反則ですよ恋人さん

私の恋人、ヴァレリーさんは、最近私のことを勘違いしている。

兄がいうには、私は少し世間知らずというものらしい。屋敷の中で蝶よ花よと育てられたのだから、それは否定はしない。認めよう。
なんといってもまともな買い物もした記憶がないくらいなのだから、常識知らずなのは明らかである。私が買おうと手にするものは隣のミーリャが精算を済ませていた。

少しばかり冗談がすぎるとミーリャや兄から言われるのだけど、決して無茶なことやもので冗談を言った記憶はない。山が欲しいとか巨大な雪かき機があればなぁなんて軽く言ったことはあるけど。
あくまで希望で、もちろん本気で作ろうとか欲しいとか考えてはいないわけで。

話がそれたが、つまり、私は世間知らずであっても、多少は常識や言っていいものの分別などは心得ているということを言いたいのである。

なんでこんなことを言い始めたのかというと、どうやら最近兄とヴァレリーさんが仲良くなったようで。たまに私抜きで二人酒を酌み交わしているらしいのだけど、どうやら兄がヴァレリーさんに何かしらのホラ話を伝えてしまったようなのである。
休日に家を訪問してくれた彼をデートに誘ったら断られてしまったのだ。ごめんと謝られた後に街で見かけたとき、「持ち合わせが…」と泣く泣く財布を開いていたのを見てしまった。

あの、金銭感覚はおかしくないですよ。
言ってあげたいのだけど、聞く分には他にも何かしらの勘違いを植え込まれているらしく、誰かに何かを言えばすべて「お嬢様をお守りしなくては」なんてバカみたいな話に帰結する。いや、護衛も仕事だからバカみたいな話ではないのか。でも結構虚しい。

多分兄が植え付けた認識は「金遣いが荒い」とかその辺りだと思う。
他の日にやっとデートの約束を取り付けて、お小遣い(内心青褪めるくらい貰った)を持って街に繰り出したとき、ヴァレリーさんは値段を見るのが怖いのか少し遠いところに立っていた。恋人ってなんだろうって本気で考えた。
それ以来、負担をかけないようになるべく高価な店には入らず、店員さんには悪いが買うことも少なくしているのだけど、毎回隣でほっとされると地味にダメージが蓄積してしまう。

「私は悪女かなにかか?」

そも、貢いでほしいなんて言った記憶はない。恋人になったはずなのに離れている距離にちょっと不満も抱くし、そもそも彼は私のことが本当に好きか?と勘ぐってしまうことだってある。
確かにちょっとは猫をかぶっている。けどそれがどうした、好きな人に良く見られたいのは誰だって同じことだろう。彼はどうか知らないけど。

けど手を繋いだって彼はすぐに外すし、キスなんてまだ一回もしたことがない。一回もだ。
大人の恋愛というやつはこんなにスローペースで進むものなのか?恋人は彼が初めてで基準はわからないものの、流石に半年経ってキスの一つもないのはおかしくない?
いくら会える回数が少ないといえど、流石にこれじゃあ私も不安に思ってしまう。ヴァレリーさん、他に好きな人がいるんじゃないか、とか。

考えれば考えるだけ思考がループしていく。恋愛ってめんどくさい、でもやめられない。ヴァレリーさんのことは間違いなく好きだ。
とにかく気を紛らわそうと、普段はまったく使わないまま溜め込んでしまったお小遣いを持って街へ繰り出した。いつもいるミーリャや他の人は冬想祭の準備でみんな出払っている。

今年の冬想祭は、彼は来るんだろうか。去年はなんとか休みにしたって聞いたけど、今年もまた休みにしてくれる保証はない。
恋人になって一年、私も来年には一つの区切りがついてしまう年齢になってしまったのだけれど、もしかして手を出してくれるのは来年だったりするのだろうか。楽しみなような、じれったいような…。
あ、クラーケン焼きだ。折角だし贅沢しちゃおう。

買った食べ物を頬張りながら街を散策してみる。流石冬想祭前だけあって、いろんな場所が煌びやかに彩られていた。今年もまた華やかな街並みになりそうで楽しみである。

「ねえ、キミ」

そういえば冬想祭って恋人とかと過ごす日だっけ。ヴァレリーさんがいないなら今年もクリボッチをキメよう。なんて考えていたら腕を掴まれた。
口の中に残った肉を噛み締めながらゆっくり振り向くと、そこにはいかにも尻軽といった格好をした男が立っていた。耳に重そうなアクセサリーとか付けてるし、着ているものも装飾品が適度についてジャラジャラと音を立てている。邪魔そう。

ぽかんとその男を見ていると、男は右耳のそばに手を当てて柔らかく笑う。「可愛いね。良かったら俺と冬想祭に行かない?」

「いいですよ」

即答したら驚かれた。何をそんなに驚く必要があるんだろうと思いながら手を伸ばして、寒そうな首元についたアクセサリーに触れる。

「今日は普段と違う様相ですけど、イメチェンでもしたんですか?
――ヴァレリーさん」

ますます驚かれた。
シャラ、普段彼が付けないような大きなイヤリングが音を立てる。カラーコンタクトで変えられたペリドットがこちらを信じられないと言ったように見ていて、普段隠されているおでこが見えるようセットされた髪がふわりと風に揺れた。

うーん、持ち合わせがなかったのは、こんな服を買ったからだったんだろうか。ご丁寧に目の色まで変えて、雰囲気でもわかりにくくして。ぱっと見た程度じゃわからない。
イメチェンはヴァレリーさんにとても似合っていた。どうやら目の色は変えても顔の造形は変えようと思わなかったようで、優しそうなタレ目はそのままだ。
そっと目元を親指でなぞると、ヴァレリーさんは勢いよく私から距離をとった。うわ、傷つく。

「…ナマエには敵わない」

ぼそりと呟かれたそれに、はあ、気の抜けた返事をした。私もヴァレリーさんに敵わない。他の人にも(主に戦闘面で)敵わないのだけれど。
イメチェンしてまで私と離れたかったんだろうか。おまけに驚いたってことは、私をナンパする予定はなかったみたいだ。ヴァレリーさんってそんなことする人だっけ。ちょっと悲しい。
何も言わなくなった私に、ヴァレリーさんが「似合う?」と聞いてくる。うんうん、とても似合ってます。きっと見る人が見たら惚れちゃいます。

「似合うけど、好きじゃないです」

私好みの服を着てください、なんて口が腐っても言えないけど、せめていつもの優しいピンクカルセドニーみたいな目が見えたらいいのに。ああでも、ペリドットもファッションのひとつに組み込まれてるかも。でもなんだか嫌だ。

「私、いつものヴァレリーさんがいい」
「…いったい誰からそんな殺し文句を? ミーリャ?」
「自前です」

嘘です、いつも読んでる本です。でも、物語の始まりでの主人公みたいにイメージを一掃されてしまったから、ちょっとした意趣返しをしてあげます。
私の言葉を聞いて、ヴァレリーさんが深くため息をついた。体が跳ねてクラーケン焼きを落としてしまった。

「いつもの服に着替えたら、」

もったいないな、そんなことを考えながら地面を見下ろしていると、少し上の辺りからヴァレリーさんの声が降ってくる。

「俺の考えたプランで、デートしてくれますか」

冬想祭も、一緒に。

間髪入れずに口に出した返事はYesで、聞いた彼は照れたように、そして幸せそうに笑顔を浮かべて、肩に置いていた手をするりと下に伸ばした。
彼から繋がれた手はどうにも振りほどけそうになくて、私の顔はとても熱くて、でもなんというか、ちょっと不安はなくなって、とても幸せな気分になった。

いつになく積極的な彼に心臓が爆発しそうで、あ、私、ちょっと死んじゃうかも。