アリスもお前に会いたい
ドアを閉じたところに甘利と渡瀬がいた。
「報告終わり?」
仏頂面で睨みつける俺の表情など歯牙にもかけない。そうだ、甘利は最初からこんなやつだった。俺がなんで怒っているのか、少し理解が遅いときがある。
渡瀬といえば、眉尻を下げて明らかに困った素振りを見せるものだから、わかっていてからかっているに違いない。
「強引すぎると怒られた」
「はは、違いない。俺たちが考えたわけじゃないんだけどねぇ」
「確かに、最後はギリギリでしたね」
でかい絆創膏をさすっていれば、前の二人はけらけらと笑った。他人の不幸は蜜の味とは、まさにこいつらのためにあるようなものだと思う。
まったく、なんで俺だけが怒られるんだ。実井や渡瀬も小言を言われるべきだろう、一番振り回されたのは俺なのに納得がいかない。
「まあ、これで情報の引継ぎもうまくいきましたから、とりあえず良しとしましょうよ」
「…立場が違えばお前が殴られ役だったんだぞ」
「結果としては鏑木さんが殴られたじゃないですか」
ああいえばこういう。口車に乗せられて報告に行ったのが運の尽きか、といっても報告だけを残して後の処理をこなしてしまっていたあたり、悪知恵が働くというか。
なんにしても、渡瀬も俺と同じ人種ではなく、甘利たちと同じ人間だったというだけだろう。
――渡瀬の裏切りは、敵側に見せた茶番劇である。
そもそも仕事が重複したのは俺と渡瀬だ。渡瀬が潜入している組織と、俺が降谷に情報提供している組織が同じだったのである。
俺は元から力を入れていない役回りだったし、渡瀬が手を引いた場合命が関わる危険性が浮上していた。だから迷わず俺が手を引くことが決定づけられた。
問題となったのは手を引く直前と、そしてその後の対処。いきなり降谷がいるカフェに行くことをやめたとなると、やはり相応の理由が必要になる。いわゆるカモフラージュだ。
そして降谷とはまた違った情報を奪うために渡瀬も奔走しなければならない。そうして練られた作戦が、森崎たちとの打ち合わせだったのだ。
「実井は?」
「少し口の端が切れたと怒っていたぞ」
「なら大丈夫だな」
人質だった牧野…もとい、実井も問題ないようだ。渡瀬に処理を任せたのは正解だったといえる。
牧野は実井、森崎は三好。どちらかが人質になってもいいようにと二人用意していたが、無事に実井を選んでくれてなによりだ。三好は顔が傷つくと後がうるさい。念のためと降谷にミスリードを促しておいてよかった。
三好と実井をミスリードさせたことには二つ理由がある。
一つは個人的な要望で、単に三好が自分の顔に傷を作ることを嫌がったから。もう一つは現場を混乱させたかったから。
降谷は牧野が三好だと思い込んでいるため、三好が人質にされたと考える。降谷の性格では三好も庇護対象とみなしてしまうだろうことは容易に想像がついた。おそらく三好、いや、牧野に関する情報を集めることも。
だが森崎と違い、牧野は本来「存在しない人間」なのだ。戸籍も何もない人間を見つけることなどできやしない。そこで降谷は牧野、もとい三好に疑いの目を向けるだろう。
そして降谷はおそらく「牧野を調査しろ」と渡瀬に命じる。牧野を知っているのは渡瀬とその上司。上司は降谷の命令を聞くかどうかわからないが、渡瀬という部下がいるのなら任せきってしまうだろう。
その間実井が何事もなかったように生活してやれば、当然「牧野」を調査した渡瀬は「普通の社会人」という報告を降谷に渡すしかない。事実上、牧野は逃げ切ったも同然だ。
三好が降谷に遭遇して詰問されようと、ミスリードで起こったすれ違いだ、シラを切ることなんか造作もないに違いない。
こうして事態をうやむやにすれば、組織は表面しかわからなくなる。万が一降谷が牧野を通じてこちらの確信に迫ったとしても自分の首を絞める行為はしない。降谷は身内に甘い部分があり、当然俺にもそれは適用される。
不確定な俺の知り合い。
やつなら同族であることを察することくらいわけないが、友情を売れるほど非情になりきれない。"牧野"を売るのは俺を売るのと同義なのだ。
三年ずっと仕込まれていた布石に、結城さんという人間の技量の高さが窺える。どうにも敵わない人種はいるものだなとため息をついた。
「それで、鏑木は?」
作戦を考えたのは俺たちだけどな、と、未練がましく付け加えながら報告書をシュレッダーにかける。後ろで甘利が首をかしげてにこりと笑った。
何が。視線で問いかければ、笑顔が消えないままに「わかってるくせに」と口を動かした。
「…次の仕事を言い渡されただけだ。残念なことにな」
渋々教えてやると、甘利も渡瀬も目に見えて表情が明るくなった。最底辺が移動しなくて良かったって?はっ、言ってくれる。
結城さんに渡した異動願は受理されることなく、結局俺はD課を離れることを許されなかった。握る情報が特殊でどこに異動させるにも不都合が生じてしまうのだろう。残念な限りである。
ただし、鏑木は名目上左遷。二課でやらかした些細なミスが部署全体に大きな影響を及ぼして足を引っ張ったからだ。
次は大阪府警の捜査一課に所属する手はずになっている。
「へえ、結局向こうに行くんだ?」
「用事があればこっちにも戻ってくる。本部長の息子の付き添いだと」
「遊びに行ったら泊めてくださいね」
「ん」
土産をくれるなら泊めてやる。
「鏑木がいなくなるなら、いじりがいがあるのは佐久間さんだけになるなぁ」
「やりすぎて課長にどやされても知らないからな」
「そんな怖いこと言わないでよ…あ、そうそう、エマが鏑木に会いたがってた。良かったら今度遊びに来てよ」
「引越し先、教えるとか言って半年は経ってるぞ」
「あれ?そうだっけ?」
そうだよ。エマとはいつも家のそばだっていう公園までしか一緒に帰らないし、そもそもそんなに会ったことない。偶然会わなければ俺に存在を明かすつもりもなかったくせに。
甘利は俺の不服そうな視線をものともせず、頬を掻いて「誰にも言ってなかったっけ」と呑気につぶやいた。誰にも教えてなかったのか。
「そういえば鏑木、仕事以外で連絡先は教えないってホント?」
「え、鏑木さん、誰にも教えてないんですか?」
「…合コンで手に入れたメアドなんて使わないだろう」
「鏑木って合コン行くの!?うっそぉ」
「俺だって出会いくらいは求める。で、誰から聞いた?」
「神永。生活安全課の美穂ちゃん振ってたって」
つい先日のことじゃないか。
思わず頭を抱えた。目撃した情報を簡単に流してくれるとは思わなかった、捜査で使う携帯に私用のメアドを登録するわけにもいかないだろうと断りを入れただけなのに。
「あれ、佐久間さんとは交換してるんだ?波多野たちのメアドも入れとくねー」
「あっおい、ちょっとま、」
いつの間に携帯をスったんだ。というより勝手に人の連絡先を覗くな、仮にも個人情報だぞ。ご丁寧に私用の方を…!
取り返そうと手を伸ばしても届かなかった。身長が低い事実が憎い。ぱたぱたと背伸びしても届かなければ、肩を押しても揺らがない。実は自分、結構貧弱なのでは?
そうこうしている間に連絡先を全て入れられてしまったらしく、軽々と返されたスマホの画面には何か見覚えのないアプリの通知が踊っていた。なんだこれ。
「全員で話すときはこっちのアプリのほうが楽だからさ。夜とかくだらない話で埋まるけど」
「え、」
「ほら、三年間もずっと公安と連携取ってたから忙しなかったでしょ。結城さんの手伝いもあったわけだし」
「一段落もしたので、多少強引になっても連絡手段を手に入れようって意見がまとまったんです」
甘利と渡瀬がにこやかに話している間にもアプリの通知がどんどん溜まっていく。なんだこれ、勢いが早すぎないか。もうバイブ音が途切れなくて怖いんだが。
おろおろと二人と携帯を見比べていると、渡瀬が同じく懐からスマホを取り出して画面を覗いた。「なるほど、スタ爆されてるな」
「落ち着いたときにでも見てあげてください。小田切なんかすごく喜んでますから」
「おだぎり」
「見て見て、福本が明日おにぎり握ってくるって」
「おにぎり」
甘利から見せられた画面には確かに福本の名前とおにぎりの絵文字が躍っている。その上下に何か可愛らしいイラストがあった。これが世に言うスタンプ…
えっと、もしかして、あれか。
「…俺が感じてた疎外感って…」
「え、あれで?嘘でしょ。俺たち鏑木のこと、割と可愛がってるつもりだったんだけど」
なんてことだ。聞けば佐久間さんたちの歓迎会はそもそも開催されておらず、仕事も俺以外ができない橋渡しを任されていただけで通常の態度だったらしい。
俺にはわからない繋がりは、言葉を濁されはしたが、とにかく俺を除け者にしているなんて思っていなかったという話で。
――ああ、なんてことだ。完全に俺の思い違いじゃないか。
とにかく甘利と渡瀬にはそこで謝っておくべきだと思って土下座した。