ソメイヨシノは似合わない
周りが緊張感に包まれ、悲鳴が聞こえてくる。
平次くんの目線を辿れば、階段の降り口あたりにあるガラスケースが割れている。そこにいるのは黒い目出し帽の怪しい男たち、人数は五人。なるほど。
「手を挙げろ!!」
フロア全体に声が響く。声のトーンは低い。それぞれの体格は小柄な人間で神永、大柄であれば福本くらいか。凶器は包丁が二つ、拳銃、金づち、一人は素手。
小さめとはいえ四階建てのショッピングモール。今俺と平次くんがいるのは三階…ショッピングモールの全体を監視するカメラを統括している場所は四階。
まさか三階だけを占領しているなんてことはあるまい。少なくとも、目出し帽を被ってきたのであれば、ここに来るまでに警備員が動いている。四階の管制室はすでに制圧済みというわけだ。
銃とナイフを持って脅してくるそいつらの指示に従う。まさかここで抵抗して死傷者を出すわけにもいかない。平次くんがこちらに視線を寄越しても素知らぬふりをする。
「このショッピングモールは俺たちが占拠した」
フロア各地に散らばっていたところを集められ、困惑と恐怖を隠しきれない客や店員の前で、リーダー格らしい男がはっきり告げた。階段に繋がる通路にはシャッターがゆっくりと降りていく。
逃げ道を塞がれた。見た限り、すぐに開けられそうな部分は見当たらない。
「俺たちの要求はただ一つ」
鋭く突きつけられた拳銃に、向けられた女性がそう小さくない悲鳴を上げる。
「五億円を用意しろ。タイムリミットは午後三時…それを過ぎれば、十分ごとに一人、命がなくなると思え」
「ひ、あ、ああ、」
「さあ、さっさと上に連絡するんだ。それ以外のやつは携帯を渡してもらおうか」
質のいい制服を着た男性が銃口を目にしておびえていた。店員だろう、出てくる言葉もおぼつかず、正直強盗の言葉を理解しているのかさえ怪しく見える。
鞄から携帯を取り出す。平次くんもためらうそぶりを見せたものの、現状では打開策が見つからないためか、結局俺とは違う犯人に携帯を投げよこしていた。
麻袋に入れられる携帯はいくつか破損していそうな気配を見せる。画面に傷がついていそうだ、俺の携帯が無事ならいいのだけれど。
ぼんやりそんなことを考えていると、後ろで誰かの手が上がった。
「あの…」
目深に帽子をかぶった男だ。体格でいえば神永、格好良く決めている上下の衣服と、女性的な装飾の施されたキャスケットがアンバランスだった。俺と同じ帽子だとふと思う。
犯人が男性からキャスケットの男に銃を構えなおす。ひ、と、大げさなほど震えた男が続けて口を開いた。
「と、トイレに行かせてもらえませんか」
トイレに行きたいというのは生理的欲求だから仕方がない。犯人だって、さすがにそれくらいは見逃してやらなければやってられないだろう。
緊張感に包まれた空気の中、真剣な顔を作りながらのんきにそんなことを思っていることは、この場では神永くらいしか知らない。
防水加工をしている以外にいじっていない腕時計を見る。午後一時半前、タイムリミットまであと一時間半。なるほど、五億なんて大金は用意できない時間だ。さほど綿密な作戦を立てているわけではないらしい。
犯人は少しばかり思案し、そして頷いた。「いいだろう」
「ただし、取引だ。…そいつ、」
俺に指が向けられる。
「十五分以内に帰ってこなかったら、こいつの命はもらう」
「は…ぐっ」
大声を出そうとした平次くんの口を手で押さえる。代わりに挑発的に笑ってやれば、犯人がイラついたのが手に取るように分かった。
平次くんは探偵とはいえ高校生だ。いくら剣道が強かろうと推理力が高かろうと、庇護対象の一人なのである。彼は警察でなく、後ろ盾などないに等しいのに、それをまだ自覚できていない。
だから本部長直々に監視が言い渡されてしまうのだ。半年間しか見ていないというのに、まるで考えなしに事件に頭を突っ込む傾向があるのはよくわかった。
人助けや探偵職を馬鹿にしているわけじゃないが、運がなければ命を落とす場面も多からず存在している。いつかそれを自覚して、その上で行動してほしいと思う親心はわからなくもない。だから俺は付き人なんてものをやっている。
銃ではなく、ナイフを持った犯人の傍に寄った。首に腕が回され、頬に凶器が当てられる。
想像以上のぞんざいな扱われ方にうめき声をあげれば、相手の顔に下卑た笑いが浮かんだのがわかる。これ以上絞められないようにと腕を軽く掴むフリをしてやる。
周りの客が恐怖に染まった声を出した。頭に響く。キャスケットの男が小田切ほどの体格の男と共に去っていった。
最初に銃を向けられていた店員を見る。震えはだいぶ収まったが、顔が青いのは変わっていないようだ。電話をかける様子はない。
早く電話しなければそれだけ命が脅かされやすくなる。電話をしろと言われているのだから、なるべくはやく警察にまで話を行かせてくれないだろうか。
「で、んわ」
「ん?」
「電話、はやく」
苦しむ素振りで囁く。はっとした平次くんが青ざめた店員を見やる。手に握られたままの携帯を見るなり引ったくるようにして奪い、素早くいくつかのボタンを押して耳に当てた。
平次くんの声がこちらに届いて、思わず安堵の息が漏れた。さらに首が絞まる気配がする。
敵は五人…いや、トイレまで付き添った男をのけて四人。神永は戦力にならないので味方は平次くんだけ。階段に続くシャッターは降りたまま。携帯は没収、俺も拘束されている。
ショッピングモールをどれほど占拠しているかというのかも不明瞭なままだ。
そして十五分以内にあの客が戻らなければ、俺の命が一足先になくなる、と。中々ギリギリの境地にいるなとのんきに思った。
焦ってはいない。焦りは思考の鈍りを呼び、思考の鈍りは失敗を呼ぶのだ。それは一番やってはいけないミスだということを知っている。
落ち着いて考えれば打開策は見つかる。神永は無力でも、小田切や福本のカードは残っているのを忘れてはいけない。
それに何より、この状況。
俺…いや、"俺たち"にとっては好都合なのだから。