水底で教えてあげる
こぼれた俺の声に気づいたのか、リオルをボールに戻した少年がこちらを向く。恐ろしい程に凪いだ瞳は一見空疎なものにも見えて背筋が凍った。
シャンデラ少年が、ずっと探していたはずのコトアだった。上手くイコールに繋がらないことに焦りを覚えて、あ、ともう、ともつかない声が口からこぼれ出る。
「…ウシオさん、留守を頼みます」
「おうトも!」
少年、もといコトアは俺に声をかけることもなく、さっさと潜水艦に乗り込んで姿を消した。目の前で閉じられる潜水艦の蓋にハッとして手を伸ばしても届くわけがない。
ガコン、重い扉が閉められ、潜水艦は今にも水の中に沈んでいける体制になる。
水面に駆け寄ってその扉さえ開いてしまえば、ほんの一瞬の足止めは可能だろう。だがその前に立ちはだかるウシオ、バトルで勝てる自信はない。
万が一勝てたとしても、扉を開けば中の団員がこちらに攻撃を仕掛けてこないわけがない。危険な行為はやめたほうがいいだろう。
ましてや、中にはあの少年。
未だに目に焼き付いている、116番道路での勝負。スバメを丸焦げにしたあの光景は忘れられそうにもなかった。あんなやつに俺が勝てるとは思えない。
「オウホウ!どうシたガキンチョ!サッキまでのハキがねえゼッ!!」
ウシオの挑発に乗りそうになる自分を抑える。悔しいが、ここで足止めをしても意味がない。
今すぐにでもコトアが俺と接触していた理由を問いただしてやりたいが、それもまた難しいだろう。リオルだっていない、単身乗り込んでいるので救援も期待できない。だからまずは、
「リライ!」
徐々に沈んでいく潜水艦にぶつからないよう気をつけつつ、そのでかい水槽もどきの中にリライを出す。リライも俺の言いたいことは分かっているようで既に準備を整えていて、
「波乗り!」
―――
――――
ばしゃり、自分の体に波が当たって音を立てる。
海水でびしょ濡れになった全身に、乾かすのが面倒だという場違いな感想だけが頭に浮かんだ。
どうやら無事にミナモのあたりまで帰ってこられたらしい。そのことに安堵すると同時に、少年が隠していた事実が頭を占領する。
コンテストに出る前にすることって、カイオーガの復活かよ。自分のことを探してた俺はそんなに面白かったか。そりゃ、気付かなかった俺も悪いけどさ、だからってこんな仕打ちはないだろ。
まるで友達からひどい裏切りを受けた気分だ。両の手で足りるくらいしか会っていなかったが、俺はあいつのことを本気でいいやつだと思っていた。
あの様子じゃ、カイオーガの復活を本当に実行するつもりなんだろう。俺は一度も話したことはないが、最初から知っていたような落ち着きようだった。
あいつを探していたフラダリさんは、もしかしてこれを察知して止めようとしていたのか。
ふとその思考に至ったところで、俺は大事な用事を忘れていたことに気づく。
「連絡、いれてない」
あいつに言われたことをフラダリさんに伝えていないのだ。それどころか連絡先をナビに登録したくらいで、一度もその連絡先を使ったことはない。
慌ててマルチナビを開き、フラダリさんと書かれたアドレスに向けてメールを作成する。遅くなったとはいえ、件名にキンセツで会った人間と入れておけば見てくれるかも知れない。
指先が水で滑る中、苦戦しつつ仕上げたメールをなんとか送信し、ミナモに続く砂浜に上がる。マルチナビが防水仕様でよかったと心から思った。
今更メールを送ったところで、フラダリさんからの返信は来ないだろう。ばしゃり、小さな波が足にぶつかって弾けた。
服が乾いたあと、どうすればいいんだろうか。アジトは調べてしまったし、128番水道に行ったところで洞窟に行く方法も思いつかない。頼れると思ったはずのリオルは…コトアの元に帰ってしまった。
リオルはおそらくコトアの動きは知らなかった。コトアとアクア団の関わりを知っているというのなら、真っ先にアクア団に連絡をとるだろうことくらい想像がつく。
つまりリオルは、これから起こることを予想できてもちゃんと知らされてないということだ。それがどういった方向につながるのか、お世辞にも頭がいいとは言えない俺が考えてもわかるわけはないんだが。
過去のあいつはアジトに行ったあとは何をしたと言っていたか。旅を始めた頃に比べてぼやけてきた記憶が恐ろしい。自分の意志に反して薄れていく記憶は、何よりも大切なものだっていうのに。
…本当に?
ループする思考を打ち止めしたのは、今まで一度も鳴ったことがなかったマルチナビだった。
鮮やかに色を映し出す画面を見ると、そこには着信のマーク、そしてフラダリという文字。メールを送って数分しか経っていないというのに着信とは、仕事が早すぎる。確かに電話の番号もメールに書いたが。
あたふたしつつもなんとかその電話に出ると、直接聞くのとはまた違った低い声が耳を刺す。
『コトアがアクア団にいたというのは本当か』
「あ、は、はあ…俺の見間違いでなければ、なんですけど」
『いや、それだけでも十分助かった。礼を言わせてもらおう』
フラダリさんは今まで連絡しなかったことを咎めることなく、俺の言葉に耳を傾けてくれている。怖いと思っていたが、案外優しい人物なのかもしれない。
そうなるとコトアだとは知らなかったとは言え、情報をまともに教えなかったのはひどいことをした。罪悪感が胸を蝕む。
それで、今彼の居場所はわかるか。
続けられたフラダリさんの言葉、言おうかどうか一瞬判断に迷うが、話さなくともすぐにわかることだと口を開いた。
「多分、海底洞窟です。潜水艦に乗り込むところを見ました」
『海底洞窟だと?』
「はい」
仮の所属とは言え、相手もマグマ団の一員だ。海底洞窟がどこにあるかくらいは知っているだろう。
俺の返事を聞いたフラダリさんは、少し思案するように沈黙し、そして俺に尋ねてきた。『トクサネのジムバッジは持っているか』
「これから取りに行くところです」
『そうか、なら早急に頼む』
「え、」
『残念ながら、今からマグマ団を載せられるほどの潜水艦を調達することは難しい。せめて私だけでも行くことができればいいんだが、ダイビングは秘伝技だ。トクサネのバッジがいる』
その一言ではっとする。そうだ、トクサネのバッジさえ取ることができればダイビングで深海に潜ることができるじゃないか。
フラダリさんはコトアを探しに来ていた。コトアは他地方から来たんだから、フラダリさんもおそらく他地方の人間だろうことは予想がつく。
団に所属し、人探しに加えてバッジを取る、なんてことはできる芸当でもないんだろう。フラダリさんもまさかダイビングがいるだなんて思ってもみなかったろうし、トクサネのバッジだけ持っていても使う場面は少ない。
元々、ダイビングを使う地方が少ないのもある。カロスなんかは波乗りを使うことすら稀で、バッジをとるのはリーグ挑戦するトレーナーかレンジャーくらいなものだ。
「でも、俺も同行してもいいんですか」
『無論強制ではない。きみが嫌だというなら…』
「いえ。…同行させてください」
俺がダイビングを使えるようにするということは、つまり俺も海底洞窟に挑むことになるということだ。決して生半可な覚悟で挑んではいけない、深海の場所。
しかしフラダリさんには言っていないが、俺にはきっとこの一連の事件を見届ける義務がある。あいつのようにカイオーガをとめるためにも、そして、コトアを止めるためにも。
電話越しのフラダリさんは俺をとめることはしない。
頼むぞと告げられ、黙って頷く。俺があいつの代わりにとめなくちゃいけないんだ。何も知らないハルカに任せるわけには行かない。
それがきっと、あいつへの償いになる。