神は彼にも微笑まないし

「いなくなりたいなぁ」

ぼんやりと呟かれた言葉。低く私の鼓膜を揺らす声に少しだけ耳を傾けて、交わらない彼との視線を空へと向ける。
今度は何でよ、そう言えば、隣で同じ空を見上げていた彼が渋く唸った。答えにくいのかもしれない。

「ほんの少し、過敏になってるだけ」

だからナマエは知らなくてもいいよ、なんてひまわり色の髪の彼はいうので、風で乱れてしまった髪を力づくで整えるように頭を鷲掴みした。私の聞きたい答えじゃない。
私たちの間に余計な気遣いは不要だというのに、彼はいつも笑って少しだけ距離をとる。そういうところが嫌いなのだと、彼は知っているのだろうか。

まあ、嫌いだといったとして、相手の性分はそう簡単に変わるはずもない。言っても無駄になるだけだろう。
喉の奥から飛び出しかけたため息をぐっと飲み込み、先ほど整えたばかりの髪をぐしゃぐしゃにした。

悪いものを封じ込めた彼は、影じゃ英雄だのなんだのいわれている。スカイロフトにいるただの騎士の一人なんかじゃない、世界を救った伝説のヒーロー。みんな彼が何をしたのかのすべてを知らないけれど、きっとこうなった原因くらいは察しているだろう。
私はゼルダから聞いたからほかの人よりも詳しい事柄を知っている。でも、彼…リンクを今更勇者扱いしろなんて土台無理な話だと思う。

リンクはまたぼさぼさになった髪を軽く整えて、またぼんやりと遠くなった空の雲を見つめ始めた。「ナマエは昔から乱暴だなあ」そんな声が私の耳に届く。

「リンクは相変わらず弱虫だよね」
「そんなことないよ。騎士にも勇者にもなれたんだ、弱いわけがない」
「弱虫だよ」
「弱くなんかない」
「弱虫」
「違う」

不毛なやりとりを繰り返して、どちらからというわけでもなく息を吐く。リンクはやっぱり弱虫だ。

「慣れない勇者扱いで疲れるくらいの弱虫」
「疲れてない」
「なら、昔よりも周りの評価を気にするようになった弱虫」

そう言ってやれば、隣の彼はぐっと黙って空に向けていた視線を下にずらした。

息継ぎの仕方を忘れてしまったまま、透明な水の中に放り入れられたみたいだ。じわじわと鈍くなっていく中、息苦しそうに吐かれた気泡は沈んでいく体とは逆に浮かんでいく。
ため込んでいることは火を見るよりも明らかなのに、彼はどこまで行っても強情だ。

幼馴染だからといって何もかもを話してくれることはない。私には私の秘密があるし、リンクにはリンクなりの秘密があるんだろう。
だからといって何もしないというのも、心持ちとしてはよくないというか。いわゆる私の気分が悪い。

いい加減にしなよ、なんて言葉をいうわけにはいかないけれど、あからさまに悩んでいますというオーラを出されると気になって仕方がなくなる。うだうだ悩んで結局言わないより、何度も助けを求めて寄りかかってくれたほうがはるかに楽だ。
そういったらきっと、彼は私の前でも"勇者"になってしまうから言わない。言えるわけがない。

だって私はありのままの彼が好きだったのだ。勇者じゃない、ただの「リンク」が。

嘆かわしい。ほかの人たちが認識を改めない限り、彼はもう"勇者"で有り続けなくてはいけなくて、その咎を一生一人で背負い続けるんだろう。それが彼の本意であろうとなかろうと。
私はきっとそれを助けることもできずに、ただ友達として隣に寄り添うことしかできないのだ。もどかしい。

どんなに後悔したって、ここまできたらどうしようもない。彼は一生勇者で有り続けるんだろうし、私はその隣で話を聞いてやるしかない。神様は時間を戻すことさえ許してくれない。
だから私が勇者であったらなんて絵空事を描いたって、きっと彼の心には何も響かないんだろう。

何をすればいいのかわからない頭でもそれだけはわかってしまって、私はどうしようもなく泣きたくなりながら隣にある頭をもう一度撫でた。


神は彼にも微笑まないし
(当然私にも振り向かず)