ロゼは散らして美しい
「鏑木さん、よかったらこの後食事に行きませんか?」
「…ああ」
穏やかに微笑むそいつの誘いに、他と変わりない態度で応じる。誘われる理由はないが、断る理由もない。ただし嫌いな人間ならばまだなんとか理由をひねり出していたところだ。
男…森崎は、俺が特にためらうこともなく承諾したのが不思議だったのか、きょとんとした顔でこちらを見ている。大方甘利が「鏑木はつれない」とか漏らしたんだろう。機嫌が悪いときに誘うのをやめろと後で小言を言っておくことにする。
「仕事は終わったのか?」
「あ…いいえ、まだ少しだけ残ってます」
「そうか」
近場のカフェにでも入って時間をつぶすことにするか、と、レシートに店の名前を書いて押し付ける。レシートはこの前卵を買ったスーパーのものだ。
早めに仕事を終わらせるように告げて、同じほどの身長のそいつに背を向ける。自分の好みに合わせたコーヒーばかりを口にするため、適当に入るカフェの飲み物が口に合わないのだ。
「早めに終わらせるので!」
慌てるような男の声にひらひらと手を振った。
警察の仕事ではないことをしている人間だ、自分が手伝えることはない。神永の紹介で知り合った人間だが、D課の人間に負けず劣らずの優秀な人材…らしい。実際にその仕事とやらをしている様子を見たことはない。
というより、彼はD課の人間である。最近入れ替わったという本当の森崎は短期間ながら世界旅行に行かせているんだとか。
森崎と俺が手を組んでいる理由は明確で、俺が担当している任務が都合の悪い方向に転がったためにそのフォローに駆り出されているのだ。
D課内でも情報を共有することが少ないために起きた重複…つまり、別の事案だと思っていた出来事が同じ組織にたどり着いてしまったそれは、必ずどちらかが引かなくては任務に支障が出てしまう類だった。
どちらが引き継いでも仕事は滞りなく終わる。しかし、いきなりどちらかが失踪してしまうのはまずい。ゆえにクッション…もとい、森崎が必要なのである。
残念なことに、仕事が重複すること自体は少なくない。特に驚くようなことでもなければ取られて悔しい手柄なんてものもないので、俺も向こうも引き際をわきまえている。
今回はどうやって手を引かせてもらうか。考えることはそのことばかりだ。
―――
――――
「まさか、本当にその方法で行くのか」
様々な人間が雑多に詰め込まれて賑わう酒場で、ためらいながら聞き返した。森崎の隣でワインを口にしていた牧野という男がうっすらと笑う。「できない?」
男にしては赤く薄い唇が弧を描いているのを呆然と眺める俺とは反対に、森崎が困ったように眉を下げて牧野を見やる。
森崎の気弱といった仕草に、D課の演技力の恐ろしさを再認識した。これでも鬼のような性格だということは短い付き合いでも知っている。先日は甘利が関節技を食らっていた。
「できないはずがない」
「ならこれで行こう。実行は…そうだな、この日の二一○○」
「…牧野、さすがに急すぎるのでは?」
「僕は遅すぎると考えている」
俺と同じくためらいを見せる森崎に、強引にでも事を進めようとする牧野。まったく反対の意見を寄せる二人のせいで作戦を練る時間がぐんぐん伸びていく。
できないことがあればその都度口出しをしているものの、ほとんど置いていかれている俺をよそに二人の議論がどんどん白熱していく。どっちでもいいので早く終わらしてくれないだろうか。
二人、森崎と牧野は、暴露をするとD課で実井と三好を名乗っている人物である。
俺は歓迎会が終わったあとに紹介されたのだが、D課が総出を上げて探していたジツイという人間は波多野の知り合いだったらしいのだ。
波多野や渡瀬よりも少し遅れてD課に配属となった実井は、教育係に三好を指名し、今回も仲良くクッション材として名乗りをあげてきた。その背後で佐久間さんが腹を押さえていたので、二人して何かやらかしたのかもしれない。
甘利から聞くに、波多野と実井が組むとかなり凶悪な組み合わせになるらしいが、それに劣るにしても実井と三好のペアは相当タチが悪いのだとか。佐久間さんが餌食第一号か…南無三。
そういうわけで、どうやら残す探し人は一人になってしまったらしい。
こんなに早く見つかるのであればもう一人も簡単に発見されるに決まっている。俺も波多野と渡瀬の教育係が終わったら辞表か転属届でも出すことに決めた。いい加減ぼっちはさみしい。
「――なら、この日の二○三○は?」
「…わかりました。鏑木さんも、異論はありませんね?」
「ああ」
物思いにふけっているうちに、どうやら二人の議論は終結したらしい。口を挟まなくとも平和に終わってくれるならそれでいい。
指し示された日付を記憶して何も書かれていない手帳を閉じれば、二人はそれぞれ頼んでいた酒を口にした。俺を含む三人が三人若く見られる顔立ちのためか、煽っている酒がどこか似合わないのはご愛嬌である。
かくいう自分もウイスキーを煽っているのだが、騒がしい酒場でこちらに向かう視線はほとんどない。こちらに向く視線だって、どれもこれも酔いどれのものばかりなので気にするほどでもなかった。
「そういえば、鏑木。辞表を出すか悩んでいるのか」
酒ばかりではつまらない。枝豆でも頼むかとメニューを手にとったとき、牧野がグラスを口から離して口の端を釣り上げた。動きが固まる。
おかしい。D課の誰にも話した記憶はないし、最近で記憶がないときなんて寝ているときくらいしかない。なんでコイツが知っている?
とりあえずと近場にいた店員に唐揚げと冷奴を頼む。森崎は顔に似合わない枝豆を、牧野は卵焼きを頼んでいた。牧野に関してはワインに合うつまみでもないと思うのだが、本人曰く「意外とイケる」らしい。
落ち着くためにウイスキーを口に含む。料理ができるまで少し時間がかかるだろう、それまでに原因を究明すればいいのだ。
そういえば、D課の味覚は総じておかしい、とは、降谷と同じく俺と同期だった蒲生も言っていた。
福本の飯は美味いが、先日の歓迎会を思い出せば確かに色々つっこみたい事項があった気がする。波多野がうどんにポン酢をかけていたり、甘利がシメだといって毒がありそうなきのこを焼いていたり。
その前に、焼肉にうどんもシメもなにもあるのか?俺にはもう分からない。きっと他の事項だって俺の理解の範疇を越しているに決まっている。
…、なんで蒲生がD課のことを知っている?
「気づいたか?」
目の前で牧野と、そして森崎が笑っている。
「あの人は僕たちの仲間ですよ。今は別のところにお世話をしてもらっているのですが、ふふ、三年も騙されていたとは」
「…はあ」
「森崎、あれはお前のものじゃあない」
「やだな、知ってますよ」
完璧に騙された、というより、やられた。まさか新人である実井が知っていて俺が知らない事項があるだなんて思っていなかった。
よく考えれば分かることなのだ。実井が探し人として指定されていたということは、今のD課が作られるより前にコミュニティに参加していることと同義であるのは。
確かにD課の面々には話していない。…が、三人もいるのだ。俺の愚痴に付き合い、辞表のことまで話している人間が。
一人、降谷が俺のことを部下やD課に漏らすはずがない。そんなことをしている間があれば潜入中のところで情報をより多く掻っ攫ってくるに違いない。
もう一人、風見はD課の人間の顔を知らない。報告を上げるにしても降谷だし、己を律しているのだから、公安か判別のつかない他課に俺のことを話すこともないだろう。たとえ世間話だったとしても、だ。
ならば消去法で残ったのは、先ほど名前を出した蒲生…「蒲生次郎」しかありえないのだ。
「…あまりいじめてやるなよ。そいつも、係長も」
D課の面々は脅し方がえげつない。蒲生だって話したくて話したのではないのかもしれないし、こちら側だというのなら"情報共有"は大事だろう。
もはや怒る気力すら沸かない俺の前で、二人の悪魔は笑って口にする。
「「善処します」」
ちなみに、後で作戦決行の日付を確認すると、その日は俺が休日申請を出している日だった。
胃がしくしくと痛んでいる気がしたのは錯覚だと思いたい。