Suspicion(sideC)
「あの人は危険よ…近づいちゃダメ」
浅い呼吸が戻りきらないまま、子供を叱る人間を指差し、少女…灰原哀は言った。
迷惑だとそいつらに注意している様はまるで一般人に見えるが、彼女は確かに「関わってはいけない人間」と認識しているらしかった。
灰原の様子を見れば、怯える挙動が組織の人間が周りにいるときと同じだということがわかる。つまり先ほどの人間は組織の構成員だということだ。もしかするとパーティで何かをやらかすつもりなのかもしれない。
制止する灰原を振り切り、その人の前にメガネを落とした。拾われたと同時に声をかけると、「もうなくすなよ」という言葉を口にしながらメガネと飴を渡される。オレンジキャンディだった。
高校生にもなって飴玉をもらっても嬉しくないのだが、中身がそれだとばれるわけにもいかないのでなんとか取り繕って逃げた。近くで震えていた灰原の顔はバレなかっただろうか。
「…おい、いい加減落ち着けよ」
周囲を警戒しながら震える灰原に声をかけるも、彼女は「あなたは何も知らないから」と恨みがましい言葉しか向けてこなかった。
「あの人は…ジンと仲がいいのよ。もし私のことがバレたらジンに報告が行って、私だけじゃなく…!」
「俺たちまで消される、って?」
「…ええ」
幸いにも、いつもの三人や蘭たちはそばにいなかった。不安に駆られる灰原はやはり年頃の女性らしく、少しばかり口が軽くなってしまうのだ。小学生が知らないはずのことまで口に出してしまう危険性がある。
未だ小刻みに揺れる手をなぞった。
びくり、少女の体が強張る。過剰なまでに反応してしまうのは、それだけ組織が危うい存在だということを知っているからだった。
「平気だ。俺が近づいてもなんともなかったろ?」
「…」
「お前も無事だった。あんなにそばにいたのに、怪我一つ負ってない。だから――」
「違うわ…」
え、と、自分の言葉が詰まったのが分かる。
灰原の震えは止まらず、視線は床に固定されたまま。周りの賑やかな空気も俺たちの周りを漂えば氷のように冷えて固まってしまう。それに気づいたのは今更なことで。
少女は言葉の続きを口にした。
「あの人、自分で手を下すことはほとんどないのよ。いつもはサポートで、周りに情報伝達をするほうが得意なの」
数秒後、ようやく裏に隠された意味に気づく。灰原も首を縦に振って肯定し、口パクで一つ付け加えた。
怪我をしていないのは自分で手を下す気分じゃなかった。俺たちの正体が分かっていて、組織にすべてを伝えるために一時的に放置された。その理由で俺たちが無事であることもありえなくなかったのである。
組織の人間だからといって、すぐに手を出してくるような輩ばかりじゃない。それを忘れていた自分に内心舌打ちした。バレているかどうかはさておき、これ以上接触するのはまずい。
しかし、それをするにしても条件が悪すぎる。知り合いのほとんどはこの会場内にいるし、いきなり自分たちだけ帰るとなると周りからは不自然に見えるだろう。
せめて博士がいれば、と、歯噛みしそうになったとき、「おい」と覚えのある声が背後から聞こえた。
「っ!」
慌てて背後を確認する。これだけ人間がいるのだ、気配なんて探るだけ無駄だとわかってはいるが、それでも簡単に後ろを取られるとは思っていなかった。
脳裏に浮かべたとおりの人物だった。こっちの心情など知らぬ存ぜぬといった体で声をかけたらしいそいつは、警戒心をむき出しにしたこちらを疑問に思ったらしい。少し垂れ気味の目を細めて手をこちらに伸ばした。
「いるか?」
「…えっ」
「もらったんだが、…プライベートでの参加でな、受け取ってもらえそうなやつがお前しかいない」
目の前にぶら下げられるそれ。コクーンの登場許可証、つまり参加証だった。
参加証の向こうに見える顔を思わず見やると、眉を八の字にしたそいつがこちらを見据えていた。そこに嘘偽りは見えない。
今回行われるコクーンのデモプレイは幼児から高校生ほどの年齢までと制限が決まっている。どう見ても成人済みのその人は参加できないだろうし、組織の一員らしく高校生やそれ以下の人間と関わるようなことはしていないのだろう。
それでも、プライベートかどうかは確証はない。仮にそうであっても、プライベートに仕事を混ぜる人間なんて星の数ほどいる。バレているというのなら、この誘いは、
「ううん、ボク、見てるだけでも充分だよ!」
参加証のバッジを押し返す。途端にきょとんとした表情になった男が「そっちのガキもか?」と問いかけてきたものだから、後ろにいる灰原を確認もしないまま頷いた。確認しなくても、後ろの人間は乗り気じゃないだろう。
作り笑いを不思議そうに眺められたが、伊達に長いあいだ猫をかぶっていたわけではない。いかにも平気ですといった顔をしていれば男も納得したようだった。
「ナイトを気取るのはいいが、気ぃ張りすぎんのも考えもんだな。たまには力抜けよ」
「なんのこと?」
「後ろ」
あんまり怖がらせるなよ。
男はこちらに手を伸ばして、途中でとめる。迷うように頭上をうろうろとさせた後、引っ込められたそれにより一層警戒心が強まるが、男はそれに気づいた素振りは見せなかった。
こちらも流石に「お前が原因だ」とも言いにくい。というより、言えば最後命はないだろう。文字通り。
用事は本当にそれだけだったのか、瞬く間に人ごみへと消えたそいつを確認して後ろを振り向いた。最後までこちらに手を出してこなかったのは何か理由があるはずだ。警戒はしておくに越したことはない。
焦りに気を取られていた自分は、今更ながら男の名前を聞いてなかったことを思い出したが、それも灰原から聞けばいいかと後回しにした。
これから名前を聞くまでに時間がかかることも、教えられる前に名前を知ってしまうことも、未だ知ることはない。
灰原が付け加えた「彼から得られるものは少ない」という言葉が、頭にこびりついて離れない。