盗みは泥棒の始まり
くあ、と、あくびを漏らしたところで、カルロスが掻き回していた鍋から煙が漏れでた。
「シフォナード!」
鋭く飛んできた怒号に、声を向けられた本人ではなく周りの人間が肩を大きく揺らしたが、当の本人は全く気に止めた素振りを見せず、自分の鍋に薬草を放り込んだ。
途端に鍋から黒い泡が吹き出し、机の下、足元に広がっていく。際限なく溢れる泡に周りが悲鳴を上げ、カルロスから距離をとった。
「あっ、成功みたいですね」
周りの反応を知ってか知らずか、カルロスは制服やローブに泡がつくことも厭わず、表面に出た泡を試験管に掬う。試験管の中で弾けた泡が液体に代わり、粘り気の強い薬が底に溜まる。
いくらか掬い終わったところで、試験管の表面が拭われた。
「先生、面白い薬ができました」
液体の影響か、黒く染まった手で差し出された試験管を、相手は受け取って口を開く。
「レイブンクロー、十点減点」
―――
――――
「いい薬だと思ったのに」
モップの柄に顎を乗せてぶらぶらと体を揺する彼を見て、布巾で机をこすっていたブリジットは苦笑いをこぼす。
授業で作れと言われたものとは全く違う代物を精製したのだから、減点や罰則があってもなんら不思議ではなかった。むしろ先ほどの授業はスネイプが受け持っていたのだから、これ以上怒られていてもおかしくない。
カルロスがこの授業に出ると大抵似たような結果になるため、スネイプも過激に怒るのは無駄だと半ば諦めの域に達しているのかもしれない。
ブリジットは幸いにも大した失敗をすることなく薬を調合し終えたが、カルロスが残骸を片すように言いつけられたため、手伝いという名目でその教室に残っていた。
カルロスと行動し始めて十日ほど経ったが、少女は相手の思考を読み切ることができなかった。
九月末に堂々と「おかしい」と言われたような人間なのだから仕方のないことだろうが、それでも様々な不満は出てくる。
「授業はちゃんと受けなくちゃ。先生からの信用を失ってしまうわ」
「うまくいけば混乱薬と同じ材料、分量で他の薬も調合できるんですよ?色や粘度はあれですが、きっと混乱薬よりも価値のある薬になります」
「新しい薬より自分の評価よ」
「授業の内容や評価よりも、己の好奇心を優先したいです」
流石に危ない材料を扱うときはちゃんとしますよ、その危ない材料は覚えていませんけど。
そんなことをのたまうものだから、ブリジットはさらに呆れた。危険なものがわからなければ対処のしようもないだろうに、カルロスはまったく懲りた様子も見せなかった。
魔法薬学は一歩間違えれば様々な怪我を負う危険な授業である。
もちろん他の授業も同じく危険なものがあるが、カルロスがやらかした回数は魔法薬学が一等多かった。前回の授業では、カルロスが作ったものを誤って口にした生徒が気絶して大騒ぎになった。
なぜそんなことが起こるかというのは想像に難くない。彼が今、興味半分で調べている分野が魔法薬学であるからだ。
興味のないときには授業をサボりがちになり、逆に中途半端に手を出しているときには毎回出席するものだから、彼が興味を持っている分野はリアルタイムでわかってしまう。出てきたときも意欲が違うのだ。
「もう少し真面目な生徒になりましょう?」
「うーん、僕は至って真面目なつもりなんですけど…だってほら、授業もよく出るようになりました」
「私が出る授業だけね」
決して自分が出ている教科以外のほとんどは出席率が芳しくないだろうと、ブリジットが予測をたてて言えば、カルロスは気の抜けた笑顔を少女に向けた。図星だった。
「授業は教科書ばかり読んで目新しい発見もないので、実はあまり好きじゃないんです」
その教科書の内容をいつまで経っても覚えないだろうというツッコミをする人間はいなかった。カルロスは授業をまともに受けたことはないし、点数は散々なものばかりだが、興味を抱くものに対する熱意は誰しもが認めるところだ。
何も言えなくなったブリジットが引き続き机をこすろうと視線を下に向ければ、ふと、机の引き出しに仕舞われた棒のような何かを見つけた。
「誰かの杖?」
液体が付着していないかと取り出してみると、それは誰かの杖だった。少し先端が液に浸ったのか、机と同じように黒く染まっていた。
声を聞いたらしい、カルロスが顔を上げて思い出したように「あ」と声を出す。すっかり忘れていた問題がそこにあった。
「返し忘れました」
「…え?」
「その杖です。この前杖を没収されてしまったので、隣にいた人から借りて魔法を使わせていただいたんですけど」
無断だったので、正直に言うと気まずいですね。
決して笑顔で言うセリフではなく、ブリジットは頭を抱えたくなったが、これはカルロスにとってごく普通の振る舞いだった。命を脅かすものでなければバレないものはよしとすることを当たり前としている。
杖は持ち主以外に使われると力の真髄を発揮できない。
それは魔法使いたちにとって当たり前の認識であり常識、しかしカルロスは特に気にすることなく他者から杖を拝借する。本気を出すときは必要な事項だが、軽い魔法ならば杖に選ばれずとも使えるからだ。
とはいっても、杖は個人が所有する武器でもあるため、通常であれば貸し借りなどあまりいい顔をされないだろう。だからこそ「無断で」拝借したのだろうが。
「こんな大事なもの、返し忘れるなんて…」
「ついでに言うと、誰から借りたかも忘れてしまいました。助けてください」
最早引きつった笑いしか出てこないブリジットは、背後で教室の扉が勢いよく開いた音を聞いた気がした。