騙す、騙されたの懸念

どくり、心臓が嫌な音を立てた。

写真を見返す。俺だと思っていたその男は、今の俺とは似てもにつかない風貌を持っていた。コナンくんの言うとおり、全く俺とは言えない男だったのだ。
しかしそれを知覚した状態でも男が俺であるという確証は消えてくれない。こんなにしっかりと鍛えたつもりもないし、整形などしたこともないのに、それでも男が俺だと断言できてしまうのだ。

なぜ?

「今日の鏑木さん、どう見たっておかしいよ。急に黙り込むし、変なこと知ってるし。おまけに全く違う人を自分と間違えるなんて」

コナンくんが呆れたようにそういうのだが、それに苦笑すら返せなかった。俺だってなんで知っていたのかわからないことばかり問題に出されて混乱しているのだ。それに仲間外れって言ったって、これじゃ判断がつかない。
俺は一体何を知っている?いや、"何を忘れている"?

焦燥が募る中、写真の左上にいる男に視線が向く。その男も、もちろん名前を知っていた。だが俺はますます思考を引っ掻き回される心地がした。
だってこいつは、写真そのままに今を生きるその顔は、俺の、――

「――ああ、そういうことか」

タッチパネルに一度触れると、前と変わらない電子音が響いて、前を塞いでいた扉は消え去った。



―――
――――
扉を開けると通路があり、外に出られるドアへと繋がっているらしかった。俺たちを混乱させた脱出ゲームはこれで終わりというわけだ。
全て俺が問題をクリアしてしまったからか、隣にいる子供はかなり不満な態度を顕にしていた。子供がわかるような問題どころか、ほぼ身内向けのようなものばかりだったので、この子が解けなくても仕方がないのだが…。

道路に出るともう暗くなっていた。持っていた鞄は戻ってきていないが、そのあたりは気にすることはない。ただコナンくんの処遇がどうなっているかだけが不安だ。
宵闇に紛れ込んでいる黒塗りの車がそばに停まっていたので窓をノックする。

「火を貸してもらえませんか」
「私の靴は黒い」

後部座席のドアを開け、不思議そうにするコナンくんを乗車させた。カチコチに固まった彼を不思議に思いつつ、自分も乗り込んでドアを閉めれば、助手席に座った男が荷物を手渡してくる。俺とコナンくんの私物だ。
車はゆっくりと発進する。

「標的」
「愚問だな」

足を組んで前の席を蹴り上げる。レンタカーなのだろう、人工的な香りとオイルの臭いが混じって吐き気すら覚えた。車酔いはしないほうなのだが。
コナンくんは俺と助手席の人間が知り合いだということに気づいたのか、幾分か肩の力を抜いたらしい。が、暗闇に黒い車、更に乗っている人間まで真っ黒だから怖いのだろう、荷物を抱え込んで離さない。

「無事思い出せたようで何より」
「どうも。お陰様で思い出したくないことまで思い出したさ」
「それは僥倖だ」

何が僥倖なものか。今の頭の中は新しく入った情報と既存のそれが入り混じって大変なことになっている、これを整理するのに数日を要することは想像に難くない。
煙草を取り出した男…神永に、窓を開けるように釘を刺す。煙草の臭いもつく上に子供まで乗車していることを忘れないでほしい。

「それと、タチの悪い悪戯は心臓に悪い。あの人には絶対するなよ」
「保証はできないな」

佐久間さんの寿命が縮まりそうな気配を察する。察してもどうにもならない。

先ほど言った悪戯とは言葉通り、あの誘拐もどきと脱出ゲームもどきは神永たちが仕組んだもので、そのターゲットに俺が選ばれたということを指している。
どう説明したらいいものか悩むところだが、どうやら俺には前世というものが存在しているらしい。それを(当たり前のことながら)ほぼすっかり忘れて人生を送ってきた俺の前世を取り戻すため、今回の悪戯が仕組まれたというわけだ。

つまり、今まで知らないはずの知識を持っていたのも、川端の顔にあるはずのない見覚えがあったのも、前世を断片的に、無自覚に覚えていたことが原因だった。おぼろげな前世の知識が捜査の邪魔をしてきたから、いっそのこと思い出すようにと悪戯を仕掛けられたのだ。
前世ではどんな因果か、俺や川端は結城さんの下で働いていたらしい。助手席に座っている神永や他のD課の面々も、スカウトの時期は違えど同じように働いていた。

ただし、俺と川端と、D課にいる面々の訓練時期は違っている。神永たちは実質先輩、一期生だが、俺と川端は二期生だ。交流はないといっても過言ではなかった。

今回俺が記憶を取り戻したきっかけは神永である。
交流はほぼない一期生と二期生だったが、神永は二期生の講師として時折指導に顔を出すことがあった。今回ビリビリに裂かれた写真は訓練時に試しとして撮ったものだろう、俺たち二期生と神永の姿が残っていた。
ちなみに、前世の俺は一期生の容姿と名前を教えられていた。任務地で俺が接触するのは主に一期生だったからだ。写真は撮っていなかったが、その顔は見て知っている。

今回は写真で神永が「俺たちと違う」と感じたことが重要だったのだ。神永だけは一期生、他は二期生。仲間外れは俺でも川端でもなく、神永だった。
川端が俺のことを知っていたのもこれで説明がつく。あれは前世の知識を持っている、だからこそ顔を整形した。俺が前世のことを覚えておらず、「誰だ」と言ってしまったから。前世に固執したのだ。

「あいつはどうなる?」
「気になるか」
「立場が違えば俺が向こう側だった」
「ふ、どうだかな。あの人は存外気に入った人間しかそばに置かないぞ」
「そもそもの前提が間違っている。気に入られなければここにいない」

今世では、川端は結城さんのお眼鏡に適わなかったのだ。
性格を全て思い出せる今だから言えることだが、川端は調子に乗りやすいところがある。今回俺が前世を覚えていないことを知った男は「自分は優れた人間だ」とでも思ったのか慢心してしまう。そして警察試験には落ち、結城さんの目に留まることはなかった。

対し俺は降谷と共に公安へ配属され、たまたますれ違ったのだろう結城さんに気に入られた。この時前世の記憶があれば、おそらく俺も川端と同じ一途を辿っただろう。
川端からすれば俺は自分がいるはずだった場所を奪った人間だ。どういう経路で情報を探ったかはこれから聞き出さなければならないが、俺を狙う理由なんて立場を知るだけで十分なのである。

「あいつには相応の罰を受けてもらう。その後は自分次第というところか」
「立ち直れるとは思えない」
「公私混同したのが運の尽きだったな。…ところで鏑木、今日の飯は?」
「ゴーヤチャンプルー」
「うげ、俺がゴーヤ嫌いだってこと知ってんのにそれ?」
「知らん」

今日は小田切のリクエストだ、文句なら小田切に言うことだな。
ぶうぶうと文句を言っている神永を尻目に、ゆっくりと走っていた車が道端で止まった。窓からは見慣れた職場の玄関が見える。

「飯は先に済ませておいてくれ。…コナンくん、出るぞ」
「えっ、あ、うん」
「明日は俺のリクエストだぜ、忘れんなよ」
「その気持ち悪い声を直したら考えてやらんこともない」

機械を使ってるんだか何だかしらないが、普段のそれとはまた違った声で聞き取りづらい。向こうもそれをわかってやっているのだから(しかも丁寧に顔を隠して)タチが悪いのだ。
走り去っていく車を見送ったあと、コナンくんを見ると少し複雑そうな顔をしていた。

「ねえ、あの人たち…誰だったの?」
「…悪戯好きの愉快犯だ。悪い奴らじゃない」

多分、と付けなかっただけ良心的だと思ってほしい。