冬の女王


ディミトリとの顔合わせを終えた。
彼は私が愚かで怠惰な不肖姫と呼ばれていることを知ってなお、偏見のようなものを然程見せず、もちろん嫌煙することも蔑むこともなく握手をしてくれた。

貴族の大半は「教団がそのように扱っているなら自分もそれに準じた扱いをしていいのだろう」となりがちだが、ディミトリはそうではない少数派のようだ。育ちの良い王子だからだろうか。

( ……公平な人、ではあるんだろうな )

ディミトリはダスカーの悲劇の生き残りだと聞いている。もしかしたら少し風体が異なるドゥドゥーはダスカーの人間かもしれない。
いろいろ考えてみれば、彼が善良なだけの人間でないであろうことは想像がついた。そもそも一国を背負う王の子であるのだからよくも悪くも深く多面的であるべきなのかもしれない。

( そして……たぶん、弱者に優しいひとでもある )

毒を盛られたのが私であったと気付いた時の気遣わしげな顔を思い出す。ドゥドゥーの表情は一見変わりづらいようでいて、その目は顕著に警戒心を見せていた。それなのにその警戒心を私自身には向けなかったのだから、きっとドゥドゥーもディミトリに近い気質なのだろう。

( ……優しい人にこそ、近付いてはならない )

一度も口を付けられなかったお茶は、盆に乗せられたまま静かに香る。
こんなことはこれっきりじゃないのだ。これまでもこれからも私に付き纏う悪意で、それに慣れてしまった私は相手にせずやり過ごすことを身に付けた。しかし誰かを巻き込まれては堪らなく面倒なのだ。ディミトリのように立場があるくせ弱者を気にかける人は、そこに善意があるからこそやりづらい。生徒は各国からの預かりものだし、王子ともなれば尚更、無事に国に返さなければならないものだ。
私達は友人になったらしいが、やはり仲良く過ごすのは控えるべきだと、そっと溜め息を吐いた。



「よお、ちょっといいか」


不意に正面からかかった声に顔を上げれば、褐色の肌と翡翠色の瞳が目に写った。親しみやすそうな笑みを浮かべているのに、不思議と警戒心が生まれる。


「…何でしょう」
「俺はクロード=フォン=リーガン。ちょっとあんたに聞きたいことがあってね。それを持ってもいいかい」

と聞きながら返事も待たずに持っていた盆をクロードは攫っていった。なにやら釈然としない気持ちだが礼儀として「どうも、リルメです」と素っ気なく返す。

( 王子の次は次期盟主か……さらっと挨拶だけすませた後は、クロードに盆を返させて自分はとっとと部屋に帰ろう )


「いやあ…それにしても、リルメは噂以上の美人だな」
「……どうもありがとう」
「その心にもなさそうな冷たい声といい、雪原のような髪といい、まるで冬を司る女王のようじゃないか。……そう白けた目を向けないでく…、いや、そんな薄緑の瞳も霜が降りた柊のようだな。ああ、別に柊の葉のように刺々しい目だと言ってるんじゃない。冬の女王は春が近付くと瞳の色を優しい緑に変化させるらしくてな……」
( ……よく喋る人だな )


クロードは幼い頃にどこかで聞いた冬の女王の話をしてくれた。雪原のような銀白の髪と氷のように硬質な青い目をしていて、寒い冬を堪え忍んだものに奇跡のような褒章を授ける、美しいお化けのようなものらしい。
絵姿などを見たことがあるわけではなく話に聞いただけの空想の存在だが、もし現実にいるとしたらリルメのような美女なんだろうと、クロードは笑う。


「……冬の女王、ね。初めて聞いた」
「大修道院は各地からいろんなものが集まると聞いているが、そういうお伽噺とは確かに縁がなさそうだ」
「セイロス教に関係ないものは思想に反するかもしれないからね。ここにあるものは基本的に篩にかけられたものだけだよ」
「篩……」


そりゃあ怖いな、とクロードは肩を竦めて何でもないことのように呟く。その飄々とした言動といい、冬の女王の話といい、どこか一歩引いた位置にいるようだなと、なんとなく感じた。
こうして隣を歩き気さくに話しかけてきているようでも、その目はしっかり周囲とこちらを客観的に注視している。

( ……周囲の視線に気付いても、なるほど疎まれているというのは本当らしいと頷くだけで、ディミトリのように気遣う素振りはない )

とはいえそういう態度は珍しいものでもない。一服盛られた私を真面目に哀れんで「友人になろう」などと宣ったディミトリが珍しいだけなのだ。
クロードのように私の言葉や周囲の反応から情報を集めているだけの人間はこれまでにもいた。そういう人間の思惑に付き合う義理もないので、これまで通り無愛想な声音を意識して「…で?」と首を傾げた。


「私に聞きたいことって何?」


クロードが冬の女王のようだと言うなら彼には徹底して冷たくなってみてもいいのかもしれない。まあ奇跡のような褒章は授けられないが。


「さっきまで王子様といただろ?その時に毒を検出したように見えたんだが」
「……どこからどこまで見てたのか気になるけど、覗いてたんだね」
「のぞ…っ、」
「今こうして声をかけてくるまでは、私をこそこそ付けてたの?」
「ち、ちが……いや、やってることは違わないんだが、ちょっと待ってくれ」


どこか胡散臭い笑顔の男だが、不審者扱いされるのは心外なのか。クロードは項垂れて首を振ると、そのまま横目でちらりと窺うように私を見上げる。


「……心を折りにかかる目だな…いや、覗いたのは悪かったよ。偶然、人払いされた中庭にディミトリがいるのを見かけてね。すぐにリルメが来たから、その……見とくべきかもしれないと思ったんだ」


素直な謝罪なのだろうか。その横顔をじっと見れば居心地悪そうに顔を逸らされた。あー、だの、いや、だのと口篭る横顔になんだか警戒心も少し抜けて、「まあ、いいよ」と言ってしまった。正確にはどうでもいいよ、だが。見とくべきだと思った、という言葉に納得したのもある。


「別に見られて困るものでもないし」
「じゃあ、聞かれて困るようなこともないのか?」
「なかなか図々し……切り替え早いね」
「過去は引き摺らないようにしているんだが、もう少し反省して見せるべきか…」
「いいよ、どうでも。で、何を聞きたいの」
「つれない態度だが流してくれるのは有り難いね。聞きたいのは、さっき使ってた液体のことだ。何かしらを検出しているように見えたんだが……あれは、どこに売ってるんだ?」
「ああ…あれは売り物じゃないよ」
「そうなのか?大修道院の城下には商人も多いと聞いていたんだが……」
「まあ、人も物も集まる所だからね。セイロス騎士団が目を光らせてるから、きな臭いものはないだろうけど、似たような液体は探せば城下にもあるんじゃない?」
「だが、お前が持ってるのは買ったものじゃないんだろ?」
「私のは……貰い物だね。だから分けてはあげられないな」
「そりゃ残念だ。なら、誰から貰ったのかだけ教えてくれないか?」
「これをくれるのは、あなたの知らない人だ。けど、私の大切なものなんだよ。よく知らない相手に売るわけにはいかないね」
「……なるほど」


この薬液は、作ってくれる人達はもちろんのこと、作り方やその知恵を授けてくれた人の記憶も含めて大切なものなのだ。
安易に他人に触れさせられないが、それでも先程 人前に出したのは相手がディミトリだったからだ。こちらから「こういうことがあるから注意しろ」と一線を引くためであり、その一線の向こうを興味本位で覗かなさそうな生真面目さがディミトリにもドゥドゥーにも見てとれた。結果として彼等は薬液よりも毒を盛られた私を気にしたようだが、それはひとまず置いておく。

( ……大切な人達だから、他人にその秘密を暴かれるのも利用され使い倒されるのも御免だ )

どうにか交渉しようとしているのか、はたまた全く別のことを考えているのかわからないが、黙りこんで思案するクロードを横目で盗み見る。
肌の色といい髪を結ぶ装飾品といい冬の女王の話といい、ここまで顕著に異国を感じさせる人も珍しい気がする。これが同性であれば歩み寄ってその思想や知識を掠め取りたいものだが、裏を感じさせる異性だと面倒でしかない。

( ……でも、餌になるものは必要かな。あまり探られるのも煩わしいし )

懐から先程使った手拭きを取り出す。カップの淵を拭ったところは淡く色付いていて、微かに甘く香った。


「どうしても気になるなら、こっちをあげるよ」
「ん?」
「そのかわり、あんまり関わらないでほしい」


こちらの無礼な言い方に、クロードは息を止めたように固まった。しかし彼に対しては話に聞く冷たい冬の女王でいようと思うので、クロードに弁明も謝罪もしなければ愛想笑いのひとつも渡さない。クロードの持つ盆に手拭きを置いて彼の承諾も得ないまま「そういうわけで、よろしく」と背を向けた時。

「ちょ、おい…っ」
「リルメ様」
「……あら、ウィリアム司祭」
「ご歓談中に失礼いたします。大司教がお呼びです」

ちょうどいいその言葉に頷いて、ウィリアムと挨拶もそこそこに立ち去る。後ろから視線が突き刺さったが、関わらないでと頼んだのだから今後は急に声をかけてくることもないだろう。







クロードはレスター諸侯同盟領の次期盟主と想定される立場で士官学校に入学した。貴族だから、というのもあるが、ある程度の権利と義務を手にしている。
その権利を行使してガルグ=マク大修道院の知識や噂は頭に詰め込んできた。ガルグ=マク大修道院の不肖姫についても、義務が伴うものなのでもちろん聞いている。

( 大司教の養女…リルメ、ね )

大変希少なセイロスの紋章を持ち、その容貌から大修道院の姫のように養育されてきたと聞く。セイロスの紋章を継いできた帝国のフレスベルク家は明確にリルメが庶子ではないことを表明したそうだが、その真相はやはり定かではない。大司教自らが養女として彼女を保護したくらいだから、その出生には相応の事情があるのだろう。

そんな彼女は結婚相手として価値が高いらしく、自分も「絶対ではないが考慮するように」と言われている。

( ……教団に属しながらも、女神に仕えることなく怠惰に過ごす不肖姫。その出生はさておき、狭い世界の中の異質な存在、という意味では興味もあったが… )

自身の生い立ちを思い起こさせる彼女の立場の、その理由には確かに興味があった。


クロードは与えられた立場の名前こそ立派であったが、その身に流れる半分の血という、自身ではどうしようもない理由によって傷付けられた過去がある。異境の者の血を引いていたからこその孤立があった。

それに対して、リルメはどうだろう。
その身に流れる血は曖昧なまま、しかしその身に宿す紋章によって大司教の養女という立場を与えられた。衣食住や安全を保証されたそれは一般的に見れば恵まれたものだ。

( ……ディミトリは教団の在り方が好まないのだろうと指摘していた )

本当にそれが彼女の孤立の理由であれば、それはクロードの孤立とはまるで違うものだ。どうしようもなかったクロードとは違い、リルメは教団から背くことを自分で選んでいる。

それでも大修道院に居座るのは、紋章を狙われる危険があって自ら留まっているのか。それとも紋章を利用したい者達の思惑で留められているのか。
その辺りはわからないしあまり興味もないが、今のところリルメのことは嫌いじゃなかった。

( 恐らく、リルメの望む信仰は俺の故郷にあるものに近しい )

孤立に折れることなく、そんな思想を初対面の王子に口にできるくらいには頑なで…いや、向こう見ずとも言うのかもしれないが、その意地の強さは良い。相手が何者であろうと手札を簡単に明け渡さない警戒心も悪くない。敵を作りやすい態度だとは思ったが、毒を盛られたことから考えてもリルメが必要以上に武装してしまうのもわかる。

( ……しかし、関わらないでほしい、か。これは少し、手痛い失敗だったかもな )

薬液を用意しているのは大切な人だと言っていた。そこに触れようとしたクロードを突き放したのは致し方ない。それだけ大事なものなのなら、好奇心だけで無闇に手を伸ばしてはならなかったのだろう。
だが、あの薬液の出来次第ではその大切な人とやらにも興味を持ってしまいそうなのだ。もう少しリルメと距離を詰めて信頼を得てからならば、そこに触れられるだろうか。


「……ん?」

ふと、寮の廊下の窓から見下ろした先にリルメがいた。その横には司祭らしき服装の若い男がいる。先程の、ウィリアムと呼ばれていた司祭。

( ……隣… )

ウィリアムはリルメの隣に立ち、聞こえはしないが会話をしているようだった。大修道院では孤立気味な彼女にも、少なからず交流する相手がいるようだ。あの司祭はリルメの大切な人とやらを知っているかもしれないので、顔と名前は覚えておこう。
そうして自室に戻ると、早速貰った手拭きを広げた。

( ………まさか、 )

あれこれと調べて、あの薬液に見えた物の正体がわかればと思ったのだが。淡く色付いたそこを嗅いでみただけで、少なくともリルメが盛られた薬の正体は判明してしまった。

( これはたぶん……媚薬、だな )

クロードには薬や毒の知識が多少はあるが、そうでなくても、これは貴族ならば大半が知っているはずのものだ。
政略結婚などを経て初夜を迎えた際に用いられる薬。殆ど知らない相手だったり、随分年の差があったりしても、結婚すれば果たさねばならない責務。その際に緊張を解し心を緩める作用があり、もちろん欲求を昂らせる効果もある。主に女性側が飲用するもので、痛みを緩和し相手を受け入れやすくなるような酩酊状態にする為の薬…らしい。

( 普通、一国の王子との顔合わせでいきなりこんなことするか? )

人目もある大修道院の中庭での初対面、しかもディミトリは従者まで連れていたのだ。仮にリルメが媚薬の影響を受けたとしても、間違いは起きなかっただろう。介抱するにしても、あの生真面目そうな主従ならば女性を呼んで対処させる。王子達の汚点になるようなことは、あろうはずもない。
しかしリルメはどうだろう。
酩酊して一国の王子に醜態を晒すことになれば、それだけで「初対面でいきなり王子を誘惑したはしたない女」とされるに違いない。大司教の養女という立場でありながら、そんな不名誉を教団が望むのだろうか。

もしくは、そこまで薬が作用せず、ただリルメがディミトリを受け入れやすくなるだけだったなら、どうか。あの素っ気ない態度ではなく、心を緩め好意的な態度になった彼女ならば、ディミトリは気に留めるかもしれない。あの王子は案外初心な部分もありそうだったし、そうなれば話は早い可能性もある。

( ……ま、そこはいいか )

教団のそういった思惑は今は置いておこう。気に入らなければリルメは自力で回避できるのだろうし、クロード自身も利用されないよう気を付けていればいい。

「……さて、どうするかな」

媚薬のせいで、あの薬液の正体は掴めそうにない。こんなものを嗅いで自分まで崩れるわけにはいかないのでと、少し考えて、紙と布に包み込んで仄かな甘い香りを遮断する。

換気のために窓を開ければ、大樹の節らしい陽射しと、冬を終えたばかりの少しひやりとした空気が流れ込んだ。


( ……冬の女王の話をするつもりはなかったが、 )

しかし、あの容貌を見ると幼い頃に故郷で吟遊詩人から聞いたそれを思い浮かべてしまったのだ。冬の女王は吐息さえ凍りつく冷たい空気を纏うが、触れれば溶けて消える雪のように儚く、極寒の中で見る暖炉の幻のように恐ろしく美しい…らしい。もちろんリルメがその通りのものとは言わないが、近しいものを感じてしまったのだから不思議で仕方ない。堪え忍んだ者に奇跡のような褒章を授けるものだ、なんて。