亡霊は二度生き返る
「で?」
電話で精神を摩耗したものの、まだ話を聞く余裕がある。
どうせ当日は慌ただしく動き回って何も聞き出せないだろう、そう踏んで問いかけると、問いかけた相手は首をかしげるだけだった。…言葉が足りないらしい。
「標的を絞った理由ですよ」
「そのことか」
そのことか、じゃない。確かに一番潰しに取り掛かれる可能性とはいっても、何の理由も聞かされずに対応を求められても躊躇いが生まれるというもの。結城さんも詳細を話さず仕事を一任してくることもあるが、あれは情報を精査した上でこちらの柔軟性が求められる場合が多いからだ。決して勘やその場しのぎで出てくるわけではないのである。
夜も更け、窓ガラスの向こうは暗く染まっている。近隣の建物からいくつも光が漏れ出ていることを視界の隅で捉えることはやめない。
佐久間さんの一言で俺が計画していた予定は総崩れ、数少ない信用している伝手を辿って期日中にイベントをねじ込んだ。おかげで(片手で足りるほどとはいえ)借りができてしまい、しばらく己の身に降りかかる危険に怯えなければいけなくなったのだ。怯えるなんてタマでもないが。
「俺は高い男なので、教えてもらわないと働く気力がわきません」
「お前、いつもは安い男だと言っているだろう」
「連中に比べたら、ですよ。ついでに、アレがついにやったと思った…なんて、直感頼りはやめてくださいね」
泥棒を信用するのはおかしな話だと思うが、確かにキッドは今まで殺人はしていなかった。この事件だけというのなら何かしらアクションがあってもいいはずだ。しかし今のところ目立った動きはない
模倣犯ならば名声を求めるだろうから、続けて犯行を起こしても何ら不思議でもない、しかしこちらも続けて盗みが起きる気配はない。
ただのコソ泥が盗みに入って真木に対峙するにしても、俺たちは一通りの訓練を終えているので、泥棒が返り討ちに遭うことは必須。
真木本人が持っているのなら、血痕など残さなくともうまくできてしまう。
そう、消去法ではすべてが否定され、一番「これだ」と思えるような証拠が手元にない。なのにこの人は確信を持ってキッドを捕まえることを選択した。
俺には理解できない選択肢を選んだ理由が知りたかった。単なる勘かもしれない、いやそんなわけはない、脳内で俺の分身同士の喧嘩が起きているが素知らぬふりをする。
佐久間さんは少し言いよどんでいたものの、観念したようにため息をついた。「嘘だと言われるかもしれんが、」
「本人から助言された。今回の事件はキッドに関するものだ、と」
「…佐久間さん、ちゃんと検査してもらいましたか?」
三好から助言?その本人がいないから詰まってるんだろう。
可哀想に、三好がいなくなっても幻覚を見てしまうとは。よほど死んだことが信じられなかったに違いない。
仕事が終わったら一日くらい休暇をあげようと脳内のメモに書き足していると、彼が焦ったように両手を動かした。
「嘘じゃない、あいつは俺のそばにいるぞ!今だってお前の後ろに、」
「ではそいつは今、何を?」
慌てる佐久間さんに尋ねる。
「…文句を言っている」
「残念ながら俺の耳には聞こえません」
「本当のことなんだ…信じてくれ」
こっちだって本当のことを言っている。
…とはいえ、佐久間さんのことを疑い続けるのも難しい。他人には他人の世界がある、佐久間さんはたまたま俺には見えないものを見ているというだけだ。そこに三好がいるとしても、仕事に支障がなければどうでもいい。
有の証明は容易いが、無の証明は非常に難解である。俺の見える世界をどう説明したところで、佐久間さんにはその世界が見えないのだから時間の無駄だろう。ため息をつく。
「幽霊の可否については今議論することではありませんね。本人とほざく幻覚の発言がある以上、無視できるものでもないでしょうし」
「鏑木…!」
「というより、本人がいるならさっさと死んだ原因を聞いてほしいのが本音です」
今回の任務は死亡した理由の追求だ。もし三好の幽霊が見えているのなら、とっかかりなんてものも探さず、本人に直接尋ねてしまえばすぐ終わる。
終わるものは早く終わらせたいという思いの上で発した言葉に、佐久間さんは視線をうろつかせた後に首を振った。「わからないと言っている」…はあ。
幽霊の言葉を通訳してもらう。曰く、「自分が追っていた事件は覚えている、死ぬ直前、あるいは直後の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている」のだとか。
三好、いや、D課に限って全く信用できない発言だと思う。
忘れているのは死んだことによるショックの産物で間違いないだろうが、たかが窓ガラスの枚数、入口から部屋に入るまでの歩数さえ簡単に答えてしまえるような人間が、そんなことで記憶をなくすなんてことはあり得るのだろうか。
…俺という実例があるので、完全に否定できないことが現実だが。
しかし、三好はなぜキッドを追っていたのか。キッドを追って殺されたのであれば、加害者はキッドの味方なのか。
「標的と顔を合わせたのか?」
「…記憶にあるうちはないそうだ。だが、接触する必要がある以上、顔を見ていてもおかしくない、と」
「そも、なぜキッドを追っていた?」
「二課からの要請、及び不穏分子に関する調査の延長。目をつけていた団体が、キッドと同じものを探しているらしいと聞いた」
キッドと同じもの、ビッグジュエル。目をつけていた団体ということは、少なからずこちらに害を及ぼす危険性を孕んでいる集団。
任務を全て把握していないので、確信を得るには至らない。しかしここまで聞けば充分だ。
「決行は三日後。生半可な結果は出さないでくださいよ」
伝手の伝手、現在距離を置いているあの子に連絡を回してまで勝ち取ったイベントである。これで失敗しました、なんて言われたらもう連絡先を抹消するしかない。
心の内を読んだのかは定かではないものの、佐久間さんは迷いのない目で首を縦に揺らした。
―――
――――
やけに目が冴えていて眠れなかったので、水でも飲もうと布団を抜け出した。隣で寝ていた人間が起き上がる気配はない。
廊下に備え付いた自販機で適当なボタンを押して飲み物を購入する。普段飲んでいるコーヒーが入れられていないのが残念だが、今飲みたいのは水なので見なかったふりをした。
適当に喉を潤して、特にすることもなくなったので部屋に戻ろうと足を向けた。
「、」
足は進まなかった。
廊下の曲がり角、エレベーター前付近の壁に、深みのある紅いスーツを来た誰かがもたれかかっていた。背を向けているが、俺と同じほどの背格好、短く切り揃えられた髪型から察するに同性。着痩せするタイプか、筋肉もあると思える。
ホテルのエレベーターは、両サイドに鏡がある。男がもたれている場所は間違いなく鏡だ。そして、男の顔はもう片方にある鏡に映し出されていた。
「…お前」
男の顔は美しかったが、不思議と印象に残らない顔立ちをしていた。引き寄せられるように赤い唇に目が行き、赤は緩やかに弧を描く。
コン、コン、指で壁を叩く音がする。内緒ですよ、暗号を用いて伝えてきたそいつは、間違いなく…――
――死んでいるはずの三好だった。