濡らしてしまうのは明白なのだ。
カウンターの向こう側にいるだろう人にリオルが睨みつけてしまったことを詫びるため、俺もリオルの視線を追った。リオルの人間臭さは最初からだ。
しかし、俺が考えていたことは微塵も起こることはなかった。
『人がいないな』
そっちの方向を睨みつけていたリオルがぽつりと呟く。
カウンターの向こう側にあるはずの人影はそこになかった。受付が離れていることなんてことはそれほど頻繁にあるわけじゃなし、あったとしても二人で回しているのでもうひとりはいるはずだ。
今日は研究所が休みなのだろうか。…いや、社員全員が休日なんてことはまずない。中でなにか起こっている。
社員の人には悪いが、少しの間だけ中に入らせてもらおう。データなんて見てもどうせわからないことだらけだし平気だ平気。
何かが起こっているのなら、おそらくこの水濡れを残したやつが犯人だ。量から見ても複数人。顔だけ見てジュンサーさんに連絡をすればなんとかなるだろう。
「リオル、中に進もう」
『ああ』
水浸しのままで気持ちが悪いけど、今はそんなことを気にしてる場合じゃない。
職場を見られないためであろうエントランスと隔てられた壁の向こう側を覗き込んだ。物音は全く聞こえてこない。普通は紙が擦れる音や研究をしている音が聞こえるはずなのに、だ。
隠れて覗き込んだ限りでは誰もいなかった。小声でリオルに聞いても首を振るだけ。
やはり何かおかしい。人気のない廊下でもないし、一人くらいは職員がいてもいいはずだ。
一階でほかに行けるところといったらトイレや仮眠室くらいなものだが、まさか職員全員が入れるはずもない。というより普通はその場所を立てこもり場所にしない。
つまり、この広い部屋を突っ切った先にある階段。そこから行ける二階に誰かがいるのだろう。重要な書類も上にあるだろうし妥当な線だ。
周囲を警戒しつつ階段にたどり着き、なるべく足音を消して段差を超える。犯人は特に警戒もなにもしていないのか、階段付近の警備なんてものもなかった。
なんとか二階の様子が見えるようになる高さまで進めたのでどんな雰囲気かを探る。最低限の装飾しかない部屋にいくつかの人影が見えた。
白衣を身に纏っているのは、おそらくここの職員だ。青ざめて自分を監視している人間を見つめがくがくと震えている。こんなことは今まで体験したことがなかっただろうから当然の反応だ。
対する監視者は見覚えがあるなんていうものではない、見飽きたといってもいいほど視界に収めてきた衣装を身につけた男女だった。
アクア団。俺が対立している組織。
まさかこんなところにまでアクア団がいるとは、どうしてこうアクア団との遭遇率が高いんだ。まさか記憶を持った影響でこんなに会うわけじゃないだろうな。
「…まさか、こんな…
これがあの人の…アオギリの望んだ世界…?」
奥の方から呆けた声が聞こえてきた。えんとつ山で確かに聞いたそれは、アクア団の幹部であるイズミのものだ。彼女が何を調べているのかはしらない。おそらくまた何かしらの準備だろう。
それにしては様子はおかしいが、おそらくその予測は合っている。
イズミのいるらしいところは曇りガラスで仕切られていて、生憎こちらからきちんとした情報を読み取ることはできない。
俺と同じく様子を伺っていたリオルに目線で合図する。リオルもその意思を明確に汲み取ることができたらしい、こちらを見て軽く頷いたと思えば即座に飛び出していった。
気づかれないようほぼ足音を立てずに着地したリオルは、捕らえられている研究員が驚きの声を上げる前にアクア団の首筋を叩いた。
もう一人いた女のアクア団員が気配を敏感に察知し、振り向いてリオルを迎撃しようとボールに触れる。
しかしそれよりリオルの手刀が首筋にめり込む方が早かった。
気を失ったらしい二人のアクア団の前に回り込み、音を立てないように支える。俺もそれを確認して、気づかれないようになるべく静かにリオルの傍へと走った。
「静かにしていてください」
小声で研究員さんたちに伝え、リオルが抱えている人間を片方受け取る。野宿のために持ち歩いているロープで手足を縛って転がした。
忍び足で壁を伝い、会話に聞き耳を立てる。
「…いいわ、返す。返すわよ。
超古代ポケモンの目覚めによって引き起こされる異常気象…こんなことが今世界におこったら、人間はおろか、ポケモンだって…」
虚ろなイズミの声がこだまする。どうやらイズミは資料に気を取られているようで、俺たちが部下を倒したことには気づいてないらしかった。
リオルと再びアイコンタクト。相手の考えることは手に取るようにわかる。
ほぼ同時に頷き、俺は無防備な背中を指さした。