響けと願うのなら喚け

がたん、パイプ椅子が音を立てて床を滑る。
音に気づいた男が顔を上げた。随分と大人しく座っていたものだと足を組んで俯けば、すぐ近くで笑うような声が聞こえた。

「久しぶり」
「ああ」
「変わったな、お前。いや…もうあの時から変わっていた、といったほうが正しいか」

返事はしない。男、川端もそれはわかっているのか、話を止めようとする様子は見せなかった。

「俺たちはかつて同胞だった。決して同じ方向を向いていたとは言えなかったが、俺もお前も同じ場所にいたはずだ。…いや、むしろ俺のほうが進んだ場所に居た」
「…」
「変わったよ、お前は。変わったのにお前は変わらずあの人に見初められたんだ」

羨ましい。
男は勢いよく机を叩いた。安っぽく整えられた場所にふさわしいその家具の上で、空の灰皿が虚しく飛び跳ねる。書類も手錠も何もない小さな部屋だ、大した被害はない。

川端の取り調べなど本気でするつもりはなかった。取り調べなどしなくとも、既にその動機も犯罪実行の方法も割れている。するだけ無駄な調査だが、やらなければ上がうるさいのだ。
こいつに何かを反論するつもりは一切ない。言われることが紛れもない事実だということくらい、自分がよく知っているからだ。

「なんでお前だけが選ばれたんだ」
「…」
「なんで俺は選ばれなかった!」

視線を感じた。隣の部屋で様子を窺っている人間がいる。佐久間さんと小田切、服部本部長だけはこの会話を聞くことが許されているので、おそらくその三人だろう。
腹が減った。そういえば朝に寝坊をして飯を食べていない。福本の手料理が一番美味いが、今日は菓子パンを買わねばならないのが残念な限りだ。

胸ぐらを掴まれる。

「おい、なんとか言えよ」
「…」
「お前は俺より役立たずだ。そのはずだった」
「…」
「何も知らないお前が、お前なんか、あの人のそばにいられるわけがない」

手負いの獣のようだ、と、頭の中で呟いた。
川端は取り乱して俺を睨みつけていた。息も荒く、目はギラギラと光っていて理性のかけらも見当たらない。怒りが抑えきれないといった様相にため息すら出そうになる。

「教えられたことを破っているようだが?」
「っんなことは!」
「ないと本気で言い切れるのか」

男が言葉に詰まる。

「…貴様の言葉を否定するつもりはない。事実を言われただけだ、認めない方がおかしい」

前世の俺は二期生の中で一番劣っていた。ほんの僅かの差ではあったが、誰しもが知っている事項だった。そして今のD課でも、俺が一番能力値が低いだろう。
今更なことを言われてもまったく傷つかない。俺たちD課はそんなことで取り乱すような性格を持っちゃいない。かつて俺たちが居た組織じゃ、味方の蹴落としなんてものは何度もあったじゃないか。

「あの人がなぜ俺を見初めたのかは知らないし、貴様が気に入られなかった理由も知らん。…が、ひとつだけ言えることがある」
「なんだ」
「貴様はもう、俺たちと同じ場所には来られない」

首元がいきなり持ち上がったかと思えば、次の瞬間には床に叩きつけられていた。パイプ椅子が派手な音を立ててドア付近に転がる。思わぬ痛みにうめき声が漏れた。
痺れて動けない体に川端が覆いかぶさってくる。

「無様だな。このまま犯してやろうか」
「ぐっ、」
「昔のお前もこうしてマウントを取られていた。体術はからっきしだった」
「、は、なせっ」
「お前が俺に敵うなんて思うなよ、――」

呼ばれたのは昔の名前だった。
突然の出来事で混乱した頭がその名前で一気に冷静さを取り戻す。もう使っていない名前は、驚くほど耳に馴染まず地面に叩き落とされた。

瞬時に足を振り上げ急所を攻撃する。さほど強い力で蹴っていないからか、ほんの少ししか揺らがなかった体を左腕で横に飛ばした。
拘束から抜け出してすぐ、起き上がろうとする川端に蹴りを入れて手首を引っつかむ。がむしゃらに手首を外側に回せば嫌な音を立てて手首が固定されるのがわかった。

「舐めてくれるな。体くらい鍛えている」

後ろ手に縄を縛り、手錠をかけた。

「俺は鏑木だ。過去にばかりかまけていて名前を忘れるなど、やはり貴様は堕落してしまったらしい」

それに、それにだ。

「金も地位も名誉も、自分自身ですら全ては虚構。俺たちを待っているのは真っ黒な孤独、それだけだったはずだろう」
「まさかお前、完全に思い出して…!?」
「不合格だ、川端。同期としてとても残念に思う」

隣の部屋にいるだろう人間に視線を向ける。ひとつの気配が消えたのがわかった。
ほどなくして川端は牢へと引きずられていった。本当に残念なことをしてくれたものだと溜め息を吐く。同期のよしみで助けてやろうと思っていたのにこの体たらくとは。

この取り調べはD課へ配属されるための試験も兼ねられていた。だというのにその意図に気づかず、隣室に控えた人間の気配にも気を配らなかった。おかげで俺に委ねられていた採用決定権は全ておしゃかになってしまった。
あれほど入りたいと言っていたのに、そういうところが選ばれなかった理由だということをわからないのだから手に負えないのである。

川端を見送ってしばらく、未だ軋む体を引きずって部屋の外に出れば、そこには不安げな顔をしたコナンくんが立ち尽くしていた。

「…鏑木さんって、何者なの?」

昨日の夜と同じような質問をされて思わず苦笑がこぼれた。さあ、何者かなんて俺にはわからない。わからないままでいいのだ。
ただ、それを告げるにはあまりにもコナンくんは子供すぎると思ったので。

「ただのおまわりさんの一人だ。今のところは、な」