凡庸であってほしい


竪琴の節。
肌寒さはすっかり遠退き、からりと晴れる日も増えてきた。士官学校に慣れてきた生徒達はより活発になり、至る所で好き好きに過ごしている。中庭でお茶会をしたり、訓練場や騎士の間で鍛練したり、釣りをしたり街に繰り出したり、大修道院を隅々まで探ったり。



前節末、士官学校では学級対抗戦が行われ、ベレト率いる金鹿の学級が勝利したらしい。その当日はヒルダの部屋に手紙を置いて、自室に引き篭った。応援に行けなくてごめん、でも応援している、がんばって、と。

あの日以来、大修道院を歩くことは極力避けた。フェルディナントに言われまことは心底腹立たしかったが、よくよく考えてみればちょうどいいとも思ったのだ。
自分とて好きで大修道院を歩き回っているわけではない。今年の生徒と懇意になるための努力を周囲に見せるべきだから、そうしているだけで。エーギル君の言葉を受けて慎ましくしているのだと言えば、修道士達もしばらく引き篭もることに文句は言えないだろう。

( …とはいえ、さすがに飽きたな )

書庫で借りた本も、ずっと読んでいられる程に読書好きなわけではない。昼寝をして夜中に動き回ったり、自室でできる程度の鍛錬をしたり。生徒の講義中に動き、目に付きにくい場所で過ごす。昨年まではそういう過ごし方をしていたが、それが今はなんだか退屈に感じていた。

( ……私と似たような動きをしている生徒もいるけど、まあ危険視する程ではないかな )

何やら大修道院を調べ回っている者や、夜中に出歩く者もいるが、まあそれくらいなら毎年いるものだ。大修道院には探られると痛い腹など大いにあるが、生徒がそう簡単に探れるとも思えない。


「おや、お出かけですか?」

門番の朗かな声がかかる。彼は特段私に思うことはないようで、とても普通に接してくれる、気のいい人だ。

「おつかれさまです。少し街に出てきます」
「そうですか…日が長くなってきたとはいえ、夕暮れまでには戻ってきてくださいね!」

お気をつけて!そう笑顔で手を振る門番には、こちらも屈託なく笑い返せる。そしてふと思った。結婚するなら彼のような人がいいと。


ガルグ=マク大修道院のお膝元の街には、かくあるべきと言わんばかりに信心深いものが多い。修道士やセイロス騎士の家族などの教団を支える人達が住まい、そこに商機を見出した商人達が店を構える街だ。
不肖姫などという雑な呼び方をされる自分の評価は半々で、一般客と同じように扱ってくれる店が大半だが、店によっては冷遇されたり厚遇されたりすることもある。まけてくれたり贈り物をくれたりする店もあれば、門前払いされる店もあるのだ。

( ……ううん、参ったなあ… )

新鮮なものが多いと評判の果物屋。物陰からその店を窺い店主の顔を確認する。確かあそこの店主には以前素っ気なくされたことがあった。値切りは不可能と見ていいだろう。

( ……でも…あのベリー…売ってるのここだけなんだよな… )

鮮やかな青紫色の大粒ベリー。きゅんとするような酸味と芳醇な香りがすばらしく、噛んだ瞬間の瑞々しさは他店の追随を許さない一級品だ。もちろんその分、値段は高い。

( 数を揃えようとすると予算が足りない。他の材料を値切ってもやはり足りない……数が足りないのならば、そもそも高級ベリーなど買うべきではない。安物で妥協すべき…、 )

いやダメだと首を振って溜め息を吐く。どうにか材料を揃え、明日のためにも夕方までには帰らないとならないのだ。ここで悶々としている暇は…と、頭を抱えた時。


「…あの、」
「ん?」


視界の端に見慣れた制服が映り顔を上げると、どこかで見かけた生徒がいた。


「えっと、さっきから悩んでるように見えて…」
「……っあ!」
「え!?」
「ちょ、あなた…」


軽く裾を引いて物陰に彼を引き摺り込む。少し顔を近付け「値切りが得意じゃなかったっけ?」と小声で問いかけると、彼は顔を真っ赤にして狼狽えた。逃がすものかと両手で腕を掴む。


「ああああの…!?」
「ごめん、頼みがある」
「そ、それより一度…っ」
「だめかな?」
「わわ、っわかりました!ぼくでよければ、」


片腕で顔を隠しながら観念した彼に、うむと頷いて腕を解放してやる。腕に隠れきっていない顔が真っ赤で、途端に申し訳なさが込み上げてきた。が、ここで遠慮するわけにはいかない。


「無理言ってごめんね、私はリルメ。ちょっと、あそこの果物屋のベリーが欲しいんだけど、予算が足りなくって」
「え、ええ」
「以前、あなたが上手に値切り交渉してたのを見たことがあってね。ぜひとも、お願いしたいんだけど…いい?」
「えっと…どのくらい値切れば…?」
「この金額でベリーを一箱、買える?」


掌に広げた硬貨を確認した彼は、物陰から果物屋の店頭を確認して「100…いや、150はいけるかな…」と呟いた。


「わかりました。あの青紫色のベリーを一箱ですね?」

どうやら出来そうな雰囲気だ。期待いっぱいにお金を渡して頼むと、彼は何度か深呼吸をした。

( …あ、顔付き変わった )

一度表情を引き締めフッと息を吐くと、何食わぬ顔で表に出て行く。
そしてフラリと果物屋に立ち寄ると、笑顔で店主に声をかけ始めた。何を話しているのかは残念ながら聞こえない。しかし表情豊かに仕草も交えて店主と交渉する彼は、先程まで真っ赤になっていたとは思えない程…なんというか、しっかりしていた。

「…お見事」

少し経って、彼は一箱のベリーを手にこちらへ向かってきた。なぜか頼んだ覚えのないモモスグリまで箱に乗せられている。

「お待たせしてしまいすみません。これ、おつりです」

まず硬貨を渡されたが、いまいち思考が追いつかない。そもそも予算不足でベリー一箱まともに変えないはずだったのに、なぜお釣りが出る?


「あと、モモスグリもいただきました。少し形が悪いみたいですけど…」
「…えー…?」


彼は少し罰が悪そうにはにかんでいるが、そんな顔をする理由がわからない。こちらは疑問符でいっぱいだ。何をどうやったらこの結果になるのだろう。


「……一体どんな交渉術を…」
「そんな、交渉術なんて大層なものじゃありませんよ。以前、困っている店主のお手伝いをしたことがあったので、そのお礼も兼ねてだと思います」
「…そう、」


どうやら値切りの才能はあまり関係ないらしい。しかしそんな才能の問題ではなく、困っている人を放っておけない彼の性分だからこそなのだろう。今だって、困っているようだからと私に声をかけてきた。話したことはないけど存在は認識している、という程度の相手に分け隔てなくすんなりと手を貸せるのだ。人がいい彼だから値切りも成立するし、なんならオマケもついてくる。


「本当にありがとう、助かったよ」
「いっいえ!お役に立てたならよかったです」
「このモモスグリはどうぞ持っていって。あなたの成果物だから」
「いいんですか?」
「もちろん。あ、箱重いでしょ、持つよ……、?」
「あの…持てますか?」
「……」
「目的地まで運びますよ」
「……」
「…あの…リルメさん…?」
「……えっと、他にも買うものが、いろいろ…あって、ですね…」


値切れる彼に浮かれて重いベリーを真っ先に買ってしまったものの、他にも目的はあるのを思い出した。彼から箱を受け取ってここは終わりにすべき、なのだが。


「…その、図々しいのは百も承知なんだけど…、」
「いいですよ、手伝います!」
「いやその…ほんと、ごめん。ありがとね」


ふるふると首を振って「乗りかかった船ですから」と微笑む彼は、思い出したかのようにアッシュ=デュランと名乗った。

鍛錬になるからとベリー一箱を抱えたアッシュを、いくつかの店に付き合わせる。他の店でも値切ろうかと提案してくれたのだが、お金が足りないわけでないからとそれは控えた。店側の商売も生活がかかったものだ。不当な額を支払うつもりはないが、比較的恵まれた立場にいるのだから、正当なものにケチはつけたくない。そう言うと変な顔をされたので、アッシュという生徒は私のことを噂通りの愚か者だと思っていたに違いない。


「それにしても、こんな大量のベリーをどうするんですか?」
「…明日は、お祝いがあってね」
「お祝い?」
「大修道院や生徒には関係のないことなんだけど、孤児院の先生の生誕祝いがあるんだ」
「孤児院の…」


ウィリアムの妹を含め、身寄りのない子供たちが暮らす大修道院の孤児院。教団の庇護下にあるだけでなく、私が道楽のように手を出しているので、一般的な孤児院とは少し異なるだろう。


「そこの子供達が、先生にお祝いのお菓子を作ってあげたいって言ってて」
「それはいいですね!ベリーを使うってことは…ゼリーですか?」
「いや、チーズケーキだよ」
「あ、そういえばチーズも買ってましたね。じゃあ、上にベリーを敷き詰める感じの…」
「そう、木苺のコンポートと一緒にね」
「わぁ…っ、それは美味しそうだ」
「アッシュも食べに来ればいいじゃない」
「えっええ!?いいんですか?」
「いいよ、ベリーの恩人だからね」


そう小さく微笑みかけると、アッシュは目を瞠って少し困ったように笑った。


「……リルメは、孤児院によく関わっているんですか?」
「ん?」
「その…子供たちや先生と仲がいいのかなって思って」
「それは……どうだろう?」
「どうだろうって…」
「手をかけてはいると思うけど、自分ではよくわからないよ。気になるなら見においで」


今日のお礼をするから、そう告げればアッシュはパッと目を逸らして俯いた。
横顔にかかった髪が夕陽に透けて、頬ごと色付けている。通った鼻梁と前髪の影が綺麗だ。まじまじとそれを眺めていると、頬を真っ赤にしたままアッシュは呟いた。


「……では、またケーキを作る機会があれば、いいですか?」
「また?明日は来ないの?」
「明日は遅くまで講義がありますし、生誕祭にいきなり行っても図々しいかなあって。だから、次にそういう機会があれば教えてください。僕、料理は得意なのでお手伝いします!」


お礼なんだから手伝わなくていいと思うのだが、そこは彼の性格なのだろう。ケーキを強請ることを恥ずかしがっているのも含め、可愛らしいし人がいいと思う。


「………そうだ、肉は好き?」
「肉、ですか?ええ、それはもちろん」


私の唐突な言葉に彼が頷いたの確認して、馴染みの干し肉屋に立ち寄った。いつもの男性店主が顔を上げて、やる気のない顔で「よう」と声をかけてくる。


「珍しいな、お供連れてるなんてよ」
「……ちょっと、善意で手伝ってくれてるだけなんだから茶化しちゃだめ」
「そりゃ悪ぃな。お前が素直に人の手を借りるのも珍しいと思ってよ」
「明日は孤児院のお祝いがあってね、妥協はできなかったから」
「ほお、お祝い。だったら肉は外せねえよな?明日の朝イチなら腸詰めも用意できるぞ?」
「……今回は予算が足りないからやめておくよ」
「へっ、清貧さを維持すんのも大変だな」
「それはそうと、この前の浸け肉はある?」
「ちょっと値上がりしてるが、あるぞ」
「じゃあ、それふたつね」


教団には清貧であれという戒律こそあるが、私個人はそこまで気にしていない。お金の無駄遣いはもちろんする余裕もないし、食べ物も適量あれば満足だが、やはりそれらは然るべき時に振る舞えたほうがいい。


「……しかし、値上がり、か…」


確かに、このベリーは想定していた値段とは違った。前節に街を見回った時の状況から考えれば、もう少し値段は低いはずだったのだ。


「そういえば、あの露店の山菜も、茶葉も、少し値上がりしていますね。前に街に出た時は、もっと安かったような…」
「……うん。本来なら、今は少し安くなるはずなんだ。暖かくなれば商人の出入りも増えるし、狩りや収穫も行いやすくなるから」
「……やっぱり、意外だなあ」
「うん?」
「リルメさんは、街の物価とか庶民の暮らしとか、そういうものに詳しいんですね」
「?ここで生活してれば自然とわかってくるものじゃない?」


そう言えばアッシュは少し困ったように笑って首を振った。
そうこうしているうちに孤児院まで辿り着き、ベリーの箱を受け取る。ずしりと腕にかかる重力に、こんなものを長時間運ばせた申し訳無さが募った。


「今日は付き合わせてごめん、助かったよ。これはお礼ね」
「え、ええ!?そんな、たいしたことはしていませんよ!」
「私にとってはたいしたことだよ。私だけじゃこのベリーは買えなかったし、孤児院の先生に美味しいケーキを満足に作ることもできなかった」
「そ、それは」
「アッシュのおかげで、明日のお祝いは素晴らしいものになると約束されたようなものなんだから、肉のひとつやふたつは受け取って」


一人でふたつ食べてもいいし、肉好きな誰かに分けてもいい。おいしかったらまたあのお店で買ってやってくれと宣伝もしておけば、アッシュは少し目を丸くしてから笑った。