安寧の休息日
静謐な夜の中で、ガリッと床を削るような音が鳴る。次いで金属のぶつかり合う鈍い音が甲高く響いた。
「……」
「……」
惹かれ合うような一閃が鋭く弾ける。身を引いて軽く息を吐けば、思ったより掠れた空気が喉を通った。
「……今日は、ここまでにしよう」
フェリクスはその言葉に不服そうにしながらも剣を納めて息を吐き出した。
前髪をかきあげ額に滲む汗を拭う私に対し、フェリクスは涼しい顔をしていて汗のひとつ息の乱れひとつ見当たらない。
「……何を見ている」
「…いや、やっぱり体力は負けてるなと思って」
「体力は?力もだろうが」
「身体の使い方は私のほうが上手いよ」
「フン、言ってろ」
少し沈黙して思い思いに柔軟を始める。深く呼吸を繰返していると、不意にその音が重なって、なんとなく気まずくなる。その途端、不自然にフェリクスの呼吸が途切れた。
「……お前、セイロス騎士団の人間に稽古をつけてもらってるのか」
「ん…そうだよ」
「やはり強いのか」
「当然。それぞれ強みは違うけどね、とても勉強になる」
たとえば、カトリーヌは英雄の遺産である雷霆こそ有名だが、それを扱う技量も凄まじい。シャミア曰く「無謀な蛮勇」であることも多いらしいが、それでもここまで生き延びて聖騎士の肩書きを得ているのだから、そこには幸運だけでなく優れた状況判断力もあるのだろう。
アロイスなら身体の守り方や受け身を教えてくれるし、シャミアは戦場での立ち居振る舞いや隠密の仕方なんかも教えてくれる。
「リッツァ先生は細かく丁寧な指導とかより、ただ打ち合いながら問題点をちょこちょこ指摘してくれる感じで……でも、たぶん稽古つけてくれる人のなかでは一番強いかな」
「ほお…あの人は空気からして違うと思っていたが、やはりか」
「敵に回したくないのはシャミアさんだけどね」
「……そいつは聖騎士か?」
「そうではないけど、なんというか……影で暗躍する類の人かな。目立った功績や地位はないけど、なんせカトリーヌさんの相棒だからね。油断ならないよ、背後を取られたら終わりって感じがする」
一瞬で首を取られそうだし、何より真後ろに立たれても察知できる気がしない。
「シャミアさんすごいんだよ。暗闇での目の慣らし方とか、相手を油断させる方法とか、捕まった際の対処法とか、いろんな細かいこと教えてくれるんだ」
「……それは、お前がそれを必要としているからではないのか」
「まあ、それもあるだろうけどね。……やっぱり騎士団の人の稽古は勉強になるよ。必要なら私からも口添えするから、フェリクスも見てもらってね」
「ああ」
「その代わりと言っちゃなんだけど、この手合わせ隔週にしない?」
「……は?」
淡々と話していた空気から一変、顔を顰めて低音で「何だと」と口にしたフェリクスに小さく苦笑する。そこまで怒らなくてもいいだろうに。
「私これでもいろいろとすることあるんだ」
「はっ、愚かで怠惰な不肖姫が?」
「……フェリクスもそう思うの?」
まさかフェリクスの口からその蔑称を聞くとは思わず首を傾げると、彼は顔を顰めたまま舌打ちした。
「……お前に関して言えば、間抜けなのは周囲の方だろう」
「…ん?間抜け?」
「怠惰かどうかくらい動きを見ればわかる……十年以上、修練を積んでいるんだろうが」
以前にぽろっと話したことを覚えていたのか。苦々しい顔のまま言われたそれに、少し嬉しくなった。やはりフェリクスは噂ではなく、私自身の強さだけは評価してくれている。
「ありがとう」
「…は?」
「少ない数であっても好きな人達がわかってくれるなら十分だよ」
「……」
「フェリクス?もう戻るの?」
「…翌々週には必ず来い」
背を向けてさっさと出て行ったフェリクスに相変わらず愛想はない。まあそんなもの私にもさしてないからいいのだけど。けれど、わりとすんなり納得してくれてよかった。
( ……というか、フェリクスは人の動きや強さで人柄を判断してるのかな )
戦いでは動くが、責務を果たさない怠惰というものはある。私の場合、剣の修練を積んできたとしても、人としての修練は間違いなく足りていない。
( そういえば、自国の王子でもあるディミトリのことを猪って言ってたような… )
あの爽やかで弱者に優しい生真面目な王子が、戦いとなると猪のように荒ぶったりするのだろうか。それとも考えなしに真正面から突っ込むとか。
( ……それはありそう。正々堂々って言葉が似合うし )
正々堂々、言い換えれば策なしの正面突破型。考えるよりもとにかく動けという脳筋型のようにも思えるが、それはそれで違う気もする。
( まあ、今度フェリクスに会ったときに聞いてみよう )
◇
「おや、バルタザールが死んでる」
机に突っ伏す大きな背中を見て呟けば、コンスタンツェが呆れたように「また一文無しになったようですわね」と教えてくれた。レスターの借金王は今日も今日とて勝てもしない賭け事が好きらしい。
不意に周囲を見渡して、この借金王から金を巻き上げたであろう犯人がいないことに気付いた。
「あれ?ユーリスは?」
「なんかアルフさんと出かけるってー。でもすぐ戻るって言ってたよ、リルメ」
「?なに笑ってんの、ハピ」
「べっつにー」
アルファルドとお出かけというのも珍しい気もしたが、これまでのように自分が出入りしているわけではないのだ。私がしていた雑事をユーリスが請け負ってくれている部分もあるだろう。
「今日は干し果実をいっぱい貰ったから、ちょっとお茶にしない?……よければ、そこの借金王も」
「っだあれが借金王だ!」
「わー、ハピこの黄色いやつスキ」
「お茶をいれなくてはなりませんわね!」
復活したバルタザールに机の用意をさせ、コンスタンツェがお茶の準備にと出て行く。ハピはどこからか皿と小さな袋を持ってきた。
「ユリーにも分けとかないとね」
「そうだね……って、林檎もちょっとは入れてあげなよ」
「えー、これ最初からなかったことにしよーよ。その代わり干しブドウいっぱいにすればいーじゃん?」
「いいんじゃねえか、あいつの分なら別に」
「バルタザール…ユーリスに負けたからって拗ねてるの?」
ツンと頬を突くと威嚇するように噛み付く真似をされて笑った。こうして気軽に触れ合える友人はやはり貴重で得難いものだな、と最近しみじみ思う。
「……リルメ、今週は元気そうですわね」
お茶を並べて皆が席についたところで、コンスタンツェがこちらを見た。
「そういや先週は機嫌悪そうだったな」
「…あー、そうかな」
「そーそー。珍しくユリーと遊ばなかったし、アルフさんの手伝いばっかしてたじゃん」
「普段遊んでばっかで手伝いしてないみたいな言い方…」
「だいたい事実だろ」
「バルタザールは砂糖十個でいいんだっけ?」
「おいやめろ!」
林檎に葡萄、トマトにモモスグリ。干されて萎びた果実は甘味がぎゅっと詰まった嗜好品だ。この時期の干し葡萄は渋いものもあるが、バルタザールが見た目で判別してユーリスの分にしているらしく手元にはない。アルファルドの手伝いで不在にしているユーリスには別で何か用意してあげてもいいかもしれない。
「…で?」
「ん?」
「先週の不機嫌の理由だよ」
「……感じ悪かったか、ごめんね」
「んなこた思わねーが、俺たちは毎日退屈してるんでね。お詫びにおもしれぇネタを提供してくれるってんなら聞くぜ?」
お詫びということで話しやすく、しかし暇潰しのネタ扱いで断りやすくもしてくれる。バルタザールのこういう言い回しがさすがだなと思う。
それに小さく笑って、ここでは取り繕うものもない私は素直に口を開いた。
エーギル君に言われた内容をそのまま、とはいかないのが愚痴というものだ。悪意を吐き出したかったのでちょっと盛っているし、うろ覚えの部分もあるが大事なのは最後だ。
「だーはっはっ!なぁにが不貞だぞ、だよなあ!」
「ホント、どの立場から言ってんのって感じ」
バルタザールは大きく笑い飛ばしてくれたが、ハピはわかりやすく唇を尖らせた。
「まあ…フェルディナントとレナルドは傍目から見ても兄弟のようでしたから、思うことはあるのかもしれませんわね」
「えー?それでも、そいつは他人じゃん」
「もちろん彼が口にするには干渉が過ぎますから、伝言程度に留めておくべきですわ」
「つーか、そのレナルドとやらからの手紙をリルメは知らねぇんだろ?」
「そうなんだよねえ…本当に送ってるのかなあ」
「帝国内で止められてるか、ここで誰かが処分してるか…だろうな」
「うわ、ありそー」
帝国内の事情となればわからないが、ここで誰かが処分するとなれば心当たりはいくつかある。
「うーん…要人宛の届け物を検閲してる騎士団とか?」
「ウィリアム司祭ではなくて?」
「リルメはどこにファンが隠れてるかわかんないもんねー。案外、ここに運ばれてくる途中で消されてるのかも」
「……ここで、いやそんなまさかと笑えねーのがリルメだよな」
「ちょっと」
手紙の内容などは正直どうでもいいが、どこで消えてるのかはちょっと気になってきた。バルタザールも同じなのか少しそわそわしている。
「…とにかく、手紙など知らないとフェルディナントに伝えるしかありませんわね」
「えー、彼と話したくないなあ」
「いいんじゃねえか?言わなくて」
「何故?」
「嘘をつくなと責められるならまだしも、他の手段を取られるかもしれねぇだろ?」
「あ、そいつが帝国から直接会いにー、とか?」
「それはなりませんわね。フェルディナントは放っておきましょう」
あっさりそう言ってのけたコンスタンツェが、「それより!」と声をあげて話題を変えてくれた。
「先日の要塞攻略戦のことですが、良い案が浮かびましたのよ!」
これは実際の戦争ではなく、盤上遊戯を利用した戦術勝負の話だ。ふたつの戦力を用意し、戦場や状況を設定したうえで、それらを競わせる。
主に私とユーリスがしている遊びで、時々コンスタンツェとバルタザールが口を挟んだり、難しいことはよくわからないと言いつつハピが鋭い指摘をしたりするのだ。灰狼の学級では定番の暇潰し兼、頭の体操である。
「良い案?私、今のところ劣勢なんだけど…」
「この策はユーリスの侵攻軍を撃退できうるものですわ!彼がいない今のうちに、リルメに伝授して差し上げてもよくってよ?」
「えー、たすかる。聞かせて聞かせて」
今回の私は要塞の防衛軍側で、ユーリスが要塞に攻め入る侵攻軍側だ。
かの有名なメリセウス要塞をいくらか劣化させた要塞で、周辺は森に囲まれているがそれゆえ自国内では少し孤立した位置にあり、味方からの増援は望めない。一方の侵攻軍側にも増援はない設定だが、戦力差は広がってきていた。
それを覆す策をコンスタンツェは揚々と授けてくれた。もちろん合間にバルタザールが意見してコンスタンツェと言い合いをしたり、ハピが「ムリじゃない?」と悲観的なことを言ってコンスタンツェと言い合いをしたりする。けれど、間違いなくこれは、安寧の時間だった。
「おーっほっほっ!これでユーリスを完膚なきまでに叩きのめせますわよ!」
「へーえ、俺様を完膚なきまでに、ねえ」
「っ、ユーリス!?」
その声に慌てて振り返ると、教室の入り口で腕を組んだユーリスが壁に凭れていた。
「ま、まままさか…今までの作戦を聞いて…!?」
「さあな?せっかくだ、ここで勝負の続きといこうじゃねえか、リルメ」
「ちょっと待って、なんなのユーリスのその強敵感」
「何言ってやがる。勝率は互いに五分だろうが」
「いや、そうだけど……あ、そういえば、用事はもう終わったんだね?おつかれさま」
ユーリスも飲む?と空いていたカップを持ち上げると、彼はきょとんと目を丸くした。コンスタンツェがそのうちユーリスも来るだろうからと用意していた予備のカップだ。
「あとこれ、ユリーのぶん」
「リルメが干し果実を持ってきてくれたからな、てめぇのも取っといてやったぞ」
ハピとバルタザールの言葉に、どこかぽかんとしたままユーリスは頷いた。いつもの席に座ったユーリスにお茶を出し、取り分けておいた干し果実の袋も渡せば、彼はふっと小さく微笑んだ。
「……ちょうどこういうのが欲しかったんだ、ありがとな」
「お茶は少し冷めていますが飲み干すには適温でしてよ!」
「いや、そこまで喉渇いてるわけじゃ……って、おい…干し葡萄しか入ってねえ」
「えー、そーなのー?」
「棒読みにも程があんぞ、ハピ……そっちには他のがあるみてえだが」
「ちっ、気付きやがったか…」
「バルタザール、てめえ…負けた腹いせか」
「おおっと入れ忘れかな、バルタザールってばうっかりさんなんだから!」
じっとりとした目をするユーリスにちょっと申し訳なくなったので、慌てて立ち上がり彼の口に干し林檎を当ててみた。
「これ、甘くておいしかったよ。はい、あーん」
「……」
林檎を唇に押し当てられたユーリスは目を丸くしたかと思えば、そのままこちらを睨み上げてきた。
「……あれ?だめだった…っぎゃあ!指噛んだ!」
「ぶっは、ユーリス、おまっ…!」
がぶりと噛まれた指先を慌てて引っ込めたが、ユーリスは器用に林檎は持っていったらしい。それなのにどこか不服そうに咀嚼していて、なんだか納得がいかない。
それを見てバルタザールは腹を抱えているし、ハピは呑気にお茶を飲んで「干しブドウもおいしーよ」と呟いているし、コンスタンツェはなぜか私の指先を拭きながらユーリスを叱っている。
「人の善意に噛み付くなんてどうかと思いますわよ!」
「へーへー、すみませんでしたあ」
「なんっですの、その言い種!こうなったら、リルメ!ユーリスを徹底的に負かしておやりなさいな!!」
コンスタンツェが私よりも戦意に燃えたことで、戦術勝負は再開された。少しは悪いと思ったのか、バルタザールがユーリスの味方につき、私はコンスタンツェに激励されながらの勝負。
日が暮れて誰かの腹の虫が鳴くまで白熱されたその勝負は、僅差で私が負けてしまった。
勝利が惜しくないといえば嘘になる。勝率は五分五分、拮抗しているからこその真剣勝負だ。一戦だって落としたくはない。
けれどそれ以上に、この時間のほうを遥かに惜しんでしまうのだ。楽しい時間が終わって、また明日が来てしまうことのほうが、私にとっては、よっぽど嫌だった。