未知は特別ではない


来週には学級対抗戦を控えた週末。
明日は休息日ということもあって、どこか弛緩した空気を纏う夜の中、フェリクスは颯爽と訓練場へと向かっていた。

( 扉が開いている……もう来たのか… )

手合わせ相手が先んじて来ているのならと、足を早めて扉を開け放つ。ひらけた訓練場はいくつかの松明に照らされ、今夜は明るかった。


「フェリクス?」
「……猪…なぜ貴様がいる」
「見ての通り、鍛錬をしているだけだ。お前もその為に来たんじゃないのか?」


約束した相手はまだ来ていないのかという仄かな落胆と、ディミトリがいて大丈夫なのだろうかという懸念、僅かな不快感が相俟って、複雑な表情になる。
確かリルメは、鍛錬していることを誰にも知られたくないのではなかったか。


「どうした?」


自分の普段とさして変わらない仏頂面と今の顔を見分けられるこの男の、そういう目敏い部分は多少なりとも評価している。しかしこの男、わりに頑固なところもあるらしいのだ。誰にも言わないでというリルメの望みを聞き入れてやることができるのか。

であればリルメが来る前にこの男を帰らせるか、訓練場前で彼女を待ち構えて鉢合わせないようにさせるか、どうにかした方がいいのだろう、たぶん、恐らく。
( …チッ、なぜ俺がこんなことを… )
自分でもらしくないと感じるような思考に半ばうんざりしかけた時。


「…あら?」
「リルメ?」


当の本人が来てしまったので、途端に細かいことはどうでもよくなった。


「フェリクス、ディミトリも誘ったの?」
「そんなわけないだろうが。お前、この猪と知り合いなら話はそっちでつけておけ」
「猪の知り合いはいないかな…」


ぞんざいに手を払った自分と首を傾げるリルメを、ディミトリは困惑したように見比べた。


「フェリクス、リルメ、どういうことだ?俺は何かしてしまっただろうか」
「ああ、いや…違うよ。私、今日はフェリクスと手合わせしに来たんだけどね、」
「お前がフェリクスと?…その、失礼だが、どうやって……まさか腰に差してるのは…」
「私が唯一使える魔法剣。昔、護身用に譲ってもらったものでね」

そう言いながら剣を鞘から抜く動作も、やはり騎士のようで思わず感心する。それはディミトリも同じらしく、不安そうな顔から一転して興味深げな眼差しになった。


「……ただ、私が鍛えることをよく思わない人がわりといるんだ」
「よく思わない?」
「お前、曲がりなりにも立場がある人間なのだろう」
「どこかへ嫁ぐだけの人間に武力は必要ないっていうのと、あんまり自衛とか……いや、これはいいや」
「……」
「まあ、姫らしくしとけってことなんだと思うよ。だから、ディミトリ…私が鍛錬してることを誰にも言わないでほしい」


これはいいやと流された言葉の先を察して、いやまさかと首を振る。
自分にはよくわからないが、美しいとされる外見を紋章や肩書きの付属品で飾られたリルメは、教団にとっても得難いもののはずだ。まさかそのリルメが自衛することを望まないような人間が、いるとしたら。


「…周りからどう望まれていようが、私にとっては必要な事なんだ」
「……そうだな。わかった、誰にも言わないようにしよう」


ありがとうと言いながら少し曖昧に笑ったリルメを、ディミトリは気遣わしげに見つめた。本質は獣のくせして、こういう時は人格者のような顔をするのだから質が悪いものだ。


「リルメ」
「うん?」
「俺にできることがあったら何でも言ってくれ」
「……」
「一方的な攻撃や理不尽な仕打ちは見過ごせないからな」


その言葉は本心のようだが、その目はリルメの向こう、リルメに悪意を持つ者を見ているように思う。


「黙っていてくれたら、それでいいんだけど…」
「お前は俺の友人だろう?」
「…そうだね。だから面倒には巻き込めないよ」
「友人だからこそ、できることもあると思うが」


その前にあなた一国の王子では…と言いかけたリルメが、ふっと目を伏せて口を噤んだ。それを言ったところで不毛なやりとりが続くだけと察したのだろう。

頑固なところもある、と聞いていた。
周囲の反対やドゥドゥー自身の躊躇いも押し切ってダスカー人を従者にした時は、随分頑なだったのだと。不利な立場の人間を放っておけない性分なのだろう、と。

( ……それだけではないと、見ればわかる )

被害者を哀れむ心は持ち合わせているかもしれないが、それ以上に自己満足でしかないのだ、この男のそれは。
正義を振りかざして不満の捌け口を探す偽善者。相手の為だと言いながら、ただ自分が我慢ならないものを排除したいだけなのだと、……もう、この男のことは、そんな風にしか見れなくなってしまった。


「……困った時に相談するあてがあることは、覚えておくよ」
「…ああ、そうしてくれ」


リルメのぼかした返答に、ディミトリは満足気に頷いている。リルメが取ろうとしている距離にも、己の言葉が独善だということにも、きっと気付かないはずがない。とても表情豊かとはいえない自分の機微を読み取るくらいなのだから、わかっているはずなのに。

(…リルメもリルメだ)

鍛錬していることを周囲に知られたくないと言うわりには、そこまで必死に頼み込むわけでもない。猪に知られたならそれはそれでしかたないかと言わんばかりで、あっさり奴の前で剣を抜くのだから、本当に隠す気があるのかと問いたくなる。

( ……そもそも、こいつらは… )

不愉快な推測が脳内に擡げ、しかし今それを口に出して時間を無駄にするわけにはいかない。リルメとの手合わせは限られた時間しか行えないのだ。




軽く身体を温めて、ようやく約束通りの手合わせとなる。
そして何度か打ち合う度、ふと何かがおかしいような気がした。

( なんだ…こいつの剣は? )

魔法剣だからだろうか。目に見える刀身は鈍い白金色で、魔力によって不思議な虹彩を放っている。身体を傷付けない魔力の色合いらしく、纏っている魔力の範囲が実質の刀身なのだという。確かに触れる衝撃や痛みはあっても、裂傷や打撲にはいたらない。

( ……その仕組みもおかしなものだが、…まずこいつの動きが…っ )

大きく身体を逸らしてこちらの剣を躱すなり、足で剣を大きく蹴り上げられる。肘まで痺れるような衝撃だ。あの不安定な体勢からこの威力の蹴りが出るとはどうなっているのだろう。


「…っく、貴様…!」
「残念…渾身の一撃だったのにな」


言葉のわりには余裕の見える表情だ。未だ痺れる腕からどうにか剣を取り落とすことなく一歩下がり、ふうっと素早く息を吐き出す。


「……どういうことだ」
「何が?」
「見た目と力が釣り合わん」
「いや、見た目で判断されても…」
「そこの猪のように紋章効果も加えた怪力があるならまだしも、貴様の目に見える筋肉量では考えられん動きをしている。紋章効果というわけでもあるまい」
「世界は広いもんだよ。身体能力は目測だけではわからないし、強くなる手段は思う以上に存在する」


肩を竦めたリルメに眉を顰めていると、ディミトリが「まさか、」と呟いた。


「……あら、ディミトリは知ってるのかな」
「…魔力、か…?」
「うん、正解」


リルメは微かに口角を上げて頷くと、こちらに魔法剣を差し出してきた。
柔らかな語調で「持ってごらん」と手渡された柄を握った、途端、


「…っ!」
「フェリクス!」
「なん、だ…これはっ」


以前試しに持ってみたサンダーソードくらいだろうという感覚で手にしたそれは、まるで比にならない重さだった。ぐしゃっと床にめりこんだ剣先は、片手で持ち上げようとすると腕の筋肉が震える。


「そ、そこまでなのか…?」
「ディミトリも持ってみる?」
「……貴様ならば軽かろう」
「そうだろうか……っ!?」


少し面白くない気分でディミトリに手渡せば、何故か自分と全く同じ現象が起きた。
再び床にめり込んだ剣先を驚愕して見ていると、リルメはディミトリの手から軽々と魔法剣を取り上げた。


「……そうか、異境の武器だな?」
「異境、だと?」
「英雄の遺産ではないが特定の人間にしか使えないものだろう。海の遥か向こうの大陸には、持ち主にしか扱えない武器があると聞いた。その類のものではないか?」
「そう、よく知ってるね。渡来品なんだ。海の向こうから来た人が、もういいからって譲ってくれたものなの」


視線を伏せた顔はどこか憂いでいて、その渡来品との出会いは聞かない方がいいのだろうと察した。地続きのダスカーやパルミラに対してさえ排他的な人間が多いなか、海の向こうから来たもの、ましてや武器など、この大修道院においては正に異物としか認識されないはずだ。きっと愉快な話ではない。
それを肯定するようにリルメも深くは語らなかった。


「……海の向こうの国では、貴人用の武器らしくってね。幼い頃から自分の魔力を馴染ませていくことで、自分にしか扱えない魔法剣にするらしい」


貴人は命の危険に脅かされやすいので自衛の術は必要だが、戦場に出るわけではないので自分の身さえ守れたらいい。この魔法剣は魔力を馴染ませた持ち主ならば、至強の武器として扱えるらしい。もし奪われたとしても、持ち主以外には重くて切れ味の悪いなまくらにしかならないそうだ。


「いくつか秘密のある剣なんだけど、ひとつだけ教えよう。これは自身の魔力を循環させる道具にもなる」
「魔力を、循環?」
「すまない、俺は魔導のことはよく…」
「まあ、簡単に言えば自分の能力を強化してくれるって感じかな」
「能力の…強化だと?」


眉を顰めた自分に苦笑したリルメは、掌をこちらに差し出した。いつかの夜に見た淡い光が、じんわりとその手の上に灯る。


「人間の体内にある魔力はね、肉体的なものとは別の強さを持つ正当な自分自身の力だ。その魔力はフォドラでは基本的に放出することしかできない。攻撃したり、治癒をしたり、魔導具を動かしたり…とね」


フォドラでは、という言葉に少し引っかかる。まるでフォドラの外を随分と知っているようで、三国から成り立つこの大陸を小さなものだと言ってもいるようで。こいつは何を言ってるんだろうかと、浮ついたものを見る目をしてしまいそうだ。


「海の向こうにいるのもね、私達と同じ人間だ。紋章は存在しないらしいけど人体の造りは全く同じで、けれど私達フォドラの民とは違って発展に重きを置いてきた」


異境の人間は、人体や動植物など個々が持つ魔力に、無限の可能性を見出した。個体差はもちろんあるが、小さな野草にまで魔力は少なからず宿っている。その魔力こそが不可能を可能にする…とまではいかなくても可能に近付けることができるのだと信じているらしい…と、リルメは苦く微笑んだ。


「事実、この剣を媒介させれば自分の魔力を身体に巡らせて身体強化ができるんだ。まあ10年くらい修練がいるんだけど、でも、すごいことだよね」


今頃そっちの国では魔導具ひとつで人間が空飛んでるんじゃないかな。
明日は晴れるかなくらいの気安さで有り得ないことを口にする。どこかふわふわと浮ついたその声を、荒唐無稽な戯言だと一蹴するはずだ。……いつもの自分なら。


「お前は10年間、修練してきたのだな」


どこかズレたところへ着地したディミトリの言葉に、リルメが「ふふ」と声だけで笑って銀色の髪を翻す。掌に乗せていた淡い光と銀糸の毛先が、箒星のように描いた軌道は、あまりにもこの女を不気味な生き物のように見せていた。