三者三様、十人十色

目の前に佐久間さんが立ちはだかっている。

「鏑木!」
「はっ、はい!」
「なぜだ!!」
「何がですか!?」

効果音でもつきそうなほどに勢いよく肩を掴まれた。あまりにも急に起こった出来事だったためにその手をひねりあげてしまう。
廊下中に佐久間さんの悲鳴がこだまする。しまった、つい条件反射が。それもこれも、自衛する道を選ばせる腐った警察の対応と、反吐が出るほどの所業をやらかす人間のせいだ。

慌ててねじっていた手を離す。思い切りやってしまったせいか、佐久間さんの目は潤んでいる。正直、すまなかったと思う。

「…それで、何が"なぜ"に繋がっているので?」

赤くなっている手を申し訳程度にさすりながら問う。そう、問題はそこだ。
自分は三好や神永なんかよりも察しが悪い。他の感情を読むことは仕事において重要であるが、まさか心が全て読めるわけでもないのだから、察するにも色々限界がある。
当然のことながら、言葉が足りなければ分からない部分も存在しているのだ。

佐久間さんはゆるく手を揺らしつつ、あくまでさり気なく周囲を見渡した。公安連中相手でなければ「言いにくそうに頭を回している」ようにしか見えない動作だが、こちら側からするとまだまだ拙い部分が目立つ。
現場に出る必要がないとはいえ、もう少し演技力を磨いてもらうべきかと思案する。そんな俺に潜められた声が届いた。

「その、…退職願を出したと聞いた」
「、」
「かなりデリケートな話だと思ったが、どうしても気になった。他のやつらには振り回されていても、あの課はお前の性分にぴったりだったろう」

耳が早い。

「合っているかどうかはさておき、自分はそんなもの、提出していませんよ」

笑顔を作って答えてやれば、佐久間さんはあからさまにほっとした様子で「そうか」と頷いた。本当に素直で実直な人だ。
どうせ話は三好から聞いたものだろう。他の連中もこの人を気に入っているのとは反対に、俺のことなどどうでもいいだろうから。三好だって佐久間さんの反応を見たいがために話したに決まっている。

所詮はそんなものだ。俺たちは他を蹴落としてのし上がるような化物たちばかりなのだから、人の情なんてものは必要ない。

「神永が言っていたんだ。ただの杞憂だったみたいで良かった」

何の裏もなく笑う佐久間さんに笑みを深くさせた。
まだ用事があるからと去っていく背中を見送る。ああ、本当、素直な人間ってやつは騙しやすくていけない。

「出したんだろう、異動願」
「なんだ、バレていたか」

後ろから聞こえた声に驚くこともなく反応してやれば、後ろの男は呆れたようにため息をついた。
振り向いてそいつを見やる。男…降谷は、隈のある目を細めて頭を押さえている。端正な顔立ちが嫌悪に歪んでいた。

「前に来たのは、あの課の?」

降谷の問いかけは、前にカフェへと赴いた一件のことだ。
佐久間さんがD課の係長だと知ったから、同じくあの二人も…といったところか。しかし残念ながら物的証拠はほとんどない。

「牧野たちは一般人だ。俺と佐久間さんが世話になって、それから関わりがある」
「D課が他人に助けを求めるとは思えないが」
「まさか!佐久間さんを見たらわかるだろう、あの人は随分と優しすぎる」
「だから一人でカバーしきれないって?」
「That's right」
「…その馬鹿にしたような返答はやめておけ」
「すまない。癖だ」

嘘つけ、と言われて思わず笑みが浮かぶ。先ほど佐久間さんに見せたようなものではない、普通の笑顔だ。D課に入って以来まともに笑ったのはこれが初めてかもしれない。
事実、佐久間さんは一人でカバーするには少し難しい人種だ。何もかも守ろうとするものだから目を離してはいけない。三好が気に入っているのは、その警察然とした強い意志や信念なんだろう。

俺とは違った意味でD課には不釣合いな佐久間さんだが、そのアンバランスさはD課に必要なものである。運も良ければ自分たちとは違った誠実さを見せるから、D課の面々は佐久間さんを好ましく面白いと思うのだ。
それに、神永たちが捜査を手伝ったというのも事実だ。二人が休日のときに協力要請が行ったものだから、一般人としてのサポートをしてもらうしかなかった。

「まあいい、それで?受理されたか?」
「さあ。受け取ってもらえはしたが、あの人が上に上げるかはわからない」
「…なぜ今になって?」
「あそこは俺に合わないんじゃないかと思い始めた。本当に今更」
「ああ…まあ、いつもあれだけ愚痴ってたらな。随分と耐えた方だ」
「偉いだろ、褒めろ」
「イイ人でも作って慰めてもらえよ」

殺生な。
思わず睨めつけてしまえば、男は俺より少し高い位置で可笑しそうに口を歪めた。カフェで見るものとは違う、随分と歪な笑顔だった。

そう、お互い疲れているのだ。たとえ種類の違う疲れでも、蓄積されれば人間の精神はぐらつくのである。

「あまり遊びすぎると風見ママに叱られるぞ」
「そっちこそ。パパママに泣きついてるの、知ってるんだからな」
「パパ誰だよ」
「蒲生」
「俺のパパは降谷」
「パパの販売は終わりました」
「この世は無情」

仮にも警察庁内で交わすようなやりとりではない。
深くため息をつくと、降谷も同じような動作で大きく息を吐いていた。疲れはどうやらお互い様のようである。…いや、俺は個人的に心労を溜めているだけなのだが。

いつ人が来るともしれない廊下、互いの用件も済んだので手を振って別れることにした。次も生きて会えれば行幸ってやつかもしれない。


―――
――――
仕事が終わったので帰る準備をしていると、渡瀬が扉の近くで俺の名前を呼んだ。

「鏑木さん、明日一緒に出かけませんか?」

持ちかけられた誘いを理解するまで数秒かかった。
明日は久しぶりの休日で、森崎と牧野が計画した作戦を決行する日付でもある。結構は二○三○、つまり午後8時半。

渡瀬にどこに行くつもりなのかと聞くと、どうやら新しくできた隣町のペットショップに用があるらしい。ひとりで行くのも味気ないので、ちょうど非番をもらった俺に白羽の矢を立てたようだ。
電車を使えばすぐだし、さすがに夜までペットショップにいるわけでもないだろう。快諾して待ち合わせの場所と時間を決定すれば、渡瀬は幸せそうに笑った。

「楽しみです。最高の一日にしてみせますから」

いくらなんでも張り切りすぎじゃないかと思って二の句を紡げなかった。渡瀬は特に咎める様子もなく帰っていった。用事はそれだけと理解し、つい脱力してしまう。
そもそも、いくらペットショップが楽しかったとして、後の事項のせいで最高とは言い難い一日になるんだが…渡瀬には言わないでおいてやろうと思った。

男同士でペットショップって、プリクラみたいに制限はないよな。絵面がひどそうだが周りには我慢してもらうことにしよう。