後戻りしても遅かった
※IFです
「まさかお前に追い詰められるとは思わなかったよ」
相手はこちらを見て笑う。その頬には冷や汗か、暴れたからこその発汗か、じわりとにじみ出た塩水が道筋を作っていた。
対し俺は笑顔など忘れてしまったように無表情で、周りの熱とは裏腹に体温が下がっていた。真夏だっていうのに汗をかかない自分は幽霊だな、なんて、血の気が引いた頭は考えなくてもいいことまで考え出すからいけない。
かちゃり、金属の擦れる音とともに相手の額に銃が突きつけられる。俺が当てた。ごりっ、鉄と骨がぶつかる感触が腕に響く。
「飲め」
手にしたカプセルを口元まで持っていけば、未だ弧を描く唇は飄々と恐れを知らないように言葉を吐き出し続ける。「どこから知った?」「これからどうする?」「この薬は?」最後に言葉を尽くしているようで気分が悪かった。
顔をしかめて薬を口に押し付けると、相手はこちらの意図を汲んだらしい、深くため息をついてカプセルを受け入れた。
水を手渡し、銃口を押し付けたまま飲み込むまでの様子を見守る。背後でバーボンが息を詰めたのがわかった。
バーボンとNOCのこいつは仲が良かった、ライだってこいつがいたから俺たちとフォーマンセルを組んだ部分があるはずだ。俺だってNOCじゃなければこいつともっと上手く仕事をこなせただろうにと残念な気持ちでいっぱいである。
でもまあ、こいつがNOCの時点でそんな夢物語は意味を成さないわけだが。
「何度も言っただろうが。俺はジンの友人で…あいつの番犬だ」
心なんざとうの昔に組織に売った。臓器よりも安い値段で売られた心になんの価値もないだろうに、どうして情を抱く必要がある?そんなもの無駄に決まってる。
喉が上下するのを見届け、重い鉄の塊を額から外した。強く押し付けすぎたのか、額には赤い跡が残っている。
「バーボン、経過はシェリーにでも報告しとけ」
「、普通上司をこき使います? …名前はこれからどうするつもりで?」
「はっ、ただの尻ぬぐいさ」
使い古した携帯を見れば新着メールが一件、ウォッカがやらかしたらしい文面だった。コードネーム持ちだってのに、どうしてあいつはどこかしら抜けてんのかね。おかげで俺が毎回駆り出される。
薬を飲んだ人間の苦しむ声が聞こえる。もうそんなことはどうでもよくなって、あとはバーボンに任せたと心内で丸投げして背を向けた。罪悪感なんてなかった。
俺は組織の人間だ。良くも悪くも普通の人間だから、組織の色に染まるのだって仕方ない。悩む必要なんてどこにもない。
はあ、吐いた溜息は誰に向けたものか。
―――
――――
「標的、始末完了」
インカムに向けて告げれば、イヤホンごしに若い女の声がすぐに返答した。マティーニが最期を確認したならまあ信頼性は高いだろう。
さっさと証拠になりそうなブツがないか確認し、犯行現場から立ち去る。何年か前に使用したものと同じ薬を使った殺しだった。最期まで見届けたら相手は死んだ。なんだ、呆気ないな、そんなことを考えた。
標的は事切れる直前に何かをぼそぼそとつぶやいていた気がするが、何か遺言でも託そうとしたんだろうか。周りは俺しかいないってのに、随分無駄なことをする人間だ。
ノイズ混じりの品質の悪いインカムに内心舌打ちをこぼし、少し遠くに止めていた車に戻る。助手席にはつまらなさそうに携帯をいじっているピムスがいた。
「つまんねーの。失敗してたら吹っ飛ばしてやろうと思ったのに」
「静かに越したこたぁねえよ」
「そういうとこ嫌い」
「生憎好かれる性分でもないんでな」
ムカつく。小さな声で返された言葉には返事をせず、こじんまりとしたレンタカーを発進させる。帰りにガソリンを入れていったほうがいいのか少し悩んだ。
NOCを薬で始末して以来、バーボンとライは必要以上の関わりを持たなくなった。ライなんて同じNOCとして組織から追い出されたし、バーボンは最近ベルモットにご執心らしい。
二人との仲は、どうやらNOCがつないでいたらしいことを否応なく理解したのは数年前だ。関係を構築するのに時間はかかるくせに、崩すのは簡単なのだからこの世の不条理を嘆くばかりである。
人が多く行きかう街中を安全運転で進む。組織の人間だって赤信号で止まるし、サブウェイでサンドイッチを食べたりする。ギャップがあるようで面白い。
ぼんやりとした頭で目の前の赤信号を眺めていれば、前の横断歩道を小学生が走っていった。赤いランドセルが光を浴びていて眩しかった。
「…?」
なんとなしに目で追いかけていると、横断歩道の向こう側に誰かがいるのがわかった。どこかは知る由もないが高校の制服、青を基調とするブレザーだ。
どうやら少女の兄らしい、駆け寄った小学生が高校生に頭を撫でられている。微笑ましい風景だと信号のことも忘れて見入っていれば、高校生の顔がふとこちらを向いた。
「!」
どこかで見たことがあるような顔だ。高校生も小学生も、自分たちが見られていることなど知らないんだろう、こちらを気にする素振りもなくにこやかに笑い合っている。
俺は一瞬息が詰まった。見たことがある、記憶に残っている朗らかな笑顔に面影が重なる。いや、そんなはずはない。バーボンは確かにあいつが死んだとシェリーに報告したはずだった。薬の効果だって俺が今日見たものと同じ症状が出ていた。だから違う。違う、そう思いたい。
だって、あいつは。
パパーッ!後ろからクラクションを鳴らされ肩が跳ねる。隣に座るピムスが不機嫌な顔つきでこちらを睨んでいた。見ていた二人も、何事かとこちらに顔を向けていた。
慌ててパーキングからドライブに切り替え発進する。心臓が嫌な音を響かせている。頭の中の警鐘が鳴り止まない。ああ、そんな、そんなはずがないじゃないか。生きてるはずがないじゃないか。
「すこっち」
その日の運転は散々荒いものになり、ピムスから怒りを買うことになったが、そんなことは気にしていられなかった。マティーニの心配そうな素振りも、バーボンの無機質な視線も、今は受け止めきれない。
だってあれは確かにスコッチだったのだ。そんなわけがないと思いながらも疑念が拭いきれない、他人の空似にしたってタチが悪い。
お前を殺した俺を殺しに来たのか。呪いのような思いが安い心に塗りたくられてひどく重かった。