誰もが俺を英雄だって
ルネに降り立ち、記憶の限りで街の中枢へ向けて歩みを進める。
横から殴ってくるように降る雨に体温を奪われる。煙る視界に苦戦しながらも先に行った大人たちを探していれば、行く手を阻むように道の真ん中に立ったダイゴさんを見つけた。
ここからは見えにくいが、ダイゴさんは誰かと話しているようだった。邪魔をしないほうがいいかとも思ったけれど、進みたい方向にいるため接触は避けられない。
素早く脇を通り過ぎれば気づかれないかとも思ったが、残念ながらそれを実行する前にダイゴさんがこちらを振り返って名前を呼んだ。声をかけてすらいないのに気づくとか、エスパーポケモンかよ。
「やはり来てくれたね。待っていたよ」
ダイゴさんの言葉に何も返すことができず、ただ沈黙を貫いてしまう。やっぱり、って。
しかし目の前の男性は、少しおかしいだろう俺の様子にも気づくことなく横に移動して道を譲る。…いや、譲ったのではなかった。
「彼の話を聞いてくれ」
先程までダイゴさんと話していた人がそこにいて、こちらをまっすぐ見つめてくる。見覚えのある容姿のその人はミクリと名乗った。
記憶の中ではチャンピオンの彼だが、今回は祠を守る人間のひとりなのだという。
俺とハルカの立ち位置が逆転しているように、キンセツの街並みが驚く程変わっていたように、彼もまた立場が変わっているのかもしれない。
だとしたらチャンピオンは誰になるんだろうか、と、今更な疑問が頭をもたげたが、それは後から誰かに聞けばいいと思い直してその質問を頭から追い出した。
ミクリさんは自己紹介さえしたものの、なぜダイゴさんが俺を信用しているのかわからないといった表情だ。普通こんな緊急事態に子供を連れてくるなんて思わないだろうし、当然の反応とも言えた。
苦笑いを禁じえないまま、俺も自分の名前を名乗って事情を軽く説明する。
自分がトレーナーであること。リーグへの挑戦のためにジムバッジを集めて回っていて、その道中でアクア団と対立したこと。事情を知ってカイオーガの復活を阻止しようと海底洞窟に乗り込んだといったあたりで、一応度胸だけは認めてもらえたらしい。
「わかりました。私について来なさい」
そういって白を多く纏った彼は進もうとしていた方向に振り返る。
その人の目は俺に多くの期待を寄せているわけではなかった。度胸は認められても、技術やそのほかの要因はきっとお眼鏡に叶わなかったのかもしれない。
なんとなくほっとする。
セレナの発言から、世界中の人間が期待しているかもと思ってしまったから。そんな驕った考えが実現していない分、落胆しても楽になった。俺にはどうしてもその期待は重すぎる。
移動をしている最中、俺の後をついてきていたダイゴさんが不意に立ち止まって空を見上げた。
「人が…ポケモンが…生きていくのに必要な水なのに。どうしてボクたちを不安な気持ちにさせるんだ…」
一人言のつもりだったんだろう、ダイゴさんの言葉が雨音の間をぬって耳に届く。
「ルネの真上に集まった雨雲はさらに大きく広がり、ホウエン全てを覆うだろう…このままでは…」
最早聞き飽きてしまったとも言えるその言葉に歯を食い縛る。俺が失敗してしまえば、きっとこの世界は崩壊に一歩近づいてしまう。暗にそう言われている気がしてならない。
立ち止まったダイゴさんに気づいたらしいミクリさんが、ダイゴさんも追いつける程度のスピードで歩を進める。ダイゴさんはすぐに追いついてきた。
街の中央らしい、目覚めの祠の前に行くと、海底洞窟の上で会った人間とどこか見覚えのある人間がそれぞれ固まってそこにいた。
その内の一つ、祠の前を堂々と陣取っている四人に近寄る。そいつら…マツブサ、アオギリ、イズミ、フラダリさんは、俺の姿を認めると一斉にこちらに視線を向ける。
ざあざあとうるさい雨の中、ダイゴさんが「アクア団とマグマ団」とつぶやいたのが聞こえた。
「待っていたぞ」
マツブサがそう言ってアオギリに視線をやる。向けられたほうは苦々しい感情を余すことなく顔に出したまま、こちらを黙って見ていた。
その隣にいたイズミもまた同じように無言で俺を見ていたかと思うと、手にしていた何かをこちらに差し出してくる。突然のことに戸惑いつつ受け取れば、ずしりと重いそれは布の塊だった。
「アクアスーツだ。受け取ってくれ…」
「デボンコーポレーションとアクア団の技術を結集して作られた、超高機能防護スーツよ。本当は私たちが、カイオーガとの接触に備えて用意したものだけど…」
間が空いて、アンタに託すわ、と、真剣な声色で告げられる。
一着しか構えていないのは材料がなかったからか、それとも俺だけが行くと思っているからか。どちらにしても、イズミや他のやつらの手元を見ても同じものが見当たらないのだから、俺一人で潜ることになるんだろう。
何とも言えない気持ちでスーツを視界に入れていれば、先程まで黙っていたアオギリが口を開いて疑問を口にする。
曰く、これを身につけても、最深部までたどり着けるのかどうかわからない、と。
「…確かに、私たちが想定していたものよりもずっと、この祠に溢れるエネルギーは強い。それに影響されて、水流の勢いもすごいことに…」
悔しそうな顔をしたイズミは祠を振り返り、言葉を途切れさせた。アオギリが言わなければ、おそらく知らないままに送り出されたんだろうことはなんとなくわかった。
その言葉はある意味予想さえできる事態を示している。
カイオーガの力がこれほどのものだと知っていたら、アオギリもあんなに取り乱していないし、もちろんそんな予想で作られたスーツが水流に耐えられる道理のほうがない。だから、俺が鈍いだけと考えればなんとも思わない。
「…シズク、っていうんだよね」
重い沈黙が落ちるその中で、俺の名前が聞こえる。
のろのろと顔を上げる。すると、セレナのそばにいた唯一見覚えのない人間…同い年ほどの少年だろうか、そいつがこちらに近づいてきた。
「初めまして、僕はティエルノ。コトの友達なんだ」
「…セレナと一緒にいたから、なんとなくわかる」
「そっか」
少年…ティエルノは俺のすぐそばに来て、持っていたコトアの肩掛けカバンを手に取る。そのまま中を探ってしばらく、一つのボールを取り出した。
「コトからきみに。もし何かあったら渡しておいて、って言われたんだ」
「…なんでだよ?」
「それは僕も知らないよ。コトはいつも何も言ってくれないから」
久々にメールをくれたと思ったらこれだもん。ティエルノはそういって苦笑いをこぼす。手渡されたのはリオルのボールだった。
これを渡してきたっていうなら、コトアもこの奥に進むべきだと言っているのか。リオルならきっと俺の尻を叩いて先に進ませようとするだろう。うじうじしている時間がもったいない、とか言いながら。
何も言えない俺の肩に誰かの手が乗る。
「きっと大丈夫。きみと、きみのポケモンなら、何が起きてもうまくやれる。ボクはそう信じている」
ダイゴさんだった。
後ろで話を聞いていたはずの彼は、俺の目をまっすぐ見つめてそういった。本当に俺たちを信頼してくれていて、そして期待している目だった。
「私たちルネの人間は、この目覚めの祠の中に入ることを許されていません。
ですが君は行かねばならない。祠の中で何が起ころうとも、何が待っていようとも」
「我々も団員を総動員し、被害を受けている人々やポケモンの救出にあたる。今はみながそれぞれの立場で出来る最善を尽くしていくしかない…!」
ダイゴさんの言葉を皮切りに、大人たちは俺の使命や自分のすべきことを口にする。まるでダイゴさんに勇気づけられたように、俺が祠に入ることを信じて疑わないように。
でも、待ってくれよ。俺は確かにここに来たけど、祠に入るなんて一言も口にしていない。それにスーツだって不完全で、最深部に行く前に俺が、
「キサマ……いや、…キミには重荷を背負わせることになって済まないが……頼んだぞ」
「………済まねぇ。
頼む…世界を…カイオーガを…」
俺が口を開くことはなく、そして意見を声に出すこともなく。
ただ世界の命運を託されてしまった俺は、誰にも何も言うことができず途方にくれた。
視界の端で、セレナが「バカ」と呟いたのが見えた。