アメリアになりたい
俺という人間はどう考えたって卑屈の部類に入る考えの持ち主である。
頭に浮かんだことを考える時間は長いし、自分の行動によって不利益を被ったときは二日ほど落ち込む。口をついて出るのは謝罪の言葉か卑屈な発言が主で、失敗前提で物事に挑む姿勢も昔からだ。
そんな俺だが、なんと厄介なことにプライドも高い。ゲームで余計なエンチャントを付けられたようなものである。つまり最悪。
まあ、俺よりも高いエベレスト級のプライドと、それに見合った実力を持っている人間で周りを固められているので、俺のプライドなんてものは屁でもないわけだが。あまり嬉しいことでもない。
「鏑木」
せめてプライドに合った仕事ができれば、この卑屈な考えは改まるんだろうか。何度考えたところで答えは出ない。当たり前だ、もはや俺にとっての卑屈はステータスなのだから。
ため息をつきたいところをぐっと抑え、後ろからかけられた声に反応する。薄幸そうな顔付きに浮かぶ余裕の表情。少し顔の印象を変えているから一度ためらうものの、そいつは間違いなく見慣れた同僚だった。
「三好」
名前を呼ぶと同時、すれ違うようにして紙の束を押し付けられる。「預かって」と通り過ぎていく背中を見送った後、紙束の詳細を確認した。どうやら警備企画課の担当の人間に提出しなければならない書類らしい。
我らが上司を通す必要もないようだ。もしくは一応監査を受けたか…どちらにしても、自分に預けたということはそういうことになるだろう。もう慣れたものだ。
用事がわかった以上、廊下で内容を深く読み漁るわけにもいかない。元々機密性の高いものばかりを取り扱っている課だ。課長の結城さんと係長の佐久間さん以外は、取り扱っている資料の全てを把握しているわけでもないだろう。
俺はたまたまパシリに使われているから、他の取り扱い案件を多少知っているくらいだ。
「憂鬱だ…」
提出するまでの距離が遠いからという理由じゃない。
ただ、あれだ、公安の人間ってやつは総じてプライドが高いのだ。D課の人間ほどじゃないにしても。
D課からの案件だと言ったら間違いなく噛み付かれる。D課を嫌っているから、というより、無茶ぶりを嫌うから。できて当然だと言わんばかりに他の課にも同じ仕事量を回すのだから、当たり前といえばそれまでだが。
先ほど手渡された資料もまた、無茶ぶりを掲載していることだろう。交渉に時間が要りそうだ。
D課と警備企画課じゃあ仕事量が違う。忙しない中で交渉の時間を取らせるのは申し訳ないが、これも仕事を円滑に進めていくためなので我慢してもらうしかない。
せめて佐久間さんならなあと思わなくもない。こういう連携って、俺が指揮していいものだったか。確かに佐久間さんや小田切よりはD課に入った年数は長いと思っているが。
まあ、佐久間さんも忙しいし、俺自身がサポートしかできないやつだ。多少の緩和剤になる程度、あの人に任せるのは気が引ける。
「あ、泣きそう」
メンタル最弱を誇る卑屈野郎だってところはどうか見逃して欲しい。
―――
――――
警視庁公安部のドアを開ける。たちまち集まる視線の数々に内心怯えるも、表面上は何でもないように無表情を貫き通した。
「他課から書類を預かってきました。風見さんはいますか?」
「…お預かりします」
「ああ、いや、直接渡すよう言われているので」
しんと静まり返る空間で、全員に目を向けられて泣きそうだ。俺も元は警備企画課に所属してそれなりに円滑な関係を築いていたはずなんだが、おかしいな。味方がいない。
古い友人でもあり、今回提出する書類をもらうはずの降谷零という人間は、俺と違って高い地位に座る人間だ。公安の中でもさらにあくせく働く社畜になっている。警察庁にはあまり登庁できない立場のため、仲介役として彼の右腕に頼りに来たのだ。
「風見さん、間違いがないか、確認をしていただきたいのですが…」
「ああ、ではこちらで」
記憶が確かなら彼の右腕で間違いない、風見裕也という人間に視線を向ける。
風見さんは視線だけで言いたいことを察したらしい、隣の防音設備が整った部屋のドアを指さした。他部署の書類もついでに持ってきたので、話し合いを始める前に預かってもらうことにする。
部屋を移動してすぐ、手渡した書類を見た風見さんがため息をついた。「さすがに無茶ぶりが過ぎる」と苦言をもらい、俺も渋い顔を返すしかない。
「マッハ20で動けと言われているような要望だ、これは」
「警備企画課は人外タコと同じスピードで動けるとホラを吹いていたので。課のやつらが」
「デマにしてもタチが悪い」
すみません、風見さん。俺はD課ヒエラルキーの最下層にいるから何を言っても躱されてしまう。
もはや嫌がらせにしか思えない(実際嫌がらせなんだろう)書類から、無茶な部分や無駄な部分を引いていく。調査中によさこいを踊るなんて誰得だ、何で入れた。
三好が持っていたということは、考えたのは三好だ。見た目によらず大人げないと考える程度には、嫌がらせに関してのトップを独走していく男。
とはいえ、嫌がらせの部分を抜けば、それなりにまともな配置になっている。あとは相互で認識をすり合わせを行い、始末の際の仕事の分配をすれば終わりというわけだ。
「これはこちらが請け負っても?」
「頼みます。ならこれはD課のほうで処理したほうが速いですね」
「ならばこっちは」
「…そっちで頼めます?」
「…、このでかいのはD課持ちで?」
「はい」
今回の分配はそれなりにスムーズに終わりそうでよかった。決まらないときはとにかく喧嘩が始まってしまうので手に負えなくなる。鬼の居ぬ間に洗濯、D課の居ぬ間に仕事配分だ。
三好が請け負う分だ、俺が処理するより少し多めがちょうどいい。
多少面倒な手段を取らざるを得ないだろうが…できる限りの手を尽くしてこれだ、なんとかしてもらわなくては困る。仮にもD課のエースなのだからやってもらわなくては。
さくさく決まったそれを新しくメモにまとめ直し、あとは処分を向こうに頼んで課を後にする。
「ああ、意外と早く終わったようで」
ぎくりと体をこわばらせたが、ドアのそばにもたれかかった男は気にとめない。
髪を弄る男が差し出した手にメモを乗せた。数秒の間が空き、小さな紙はぐしゃりと握りつぶされる。
「燃やしておいてくれ」
くしゃくしゃに丸められたそれを返し、男はドアの前から遠ざかっていった。
「…これくらい、できて当然、ってか」
当たり前だろうと思う心の裏側で、礼すら貰えないことに落胆を覚えた。三好は佐久間さんがお気に入りらしいから、きっと佐久間さんが交渉に行っていれば礼を言ったんだろう。
警備企画課からD課に転属して三年。公安部、並びに警備企画課との溝が深まる一方、D課との距離は一向に縮まる気配がなかった。