リルメ=レイニア


「今作っているものはね、交渉人の対処に使えないかと考えてて、」
「対処?毒でも盛る気か?」
「…さあ?」
「おい、早まるなよ。その手段を使う前に相談くらいはしてくれ。」
「ここは地上の法が及ばない所なのでしょう?」
「だからお前が危ないんだろうが。」

その言葉に一瞬虚をつかれたような目をしたリルメは、すぐに曖昧な笑みを浮かべた。

「前に交渉人が言っていたことはね、ほとんど事実なんです。」
「……復讐、か?」
「はい、しました。」

あっさり頷いた横顔は、松明に照らされて翳った笑みを浮かべていた。初めて交渉人について聞いた時とは違い、頑なに過去を隠そうとしている気配はない。

「……私はたぶん、そうしなければ生きていけなかった。」

もしかしたら、そこがジュリアとの違いだったのかもしれない、と感じた。明るい未来も家族も気力も失ったジュリアは為す術なく生きる屍のようになったとウテナから聞いている。
リルメは家族を失ったとき、未来も暗澹としたのだと言っていた。ジュリアと比べるようなことではないが、リルメは復讐であれ何であれ動く理由があったからこそ、今ここにいるのかもしれない。

「……両親の引き継ぎだけじゃ、生きていけなかったのか?」
「最初はそれだけでもよかったと思います。けれど、ヴィット商会の担当と交渉人に説得されているうちに、違和感を覚えてしまいました。それを見て見ぬふりすることが私にはできなかった。」

失意の底にいるどこまでも哀れな遺族になっていれば、同情心から必要以上のことを話す人はたくさんいた。ヴィット商会、ルグル会、街の人間。手段を選ばず、彼らから丁寧に情報を集め両親の残したものを繋ぎ合わせていけば、真相はすぐに見つけてしまえた。

そう語る口振りは淡々としていて、過去は話しても感情を晒そうとはしていないようだ。熱を抑圧するように努めた冷静な声音は、擦り切れたように乾いている。

「両親はヴィット商会の拠点に出向いて、その帰りに賊に襲われました。その賊を仕向けたのが、ルグル会の跡取り息子だったのです。」

医療は人間の生存に関わる必需事業だ。だからこそ、大商会であるヴィット商会が医療活性化を掲げて街に本格的な参入をしてしまえば、ルグル会は窮地に立たされる。リルメの両親はある程度ヴィット商会との話が出来上がったところでルグル会も巻き込むつもりだったようだが、ルグル会の跡取り息子はそれを知らなかった。

「両親がいなくなれば計画が頓挫すると、安直に考えたのでしょう。」
「お前の両親とルグル会とやらは交流があったんじゃないのか。」
「両親とルグル会頭にはありましたが、跡取り息子とはそれ程でもありませんでした。彼は親同士の縁を信じることなく利益を優先させてしまった。だから私は、あの事業にルグル会も巻き込んだのです。そうすれば彼との婚約の話が上がって内部に入り込むことができると、想定していましたから。」
「婚約…、」
「あれは街やその周辺を一変させる大きな事業だったのです。私をルグル会に取り込めば多大な利益が永続することはもちろん、ヴィット商会抜きで拡充させることもできたでしょうからね。」
「…政略結婚みたいなもんか。」
「はい。それまで差程仲が良かったわけでもないのに婚約の話があがった途端、ルグル会の跡取り息子は甲斐甲斐しく私の世話を焼き始めました。傍目には彼が哀れな私に情をかけたように見えたでしょう。自分が寄り添い支えるからこの手を取ってくれ、なんて言ったのですよ。」

そうリルメが失笑する。それが強がりなのか、本気の軽蔑なのか判断がつかない。

「……初恋の男っつってたよな。」
「街の同世代の女の子のほとんどは彼が初恋相手でしたよ。私にも憧れる気持ちはありました。」

その男は容姿も良くルグル会最高の跡取りとも言われ、理想的な嫁入り相手でもあったらしい。教育されていたからだろう、紳士的で落ち着きもあって柔和なその男は、明らかに他の男達とは違ったそうだ。

「彼はルグル会の優秀な跡取りで、貴族との縁談も来るような、明るい未来を約束された人でした。あまり彼のことは知りませんでしたが、手が届かない程に遠く、輝かしい人だと以前の私は思っていたのです。……けれど、私の両親を害した愚かさを知って、途端に彼が近付いたような気がしました。正確に言えば、年相応な愚昧さを持つ彼と、同じ土俵に上がれるのだということに気付いたのです。」

愚かだと失笑しても嫌悪はない横顔。愕然とした気分で「恨んでたんじゃないのか。」と呟けば、リルメは穏やかに笑った。

「将来を見据え努力する彼に憧れていたし、家業のために手段を選ばないところも嫌いではありませんでした。両親の死はとても悲しかったし、許せるはずもないことでしたから、もちろん恨みはしましたが……それ以上に、心から恨んでいたのは、彼ではなかった。」
「……。」
「両親に手を下したのは彼だったから私は彼を害しましたが、本当にそうしたかったのは彼ではなく交渉人でした。」
「…は…?」
「ルグル会の跡取り息子を煽り、両親の殺害を唆したのは、ヴィット商会の工作員である交渉人です。そしてヴィット商会に掌を返させたのは白豚子爵でした。」
「ち、ちょっと待て、情報量が多い!交渉人が工作員として跡取り息子を唆したってのは、まあ、置いとくして…白豚って……あれだよな、お前の母親に言い寄ってたとかいう…。」
「ええ、色狂いの下衆貴族です。我が家の花を得たいと常々口にしていたそうですから、本当は母を手に入れるため父だけを狙う予定だったんじゃないですかね。」

微笑みひとつで他人の人生を狂わせる魅力的な女だったと、交渉人はリルメの母を評していた。その美貌に酔った貴族が、手に入れるために起こした行動が、

「……ヴィット商会を使って強引に奪おうとしたってことか。」
「ヴィット商会に医療事業以上の儲けが出る話を持ちかけたようですね。その情報と引き換えに両親のことを依頼したのです。……けれど、肝心の母は亡くなり、白豚とヴィット商会が得るはずだった利益もルグル会に横流ししたので、彼らは結果として損をしたんじゃないですかね。」

白豚子爵が持ちかけたのは、ゴーティエ領の防衛と資源採掘に適した未開の地の開発だった。スレン地方との境付近の山中にあるそれを見つけた白豚子爵は、ヴィット商会を援助し開発させることで利を得ようとしていた。けれど元々その地の価値を両親から知らされていたリルメは、何も知らないふりをしてルグル会にその地のことを吹き込み、手早くその地の利権を得させた。白豚子爵が手を出そうとした時には、すでにルグル会がゴーティエ辺境伯の許可を得てその地に着手していたのだ。

「両親を害した跡取りに復讐をし、諸悪の根源の利益を奪い、けれど両親が懇意にしていたルグル会そのものには利益を与え、街の医療体制も安定させました。交渉人の言っていた通り、見事なものでしょう?」
「……。」

確かに、それら全てが事実だとすれば完璧な仕上がりと言えるだろう。出来すぎなくらいだ。

「証拠もちゃんと消してきました。後始末まで完璧だったはずです。」

証拠を消したという言葉に「まさか」と顔が強ばる。そんな自分を見てリルメは苦笑すると、「消したのは証拠であって、証人ではありません。」と軽い口調で言った。

「…貴族が関わるような…それも機密に近そうな情報を得てるくらいだ。情報源はもちろん、それを集めるまでの行動を、誰にも気付かれなかったわけがない。」
「情報源は日頃から交流のある人が殆どだったのでリスクは差程ありませんでしたよ。白豚とヴィット商会の密約に関しては、両親との商談を担当していた女性に教えていただきました。」
「……どうやって?」
「言ったでしょう、手段は選ばなかったと。」
「それは、」
「脅したり傷つけたりはしていません。ただ少しばかり口が滑りやすく…いえ、寝言が増える薬ですね。それを何度か使っただけです。」

うとうとしている間にあれこれ喋ってしまう薬だと、虚ろな笑みを浮かべるリルメに口元が引き攣る。
なんて恐ろしい薬を作っているのか。もちろん出回っているような薬じゃないので安心してください、なんて言われても、その薬の危険性を考えると全くもって安心などできない。
切り替えるように頭を振って薬のことを追いやると、なんだか頭痛がしてきた。

「情報源が無事に生きているとして…消した証拠は何なんだ?」
「両親が残していた情報や、自分がまとめた情報の走り書き、薬作りに使ったものの大半、ですかね。それらを実家ごと燃やしました。」
「…は!?」
「……自分のなかで復讐に区切りをつけた以上、あの街にいる理由もありませんでしたから。哀れな遺族のまま立ち去るためにも、家を失う必要があったのです。」

復讐のあらましをそう語りきったリルメは、やはり過去の感情を晒しはしないままだった。首を傾けて「さすがに引きました?」とおどける目に光はない。
仄暗い静けさの奥には、復讐を遂げるための苛烈さがあったのだろう。それを押し隠して哀れな人間を演じきった彼女が、あの絵画の女に似た微笑み方をする理由をやっと理解した。失意の底にいたことも悲嘆に暮れていたことも喪服を着て花を捧げていたことも、それを経て覚悟したことも手にしていた明るい未来を切り捨てたことも、彼女の過去の事実だからだ。

「……引きはしねえよ。」

そして今は、復讐心が燃え尽き生きる理由も気力もなくなって。だから「静かで平坦な時間を過ごしたい」なんて言うのだ。一仕事終えて疲れきったような人間は、憎むべき交渉人に過去を暴かれてどう思ったのだろう。

「リルメ、」
「…なんでしょう。」
「ありがとな。…聞けてよかった。」

そう告げた自分に彼女は少し沈黙して、こちらこそと呟いた。足音に掻き消えそうなそれが上擦っていたような気がして、リルメの半歩前を歩くことにする。
斜め後ろには、どんな顔の人間がいるのだろう。顔に感情が出ていようがいまいが、振り向いてそれを確かめるわけにはいかなかった。きっと、自分のほうが酷い顔をしているから。