希望なんて知らぬフリ

腕を引かれて外に出ると、外は暗い海が広がっていた。頬を激しく叩く雨は天気研究所のときの比ではない。
置いてあった目印のそばにはなぜかセレナとイズミが立っていて、俺たちの姿を認めるなりこちらに走り寄ってきた。

なんでセレナがここにいるのか分からず首をかしげると、「フラダリさんから連絡をもらったの」と理由を告げる。セレナとフラダリさんは知り合いだったのか。
空を見上げながら呆然とするアオギリに近づいたイズミはというと、気味のいい音を立てて男の頬を叩いた。

突然のことに理解が追いつかない俺たちをよそに、そのまま「なんでこんなことをしたの」と問いが投げかけられる。

「……………オレは…ポケモンの…あいつの…あいつが生きていける世界を…造りたく…て…」

そういったきり黙りこくったアオギリを何とも言えない心持ちで見つめた。イズミもマツブサもフラダリさんも、セレナでさえも何かを言いたそうにして口を閉じる。
俺も例に漏れず何も言えなかった。誰かの為に、という行動理念は誰にも否定できないものだろうから当然とも言える。だからといってやりすぎだが。

長い沈黙のあと、マツブサが空を見上げて呟く。

「これが…超古代ポケモンの力…全てを始まりに還す、カイオーガのパワーなのか…」

世界のバランス、その全てが崩れかねん。
直接的な言葉を聞かなくとも、おそらくここにいる全員はそのことに気づいていただろう。なにせここにいる人間のほとんどが事件の当事者だ。
しかしその言葉に続けて、こちらを振り返ったフラダリさんが俺に告げる。

「私たちはこれからルネシティに向かう。おそらくカイオーガが目指した先もルネだからだ。
ルネシティの中心部に位置する目覚めの祠の最下層、そこにはカイオーガがゲンシカイキするために必要なエネルギーが存在している」
「ルネ、ですか」
「ああ。
…カイオーガはさらなるエネルギーを求め、そこへ向かうはずだ。私たちもヤツを追いかけ、そこで最善を尽くす以外に選択肢はない」

「アオギリよ。キサマらアクア団も来るのだ。
我々の招いた災厄は、我々自身の責任をもって収束させるのが筋であろう」

フラダリさんと代わったマツブサの言にうめき声を漏らしながらも、反論は出なかった。
行きましょう、イズミの促しを受けて先に宙へ舞った背中がどうしていいのかわからない子供のようにさえ見えたのは俺だけだっただろうか。
同じように飛び立っていったイズミも見送り、姿が見えなくなったところでマツブサが静かに口を開いた。

「……大人として、まずは一言詫びさせてほしい」

すまなかったと続けられて困惑をする。洞窟の中ではつんけんした態度だったというのに、こんなにすんなりと謝罪をされるとは思っていなかった。
こんな事態でなければきっと問い詰めるのだろうが、生憎そんなことをしている時間はない。

「そして、頼む。我々に協力してくれ」

「…は、?」

耳を疑った。

協力って、思わずこぼせば、カイオーガの討伐だと望んでもいない答えが返ってくる。討伐って、それに協力って、なんだそれ。
言葉に詰まった俺のことをどう思ったのか、フラダリさんとマツブサは「ルネで待っている」とだけ口にして同じように飛んでいってしまった。

動揺で既に頭が混乱しているままに灰色の空を仰げば、この大雨の中誰かのポケモンが飛んでいるのが見えた。
あっという間に近づいてきたポケモンの正体はエアームドで、ただ空を眺めている俺たちの姿を認識したからか、徐々に飛行速度落とす。

どこか見覚えのあるエアームドの背から降り立ったのは、トクサネからどこかに飛んでいたはずのダイゴさんだった。

「シズクくん、遅くなってすまない」

どこかを走っていたのか、息が荒いままのダイゴさんはそう言ってあたりを見回し「酷い」と呟いた。
この人はこの事態を深刻に受け止めている割に、あまり驚いていないように感じられる。
驚いていないのは事情をなんとなくでも理解しているからだと思うが…それでも、ただの御曹司がこの問題に首を突っ込む道理はあったのだろうか?

次々と出てくる疑問に頭を抱えそうになるが、当面の問題はダイゴさんに関する疑問よりもカイオーガを止めることだろう。こんなことを考えている暇はない。

「このままでは、ホウエン地方…いや、世界中が海の底へ沈み、人間もポケモンも全てが生きていけない世界になる…!」

そう、誰かが止めなければそんなことを聞く余裕さえないのだ。
俺も出来うる限り力を貸さないと、ホウエンはあっという間に海の底に沈む。カイオーガを止めきるまでなんとか時間を稼がなければならない。

マツブサたちの飛んでいった方向から、この雨を降らせている雲は、ルネの上空を中心に広がっていると考えてもいい。カイオーガを中心にして雨が降っているからだろう。
ルネに行ったあとのことで頭を回しながらも、争いの中心に向かう準備を進める俺を、こちらを振り返ったダイゴさんが呼び止める。

「シズクくん…ボクはきみと、きみのポケモンのことを頼りにしている…
…が、無理だけはするなよ。絶対だ」
「…無理?」

俺の問いかけは聞こえていなかったのか、それとも聞いていなかったのか。ダイゴさんは答えを用意することもなく空へ飛び去ってしまった。
無理をするって、何をすると思われているのか。

大げさに首をひねった俺に対し、一連の流れを見ていたセレナが大きくため息をこぼし「本当に馬鹿なのかしら」と毒を吐き出した。

「どういうことだよ」
「…あえて考えてないのか知らないけど、言わせてもらうわ」

あなた、犠牲にされるのよ。

「私、この事件をなんとかできるのは、シズク…あなたしか思いつかない。
多分、さっき来た男の人も、敵対していた人たちも、私と同じようにコトを探していたフラダリさんも、事件の収束の鍵はあなただと思ってる」

セレナの言葉に息が詰まる。指一本動かせなくなった俺に、セレナは追い打ちをかけるように畳み掛けてきた。

「このままルネに向かえば、十中八九、あなたはカイオーガを止める役割を任されることになるわ。例え結果がどうなっても…命が潰えてしまうかもしれなくても、シズクにしかできないことって信じきって。
自覚はないのかもしれないけれど、とても一人じゃ抱え切れないくらいのことを押し付けられそうになってる」

これが終われば、晴れて世界を救った英雄として讃えられる。でもその分リスクは大きいことくらい、あなたでもわかるでしょう?
死ぬかもしれなくても、大切なものを傷つけてしまうかもしれなくても、あなたは本当に立ち向かおうと思えるの?

「…私は、もうルネに向かうから、付き添うことはできないけれど。ひとつだけ覚えていてほしい。
あなたの意志も尊重されて当然なのよ」

その言葉は、きっとセレナが与えられる最大の逃げ道だったのだろう。
ようやくのろのろと動き出したとき、周囲で俺と手持ちのポケモン以外の誰かが雨に打たれている姿はなかった。