Mission
気持ち悪い、と、吐き気を抑えながらトリガーを引いた。
今回の任務は機密事項を握った人間の排除だった。
バーボンやジンほど現場に出ることはないにしても、自ら銃を扱うことだって少なくはない。俺だって引き金を引けないような人間ではない。
しかしまあ、世のため人のために働く人間を手にかけるなんて、とてもじゃないがバーボンには言えないだろう。あいつは潔癖なのでそういうことは嫌っている節がある。
自然とバーボンにたどり着く思考に辟易としつつ、特に身バレしそうなものが残ってないかを目視で確認する。人通りもなし、証拠は隠滅、拳銃はのちに適当な場所の溶鉱炉にでも投げ捨てておこう。
疲れていた。決断までの時間は刻一刻と迫ってきていたが、俺はまだどちらにつくかを決めかねていた。簡単に決められない迷いが心を蝕んでいる。
死の気配がする現場から足早で離れ、ネックウォーマーを被ってコートを羽織る。結んでいた髪の毛もほどこうとしたが、なんとなく気が咎めたのでやめた。
酷い気持ち悪さだった。
街中を少しおぼつかない足取りで歩く。慢性的に続く寝不足が胃を締め付けてきて、気を抜けば朝に押し込んだパンがのどからせりあがってくる気がした。実際は、吐くことはしないだろうが。
「気持ち悪…」
思わず呟いて蹲った。視界が回っていた。大通りでは大衆の目に映って悪目立ちしてしまうから、少し外れた路地の端に行くことだけは頭に残っていた。
口を押さえて息を整える。何か特別なことをしたわけでもないのに心臓の音がやけにうるさかった。思考の海で溺れそうになっているのかもしれない。
とある日時をメールしてきて以来、バーボンと仕事以外の話をしていない。きっとその日が決断を迫られる日だと確信していた。ああ、考えるだけで胃が痛む。
完全に回復できなかったが、その場から離れるために立ち上がった。人が少なくても目はあるのだ、あまり同じ位置にいるのはよくない。
「大丈夫ですか?」
ゆらめく視界の中でそいつが声をかけてきたのはそのときだった。
―――
――――
湯気が立つコーヒーを差し出されて受け取った。
「ありがとうございます」
「いえ…」
軽く舌になじませるように口に含む。不味くはないが美味くもない味が広がって、心が落ち着いていく気がした。バーボンが淹れてくれたコーヒーは抜群に美味いが、あいにく今は飲みたくない。
落ち着いたところで通された部屋を見回した。おそらくリビングだと思われるそこは上品なデザインで統一されている。
高級そうな食器や過去にもらったトロフィーなどが置かれているが、埃をかぶっている様子はない。丁寧に掃除されているようだ。遠目では名前も確認できなかったが、おそらく目の前の人物かその家族のものだろう。
一人掛けのソファの背面にはテレビがあり、壁には何かしら美術的価値があるんだろう絵画がいくつか飾られている。特に興味もないのでどれほどの価値なのかは知らない。
「いいんですか?知らない人間を部屋に入れて」
典型的な日本人のような振る舞いをして、立ったままの青年を見上げる。青年は少し驚いたような表情をしたが、すぐにそんな顔を引っ込めて「具合が悪そうだったので、つい」と笑った。
「仮にそれで物が盗られたら僕はあなたを通報できますから、利益はないでしょうね」
「…俺がもし、あんたを殺そうとしていたら?」
「ホー、冗談にしてはあまり面白くありませんが…」
本当に殺す気だったらどうするんだ。言いかけた言葉はコーヒーで喉の奥に押し込めた。無暗に命を奪うつもりはないし、そんなもしもの話をするだけ無駄だ。
「それで、体調のほうは?」
「ああ、もう大分。元々体自体に異常はないので」
「精神疾患ですか?」
「疾患なんて大袈裟な」
悩み事を抱えると疲れちゃうでしょう。誤魔化すように苦笑いを浮かべながら告げると、青年は少し沈黙して「僕でよければ聞きますよ」といった。
普段であればそんな戯言には乗らないのだが、何分俺は憔悴していた。組織にも関係なさそうな人間だ、ある程度ぼかせば話しても大丈夫かも知れない。
そう思って、いくつかの事項で嘘を織り交ぜ、青年に話した。一人で悩むのはほとんどなかったから、誰かに話すことで状況も整理したかった。
「なるほど…親友に新しい会社に誘われたが、恩人である上司は今の会社に留まるから、どちらを選ぶか迷っている、と」
「そうなります。
親友の言う会社、俺が入るのは難しいんですがね。言い出すきっかけになったこと…親友の友人を退職まで追い詰めたのは俺で…誘いを受けるのは躊躇うものの、断れば親友が一人になっちまう」
「それはまた、随分と複雑な状況ですね」
「はは、自分でもそう思いますよ」
どちらを選ぶのが最善か、なんてもうわかりきっているのだ。情がそれを邪魔するだけで。
容れられたコーヒーを一気に飲み干し席を立つ。誰かに話せただけでも随分と胸は軽くなるもので、組織じゃ絶対こんなことはできないだろうなと思いを馳せた。
帰りますね、と、滞在したことと話を聞いてもらったことの礼は後で送ることにしてドア前まで進む。
「旭が行きたいと思ったほうに行けばいい」
聞き覚えのある声がして、思わず振り返った。
後ろにはハイネックに手をかけた青年が不思議そうな顔をして立っていて、ノブに手をかける直前で振り向いた俺に「どうしましたか?」と聞いてきた。
幻聴だったのかもしれない。あいつは俺たちが死を見届けたのだから。
ゆるりとかぶりを振って、俺は今度こそ屋敷を後にする。
ハイネックの服を着た青年は、名を沖矢昴といった。
組織に帰って、長い年月をかけて仕上げてきたものがとうとう完成したことを知る。
机には壊れた携帯を置いて、俺はようやくそいつを裏切ることに決めた。