揺れ動く地面を飛んで

ガタゴトと揺れ動く暗い空間を眺め、遠く離れた地に思いを馳せる。俺はどうしてこんなところにいるのだろう。
あの日と同じ帽子を被り、あの日と同じ服に身を包む。手にはマルチナビと呼ばれている最新機器が握られていて、その僅かに明るい画面は特に面白くもないマップを映し出していた。

俺の名前はシズク。これからミシロタウンに引っ越しをするためにトラックに乗っている。
あの日ライバルの背中を見つめていたユウキはいない。俺の中に燻っている存在は、誰にも知られることなく沈んだまま、日の目を見ることすらなく消えてなくなりそうだ。

ぴっ、とマップから音がして切り替わる。コトキタウンと表示が出ていて、そろそろあの街につくんだということを知らせていた。
懐かしいあの街。この体では行ったこともないのに、その景色や匂いは昨日訪れたように鮮明に思い浮かぶ。

ユウキだった人間、俺は、シズクとして新しい生を受けた。

そのことに対する驚きはもう過ぎ去ってしまったし、整理だってとっくに済んでいる。俺はもうあの懐かしい時間に触れ合えることはない。
新しく生を受けたこの世界は、俺たちがいた世界と違って科学技術が進歩しているらしく、昔使っていたポケナビは存在せず、代わりにマルチナビというものが普及され始めているらしい。

恐らくユウキは死んでしまったのだろうということは俺がいる時点で悟っている。あの状況じゃ仕方ないし、やり残したことはあったものの、割り切るしかないだろうこともわかっていた。
流石に生まれ変わった先でも記憶を持ったままで、尚且つ自分の親があいつの両親と同じだったことは驚くしかなかったが。

恐らく俺はあいつの居場所を奪ってしまったのだ。

多少の差異はあるものの、過ごしてきた日々はあいつから聞いたことと同じことが起きている。それにカイオーガやグラードンが引き起こしたあの天変地異はこの世界では聞いたことがない。
その代わりにあった出来事といえば、三千年前に大きな戦争が起きたことくらいだ。その戦争ではポケモンの生体エネルギーを使った兵器が開発されたんだとか。そして多くの命を散らし、その戦争は終わったんだと。

一年ほど前にフレア団のリーダーだという人間が世界を滅ぼそうとその兵器を再稼働させたとかさせなかったとか聞いたが、俺と同じ年ほどの少年がそれを食い止めたんだとか。
あいつと同じだ。俺にはない勇気を持って、世界が壊れそうな脅威に立ち向かう。それを持つことがどれほど難しいのか、それを持つ本人は知ることすらないのだ。

がたん、と衝撃が体を襲う。暗い空間の中、俺の体を揺らしていた小さな衝撃がなくなった。
外の様子を覗きみた。この世界では見たことがなかった懐かしい雰囲気が感じられる。

開かれたトラックのドアを超えて地面を踏む。朝露に濡れた草がスニーカーに水を落とした。

「ここが、ミシロタウン…!」

アゲハントが飛び回って蜜を吸っている。子供のポケモンは元気よく小さな街の中を走り回り、持ち主がそれを追いかける。大人はそれを微笑ましそうに眺めつつ、自分のポケモンと戯れていた。その誰しもが遠い記憶の中の人達と合致した。
帰ってきたのだ、ここに。いや、この世界では来たことがない新天地だが。

えもしれぬ感動が胸に沸き上がってくる。この調子ならば、この世界の俺と親父にだって会えるかもしれない。
家から出てきた母さんがミシロに来たことに感動している俺を、不審者を見るような目で見ていたことに気づくことはなかった。

「シズク、部屋に入ったら時計を合わせておいてね」
「はーい!」

一気に気分が盛り上がった俺は、いつもなら低く返していた返事を勢いよく返した。
ミシロにまた訪れることができたのもあるが、自分の部屋ができるのも嬉しい。ジョウトにいたころは小部屋をもらえなかったのだ。

部屋の中を見渡し、できるだけあの日と同じように配置を入れ替える。流石にそれほど時間をかけることができないものの、ある程度までは整理ができた。
時計の時間を合わせて机の上のものを片付けた。そろそろ下も整頓が終わっていることだろう。

「母さん、下の片付け終わった?」
「シズク!ちょっとこっちに来て!パパがテレビに映ってるの!」
「へえ」

下に降りると、母さんがテレビの前で黄色い声を上げていた。きゃーきゃーと騒ぐさまはまだそこらにいる人たちと変わりない若々しさを保っている。
まあ、父さんが写っているなら仕方ないか。母さんは父さんの一番のファンを名乗るだけあるから。

「……以上!トウカジム前からお送りしました!さて次のニュースは――」
「あら、終わっちゃったみたい」

パパが出てたのに残念ね、と頬に手を当てて母さんが言った。
トウカジムというのは父さんがジムリーダーを勤めているところだ。ノーマルタイプを中心としたところだということは昔から知っている。

トウカならすぐに行ける、と言いかけて、自分がポケモンを持っていないことを思い出した。
そうだった、「昔」は親父からポケモンをもらってずっと一緒にいたけど、今の生じゃポケモンに触ったことくらいしかなかった。このままいくとバトルも不安が湧き上がる。

もしあいつの立場に居るとするなら、恐らく俺もポケモンをもらって旅に出るのだろう。けどあいつはどうやってポケモンを手に入れたんだっけ。

何も言わない息子をどう思ったのか、母さんは微笑みながらいい情報をくれた。

「そういえば、この街にはオダマキ博士っていうパパの友達がいるの。オダマキ博士のお家は隣だから挨拶してらっしゃい」

オダマキ。オダマキ博士。
その名前には聞き覚えがありすぎる。そうだ、オダマキ博士…元俺の親父から、ポケモンを貰えばいい。あいつのバシャーモは博士からもらったんだ。
今がそのときじゃなくて貰えなかったとしても、この世界の「ユウキ」がいるなら捕まえてもらって、それで特訓すればいい。それで決まり。

早速外に飛び出して隣の家に走った。胸が高鳴るのを抑えることができず、ノックをしようとしている手が震えた。
俺があいつの場所を奪ったことには罪悪感だってある。それによって起きることが違ってくるかもしれない。だが今はそんなことは関係ない、俺はポケモンを持って強くなりたいのだから。

開かれた扉の向こうに懐かしい顔があった。「昔」のお袋だった。
お袋も俺と過ごした時間を覚えていないらしく、固まった俺を不思議そうに見てきた。前はどんな風に接していたっけ。ポケモンのことで頭がいっぱいで忘れていた出来事だった。

「もしかして、お隣に引っ越してきたシズクくんかしら?」
「っあ、は、はい」
「いらっしゃい!うちにも同じ年頃の娘がいるのよ!」

新しい友達ができるって楽しみにしてたの。その言葉よりももっと衝撃的なものを言われた気がしてフリーズした。

娘。ムスメ。むすめ。娘?

言われていることが理解できない。娘?息子じゃなくて?
どういうことだ、まさかあいつの変わりに俺が男として生まれて、ユウキの代わりに誰かが女として生まれたのか。なんということだ。絶望しかない。
だってそれは、俺が女として生まれていたときの顔でしかない。昔の自分を見るのは耐えられるよう覚悟は決めていたけれど、その自分が女装しているようなものをどうして見続けられよう。

放心状態になった俺のことなどお構いなしに、その女の子は二階にいるわ、と紹介して慌ただしくキッチンに向かった元お袋を見送った。
どうしよう。会うべきか会わざるべきかすごく悩む。