切れたら終わり

秋も半ばに入ったその日、たまたま入った雑貨屋で会いたくない人間に会ってしまった。

「あれ、瑞希ちゃんじゃん」
「名前で呼ばないでください」

なんでこんなところにいるんだ。無言の訴えを悟ったらしい、男は唇を尖らせて「そんなんじゃ王子様は振り向かないよ」なんてほざいた。
顔のいい男と話してたら睨まれるし、「なんでモブ顔の芋臭い女なんかと」と一言吐き捨てられるから話したくない。いや、私の知り合いにイケメンじゃない男はいなかった。世の中は不平等だ。

話は戻るが、私には振り向いてくれる王子様なんてものは不必要である。恋はしているけれど結婚できるかと言われたらまた別問題だ。絵本の中みたいなお姫様でもないし。
ところでなぜこの人は――及川徹はここにいるのだろう。大学、東京だったっけ。

「練習試合が近くであったの。んで、今は自由行動中ね」
「なんていうか、修学旅行みたいですね」
「似たようなもんだよ。ついでに岩ちゃんと遊ぶ約束してんの」
「げえ」
「カエルが潰れたような声出さないで!?」

あんたが逃げたくなるようなことを言うからでしょう。出そうになった言葉を飲み込んで、手に取っていたアクセサリーを戻した。彼の言葉が嘘でないのなら、後々岩ちゃん…岩泉一に会ってしまう。
及川さんもだけれど、私は岩泉さんのことが苦手だ。理由はしっかりしているから。しっかりしているから、どうしても彼とは話す気になれなかった。

逃げようとしていることを察したのか、及川さんが私の腕を握ろうとしてくる。さりげなく避けつつ店の外に出ようと奮闘した。必死な私の視界にドアが映りこんだ。
よし、あと少し。そう思ったときにドアが開いて、上につけてあったベルがカランカランと乾いた音を立てた。

「おー、碧羽、久しぶりだな」

なんということだろう、岩泉さんが入ってきた。
固まった私に追いかけてきた及川さんがぶつかり、そこで彼は初めて岩泉さんに気づく素振りを見せた。岩ちゃん、嬉しそうな声が真後ろから聞こえる。

詰んだ。ゲームオーバーした。私はそこで負けを悟った。

「…お久しぶりです、岩泉さん…」

―――
――――
つくづく思うのだけれど、私ほどタイミングが悪い人間って中々いないんじゃないだろうか。

岩泉さんとかち合って早々に逃走を諦めた私は、二人を雑貨屋での買い物に付き合わせた後に近場のファミレスへと足を運んだ。ファミレスはドリンクバーがあるので私の味方である。
入るときに及川さんの顔を見た店員や、岩泉さんの振る舞いを見たお客さんなどなど、私に妬みを込めた視線を送ってきたものはすべて無視した。代われるなら代わりたい。

席に着いて早々にメニューを手にした及川さんの向かいに岩泉さんが座る。ははあ、いつもこう座ってるんだろうなってくらい自然だった。そりゃそうか。
メニューと睨めっこしている岩泉さんと及川さんにドリンクバーとエビグラタンを注文するよう頼んで、最初に運ばれてきたお冷を口に含む。とにかく喉が渇いていた。二人も注文を決めて呼び出しボタンを押して、私と同じように水を手にとった。

「ちゃんと食ってんのか、お前」
「食べてますよ。さっきもエビグラタン頼んだし」
「バランス考えてだよ。前もフライドポテトだったろ」

バランスを考えて。ふむ。好きなものばっかり食べているので、岩泉さんが望む答えはあげられないなと思った。
隣から及川さんが「瑞希ちゃん、前よりふっくらしてる」とからかってきた。体型に口出しするのはスマートじゃないので、これが彼女と長続きしない原因かと悟った。彼は親しくなると口が悪くなるのがいけない。

食べてませんね、言うべきか悩んだ言葉を告げると、岩泉さんはあからさまに顔を歪めた。私の母親じゃないんだから、そんなに気にしなくてもいいと思うんだけどな。
岩泉さんって、将来心配のしすぎで禿げそう。

「今、失礼なこと考えてないか?」
「いいえ」

あまりにもドンピシャな発言。読心術かと疑いをかけてしまった。これだから岩泉さんは怖い。
私と岩泉さんの掛け合いに及川さんが噴き出した。そんなに面白かっただろうか。うーん、この人のツボは相変わらずわからない。

そんな会話をしているうちにエビグラタンが運ばれてきた。及川さんが頼んだハンバーグのセット、岩泉さんが頼んだカレーうどんも一緒だった。どれも美味しそうだ。
熱いのを冷ましながら忙しなく口を動かしていると、ふと向かいの相手がスプーンを置いてこっちを見た。「お前さ、」

「木兎のことが好きなんだろ?」
「んぐっ」
「ふぇ?ふぁひ?」

思わず噎せた。及川さんは飲み込んでから喋って。

「あれ、スポーツ選手になるんだぞ。栄養のこととか学んどくべきじゃねーの」
「げほっ、げほっ、誰から聞いたんですか、そんっ、な、こと」
「烏野の縁下」
「ぜってー許さん」
「むぐ…ぼっくんがどうとかっていうのもだけど、栄養学は取っとくべきだよねぇ」

ぼっくんとは木兎光太郎のことだ。及川さんと木兎光太郎はなんと接点があるらしく、その繋がりで岩泉さんとも交流があるらしいのだ。
信じられない。まさか私の親しい友人縁下からこんなところまで話が行ってるなんて。縁下よ、お前はバレーから手を引いたって言ったじゃないか。クラトスに裏切られたロイドみたいな気分だ。

「つーか、まだ告白してねえのか。知り合って長いだろ」
「してません…っていうか、これからもするつもりないんで」
「はあ?」
「あと、あの人と私、そんなに長い付き合いじゃありませんよ。私が一方的に知ってたってだけですし」
「…お前、マジで言ってんの?」
「マジもマジ、大真面目だし本気で言ってます」

木兎光太郎と私は隣人だ。それ以上でも以下でもない。私が一方的に知ってたくらいで、彼は私のことをなんとも思っていない。このままの関係が一番落ち着くのだ。
向かいの岩泉さんも、隣の及川さんも、揃って何とも言えない表情をした。めんどくさいって思ってる顔なのかもしれない。

「告白すればいいじゃん」
「後から絶対悔いが残るんで」
「ぼっくん、絶対瑞希ちゃんのこと好きだよ」
「なんでわかるんですか」
「わかるよ。いつも瑞希ちゃんのこと話題に出すもん」
「それだけじゃわかりませんよ」
「わかる」

わからないんだよ。
高校二年の三月が蘇る。あの人だ。あの人はいつも私の名前を呼んでくれた。先輩と同じクラスの人が、私のことをずっと話してるって教えてくれた。そんな人に私は振られた、そう、失恋をしている。

「…わかりません。もう、失恋はこりごりです」

あれから何回も同じ感情を抱いたし、本当は告白だってしたことがある。でも全部、全部私は失敗してきたのだ。どうしてただの先輩の言葉が信じられようか。

頑なに首を横に振る私をどう思ったのか、二人は無言で目の前の食べ物を口にした。何も言ってくれなかった。
呆れただろうか、もう話は聞かないと思っただろうか。そう思わせたことに罪悪感が膨らんだ。

私は、しっかりしていてお節介焼きの二人が苦手だけれど、それを含めて二人のことが好きだった。
熱々だったはずのエビグラタンは食べごろになっていた。