運命の出会いではなく、求めていた
「見つけた」
ぽつん、と。静かな湖面に落ちた滴のような声だった。
それはこんな静かな場所で、足音も気配もなく近付かれたからだろうと気付く。僅かに警戒しながら振り返ると、深く澄んだ瞳に目を奪われた。
どちらさまだろうか。隙のない立ち姿に怯みつつ言葉を探していると、彼は「ああ、」と気付いたように姿勢を改めた。
「はじめまして。自分はベレト=アイスナー。金鹿の学級の担任になったので、よろしく」
「え…ああ、どうも……私はリルメです」
躊躇いなく差し出された手に釣られて、ついその手を取ってしまった。ひとつ頷いたベレトは私の手を離すとなぜか「よかった」と呟く。
「よかった?」
「生徒や先生達とは挨拶したのに、リルメとはまだできてなかったから」
「え…もしかして、全員と…?」
「?ああ」
無表情で淡々と喋る様には社交性など全く見えないのに、なんという行動力だろう。とりあえず挨拶して回っただけなのかもしれないが、とても私にはできないことだ。素直に驚いてすごいと思えてしまう。反抗期かもとかぐれてるかもとか勝手に推測して申し訳なかった。
「リルメは生徒?」
「え、いや…」
「では、教師?」
「でもないですよ。強いて言えば、居候?」
「……フレンみたいな?」
「彼女はちゃんとお務めもしてるようだし、正当な修道士に近いと思います」
「おつとめ、」
「祈りとか説経とか奉仕とか、いろいろ」
ベレトはセイロス教と関わることなく生きてきたと聞いている。初めて聞いた時は、そんな人間がこのフォドラにいたのかと慄いたものだ。
そんな彼にはお祈りだの何だのはピンと来ないのだろう。
「リルメはしない?」
「しませんよ」
「どうして?」
「嫌いだから」
「何が?」
淡々と軽快に言葉が返ってくるせいか、つい余計なことまで話してしまいそうになる。無表情なのに怖くもなく不快感もなく、そのうえ相手の口まで滑らせるなんて恐ろしい人だ。
「……自分には、よくわからない」
何が嫌いなのか答えなかったからか。ベレトは不意にそう言った。
「わからない?」
「ここでの掟や常識が。教師になるのだからセイロス教について学べと言われても…戦いに必要なものなのだろうか」
( そりゃそう思うか… )
そもそも彼は教師となることについてどう思っているのだろう。傭兵のほうがいいとか、ここで過ごすならせめて騎士のほうがとか、思わないのだろうか。
「……まあ、士官学校はただ戦い方を学ぶだけの場ではないですからね」
「そうなのか?」
「ここはフォドラの未来を担う若者達が、フォドラのことと、その守り方を学ぶ場なんです。フォドラの歴史はセイロス教無しには語れないし、フォドラの未来はセイロス教の在り方で大きく変わってくる」
「……」
「今まで教団と関わらず、信仰を必要としてこなかったベレト先生にとっては、理解し難いでしょうね」
ここで育ってきた私ですらセイロスの教えなんて興味ないし、女神に祈ることが何になるのかという考えはずっと消えないのだ。
「………ねえ、あなたは、教師になってもよかったのですか?」
「?それは、どういう…?」
「一般的な教師がどんな者かご存知ですか?生徒を教え導く、なんて一言で簡単に語れる職ではないはずです。まず、あなたが手本にならなければと、あなた自身が矯正される。セイロス教について学べと言われ、見ず知らずの子供達を指導し、守れと命じられる」
「……」
「あなたは、それでもいいのですか?」
私の言葉を黙って聞いていたベレトは、少しして首を傾けると淡々と口を開いた。
「それが任務なら」
「………思考が傭兵のままなのでは…」
「だめ?これでも、興味はある」
「え?教師に?」
「どちらかといえば、生徒に」
それは、いいこと…なのだろう。生徒に関心があるのは最低限必要なことのように思う。
せっかくだから少し教師生活を経験してみようというような気軽さではなく、任務ならば完璧にこなそうという意識の延長にその関心があるのなら、きっといいことなのだろう。
「リルメにも」
「…ん?」
「リルメのことも、知りたい」
「私、ですか…」
「教師になってよかったのかなんて、初めて聞かれたから」
どうやら「本当に彼で大丈夫なのか」と不安がる人や「大司教に任じられたのなら」と渋々認めたり激励したりする人達ばかりで、自分の意思を聞かれたことはなかったらしい。
「……まあ、教団はそういう場所です。自分の意思をしっかり持って、流されすぎなきでいてくださいね。自分を大事にできれば、それで大丈夫です」
「…大丈夫…?」
「ん、大丈夫」
その顔はなんだかまるで、初めて聞く言葉を噛み砕いて反芻しているようだ。どこか幼気な様子に思わず頬が緩むと、目の前の彼も僅かに目元を緩めた。
「たぶん、リルメは変わってる」
「…変わってるって…私の噂、知らないんですか?」
「……不肖姫?」
「知ってるなら、あまり関わらないほうがいいですよ」
「どうして?」
「どうしてって、…きっと嫌な思いするだろうし、あなたの任務に支障がでるかもしれない」
「支障?何か悪いことでもするの?」
「そんなつもりはないけど、とばっちりは受けます、きっと」
「……何かに悪さをされるんだな?」
「……そう。だから、生徒がそういうものに巻き込まれないよう、あなたは教師として生徒を守ってくださいね」
そう言い含めると、ベレトはじっとこちらを見返して首を傾げた。どうして素直に頷いてくれないのだろう。任務を真っ当したいのなら、何者からも生徒を守るべきだと思ってくれたほうがいいのだが……と、困惑していた時。
「先生、ここにいたのか」
「もーっ、やっと見つけた!」
「クロード?ヒルダも、どうしたんだ」
「ハンネマン先生のとこに行ったきり帰ってこなかったから、迷子にでもなったのかと思ったんだが…」
そう言いながらクロードの視線がこちらに向く。隣にいた女の子もハッとしたようにこちらを向いて、大きく目を見開いた。
「…お邪魔だったかい?リルメ」
「いや、お気になさらず」
「すまない。戻る途中でリルメを見かけたからつい、」
「ついってアンタ…」
「やっと声をかけられて良かった。リルメはクロードのこと知ってるんだな。ヒルダは?」
「ああいやあたしまだ話したことなくって!ちょっとどいてクロードくん!」
「うぉっ」
クロードにどんっと体当たりして押し退けた彼女は、私の目の前に立って胸の前で拳を握った。桃色の髪と瞳にほんのり上気した頬がとても可愛らしい。
「あたし、ヒルダ=ヴァレンティン=ゴネリルです!ぜひヒルダって呼んでっ」
「えっと…私はリルメ」
「よろしくね、リルメちゃん!」
「よ、よろしくヒルダ」
ヒルダは私の手をぎゅっと握って華やかな笑みを浮かべた。明らかに浮かれて見えるヒルダに、クロードは「どうした急に、変なもんでも食ったか?」と首を傾げている。
「ヒルダ、すごく嬉しそうだ」
「え〜へへへ、やっぱわかります?」
「わかりやすすぎるぞ、ヒルダ。まるで一目惚れでもしたみたいじゃないか」
「やだクロードくん、リルメちゃんがいくら美人だからってそれは……っは!もしかして、一目惚れしたのはクロードくんなんじゃ…」
「おいおい、何でそうなるんだ…」
会話の流れに若干居心地が悪くなった時、カーンカーンと鐘が鳴り響いた。
「昼食の時間だ、リルメ」
「そうですね」
「食堂に行こう」
ベレトはそう言って、当然のように私の手を引いた。
「え?」
「クロード、ヒルダも一緒に食べよう」
「ちょ、ベレトせんせ…」
「…もしかして、リルメはもう食べ終えてる?」
「そ、そうじゃないけど、」
「じゃあリルメも、一緒に」
( 食堂で?一緒に?なぜ私が?というかさっきの話はなかったことにでもされたのか? )
生徒を守るためにもあまり関わらないほうがいいと言ったばかりなのに!そう戸惑う私の手を掴んだまま歩き出したベレトに続き、クロードとヒルダもついてくる。
「あの、」
「やった、リルメちゃんも一緒だなんて嬉しい!」
「…う」
そんな可愛い笑顔を向けられると辞退しにくくなる。
クロードには「関わらないでほしい」と言っておきながら虫のいい話だが、どうか二人を宥めて制御してくれないだろうかと視線を向ける。それを受けたクロードが目を泳がせて「あー…その、なんだ、悪いな」と呟くのを聞くと、観念するしかなくなってしまった。
◇
リルメの手を離すことなく引いて歩く担任の後ろ姿を眺める。ヒルダは彼女の隣を陣取ってあれこれ話しかけているし、ベレトは何を考えているのかわからない顔のまま。当のリルメはベレトに掴まれた腕を見て困惑しつつ、ヒルダには少しばかり愛想良く対応している。
俯瞰して彼女とその周囲を見てみれば、関わらないでほしいと言った彼女の感情も理解できなくはなかった。
「今日のメニューは何かな〜」
機嫌のいいヒルダの声を聞きながら配膳の列に並ぶと、いつもの食事係がこちらを見て目を丸くした。
「あらあら、リルメ様。今日はお早いのですね」
壮年の女性が穏やかな笑みを浮かべてリルメを見つめている。そしてベレトや自分達に目をやるなり、やたらと嬉しそうな顔をした。
「…まあ、その…成行きで」
「ふふ…でしたら今日は、温かい出来たてのものを召し上がるのですね」
いつもは温かい出来たてのものではなく、冷めたものを食べているのだろうか。それは何故、などという疑問は持つまでもない。
食堂に来るまでに浴びた視線……いや、本当は初めて彼女に声をかけた時から、よくない視線を集めていることには気付いていたのだ。彼女は愚かで怠惰な不精姫と呼ばれているし、そのような人間としてだいたい認識されている。遠くから不快な視線を寄越し嘲笑や悪意の囀りを聞かせ、かと思えば思慕や羨望の眼差しを向けられていたり。そんな様々な思惑の視線を浴びていれば、食事時で賑わうここに来て温かい出来たてのものを食べようだなんて思えないはずだ。きっと時間をずらして人気が少なくなってから食事を取りに来ているに違いない。
「しっかり食べてくださいね」
女性は食事を盛り付けた皿をリルメに差し出して「ごゆっくり」と微笑んだ。遠巻きにしている連中とは違う、安心感を与えるような愛情深いその目に、リルメはたじろぐ様に軽く頭を下げて背を向けた。
( …山盛りだな……って、俺たちの分まで )
リルメの皿と同様に、自分達のぶんもたんまりと料理が盛られていた。担任は目を輝かせているし、ヒルダも不思議そうに給仕と皿を見比べている。
「え、なんかいつもより多くない?」
「良かったじゃないか、それヒルダの好物なんだろ?」
「まあ、そうなんだけど…リルメちゃんは好き?キジの揚げ焼き」
「……好き。デアドラの料理はおいしい」
「おっ」
「だよねーっわかるわかる!」
出身地の料理を褒められただけで、少し気分が良くなる。デアドラとて全てが美味いわけではないが、デアドラ風の香辛料使いは自分も気に入っているのだ。
「デアドラ…レスターの領都だったか」
「そうだ、よく覚えてたな先生。ちなみに我がリーガン家の治める土地でもあるんだぜ?」
「…あ、そういえば」
「てことで、我が領地をお褒めに預かり光栄です、姫君」
わざと恭しく告げてウインクをしてみると、ドン引きされるか冬の女王さながらの冷たい目を向けられる…かと思いきや、リルメは僅かに笑みを浮かべた。
( 笑った…!? )
「行ったことがあるわけじゃないんだけど、水の都を描いた絵を見たことがある。綺麗な所なんだろうね」
「そうそう、海にも面してて景色がすごいんだよー。最近、貝殻を使った小物が流行っててね、それがすっごく可愛いの!」
「貝殻?」
「綺麗な貝殻をそのまま装飾品にしたり、加工して小物にしたりするんだけどね、ほら…なんせ貝殻って自然のものだから 同じ種類のものでもひとつひとつ柄が違ってね、たまーに可愛い模様もあったりするんだぁ」
「可愛い模様…? 貝殻は食用の黒とか茶色っぽいやつしか見たことないからピンとこない…」
「ええっ、そうなの?じゃあ今度見せてあげるね!」
「貝殻を大修道院に持ってきてるのか?」
「ううん、兄さんに送ってもらうつもり」
「おいおい…必需品でもないものをホルストさんに送らせるのか?」
「ホルスト…?」
「あっ、リルメちゃん、兄さんのこと覚えてるの!?」
「う、うん。もちろん覚えてるよ」
二人が兄妹であることに今気付いたらしいリルメが得心したように頷いた。どうやらホルストが士官学校にいた頃、少しばかり交流があったらしい。
「そういえば私と同じ年頃の妹がいるって言ってたけど、ヒルダのことだったんだね」
「実は私も兄さんからリルメちゃんのことを聞いてね、その時からずっとお話してみたいなーって思ってたの!」
一目惚れでもしたかのように浮かれていた理由はそれらしい。機嫌のいい笑みを浮かべるヒルダに対し、リルメは少しばかり目を泳がせた。
「そ、そういえば、来週は学校対抗戦だね」
明らかに話を逸らした彼女にヒルダは少し首を傾げた。かと思えば今まで黙々と食を進めていたベレトが唐突に顔を上げる。
「学級対抗戦、リルメは応援に来る?」
「えっ、来てくれるの!?」
「……行ったことないんだけど…」
「そうなんだ…どうして?」
「興味なかったし、応援したい人もいなかったからね」
「えー?もったいない!私も出ることになっちゃったし、せっかくだからリルメちゃんに応援してもらいたいなー、なんて」
「ヒルダ、先生も無理を言ってやるなよ」
困っているのか何なのか、曖昧な表情を浮かべるリルメに先日のような冷たさはない。自分には素っ気なく「関わらないでほしい」と言ったくせに、ベレトや、とりわけヒルダにはキツく当たる様子もなさそうだ。
( まあ…婚約云々の話がなければ、違ったんだろうな )
周囲の圧力がなければきっと彼女も…なんて思うと、少しだけ現状がつまらなく煩わしい気もする。
しかし今は返答に窮するリルメの為にも話題を変えてやるべきだろう。そうしたところできっと、彼女が態度を変えることはないのだろうけど。