おれたちのまほろば

近づき、か細い息をこぼすカイオーガに霧吹きを向ける。
気配を察したらしい、青い身体はゆるりと抵抗の意思を見せたが、涙で滲んだ俺はそれがどういった意味の抵抗だったのか知らない。

「…俺の負けだよ」

リオルが押し黙った事実はこのことだったのだ。俺が相手にならなくても、カイオーガは俺たちを害するつもりはない、ただ一人を求めていただけだなんて。
カイオーガにとって、この世界の滅亡なんてどうでもいいことだった。自分の世界が壊れなければそれでよかったんだろう…俺と同じように。
カイオーガは俺と同じだった。前世の記憶を持って、自分が強い思いを抱く彼女を拠り所に、今までずっと生き延びてきたのだ。その時間は俺よりもはるかに長く孤独なものだったのにも関わらず。

本当に敵わない。ハルカにも、カイオーガにも。

霧吹きの中に入った傷薬をかける。僅かに揺れた青をそろりと撫でて、改めて海水の冷たさを知った。体の冷たさとともに心も冷えて固まりそうだ、ぼんやりとそんなことを思う。
攻撃を躊躇っていたコノハとライラもカイオーガの声でこのことを知って、でも俺が指示を出すからやむなく攻撃をしてしまっただけだ。二匹は何も悪くない。

「ごめん、カイオーガ。お前のこと何も考えてなかった」

ぎゅい、小さく声が上がる。カイオーガは俺のことを冷たい目でずっと見つめてきて、しかし俺を傷つけるようなことは何もしなかった。最初からずっと、俺の手持ちだって誰も傷つかなかった。
覚えていてくれたのだ。たった一度しか会ったことのない俺を、あいつの友達としての俺を。

「ごめん、ごめんな…」

捕まえられたポケモンは少しだけ気性が穏やかになる。生まれ変わってしまえばきっとそんなこともリセットになるはずなのに、カイオーガはどこまでも一途で優しいポケモンだった。
目から塩水が溢れるのを止められないまま、汚く鼻をすすりながら、もう一度傷のない部分をなぞった。カイオーガはつるりとした肌をそっと俺の手に寄せた。

「…なあ、今更、何言ってんだって言われるかもしんねーけどさ」

みっともなく震えて聞き取りにくい続きに、そいつは…――



―――
――――
コトアを連れて帰ってきたらセレナが半泣きになっていた。

「ぼろぼろじゃないの、バカ」

ティエルノがコトアをポケモンセンターに運ぶのを見届けながら呟いていたが、その声には隠しきれないほどの歓喜を滲ませていて、おぼろげな意識の中でもよかったなと思えるほどだった。
コトアはどうやら結構重傷を負っていたようで、さらに洞窟で体を冷やしすぎたり、日頃の無理が祟ったらしい過労なんかも重なり入院を余儀なくされた。意識は数日で戻ってきたが、未だ監視が付けられベッドに縛り付けられている。

俺はというと、まあ、カイオーガに傷つけられていなくても入院を言い渡されてしまった。

というのも、一人できたこと自体が問題だったのだ。帰る際に必要なスーツは一着しか手元になく、それもコトアに貸している。当然救援が来ないわけだからスーツが増えるわけもない。
必然的に絞られた結果として、まあ、行きのコトアと同じ方法で帰ってきたわけで。

不安が残ったので紅色の珠と藍色の珠の使用を反転させたものの、実はこの方法、かなり危険なものだったらしい。
神経が水圧で圧迫されたようで痺れが取れず、祠の中に戻った俺はまず地面に上がることさえできなかった。リライや他のポケモンの手伝いがなければ今でも水中だったろうことは証明されている。

紅色の珠で中和してこれなのだから、コトアがとった方法なんて下手な真似をしていれば死んでいたはずだ。五体満足で帰って来れるなんて奇跡に近い。
悪運が強い人間はすごい、そんなことを考えながら祠をようよう出れば、外で待っていたダイゴさんたちにもみくちゃにされた。意識が飛びかけた。

びしょ濡れのぼろぼろになった俺たちを見て誰しもが泣いていた。周りの誰もかれも、俺がカイオーガを倒したのだと疑わなかった。よくやったと褒め讃えた。見当違いな賛辞を受けつつ、耐え切れずに意識をとばした。
そして現在、俺とコトアは仲良く同じ病室で入院している。

「シズクの退院は明日?」
「おう」

ゆっくり手を開いたり閉じたりしながら答える。コトアはこちらを見ながら「いいなあ」なんてぼやくもんだから笑ってしまった。
確かに、二週間近く入院しているものだからいい加減気分転換だってしたいだろう。色々怪我をしているのであと半月は確実に入院しなくてはいけないが、それは自業自得とも言える。

自分だって完全に体を動かせるようになったわけではなく、あと一週間はバトルを禁止されている身だ。ジト目でこちらを見る相手はさらにひどいのだから仕方ない。

「そうだ、預かってたリオル」

視線から逃れるためにぽんとモンスターボールを差し出せば、コトアは理解できないとでも言いたそうに眉を顰めた。借りていたポケモンは返さなきゃいけないだろうに、なんて顔をしているんだ、こいつ。
リオルのボールとはいえ、現在リオルはその中にいない。元々ボールの中は好きじゃないらしく、自分のボールがあれど外を歩き回ることのほうが多かった。

確認してみれば、俺の手持ちは全員外に出ている。各々好きなように過ごしているんだろう、苦笑いをこぼしてしまうが今更だ。
明日退院できる俺はいつでも会えるからとかなんとか、昨日の夜に散々聞いた気がする。

「お前のところに戻りたがってたぞ」
「それ、いつの話?信じられない」
「…カイオーガとドンパチやる直前、くらい?」
「なおさら信じない」

信じてやれよ、ポケモンを。
思わずそんなツッコミを入れると「シズクから聞くとさらに嘘くさい」と苦言を賜ることになってしまった。嘘くさいってなんだ、嘘くさいって。
苦い表情を隠せないままコトアと無言の攻防を繰り広げていれば、病室のドアがゆっくりと開かれリオルが顔を出した。

『何やってるの、お前』

ゴミを見るような目だった。心が折れそう。