誇り高きお節介
休息日ともなれば、礼拝に訪れる者も増える。平日より少し人出の増えた玄関口では、気のいい門番が朗らかに挨拶していた。
それを横目に厩舎へ向かう。今日は馬を拝借してちょっと遠乗りするつもりだった、のだが。
「……君は、リルメ姫だな」
厩舎で居合わせた生徒が、何とも強ばった顔で隣に立った。見知らぬ人間から姫と呼ばれることに対する忌避感と、相手から伝わる拒否感で早速どこかへ行きたくなる。
「私はフェルディナント=フォン=エーギル。アドラステア帝国で代々宰相を輩出してきたエーギル家の嫡子だ。今、少し時間をもらってもいいだろうか」
「…どうぞ」
「君は、昨年の婚約騒動を覚えているか?」
…唐突に何なのだろうか。
彼の強ばった表情から、それが景気のいい婚約話でないことくらいは想像がつく。婚約騒動に分類される話などさして多くはなかったが、大小多様な、それこそ噂まで含めるといくつか心当たりはあった。
「どれだろう……私に関係あって、あなたが何かを言ってくるとしたら、ロイワ家のことかな」
「…私が何か言うとは、」
「エーギル家とロイワ家は懇意にしていたんでしょう?歳も近いのだし子供同士の付き合いもあっただろうから」
私の淡々とした物言いに、フェルディナントは苦虫を噛んだような顔で微かに視線を伏せた。
「……ああ…そうだ。レナルド…ロイワ家の嫡男と私は、幼い頃からの馴染みだった。昨年の夏、リルメ姫と婚約できるかもしれないと彼が手紙をくれたのだ。とても素敵な女性なのだと。…喜びを隠しきれない文面だった」
「……」
「…ロイワ家が没落したことには、納得している。婚約を前に相手のことを調べるのは当然のことであり、そこで大きな不正が見つかれば婚約はもちろん白紙にされる。家の存続とて、帝国の判断とロイワ伯爵次第でどうにでも転がったのだろう……ロイワ伯爵は間違いを犯してしまったのだ…何度も」
ロイワ伯爵家と教団の司祭による金銭問題の疑惑が浮かび上がったのは二年前。以来、何度も調査を重ね、私の婚約に乗じてロイワ家に踏み込むことで、ようやく暴くことのできた問題だった。
……感情的にもあまり踏み込まれたくはないし、知られるべきではない作為もあった。
「教団側の関係者も処罰されたと聞いている。……それは、もう済んだことだから、いいのだが、」
いいのだが、何なのだ。不正をした貴族が没落した、それだけのことだろう。レナルドという彼の昔馴染みとて死んだわけじゃない。だというのに今更そんなことを掘り返して、一体どういうつもりなのか。
「君は、何とも思わないのか?」
「……なん…とも?」
「これまで殆ど大修道院に現れることなく、婚約の話があがるほど誰かと親しくなったのはレナルドが初めてだと聞いている。…君は、彼を慕っていたのではないのか?」
(ああ…なんだ、そういうこと)
内容の薄さにホッと力が抜ける。あれこれ事情を詮索したいわけではなさそうだ。
昨年、レナルド=フォン=ロイワという生徒と話したことを思い出してみる。貴族らしく整った見目と、まるで人形を愛でるような甘いだけの言葉が記憶にある。
「…彼のことは、かっこよくて優しい人だと思っていたよ。よく、褒めてくれたんだ」
彼が私の外見ばかりを褒めたのと同じ、これは中身のない上っ面だけの評価だ。しかし好意的なものだとフェルディナントは思ったらしい。
「ならば、なぜ…」
「ん?」
「なぜ、レナルドを待たない?」
「……待つ?え、何を…?」
「彼は今、ロイワ家の名を捨て子爵位だが他家の養子となり、アンヴァル宮城に騎士として務めている。知っているだろう?」
(…え、知らない)
「そしてレナルド個人として騎士以上の爵位を得たら迎えに行くと…何度も手紙を送っているのだから、知っているはずだ」
(知りませんけど…!)
彼のその後に興味はなかったし、手紙だって来ていない。それらを知っている前提で話されるのは違うと、フェルディナントを止めようとしたが「なのに!!」と彼は声を張り上げた。
「ほとんど大修道院に現れないはずの君が、今年はやけに表に出ているそうじゃないか!今年はとりわけ多く在席している高位貴族の、その誰かに見初められようなどと考えているのならば、それは不貞だぞ」
「…ふ、ふてい…?」
「立場ある者としての責務を果たさない君は、当然ながら王族や盟主の伴侶として相応しくない。そして、栄えある帝国に迎えるにも難がある。リンハルトは紋章学に興味があるらしいが、君の紋章を使って彼に近付くのもやめてくれないか。彼はあれでも内務卿の子息なのだ」
言い返したいことはいくらでもあるのに、フェルディナントが矢継ぎ早に話すのでその隙もない。
「君は、慎ましくレナルドを待つべきだと思う」
そしてトドメの一言。もはや言葉を失くした私に「失礼する」と告げて、フェルディナントは背を向けた。
「…は…はあぁぁ?」
我慢ならない怒りが一気に沸き立つ。近くにいた馬の嘶きが聞こえ、ハッと我に返る。
歯を食いしばってどうにか怒りをいなそうもしても、どうしてもむしゃくしゃして唸りたくなった。
(……なんだあれは!腹が立つ…!!)
ロイワ家と懇意だったとはいえエーギル家の嫡子には関係ない話だ。口出しするくらい近しかったのならロイワ家の悪事くらいさっさと見抜いていてほしかった。そうすれば、あんな面倒なこと、
(面倒で、気持ち悪くて、不愉快でたまらない時間を、過ごすことはなかったのに!!)
レナルドが騎士になってるとか知らないし興味もないし待つつもりも当然ない。そもそも結婚する気がないのだから今年の学生に見初められようとも思ってない。フェルディナントはいずれ私が彼も狙うかのように思ったのかもしれないが、そう推測して事前に釘を刺すなど傲慢にもほどがある。
(私だって、好きで出歩いてるわけじゃない…!)
ああ腹立つ、このまま馬を借りてどこかへと走りたい。
そう厩舎へ入ろうとして、ふと立ち止まる。
どこかへ行きたいけど、今行けば、ここに帰ってきたくなくなるかもしれない。行くところなんてないけど、結局はアビスに逃げ込みそうで、それはそれで嫌だ。いろいろと困る。
(……せっかくの休息日なのに…)
むしゃくしゃした気分を燻らせながら、足音荒く厩舎を出た。
◇
「失礼します」
開け放たれた扉から無遠慮な声が聞こえてきた。
「…リルメ?」
彼女は一礼して大司教の執務室に踏み入ると、開け放たれていた扉を閉めた。
こうして締め切ってしまうと、なかなかに狭い空間だ。年頃の少女が異性と二人きりになるべきではないと思うものの、そんな外聞を今更気にする子でもないだろう、とも思う。
自分の前ではだいたい無表情で口数も少ない少女が、何を考えているのかセテスには全くわからない。彼女のこれまでの行いを見ると、侮ることも買い被ることもできないのだ。
「そちらの記録書、お借りします」
執務室の奥に設置された鍵付きの本棚には、様々な資料がある。極秘のものはここに置かれていないが、各国の貴族の情報や、各地の教会からの報告などが収められている所だ。
「…調べ物か?」
レアから渡されているらしい鍵で本棚を開けた彼女は、「ええ、少し」と呟いて、並んだ背表紙を指で追いはじめた。
銀糸の髪に白緑の瞳。誰もが口を揃えて麗しいと賞賛する容姿。でありながら、不肖姫などと侮られている少女。
執務も教団職員としての務めも果たさない故そのように呼ばれているが、彼女の実態は少し違うことをセテスは知っていた。
レアや自分だけでなく、アビスを支援するアルファルドや書庫番のトマスに食堂の料理長に温室の管理人。彼らはそれぞれの領分のなかで、リルメの行動を理解している。
各施設を連動させるこで金策の仕組みを作り、利益の一部をアビスの支援にも繋げている。
それを公にしていないのは、ガルグ=マクの浄化すべき闇とされているアビスへの支援を、大っぴらにはできないからだ。そして"不肖姫"であり続けるためでもある。
(……帝国貴族と爵位制度…か)
しかしそれだけが全てではないのだと、彼女が手にした文書を横目に思う。
密かにアビスを支援する不肖姫という実態だけであれば、帝国貴族の情報や爵位制度の記事など、あまり知る必要もないだろう。けれど彼女はその情報を得るために本棚の鍵まで得て、恐らく何度もここに足を運んでいる。
(レアでさえ…恐らく全てを把握しているわけではない)
リルメという子供を憐れに思う。
特異な出生から大司教の養女に置かれ、嫌煙すらしている宗教の最高権威に近しいものとされ。そこに相応しくないと年頃の少女らしい行いを見咎められれば、ここはさぞかし居心地の悪い家に違いない。
アビス支援へと繋げている様々な行いは、12歳の頃のリルメが考えて始めたことだ。その過程で様々なものを見聞きし、今でも大修道院内外の各所を通じて多くの情報を得ているらしいと聞く。
なぜだかよくわからないが、うまく解決した事件があったり、きれいに暴かれた悪事があったりする。その裏で何か画策していたのではと察するが、しかしリルメは何も語らないし悟らせない。
まったくもって年相応ではないが、幼い頃から素晴らしい能力を持っていることは間違いないのに。
「……セテスさん?」
「!」
あまりにも見過ぎただろうか。リルメが不思議そうにこちらを見ていた。
「……ああ、いや…すまない。その、今日は地下に行かないのだろうかと思ってな」
咄嗟に口をついて出たそれは案外的を射ているような…いや、しかし早く執務室から出て行けと言外に告げているような気もしてきた。内心焦る自身を誤魔化すように「今は休息日にしかアビスに行けないのだろう」と窓の外を見る。
「…まあ、気分的に…もう少し後にしようかと」
「気分?あまり優れないのか?」
ならば休んでいるべきではないかと慌てて再度彼女に振り返る。窺った彼女の顔色は悪いようには見えない。体調に問題があるのでなければ、
「……何か嫌なことでもあったのか?」
「いえ、さほど」
「周囲に何を言われようと、君は私の前では揺らがないだろう。君は気分について言及したことなどないし、前節まで通い詰めていたアビスに行けなくなる程だ。よっぽどのことがあったのではないか?」
アルファルドやウィリアムからアビスでのことは聞いている。灰狼の学級の若者達とは年相応に楽しく過ごしているのだと。先週も特に仲違いなどしておらず、今日の休息日もアビスに行くのを楽しみにしているようだとウィリアムは言っていた。
ならば楽しみにしていたアビスへ気兼ねなく行ける気分でない理由など、地上で何かあったとしか考えられない。
「…大丈夫、少し気になることがあったので執務室に来ただです。もう行きますよ」
リルメはそう言いながら文書を棚に戻し鍵をかけた。やはり自分に対しては頑ななのだと思えば、落胆と共に僅かな安堵を感じる。言葉通り、大丈夫なのであれば、それで。
「セテスさん」
自分の前では表情を変えないリルメが、その整った口元を少し緩ませた。
「今日は暖かいので、食堂では急遽モモスグリのシャーベットが用意されたらしいですよ」
「…何?」
彼女らしからぬ世間話に目を瞠る。
「甘いものがお好きでなければ、お酒に溶かしレモン汁を加えることをお勧めします」
「いや、昼間から酒は…」
「シャーベットで薄めてしまえば大丈夫です。それに今日は休息日ですよ」
「しかし、」
「フレンは、甘いものお嫌いですかね?」
「!」
彼女の言いたいことにようやく気付いて顔をあげると、リルメは柔らかく微笑んでいた。
「…そうだな、今日は休息日だ」
「そうです」
「しかし急遽メニューが変わることもあるのか…知らせてくれたこと、感謝する」
「…いいえ、こちらこそ」
そう言って執務室から出て行くリルメから、微笑みはすでに消えていた。アビスで感情が発露できることを願いながら、自身もフレンを捜しに執務室を出たのだった。