待ち望んだのは戦いで

無言で出したはずの指示。当然相手が気づかなかったはずのそれに従ったリオルの攻撃は、しかしながら狙った箇所に当たることなく防がれて終わる。
一瞬でとりだされた青いカラーリングで目つきの悪いポケモン。そいつ…サメハダーは、持ち前の鋭い牙でリオルの手に噛み付き、主人に攻撃させまいとリオルを遠くへと放り投げた。

奇襲の失敗。

それが意味するものは、俺たちの存在が相手に気取られたということ。
知っていてここまで泳がせていたのか、それとも半ば本能的に防いだものなのかはわからない。

表情が見えないままのイズミが、様々な資料が散らばっている机に紙の束を丁寧に置いた。乱暴に奪い取った割には随分と丁寧に戻すんだな、と場違いなことが頭をよぎった。

こちらを振り返った彼女は暗い光を宿した瞳をぎょろりと動かし、力なく口の端を上げる。

「…あらまぁ、プライベートで動いている時にもアンタと出会っちゃうのね」

覇気のない声が唇からこぼれ落ちた。
どうやらこの天気研究所の騒動は彼女にとってただの訪問、だったらしい。それにしてはいささか派手にやらかしていたようにも思うが。

イズミの後ろにいた研究員さんたちを見る。細身の男性のほおが赤く腫れ上がっており、イズミに何かしらをされたことが伺えた。どうやらそれほど強い力では殴られていないみたいだが。

「なんなのかしら全く…運命感じちゃうわ、アハハ…」

心ここにあらずという言葉はまさにこのときのためにあるようなものだ、と、状況の深刻さを理解できていない頭の一部が告げる。
まともに働かない頭をフルで回転させるように軽く頬を叩いた。

ゆったりとした会話の間に、血を垂れ流しつつもリオルがこちらに戻ってきた。今すぐ治療をしてやりたいところだが、この雰囲気では手を差し出すことすら難しいかも知れない。

なんにしたってリオルを続けて戦わせるわけにはいかないだろうと背後へと回し、俯いたイズミに鋭く視線を這わせた。

「…お姉さんね、今とっても虚しいの。やるせないの。頭の中がぐっちゃぐちゃなの」

イズミの声に僅かに色が帯びた。
それは流星の滝や、えんとつ山で会話をしたときのそれとは違う重みを携えていて、彼女のことを何一つ知らない俺でさえも、その雰囲気は危険なものだと感じ取ることができた。

ますます警戒を強めた俺たちに気づいているのか否か、イズミは勢いよく顔を上げて俺を睨みつけた。

「…ねえ?紛らわしてよ。アンタとアンタのポケモンの、ユメとキボウに満ちた…その歪みない真っ直ぐな、心底ムカつく戦いっぷりでさあ!」

浅黒い、しかし女性らしい綺麗な指が俺を指すのと同時、最初にリオルを吹っ飛ばしたサメハダーが飛びかかってくる。

とっさのことに反応できなかった俺の代わりに、背後にいたはずのリオルがサメハダーを殴り飛ばした。
腕の赤黒く染まったあたりから鮮血が噴き出す。
痛みに顔を歪ませたのは見逃すことなどできようはずもなく、すぐに下がらせて代わりのポケモンをとりだした。

リオルをはやく治療するためにも早急に終わらせなければいけない。
煙る視界と共に飛び出してきたライラが素早く緑の風を纏い、サメハダーに向けてそれを放つ。技の指示もなかったというのに意思を汲み取ったライラに感嘆の息が漏れる。

もちろんそんなことは相手も予測済みで、鋭く空気を裂いた風を横っ飛びに躱し、素早くライラに牙を剥いた。咄嗟に身を引いた彼女の目の前で鋭い牙が擦れあう。
ライラが起こした風によって、書類が散乱するコンクリートの床に落ちたボールを素早く回収してベルトに下げる。

サイコキネシス、俺の言葉に反応したライラが淡く目を光らせてサメハダーの動きを止めた。
もっとも悪タイプとエスパータイプじゃ分が悪い。

サメハダーの体が盛り上がり、ゴムが切れたような音を立てて攻撃を相殺する。予想もつかなかった力技に一瞬だけ気が逸れ、その隙にもう一度青い体がライラとの距離を詰めた。

嘘だろ、タイプ相性の関係があったとしてもこんな簡単に。ライラだって弱くないはずなのに。

その思考のせいで指示を出すのが1拍遅れ、サメハダーがライラの体を吹き飛ばした。白い壁に打ち付けられたライラが苦しそうに呻き声をあげる。
状態としてはリオルよりも軽傷、このあとだって戦えるだろう。しかし一撃食らっただけでも相当なダメージを負っているらしいライラに長く無理をさせるのも忍びない。

いかにしてあのサメハダーに攻撃を与えるか。
ライラのマジカルリーフを避けるほどの素早さは侮ることはできないが、まさかこの研究所を壊すほどの威力を出すわけにもいくまい。

よろよろと立ち上がった細身の体を気にかけつつ、サメハダーを出して以来一言も喋らないイズミを見る。イズミは俺とライラ、そして自分のサメハダーを静かに見つめていた。

「………ふぅ。ちょっと落ち着いたわ…」

あんがと。

たっぷり間を空けて告げられたお礼に、今度はこちらが動きを止める番だった。
これで、終わり。サメハダーはまだ気絶どころかライラよりも元気だし、もしかすると俺の手持ち全てを使っても倒せないかもしれないのに、イズミはサメハダーを止めた。

生憎今はこのコしかいないの、と零しながら攻撃の手をやめたサメハダーをボールに戻したイズミ。そいつを俺は信じられない気持ちで凝視する。
だって、俺は、

「お礼代わりに、ひとつだけ教えてあげる」

ポケモン勝負に気を取られていたところで、バトルの前ほどに落ち着いたイズミの声で我に返る。

「アタシたちアクア団…いや、アオギリ様の野望が達成されたとき、世界はまさにはじまりに還る。なにもかもが生まれる前に…

そんな現実を相手にどうすればいいのかは、アンタ自身で考えなさい。
アタシもまだ整理がついていない。何が間違いで、何が正しいのか…」

始まりに還る、とはどういうことだろう。
アオギリがしようとしていること。アクア団の目的。

カイナで話されたものからして、アオギリやイズミたちがカイオーガを欲しているのは明白だった。世界中のポケモンを守るため、という名目で。

不意に科学博物館で見た説明を思い出した。

「全ては、海から生まれた…」

遥か昔、全ての生命が生まれた場所は海だったという。命というのはもちろんポケモンだけではなく、俺やハルカといった人間も、進化の元をたどれば海から生まれているんだとか。
カイオーガは海の古代ポケモン。確か「昔」に目覚めた時は世界を沈没させるんじゃないかと思うくらいの大雨を降らせていたはずだ。

カイオーガ、海、始まり。
キーワードが揃ったところでうまく消化しきれない。アオギリはカイオーガをどう使うつもりなんだろうか。

じゃあね、といってイズミは俺の横を通り過ぎる。その様子は本当に俺を攻撃する気がないもので、あれほどまで敵視されていたのにと逆に警戒を煽られる。
気絶している部下もそのままに、階段へと歩を進めていたイズミは、ふと何かを思い出したように独り言をつぶやいた。

「……アオギリやコトアたちは多分、あそこに向かったはず…」

コトア。
その名前が脳に到達する前に、俺とともにイズミを見張っていたリオルが前に飛び出した。

反射的にその腕を掴み、イズミの元へ行こうとするそいつを止めた。殺気が込められた視線を向けられたが気にしている場合ではない。
コトアと、確かに彼女は言ったのだ。

『なんで止める!』

普段は落ち着いている声が荒く鼓膜を叩く。いつもとは逆の立場になったそれにどうしていいかもわからず、怪我をしていない方の腕を強く握り締めた。
半ば無意識の内だったといえば、こいつは俺を許してくれるだろうか。

狼狽える俺が返答を迷っている間に、イズミは階段を下りて階下へと姿を消した。リオルも焦ったようにそれを引きとめようとして、しかし俺の腕に邪魔をされ、振り向いてもらうことすらできなかった。

掴んでいる腕に力が入った。怒りに拳が震えている。

『…アンタ、今、何をしたのかわかってる?』

リオルの発した声に、抑えきれない憤りを感じた。それもそうだ、やっと探し人の手がかりがあったというのに、俺はそれを呆気なく遠ざけてしまったのだから。
俺にもなんでこいつの腕を掴んだのかが理解できなかった。もしかすると、リオルがイズミについていくことを寂しく思ってしまったからなのかも知れない。

この短い間に俺の頭はキャパシティオーバーだ。イズミがなぜ俺への攻撃をやめたのか、そして彼女の発言はなんだったのか、
…俺たちの追っているコトアと、イズミの零したコトアは同一人物なのか。

どういっていいのかもわからず、「ごめん」と口ずさんだ俺のことを、そいつはめいっぱいの力で殴りつけた。