地上の魚 上
どうしてこうなったんだろうなと、思ってはいるわけで。
新しい私の家、もとい自分が寝泊まりさせてもらっているノボリさんとクダリさんの仕事部屋で寝ていたはずなのに、気づいたら混雑する駅にいたもので、夢遊病かと首をひねりつつ混雑したプラットホームを歩いた。きっとそこまでは良かったと思う。
少し違和感は残るものの、駅はライモンのもので間違いがなかったはずだ。けれどどこか見たことのない人がいたり、おぼろげに覚えている地図がなんとなく違っていたり、おかしなことになっている。
なんとなく古めかしい、少しオブラートに包んだ言い方をするのであればどこか懐かしい風体をした男女がそこら中に溢れかえっていて、途切れとぎれに聞きとることができる言葉もなんだかいつもと少し違う、ような。
大規模なお祭りが行われているにしてはやけにいつもと同じような様子なので、きっとそういうわけでもないだろう。それに祭りをするのならアルトが喜んで私にも伝えてくるはずだ。
まさかこの前来ていた別地方の双子のいる駅だろうかとも思ったが、書かれている文字は私がいつも読んでいる文字なのでその可能性もない。なんなんだ、ここは。
なんとなく嫌な予感が私に警報を鳴らしてくるので、状況を理解しないまま関係者区域に立ち入ることはやめている。
唖然と立ち尽くす私の横を、一人の鉄道員さんが忙しない様子で通り過ぎる。つぅっと遠ざかっていく緑色の制服を見送って、そして、ふと。
『…ん?』
急いで人混みに消えた背中を追いかけてホームを走り、意外にもすぐそばにいたその青年の前に回り込む。
おばあさんに道を訊かれて困っていたらしい彼は、少し若い気がしなくもないけれど、見慣れていた鉄道員さんの一人だった。
「もう一回言うで、ここをこっちに曲がってな、そしたらこっちに…」
「ここを左?」
「いや、そこはまっすぐやな。ええか?今はここにおって、」
「ここ?」
「いやいやそっちは目的地」
鉄道員さんの一人、クラウドさんである。
クラウドさんが相手するおばあさん、ここから地図は見えないものの、何度も道を教えてもらっては間違えているようで、クラウドさんも少し困り気味だった。
直接案内したほうがいいんだろうけど、多分クラウドさんもこの後急ぎの用事があるんだろう。駅は広いので往復する時間を考えると中々頭が痛くなる。
しかし私の知っている彼は、いくら忙しい時でも声をかけてくれたり手を振ってくれたりとしてくれるのだけど。本人も知人には何らかのアクションをすると豪語するくらいだ。
まさかまた変な場所に飛ばされたんだろうか。トリップしたりポケモンになったりとしてきた私から言わせてもらえば、ないわけでもない、だろうし。
とりあえず、おばあさんも道がわからない限りクラウドさんを開放するつもりはないと思うので、ここで助け舟をだそうと思う。
近場の台から置いてあるメモ用紙を何枚かとボールペンを手に取り、クラウドさんのズボンを軽く引っ張る。笑顔が段々引きつってきた彼が勢いよくこちらを振り向いたので、静かに地図を指差してメモに書いた文字を見せた。
「お前さん、どっかのトレーナーのリオルかいな…って、なんや。案内します?」
頷き、クラウドさんを見つめる。彼はポケモンのつぶらな瞳に弱いと聞いたことがあるようなないような、という曖昧な知識をキャメロンさんから授かっているのだ。負けはしない。
「…本来やったらお客様に任せるんはダメやけど、今回は助かりますわ。お願いしても?」
間を置かずに首を縦に振ると、彼は少し笑いをこぼしながら「ほな、これが地図で、目的地がここ、現在地はここや」と地図の場所を軽く指で示して私の手に置き、おばあさんに私に案内してもらうよう告げて遠くに消えていった。
あらぁ、なんて困った素振りを見せたおばあさんの服の袖を引き、二人でゆっくり目的地へと向かうことにした。
―――
――――
「案内してくれてありがとうねぇ。お名前は?」
オルトです、と少し大きめに書いた紙を手渡し、なるべく優しく見えるように笑う。リオルになった私は少し目つきが悪いので、笑っていても怖いと言われることだって少なくないのだ。
おばあさんは「オルトちゃん、覚えたわ。今度お礼を持ってくるわね」といってにこやかに電車に乗って去っていった。
おばあさんを案内している間になんとなくわかったのだが、ここは私が来るより前のサブウェイらしい。
クラウドさんに渡された地図と、サブウェイ好きのサブウェイマスターの二人が保管していた地図が朧気ながらに合致している。確か改装前のサブウェイの地図だったし、私が覚えている地図はここまで複雑なホームではなかったので、恐らく予想はあたっているだろう。
その予想が当たっているとするなら、普段寝泊まりしていた仕事部屋には入れない。つまり私は今晩から宿無しだ。
人間になればなんとかやりくりもできるだろうが、人間になるのにも何らかのリスクがあるかもしれないと思えば迂闊に人の姿で仕事をするのも憚られる。これからどうしよう。
とにかく、今は地図をクラウドさんに返しに行かなくては。後ろを振り返った私は、背後に迫っていた事態に思わず悲鳴を挙げて後ろに転んだ。
「…」
少女がいた。
少女がいたといってもただの一般人じゃない。まるで出会った当初のノボリさんとクダリさんみたいに死んだ魚のような目、それに加えてぴくりとも動かない表情筋。顔立ちは整っていてとても綺麗な分かなり恐ろしい。
気配もなく立っていたその少女は転げた私をずっと見下ろしている。お願いだからせめてもう少しにこやかにしてほしい。
「…案内、」
クダリさんほど無邪気じゃなくてもいいからせめてもう少し感情を、などと考えていれば、少女がぽつりとその単語をこぼした。
案内。まさか、さっきのおばあさんを案内していたところを見られていたんだろうか。でも普通に案内していただけだ、ポケモンなんて他の乗客だって出しているから珍しいものでもないだろうに。
案内してほしいんだろうか、と、少女にメモで尋ねると、少女は静かにそれを見て首を縦に振った。
「お願い」
それ以降喋らなくなったけれど、せめて目的地くらいは教えて欲しい。おずおずと地図を差し出せば指で少し遠くにある乗り場を指したので、とりあえずそこに彼女を連れて行くことにした。
話を聞いている風にも見えず、ちゃんとついてきてくれるのかも少し不安だ。
仕方なくどこか高級感溢れる服の袖を引き、人でごった返したホームをゆっくり歩き始める。この少女を案内した後はどうしようか。
とりあえず地図ももう少しだけ借りておこう、と、クラウドさんを訪ねるのは一番最後にすることだけは誓った。