地上の魚 下
着きました。
少女にメモを手渡して地図をたためば、少女は黙ってそのメモを眺めたあとに視線を周囲に巡らせた。
周囲の電光板には少女が指し示した通りの乗り場の文字がきらびやかに踊っていて、先程まで見ていた地図でも道順を確認していたはずなので間違いはない。少女が乗り場を間違えてない限り。
とりあえずもうこれで用事はないだろう。少女に頭を下げ、立ち去ろうとしたところで腕が引かれて突っ張る。
「あの、ね」
誰かまた道案内をして欲しい人に見つかってしまったか、と、後ろを振り返ると、先ほどの少女が小さく口を開いて言葉を落としていた。
「間違っていたみたいなの」
―――
――――
いくら何でも間違えすぎじゃないか。私が心内でそう悪態をつきたくなるのも仕方がないと思って欲しい。
なにせこの少女、最初に案内した乗り場を間違えたと発言してからもう五箇所ほど案内をしているのだ。いくらライモンの駅は複雑でわかりにくいといっても、乗り場を何度も間違えてしまうなんてことはほとんどといっていいほどない。
「あ、また…」
最初は死んだ魚のような目をしていた彼女が少し弾んだ声でまた間違えたと私に告げる。どこか楽しそうなのは、もしかして私が疲れていくのを見ることが至福だったりするからだろうか。是非ともそんな趣味は捨ててほしいものだ。
この少女がどう思っているかはともかく、私にもこれからどうするかを考える時間がいる。これくらい案内したのだからあとは自分で頑張ってもらおう。
時間もあるので次で最後ですよ、目の前の女の子にそう書いたメモを手渡すと、彼女は少しだけ輝いた目を少し暗くさせて俯いた。
「…じゃあ、あと一回だけ」
バトルサブウェイにお願い。
少女の手を引いて歩き出した。彼女は最後だと言ったからか、今までのように早めの歩調ではなく、女の子らしい少しゆっくりした足取りで引きずられていく。
駅に備えられたアナログ時計の指している時間は五時二十分。流石にこんな早朝に人がごった返しているわけでもないので、朝ではなく夕方の時間を示しているんだろう。
私たちの前を少し疲れた様子の男性が通り過ぎる。よほど仕事が大変なんだろうなと心の中でエールを送り、目的地に向けてひたすら歩く。しかし夕方に帰れるということは、夜勤がないだけマシなんだろうか。
いっておくが、男性の仕事を舐めているわけでもなくサブウェイの仕事を甘く見ているわけでもない。私はまともに働いたことがないので比べがつかない。
だが、サブウェイは見る限りかなり多忙だ。元々割り振られている人数が少ないのか、見かける鉄道員はほとんどがホームやら関係者通路などを忙しなく移動している。定時がいつかは知らないが、恐らくそれまでに仕事を全て終えていることは少ないんじゃないだろうか。
こうして一人でも負担を少なくできたらいいのだが、本来自分がやっていることは正式な鉄道員の仕事でもあるのだから、面と向かって仕事を横取りするというのも褒められる事じゃないだろう。
そもそもこの時代で生きていくことさえできるかわからないので、ここの手伝いをするわけにもいかないのだ。こんなに他人のことを考える前に自分のことを優先してもいいかもしれない。
「…ごめんなさい、連れ回してしまって」
ふと、後ろをついてきていた少女が私の腕を引っ張って立ち止まった。
「悪気はなかったの。ただ、あなたが手を引いてくれたことが少し嬉しくて」
昔のお兄様もこうして手を引いてくれていたから。
少女はそういって私の手を離した。俯いた表情は私からは丸見えで、何かをこらえるような悲痛な顔は私でなく、ほかの誰かを映しているように思えた。
そういえば、この女の子の髪は綺麗な白銀色をしている。この世界の髪色の比率を知らないからよくわからないが、ノボリさんとクダリさんももみあげはくすんだ銀色だったし、二人の妹さんなんだろうか。
それならば最後にバトルサブウェイに行くのも二人に会いに来たんだと納得することもできる。なんて健気な妹さんなんだろう。
ただしそんな妹さんは私がトリップしたあとに見かけていない。生活が忙しくなったりしてるのか、ノボリさんとクダリさんから妹の話題も一向に上がったことがないし。
こんな可愛い女の子の話をしないなんてありえない。あの人たち、まさか私にこの子を隠そうとしていたのでは…?
「まあ、お兄様のことなんて大嫌いなんだけど」
なんだと。
さっきまでつらそうにしていた女の子の表情が一変、まるで親の敵を見るような鬼の形相をして憎々しい様子でそんな言葉を吐くものだから、思わず口を開けて固まってしまう。
私の想像する兄は落ち着いていて優しくて、けど決めたことは頑として譲らない意地っ張りな人なのだけれど、彼女の中の兄は相当最低ラインを行っているらしい。
いったいどうしてそうなっているのか。どうしても気になってしまい訊ねてみれば、少女はふうと息を吐いて私に答えを教えてくれた。
「私が必死にバトルをしていたら、バトルは向いてないって」
『うんうん』
「代わりにコンテストを勧めてこられたの」
なるほど、自分がやっていることを否定されれば確かに怒りもするはずだ。ましてやこの世界には絶対必要なポケモンバトルとなれば怒りも膨れ上がる。
サブウェイマスターたちは確かに強いし、トレーナーの目利きだってお手の物なんだろうけど、流石に向いてないってばっさり切るのは対応が雑すぎるだろうに。この切り方はクダリさんのほうみたいだ。
それにしても、コンテストか。そういえばこの世界に来てから一度もそのコンテストを見たことがない。イッシュで行われているのはミュージカルだし、コンテストが流行っているのは主にホウエンだ。
コンテストに出るなら留学みたいなものをしているのか。それじゃあ活動の中心もあっちのはずで、駅内であったことがないのも頷ける。
二人もミュージカルでなくコンテストを選んだあたり、他地方留学の経験でも積ませたかったのかもしれない。獅子の子落としというあれを狙ったんだろう。
「…お兄様は確かに正しかったのかもしれないけれど、私は…」
その言葉の続きを聞いて思わず勢いよく頷いてしまった。
否定はつらいものだ。今まで作り上げてきた努力の結晶を粉々にされたに近い。否定が全て悪いわけじゃないが、ここまで悩みを膨張させてしまう否定はあまりよくない。
でも、勝手に話を聞いておいてなんだが、この女の子だって悪いところはあるのだ。
『バトルやコンテストは楽しむものです』
メモに書いた文字を見せると、少女は呆気にとられた様子でそのメモを見つめていた。
ノボリさんもクダリさんも毎日言っているが、バトルとは本来楽しいものであるべきだ。少女の年齢なら絶対、必死にバトルをするわけでなく、楽しんでバトルをしたほうがいい。
この女の子は二人のバトルが凄まじいものだったから、自分もきっとやれると思ってつらいバトルを続けたんだろう。
兄が凄ければ自分も期待に答えなくちゃいけないという心情心理も働いてるのかもしれないが、その前に別個人だ。蛙の子は蛙でも、すべてが同じじゃないことくらい誰でも考えればわかる。
バトルを楽しんでいなかったとは言い切れない。が、根底にあるのは周りや自分から課せられる義務めいたものだったと予想できる。「必死に」という言葉が証拠だ。
『誰に何をいわれても、自分が一番楽しいと思えるものじゃなければ長く続けることはできません。つらいと思ったら休むことも重要です』
「やすむ…」
『人生は楽しんだもの勝ちですよ。例えどんなにつらくて逃げられない状況になっても、きっとその楽しい記憶はあなたを助けてくれるでしょう』
だから今日は嫌なことより楽しいことを発見して帰ってくださいね。きっと気分も明るくなりますから。
長々とメモに書きなぐったそれを女の子に押し付け、その細い手を取って目的地へと歩を進める。実は長く立ち止まっていたせいで視線が刺さって居心地が悪かったのだ。
それにそれだけじゃない、勝手に話を聞いておきながら説教をするなんてあんまりだ。しかも名前も知らない女の子。少し後ろめたい気持ちがついてくる。
いくら私の時代で同じ年くらいになりそうだといってもこれはまずいだろう。
少し人通りが少なくなって、ようやく一息つくと、少女は「あなたって随分と人間らしいのね」といって小さく笑顔をこぼした。
「私、ホウカっていうの。話したら少しだけ楽になったわ、ありがとう」
『オルトです。お力になれていたのなら幸いです』
ようやく名前を聞けた女の子、ホウカさん。彼女もサブウェイの人たちのようにバトルを楽しんでくれるようになるといいと思う。廃人になることはおすすめしないけど。
どうやらホウカさんはイッシュの友達と待ち合わせをしていたようで、私にその暇つぶしの時間を使っていろんな乗り場を教えてもらおうとしていたらしかった。
そのあと少し話して、私もそろそろ行動を開始しなくてはいけないというときに、彼女は小さく「また会える?」と聞いてきた。私は肩をすくめ、メモで明確に示すことはなく背を向けた。
さて、今日の宿はどこにしようか。
地上の魚
(とてもくるしそう)
(水に還してあげましょう)