私の名はリルメ、姓は無い。
セイロス聖教会の最高責任者である大司教レアの養女となって20年足らず。
当初は得体の知れない子供が教団の姫のように迎え入れられることでゴタゴタしたようだが、唯一全てを知っているであろう大司教レアが「主の御導きでしょう」の一言で押し切ってしまった。様々な憶測が飛び交うなか、それらを否定も肯定もせず、しかし真相を語る気もないらしいと周囲も私も理解して何年経ったことか。
聞いても無駄、知る必要もない。そう諭されているうちに、いつの間にか自身の出生への興味も失せていた。
『全ての教徒が敬愛する素晴らしき指導者レア様のような存在になれ』
養女として物心つく前から何度もそう言い聞かされてきた。
あなたはそうなれる素材を持っているし、周囲が相応しいものを与えていくので、真摯に励むことで明るい未来が開けるはずだ、と。
ある時期までの私の教育は、今思えば随分と閉鎖的で偏っていた。同世代の子供達との接触を断ち、教団の外との関わりを一切持たないまま、知識と作法と信仰心ばかりを詰め込まれる日々は、純粋培養という名の洗脳だったのだろう。
( ……その結果が、素晴らしき指導者には程遠い"不肖姫"なのだから、教育熱心だった彼等が報われず失望するのも頷ける。知ったことではないけどね )
言うなればそれは、希少な種から大輪の美しい花を咲かせるため、土壌を整え聖なる水を撒き高価な肥料を与えたのに、花は咲くことなく不和という名の毒を齎すようになってしまったようなもの。
だから、せめて、より一層に"良い実"をつけるようにと望まれている。
( ……そこは、私も理解している。大司教の養女という存在に価値をつける手段は最早それしかない…そう思われるのも仕方のないこと )
納得はしてないし結婚する気もないが、今年の生徒達は好条件の相手が些か揃い過ぎている。こんなことは、確かにこの先そうそうないだろう。少なくとも私の適齢期の間は。
となると、
( ……今年度の貴族の男子生徒の名と出身、それらを全て覚えるまで軟禁されるくらいだものね…)
数人がかりで部屋に押し込まれ、女性修道士に見張られながら書面と絵姿を睨むこと数時間。時折の休憩と食事、浴室関連以外の時間は全て情報の暗記に費やされた。幼い頃の教育を彷彿とさせるその徹底ぶりに、うんざりする反面、やはり少しだけ悲しかった。
( ……私は本当に、彼等にとって疎ましいものでしかないんだな… )
関心を持てない、好きでもない相手になら、どう思われようと構わないはずなのに。そして、それは間違いなく自分の欲求を優先した結果であり、それを曲げないゆえの自業自得な疎外であるはずなのに。
それでも少し悲しいだなんて、身勝手な言い分だとはわかっている。
( ……別に、何もないわけでも、誰もいないわけでもないのだから…この手にあるものの中でやっていくしかないけど、 )
この手にある数少ないものの中のひとつには、アビスで過ごす時間があった。
毎日のように地下に降りては遊んだり働いたり学んだりと、実に満ち足りた時間を過ごしていたのだ。それが今や休息日にしか行けれないだなんて、もう既に寂しさと退屈さで心が折れそうである。なぜ大修道院の犬猫は日がなゴロゴロしてられるのか心底謎だ。
平日は掃除や料理の当番を終えると、聖歌だとか信徒への説教だとかには関わらないので、あとは自由時間となる。大修道院に併設された温室や孤児院に顔を出すことはあるが、それも毎日の義務ではない。
「……あ、エーデルガルト皇女」
ふと回廊にその姿を見つけた。
白く輝く髪を靡かせ悠然と歩む姿は、やはりこれまでに見たどの生徒達よりも特別だ。どこかで、エーデルガルトという皇女は第九子であるという話を耳にしたような気がするが、きっと勘違いか気のせいだろう。事実だとしたら第一位継承者であるという噂に猛烈な不自然さが出てしまうのだから。
( …あの従者は……宮内卿の嫡子だったか )
名は確かヒューベルト。軟禁されてまで覚えさせられた名前だ。早々に忘れていなくてホッとしたが、彼は本当に学生なのだろうか。絵姿を見た時から疑問だったが、実物は更に嗄れて見えてしまう。
「……ここにいたか…、っ」
不意に声がかかって振り返る。低く濁る声の壮年の男性で、名は覚えていないが司祭のひとりだろう。汚れひとつない聖衣に丸くなった腹が乗っている。
司祭は声をかけてきておきながら僅かに竦んでいたが、すぐに気を取り直して 「フン」と鼻を鳴らした。
「さるお方がお待ちだ。すぐに来なさい」
「……唐突ですね。どなたが何の御用でお待ちなのですか?」
「どうせ怠惰に過ごしていただけならば何でもよかろう。お前のような者が疑問を持つことすら烏滸がましいとわからぬのか。いいから、ついてこい」
そう言ってこちらに手を伸ばした司祭を躱して「わかりました」と睨みつける。触れるなという意思は伝わったのか、白けたような目をした司祭が踵を返した。
そして、ついたのは中庭だった。
鮮やかな植え込みには瑞々しく揺れる葉と仄かに香る花が咲き誇る。荘厳な造りの大修道院において、ここはどちらかといえば素朴な造りの庭園だ。お茶会のためのテーブルがやベンチ、別の区画には不思議なモニュメントもある。
普段ならば生徒達の賑やかな声で満ちているのだが、今はなぜかひっそりと静まり返っていた。
( ……まさか、 )
いつもと違い中庭に生徒は二人しかいない。姿勢正しく席につく男子生徒と、その背後に立つ従者らしき男子生徒。テーブルにはお茶の準備まで。
「……これは…?」
「見ての通りだ。ファーガス神聖王国の王子と顔合わせの場を作ってやったのだよ」
「は?」
「普段と違いすんなり付いてきたのだ。お前もその気だったのだろう?」
「いや、……、」
疑問を持つことを烏滸がましいと言いながら、この状況を望んでいたかのように言われても……と否定しかけて、ぐっと口を噤む。さすがに王子に聞こえる位置で、それを否定するのは不敬だろう。それみろと言わんばかりの司祭の顔が非常に鼻につくが、しかし、王子と目も合ってしまったのでもう腹を括るしかない。
「…………そうですね、とてもありがたいです。王子のお目にかかれるなんて大変光栄です」
「ふん、卑しい奴め。せいぜいその面でうまく…」
「機会を設けていただけたこと、感謝いたします。しかし、あなたにとっては僅かであっても、王子にとっては大変貴重な時間を頂いているのです。後は私にお任せくださいますか」
泰然と告げて「邪魔」と小声で付け足せば、司祭は顔を赤くして戦慄き「この不肖姫が」と揺れる出腹を抱えて立ち去っていった。
溜め息を堪えつつ王子に振り返り、ゆっくりと教えこまれたように頭を下げる。
「申し訳ございません、大変お見苦しところを…」
「いや、構わない。頭を上げてくれ」
頭を上げて王子を見据えると、彼は僅かに目を丸くしてこちらを凝視した。ちょうどいいので私も王子をしっかりと観察しておく。品のある型の金髪に、整った顔立ち。青い瞳は暖かな陽射しの下にありながら、なぜか雨の空を思い出すような色合いだ。
彼は席を立ち歩み寄ると、優雅に一礼して微笑んだ。
「……俺はディミトリ=アレクサンドル=ブレーダッド。そして彼は従者のドゥドゥーだ。君の名を聞いても?」
「私はリルメと申します」
「ああ、そんなに固くしないでくれ。ここでは王子ではなく、ただの生徒でいるつもりなんだ」
爽やかな苦笑だ、美形には非常に似合う。気さくなその言葉にチラリとドゥドゥーを見てみた。焼けた肌とやたら高い背丈の彼は、どこの出身なのだろう。読み難い無表情のドゥドゥーは、私の視線に浅く頷いて返した。本人も従者も良しとしているなら問題はない。
「……では、遠慮なく」
肩の力を抜いてふうっと息を吐けば、王子ことディミトリもホッとしたように微笑んだ。
「えっと……ディミトリ、様?君?」
「好きに呼んでくれ。なんなら呼び捨てでもいい」
「わかった、ディミトリ」
「はは、順応するのが早いな」
「投げ出すのは得意なの。ところで、こんな場に来てくれたってことは……周りからいろいろ言われたのかもしれないけど、ありがとう」
私の立場はセイロス聖教会大司教の養女だ。セイロスの紋章やら何やらの特典もついているので各国にとってもなかなかに高位な縁談相手である。聖なる教会として大っぴらにはしないものの、修道女でも大司教後任でもない私はどこぞと縁をつくるための駒だ。
「いや……リルメの方こそ急なことだったのではないか?」
「大丈夫だよ、私は退屈してたから。ディミトリの都合は問題ない?」
「ああ、俺は事前に聞いていたからな。大修道院に来る前から、その……心構えはしていた」
「うん?別に顔を合わせたからって縁談が進むわけじゃないから安心して」
「あ、い、いや…そういうのではなくてだな……」
ふいっと視線を泳がせたディミトリに首を傾げたが、彼の向こうにあるテーブルを見て思わず目を眇める。
白く艶のあるテーブルクロスの上には、青磁色の茶器。心ばかりの焼き菓子とポットを中央に、ディミトリ側の席と私側の席にそれぞれカップが伏せて置かれている。
「………ちょっと、失礼するよ」
ディミトリとドゥドゥーに視線で問いかけて、そっと茶器に触れる。ディミトリ達はまだ触れてなさそうだ。
( ……まさかとは思うけど…、 )
懐から手拭きと小さな薬瓶を取り出し、白い手拭きに透明の薬液を染み込ませる。ディミトリが使うであろうカップを持ち、彼に視線を向けて首を傾げた。
「……消毒を兼ねて、調べてもいいかな。ディミトリは王子様だから何事もないはずだけれど、念の為」
「………その必要があるのか」
「私にはあるんだ。教団はあなたには無害だけれど、」
私と茶席に着くということの意味を、知らしめておくべきだろう。
さすがに一国の王子様とお茶会はしたことなかったが、このような機会を勝手に作られたのは初めてのことではない。そしてそのような機会が平穏無事に終わらないことも度々あったのだ。
「必要なら後で別の物を用意するから、調べさせてね」
何か言いたげなディミトリと険しい表情のドゥドゥーを一瞥して、薬液を染み込ませた手拭きでカップを拭う。口をつける縁を拭ったそれは、白い手拭きのまま色を変えなかった。
「……これは大丈夫」
カップをソーサーに戻して、次はポットを手に取る。そこからお茶をぽつりと滴らせたが、それでも手拭きの色に変化はない。
「お茶もだね。やっぱり、ディミトリ達には無害なもののようだよ」
そして今度は自分が使うであろうカップを手に取る。ふわりと、僅かに香った甘さに、口元が思わず嗤った。
「………見ていてごらん」
ディミトリとドゥドゥーに見せつけるようにカップを持ち上げ、白いままの手拭きも示しておく。そして口をつける部分に手拭きを当て、一回り、スーっと滑らせる。
手首を返して、そっと手拭きを開き見せた。
「……っ、色が…」
白い手拭きは、拭き取った箇所が淡い桃色に染まっていた。
長く晒すようなものでもないからと手拭きを懐にしまいながら、上目にディミトリを見遣る。顔を強張らせた彼はハッとしたようにこちらの視線に気付いた。
そこに疑念や忌避感はなく、それどころか気遣わしげにも見えて、そんな彼を素直に好ましいと思った。
「……毒、なのだろうか」
「そこまで酷いものではないと思うよ」
「度合いの問題か……?というか、何を仕掛けられていたんだ」
「さあ、それは調べてみなきゃわからないかな」
毒の有無を調べる為の薬液は、酒精を元にした魔法薬の一種だ。様々な規則や基準はあるが、指定した有害物に反応するよう作られている。
白い手拭きを淡い桃色に染めたそれがどのような反応なのかは、もちろん理解している。しかし、わざわざ初対面の王子に解説するつもりはない。
「でも……まあ、珍しいことではないし、死ぬようなものでもないから、」
「だが、許すべきではないだろう。どのような理由があり、どんな風に作用しても、それはお前にとっての毒であるはずだ」
私の言葉を遮って首を振ったディミトリは、痛ましげな表情で低く呟いた。
リルメという人間が嫌煙される理由は知っているが、しかしこの陰湿なやり口はいただけない、とでも思っているのだろうか。
多少であれ害意は毒だと断じて忌避する彼は、少し人が良すぎるのかもしれない。
「……この程度の毒は、もう気にならなくなったからいいんだ。けれど、ディミトリは覚えておいてね。私という人間の立ち位置と、ほんの一部だけど、こういうことをする人間がいることを」
ディミトリはファーガス神聖王国の王子であり、ファーガス神聖王国はセイロス教を国教としている。双方に信頼関係があることが理想だが、この程度の注意喚起はあってもいいだろう。
「お前が、その…不肖姫と呼ばれていることは知っている。信仰心がないのだと聞いているが、それはなぜだ?」
「信仰心がない理由、ねえ……これでも、女神が存在したこともその力も信じてはいるんだよ?」
「そ、そうなのか?てっきり存在を否定しているのかと…」
「まあ、どっちでもいい、というのが正直なところかな。天から見守る存在として、誰かが心の拠り所にするだけならいいと思うんだ」
星に願いをかけるような信仰であれば、どれだけよかったか。他者へ教えを強制せず、その威光を振りかざすこともなく、ただ美しいそれを見上げるだけの信仰であれば私も反しはしなかっただろう。
( ……宗教とはそういうものなのかもしれないけど、セイロス教は何でも主やセイロスを理由にしようとする )
赤子の私を教団に連れて来た大司教は「この子は女神からの贈り物だ」と言った。出会いは主の導きによるもので、奇跡や恩寵は主の加護である、と。
「セイロス教は……自然とか太陽とか動植物とか、目に見えるものを恩恵として祀り上げるわけではない。女神という意思を持つ偶像を祀りあげているからこそ、それを利用した歪みは生まれるし、人は引き寄せられて肥大化する」
「……お前は、教団の在り方が好まないのだな」
「……さてね」
意外にも鋭い言葉を返し、しかし寛容にも頷いたただけのディミトリに、口元で笑みを象った。
今言ったようなことを教団の人間の前で吐き出せばそれはそれは猛烈な反発がくるだろう。ファーガスはセイロス教を国教としているためディミトリは幼少期からその信仰に触れていて、前述のような思想を持つ私を嫌煙してもおかしくないのに。
「……で、何だっけ。顔合わせで呼ばれたんだっけ、お互い」
「あ、ああ。そうだな。お前も座るといい」
もう顔合わせという目的は果たした気もするが、社交辞令であっても勧められてしまえば、こちらは断るわけにはいかない。
「率直に言ってしまえば、お見合いみたいなものなんだよね、これって」
「…お見合い、か」
座りながらそう呟くと、ディミトリは僅かに目元を赤くして視線を下げた。王子ならばお見合いなんていくらでもしてきてそうだが、彼は違うのだろうか。ディミトリの叔父が摂政としてファーガスを取り纏めているが、時が来れば王になるのは間違いなくブレーダットの紋章を持つディミトリだと聞いている。他に競合相手がいれば強力な後ろ盾になりうる婚約者も必要だろうが、彼の地位が確立されているのなら未だ必要ないのかもしれない。
「大修道院で、婚約者の候補を見繕えとか言われているの?青獅子の学級にも何人か貴族の女の子がいたよね」
「まあ…それとなく勧められてはいる。そういう話を周囲から持ち込まれることもあるんだが……必要だと理解していても、その手のことが苦手…というか、何と言うか…」
「……誰かひとりと決めて、その相手を大切にしなきゃならないのが義務だとしたら、憂鬱になる?」
少なくとも私が結婚を嫌厭する理由のひとつはそれだ。ディミトリがそうだとも限らないが、私の言葉に彼は緩く頷いて見せてくれた。
「……ああ。誰かにとっては打算でしかなくても、当事者にとっては…相手にとっては人生を大きく左右することだ。一国の王となるのだから愛だの何だのと言うつもりはないが…」
「王だって多少の情は持つでしょう。自分の利のために選んだ相手なら、せめて不幸にはしたくないと思っていいし、そもそも好まない相手を選びたくもないって思っていいんじゃない?」
「……そう、だな」
お互いに得体の知れない曖昧な笑みを浮かべる。ディミトリの青い瞳はどこか鬱屈した翳りをたたえていて、それに興味こそ湧かないが、正直、安堵はした。
「じゃあ、決まりだ」
「何がだ?」
「この顔合わせの結果は、今のところご縁が無かったようだ、ということで」
少し目を丸くしたディミトリは「随分あっさりしているな」と苦笑した。そして「では」と声音を改めて、整った顔を柔らかく緩めた。
「その手のご縁はさておき、友人ならどうだろう?」
「友人?」
「ああ。一年は大修道院で共に過ごすのだろうし、せっかく知り合ったんだから…と思ったのだが……駄目、だろうか…」
( ……うわ、あざとい )
凛々しい顔をちょっと悄げさせただけで大変ずるい顔になっている。何にでも頷いてあげたくなるような顔、とまではいかないが、多くの女性を絆す表情だと思う。……異性にこんな事を思ったのは初めてかもしれない。
「友人という肩書きの必要性がわからないけど……まあ、お好きにどうぞ」
なんとも可愛げのない返事をしてしまったが、ディミトリは満足したように頷いて、これからよろしく頼むと手を差し出してきた。
そういえば、こんな風に誰かと知り合って「これからよろしく」と握手をしたことなんて、これまで殆どなかった。それを思うと、妙な苦味が舌の上に滲んだ。