翌朝、雄英の正門前には昨日までいなかった人だかりができていた。
登校してくる生徒とは服装が違い、肩には大きなカメラ、手にはマイクや録音機を持っている。校門の外側だけ妙に騒がしく、誰かが通るたびに何人かが一斉にそちらへ顔を向けていた。凛は少し離れたところからそれを眺め、同じ方向へ歩いていた耳郎の隣へ寄った。
「何あれ」
「マスコミじゃない? オールマイト目当てでしょ」
「あー」
昨日、普通に教室へ入ってきた姿を思い出す。生徒側からすれば授業を担当する教師の一人になったばかりだが、外から見れば事情は違うらしい。
「毎朝あれいたら嫌だな〜」
「それは嫌」
凛は校門の横へ視線を向けた。記者らしい一人が登校中の生徒へ声をかけようとして警備に止められている。わざわざ近づく理由もないので、そのまま耳郎と並んで校内へ入った。
教室では正門前の人だかりが少し話題になったものの、授業が始まればいつも通りだった。昼前までいくつかの授業を終え、相澤がホームルームで告げたのは、一年A組の委員長と副委員長を今日決めるということだった。
相澤がそこまで言い終えるより先に、教室のあちこちで手が上がった。前の方では椅子を引く音までして、さっきまで眠そうにしていた生徒も急に声が大きくなる。
「俺やりたい!」
「私も!」
「こういうの一回やってみたかったんだよね!」
立候補する声が重なり、相澤は特に止めるでもなく教壇の前から教室を見ている。凛はその中で手を上げず、机へ肘をついたまま周囲を眺めた。隣の列から耳郎がこちらを見る。
「押切は出ないの?」
「出ない」
「即答」
「面倒そうじゃん。できる人がやればいいよ」
「押切そういうの絶対やんなそう」
「でしょ?」
耳郎が笑って前へ向き直っても、立候補者が多すぎて話はなかなかまとまらなかった。しばらくして飯田が席を立ち、教室へ通る声を上げる。
「それなら、投票で決めるべきだと思う!」
誰が適任だと思うかを各自で選ぶ。その案なら納得しやすかったのか、それまで重なっていた声も少しずつ収まっていった。
凛はその様子を見ながら飯田へ目を向けた。入学してからまだ数日しか経っていないが、先生が来る前から教室で姿勢がよく、何か決める時にはまず手順を考え、誰かが適当に流そうとするとすぐ口を出す。本人が委員長になりたいのかどうかは知らないが、少なくともこういうことをやるのは苦ではなさそうだった。
投票用の紙が回ってくると、凛は少し考えてから飯田の名字を書いた。
集計が終わるまで、周囲では自分に何票入るかを気にする声が続いている。頬杖をついたまま待っていると、やがて黒板へ結果が書き出された。一番票を集めたのは緑谷で、その次が八百万だったが、緑谷本人が誰より驚いた顔をしている。
「え、緑谷?」
「本人が一番びっくりしてんじゃん」
近くで誰かが笑い、凛も黒板と緑谷を見比べた。立候補していた人数を考えれば票が散るのは分かるが、それでも三票集まったらしい。八百万は結果を受けてもそれほど慌てておらず、対して緑谷は、自分が前へ出ることになった現実をまだ飲み込めていないように見えた。
そのまま委員長は緑谷、副委員長は八百万に決まり、ホームルームは終わった。
昼休みになると、凛は耳郎と芦戸の近くで昼食を広げた。朝から話題になっていたマスコミのことも、その頃には凛たちの話題から消えている。午前中の授業の話をしたり、さっきの投票結果を思い出して笑ったりしながら食べ進め、凛は最後に残していたパックジュースへストローを挿した。
「押切、誰入れたの?」
「飯田」
「え、意外。緑谷かヤオモモかと思ってた」
「なんで?」
「なんとなく! そっち選びそうじゃん」
芦戸が自分のパンを食べながら答える。凛はストローを咥えたまま少し考えたが、どういうイメージなのかはよく分からなかった。
「飯田、こういうの向いてそうじゃん」
「まあ真面目だしね」
「絶対ちゃんとやるでしょ」
そこで校内へ大きな警報音が響いた。食堂全体の動きが一瞬止まったあと、何が起きたのか分からないまま席を立つ生徒が増え始める。放送を聞き取ろうとする声と、出口へ向かおうとする足音が重なった。
「何?」
「侵入者とか言ってなかった?」
「え、マジ?」
芦戸が立ち上がり、耳郎も周囲を見回した。凛はジュースを持ったまま出口の方へ顔を向ける。すでに大勢が同じ場所へ向かっていて、食堂の出入口付近だけ人の動きが遅くなり始めていた。
「……あそこ行かない方がよくない?」
「だよね。詰まってるし」
耳郎も座席の近くへ戻り、芦戸も一度出口と二人を見比べてから同じ場所に残った。すでに出口は詰まり始めている。今の状態であの人混みへ入る方が、凛には嫌だった。
ストローを咥え直し、ジュースを吸いながら様子を見る。出口側では押された生徒がさらに前の人へぶつかり、誰かが止まれと声を上げている。けれど後ろから来る人にはその状況が見えていないらしく、少しずつ密度だけが上がっていった。
「これ、侵入者より人混みの方が危なくない?」
「それはちょっと思った」
その時、出口側の人波の中に飯田の姿が見えた。周囲に押されながら窓際まで流され、外へ顔を向けたところで、何かに気づいたように表情が変わる。何かを伝えようと声を上げているようだったが、この騒ぎの中では近くにいる生徒にすら届いていない。
やがて人の間を抜けて麗日のところまで辿り着き、二人が短く言葉を交わした。麗日が飯田へ触れると、その身体がふわりと床から浮く。
「何してんの、飯田」
凛がストローを咥えたまま目で追っていると、飯田のふくらはぎから伸びるエンジンが唸った。浮いた身体が一気に宙を進み、壁際の非常口表示のところまで上がっていく。高い位置で身体を支えると、それまで人の背中に隠れていた姿が凛のところからもはっきり見えるようになった。
「皆、落ち着きたまえ! 外にいるのは侵入者ではない! マスコミだ!」
飯田の声がざわめきの上から響き、出口へ向かっていた生徒たちの動きが鈍る。前へ押していた力が少しずつ抜け、何が起きたのか確かめるように顔を上げる生徒が増えていった。飯田が高い位置からもう一度落ち着くよう呼びかける頃には、さっきまで膨らみ続けていた人の塊も止まり始めていた。
凛はパックを両手で持ったまま、それを見ていた。
「……ほら」
「何が?」
「やっぱ向いてるじゃん」
耳郎が飯田と凛を順番に見て口元を緩め、芦戸もつられて笑う。凛は残りのジュースを吸い切った。食堂の空気が完全に落ち着く頃には、さっきまで出口付近へ固まっていた生徒たちも少しずつ元の場所へ戻り始め、三人も食べかけの昼食を片付けて次の授業へ向かった。
午後のホームルームでは、朝に決まったはずの委員長についてもう一度話が出た。前へ立った緑谷は少し緊張した様子で教室を見渡し、飯田の方へ顔を向ける。
「委員長は、僕より飯田君がやった方がいいと思う」
昼休みの様子を見ていた教室のあちこちから、すぐに同意する声が上がった。
「でも飯田、非常口の標識そのものだったよな」
上鳴の言葉に教室のあちこちから笑い声が上がる。凛も昼休み、非常口表示のところに張りついていた飯田の姿を思い出した。
「……確かに非常口だったわ」
「押切君まで!?」
飯田が勢いよく振り返り、また笑いが起きた。反対する声はなく、本人も少し戸惑ったあとで姿勢を正す。
「任された以上、責任を持って務めよう!」
黒板の委員欄が書き直され、その横には副委員長として八百万の名前が残った。朝にはあれだけ立候補の声が飛び交っていた教室も、決まってしまえば切り替えは早い。
凛は机の中から次の授業の教科書を取り出した。前の方では、飯田が早速何かを確認しながら近くの生徒と話している。凛もそれ以上気にすることなく、教科書を開いた。