美しいあなたに相応しい花を。
そんなメッセージと共に、アビスには私宛の花束が届くようになった。
はじまりは白いクリスマスローズ。可憐な純白の花弁は淵が薄らとピンクに色付いていて大層可愛らしい。地下の仄明かりに照らされると艶めいて見えた。
「これがあるだけで教室が少し華やぎますわね。」
「まあ、悪くはねぇな。」
「少し毒性があるので食べないでくださいね、バルタザール。」
「食わねぇよ!」
コンスタンツェが活けられたクリスマスローズを上機嫌で眺めていると、ハピが花束を持って教室に入ってきた。
「まあ、また来ましたのね。先日はジギタリスだったでしょうか?」
「今日は何の花なんだ?」
「さあ?黄色い変なの。」
「…喇叭水仙ですね。」
「ラッパ?」
「花の形からそう呼ばれる水仙ですよ。そういえば、これは大修道院の温室にも植えられていました。」
「温室から買い上げたってのか?」
「さあ?」
ハピから水仙の束を受け取る。見頃の美しいそれを眺めて、飾るか利用するかを思案した。根が付いてないのは残念だが、まあこれなら毒にしてもいいし薬にしてもいい。常備薬にできるような保存環境ではない以上、売り捌くのが妥当だろうか。
「それにしても、一貫性がありませんわね。」
不意にコンスタンツェがそんなことを言った。
「クリスマスローズにはじまり、カランコエ、ジギタリス、そして今日の水仙…。確かにどれも美しいですが、美しい花をと言いながらカランコエは多肉植物ではありませんか。」
「んー、ちょっとよくわかんないよね。同じ花を贈り続けてるわけでもないし、わかりやすい告白の花束にも見えないし。」
「求婚じゃねえ他のメッセージがあるってことか?」
「可能性はあるのではなくて?リルメ、あなた花言葉には詳しいかしら?」
コンスタンツェの言葉に首を振って、アビスの書庫に通い始めたのはつい先日のことだ。
守護の節に入り、地下は寒々しい冷気に満ちている。贈られてくる花は冬に開花するものばかりで目の保養になったのだが、日も当たらず風通しも悪い地下ではすぐに枯れていった。本の保存のためか書庫には通風口があるので、多肉植物であるカランコエだけは書庫に飾っている。灯りを当てる時間を調節すれば長く付き合えるだろう。
松明の下にカランコエを置き、目当ての本を探す。アビスに来てから数節経ってようやく訪れた書庫は、古い文字の文献も多かったが興味深いものばかりだった。白日の下には晒せないようなものもあったが、特別教団に思うこともないので触れないでおく。
「調べ物か?」
カタンと音が鳴って開放されていた書庫の戸が閉まる。開けていた扉が閉められた、それだけのことで不安になってしまうのは、やはり彼の目が私を注視しているからだ。
「…はい。花言葉の本がないかと思いまして。」
手にしていた本を棚に戻しながら、ユーリスに笑いかける。彼は本棚に視線を巡らせながら「そんな健全なもんがここにあるのかねぇ。」と皮肉るように言った。
「セスリーンの愛の挨拶があるくらいです。花言葉くらいあるのでは?」
「愛の挨拶?詩集か?」
「気になるなら読んでみたらいいじゃないですか。」
「いや、興味はねぇよ。それにしても、花言葉か……あいつからの花束に何かしらの意図があるなら、確かに気になるな。」
「門番に渡すだけ渡してさっさと帰ってるそうですからね、直接私には言わないけれど、何か汲み取ってほしいのかと。」
本を探すのを手伝ってくれるのだろうか。ユーリスが本棚を眺めているのを横目に、少し嫌味なことを考えてしまった。ジュリアのことは何も教えてくれなかったくせに、不審者退治には積極的なのだな、と。
「あの男とは親しかったのか?」
「…いえ。顔を合わせたことはあっても、話したことなんて両手で数えられる程度だったと思います。ヴィット商会との話し合いには別の人が来てましたから。」
「そのわりには求婚じみた真似されても平気そうだったな。」
「交渉人は目的の為なら何にでもなれると聞いていましたからね。」
「あれは演技だと?」
「私にはそうとしか…あ、」
「っ…と、」
本棚の書名とそれを追う指先しか見ていなかったせいか。いつの間にか真横にいたユーリスと指先がぶつかった。
ぱっと距離を取って「すみません。」と咄嗟に謝る。私の不注意を怒りはしないだろうかと恐る恐るユーリスを見れば、彼は困ったような、それでいて不満そうな、何とも言えない顔をしていた。
「…あっ、あった。」
ちょうどユーリスの顔の近くに花言葉らしき本が見えて、彼の何とも言えない表情などそっちのけで手を伸ばす。軽く身を引いて取らせてくれたユーリスに礼を言いながら開いたそれは、真っ当な花言葉の本だった。
「……えっと、」
索引など親切なものはなさそうなので、一頁ずつ開いて文字を追う。
クリスマスローズ…追憶・いたわり。
ジギタリス…不誠実・隠せぬ愛。
喇叭水仙…尊敬・報われぬ恋。
カランコエ…たくさんの小さな思い出・あなたを守る。
「……何かわかったか?」
「………ええっと、やっぱり一貫性はなさそうですね。」
全く思い当たらないわけじゃない。自身の状況を当て嵌めてみれば、しっくりくるものもある。
尊敬する相手に恋をしたけれど、不誠実な私はそれを決して報われないものにした。
「……。」
交渉人は私に対して「家族も恋も失った、」と言った。恋を失い傷心した人間となったのは私だ。自分でそうした。けれどそれが不誠実なものであったことなんて、誰も知らないはず。交渉人にだって誰にだって、わかるはずがない。
「…リルメ、」
艶やかな呼び声にギクリと肩が跳ねる。
後悔なんてしていないのに妙に後ろめたくて、ユーリスの顔が見られなかった。
「初めて会った時、…自分を死んだことにしたいって言ってたよな?」
「……よく覚えていますね。」
とん、と。顔の横に手をつかれて、思わず顔を上げてしまう。目元に化粧を施した女王の顔が、じっとこちらを覗き込んでいた。
「交渉人のような、追ってくる奴から逃げるためか?それとも、……だだ、生きていたくなかったのか。」
美しい目が間近にある。睫毛の生え際さえ見えそうな距離にいて、わかったのは唯一、彼が確信を持って聞いていることだけだった。ああ、やっぱりユーリスは意地が悪い。
「……死にたいとは願いません。誰にも望まれず、誰も望まず、自分だけのために過ごしたいのです。」
アビスはどんな過去を持つ人間でも受け入れてくれる場所だ。最低限のことをしていれば、穏やかで平坦な時間を得られる場所。
けれど、これまでだって誰かをアビスまで追って来て、ここの平穏を脅かした人間はいたはずだ。地上とは不干渉だと聞いているが、それはあくまでアビスと大修道院間でのルール。たとえば遠くから取り立てに来たような借金取りが、そんなルールを慮ってくれるだろうか。アビスそのものが見つかり難いからそんな事件が多くないだけで、交渉人のようにここまで誰かを追って辿り着いた人間にとっては、不干渉のルールなど関係ないのだ。そして、もしもアビスに何かあれば、交渉人の件を片付けない限りここにはいられなくなってしまうだろう。
「あなた方は心地の良い隣人です。私の過去のことで煩わせたくない。…けれど、逃げてきてしまった結果こうなっているのは事実ですから、交渉人のことはどうにかします。」
「…、」
「すでに交渉人はアビスを攻撃していますし、悪い事が起きる前に必ず、私が、」
「リルメ、」
ぐに、と頬が摘まれた。思わず目を瞬くと、間近にあるユーリスの顔が僅かに緩む。まるで漸く目が合ってホッとしているかのように。
これだけの距離で見上げながら、自分が少しの間とはいえ全くユーリスを見ていなかったことに気付いた。
「あんたは本当に付き合いが悪いな。」
「…え?」
「俺たちはどういう関係なんだ?赤の他人か?」
「い、いえ……同じ
「ってことは同級生、仲間みてぇなもんだろ?それをただの隣人扱いだなんてなあ…寂しいもんだ。」
「えっ、す、すみません…?」
言っている内容はわかるが、ユーリスが何を考えているのかさっぱりわからない。意地が悪いし警戒するように注視しているくせに、そんなの…変だ。
嘘だ演技だと断定することもできず、首を傾げて瞬きを繰り返す。そこで漸くユーリスが離れて、彼は私と肩を並べるように本棚に凭れた。
「……汚点ひとつない人生や、綺麗なだけの過去が正しいわけじゃねえだろ。リルメが以前何をして、何から逃げてきてたって別にいいんだよ。逃げてきたことに無理に向き合う必要もなけりゃ、ひとりで抗うべき理由だってない。」
「…それは、」
「これは気遣ってるわけじゃないからな。あんたが意固地だから懇切丁寧に言い聞かせてやってんだ。」
「……ありがとうございます…?」
傾げた首はそのまま、わかったようなそうでもないような気分で頷く。
ユーリスはアビスの破落戸にお頭と呼ばれるような人だし、基本的に面倒見はいいのだ。行き場のない人間には優しいのだろう。それは一種の博愛であるが、絶対の愛情ではない。いざとなれば多数をとるべき人の愛情だ。
「……ユーリス、」
「…なんだ?」
「交渉人の贈ってきた花は、このカランコエを除き、全て毒性があります。」
「ああ、だから食うなよって貼り紙してんだろ?」
「そうですね。けれどこれは、アビスへの攻撃だと考えてもいいでしょう?だから、私もそろそろ腹を括りますよ。」
花言葉を知って、交渉人とはしっかり話をつけるべきだろうと漸く思えた。できれば向こうが諦めるまで相手をしないようにしたかったが、それでは丸くおさまらないのだろう。なんせ毒性のある花束を贈ってくるような奴だ。そして、そんなことをさせているのは紛れもなく私なのだ。