GRADATIM
EP. 3

ヒーローの格好

 教室へ入ってきたオールマイトは、そのまま教壇の前まで歩いていった。テレビやニュースで見る時と変わらない笑顔なのに、教室の天井が低く見えるくらい身体が大きい。凛は机の中へ入れていた手をようやく抜き、周囲と同じように前を向いた。
 さっきまで次の授業の教科書を探していた生徒たちも、今はほとんどが手を止めている。教室のあちこちから本物だという声が上がり、少し離れたところでは、蛙吹が今日のコスチュームが昔のものだと気づいたらしく、近くの生徒と話していた。凛も画面の中で何度も見たヒーローを改めて見上げた。昨日から相澤が寝袋で教室にいたり、今日はオールマイトが普通に扉から入ってきたり、雄英に来てから先生の登場だけでも妙に振れ幅が大きい。

「今日から私が担当するのは、ヒーロー基礎学だ!」

 よく通る声が教室へ響く。それだけで、静まっていた教室が一気にざわついた。
 ヒーロー基礎学。その名前だけなら入学前から時間割で見ていたが、実際にオールマイトの口から聞くと急に現実味が出る。凛も机の上へ置いていたペンを筆箱へ戻しながら、隣の列で芦戸が身を乗り出すのを見た。

「やっぱオールマイトが担当なんだ!」
「え、何するんだろ。実技かな?」
「初日から?」
「でもヒーロー基礎学だよ?」

 葉隠の制服の袖が机の上で動き、芦戸が楽しそうに笑う。教室のあちこちから似たような声が上がっている間に、オールマイトは壁際に並んだケースを示した。事前に提出した要望をもとに用意されたヒーローコスチュームだと聞いた途端、さっきまでよりさらに空気が騒がしくなる。
 凛も自分の番号を探して視線を動かした。入学前に送った要望は覚えている。動きやすそうな形で、汚れが目立たない色。そのくらいのことしか考えていなかったので、実際にどんな形になっているのかまではよく分かっていなかった。



 ケースを持って教室を出る頃には、廊下まで話し声が続いていた。女子更衣室へ入ると、早速あちこちでケースの蓋が開き、布や装備を引っ張り出す音が重なる。凛も空いている場所へ荷物を置き、留め具を外した。
 中には、身体に沿う黒い半袖のトップスと、同じ色の細身のパンツが収められていた。その上に手袋やベルト類が重なり、腰回りには何本かのストラップまで増えている。希望を出した時にはそこまで細かく指定した覚えがないので、制作する側で必要そうなものを足したらしい。ひとまとめにして見ると、とにかく黒かった。

「凛ちゃん、めっちゃ黒くない?」

 隣から麗日の声がして、凛はトップスを広げたままそちらを向いた。

「やっぱそう思う?」
「思う思う。ほんまに全部黒や」
「でもかっこいいじゃん!」

 芦戸が自分の着替えを進めながら口を挟む。少し向こうでは葉隠がどこまで着替えたのか分からないまま服だけが動いていて、耳郎は取り出した自分のコスチュームを一度広げてから、留め具の位置を確かめていた。
 凛も半袖へ腕を通す。制服よりずっと身体に沿う生地は、腕を上げても引っかかる感じがない。パンツを履いて腰のベルトを留め、余ったストラップを位置に合わせて整えていく。最後に手袋をはめて指を曲げると、まだ新品らしい硬さが少しだけ残っていた。

「動きやすそう」
「うん。思ったより普通に動ける」
「それ大事じゃん」

 耳郎に返しながら、凛はしゃがんでブーツの留め具を締め直した。全員が着替え終わるまでには少し時間がかかり、先に終わった生徒は壁際で待ちながら互いの格好を見ている。自分たちで要望を出したものなのに、実物を着た途端に照れたように笑う声があったり、鏡の前で何度も角度を変えている姿があったりする。教室では同じ制服だった全員が、それぞれまったく違う格好になっているだけで、急に知らない集団のようにも見えた。



 演習場へ出ると、先に着替えを終えていた男子の方でも互いのコスチュームを見せ合っていた。装備を覗き込んだり、初めて身につけたパーツを動かしてみたりと、いつもの制服姿より全員少し落ち着きがない。凛も歩きながら近くのコスチュームへ目を移していたが、先にこちらへ気づいた上鳴が眉を上げた。

「押切、黒っ! いや全部黒くね?」
「第一声それ?」
「忍者みてえ」

 今度は瀬呂が横から混ざり、凛は自分の腕を見下ろした。半袖のトップスから腰のベルト、パンツ、ブーツまでほとんど黒で、手袋も同じ色だった。

「汚れても目立たなそうじゃん」
「理由それだけ!?」
「え、結構大事じゃない?」
「ヒーローコスチューム決める理由としてはだいぶ生活感あるな」

 瀬呂が笑い、上鳴も納得していない顔のまま凛の腰回りへ視線を落とした。ベルトやストラップだけはそれなりに数があるので、真っ黒ではあるものの何も付いていないわけではない。

「でもなんか装備多くね?」
「多いよねぇ。こんなに付くと思ってなかった。なんか勝手に増やされたみたい」
「勝手にって言うなよ」

 凛が腰のベルトを一本摘まむと、瀬呂がまた笑った。
 そこへ後ろから来た峰田が何か言おうとして、凛の方を見たまま口を開く。

「でも押切それ、上が結構――」
「言わなくていいから」

 耳郎が途中で切った。峰田が不満そうにそちらを見る。

「まだ何も言ってねえだろ!」
「じゃあそのまま何も言わないで〜」

 凛が続けると、隣で芦戸が吹き出した。峰田は一人だけ納得していなかったが、ちょうどオールマイトの声が飛んできて、散らばっていた生徒たちが集まり始めた。まだ互いのコスチュームについて感想を言い合う声があちこちに残る中、凛も耳郎の隣へ並び、手袋の指先を一度引っ張って位置を直した。

「これから行うのは、屋内対人戦闘訓練だ!」

 背後に並んだ訓練用の建物を示しながら、オールマイトがルールを説明していく。ヒーロー側とヴィラン側に分かれ、ヴィラン側は建物内の目標を守る。ヒーロー側は制限時間内にそれを確保するか、相手を拘束すれば勝ちになるらしい。
 凛は説明を聞きながら訓練棟を見上げた。昨日の個性把握テストでは、自分の身体と個性を使って記録を出した。入試で相手にしたのはロボットだ。人へ《圧縮》を向けて戦うのは、これが初めてになる。

「対人なんだ」

 小さく言うと、隣の耳郎が顔だけこちらへ向けた。

「そりゃヒーロー科だし、そのうちやるでしょ」
「いや、やるとは思ってたけど。こんな早いと思わなかったよ」
「楽しそうじゃん」
「うん」

 即答すると、耳郎が少しだけ笑った。
 どのくらいの出力なら人へ向けても平気なのか。動く相手に《圧縮》を使ったら、ロボット相手とはどれくらい違うのか。考え始めると試したいことはいくつも出てくるが、まだオールマイトの話は続いている。凛は一度口を閉じ、そのまま前へ顔を戻した。

「今回は二人一組! ただし人数が奇数だから、一組だけ三人になるぞ!」

 差し出された箱から、生徒たちが順番に紙を引いていく。開いた紙にはAからJまでのアルファベットが書かれていて、先に引いた生徒たちは互いの文字を見せ合いながら同じチームを探していた。
 凛も順番が来ると箱へ手を入れ、指先に触れた紙を一枚つまんだ。開くと、中央に大きくGと書かれている。

「押切、何チーム?」

 少し離れたところから耳郎が自分の紙を持ち上げた。

「G」
「一緒じゃん」
「ほんとだ」

 二人で近くへ寄り、凛は耳郎の紙にも同じ文字があるのを確認した。最後まで紙が引かれると、オールマイトは続けて対戦するチームを決めていく。
 Gチームの相手として呼ばれたのは、Cチームの瀬呂と八百万だった。

「あ、瀬呂だ」
「ヤオモモもいるじゃん」
「よろしくお願い致します、押切さん、耳郎さん」
「よろしくー」
「お手柔らかに頼むわ」

 瀬呂が軽く手を上げる。さっきまで凛のコスチュームを忍者扱いしていた時と、特に調子は変わらない。凛も手を上げ返しながら、八百万のコスチュームへ一瞬目をやった。二人の個性は個性把握テストで見ているが、相手にしたらどうなるのかまではまだ分からない。
 ヒーロー側は凛と耳郎、ヴィラン側は瀬呂と八百万。開始までの準備時間と待機場所を告げられると、四人はそれぞれ指定された方向へ動き始めた。

「じゃ、行こっか」
「うん。何するか考えないとね」

 耳郎と並んで歩き出す。手袋をしたまま腕を振る感覚にも少しずつ慣れてきた。腰のベルトは歩くたびにわずかに位置が動くが、邪魔になるほどではない。
 さっきまで互いのコスチュームについて騒いでいた演習場を離れ、二人で指定された待機場所へ向かう。角を曲がった先には、これから使う訓練棟の壁が見えていた。