大人の魅力と子供の魔力


青海の節。
シェンという私のかつてのアビスでの師は、この季節を嫌っていた。熱さが嫌いで、虫も嫌いで、夜の短さが嫌いで、……大切な人が行ってしまった明るいあの星が嫌いだ、と。
彼から譲り受けた魔法剣も、この節はかつての主を想って喪に服す。




大修道院の外れ、人気の少ない森に入るなり足を止める。
背の高い針葉樹林が疎らに立ち並ぶ木々の中は静穏そのものだ。風に揺れて葉が擦れる音、遠い鳥のさえずり。少し湿った土と青々しいにおいは、広葉樹林の中とは少し違っておもしろい。

( ……撒けなかったか )

背の高い針葉樹から落ちるわずかな木漏れ陽が、ちらちらと薄く光る。今日の休息日は明るい陽射しが眩い良い天気で、素晴らしい森林浴日和だ。…と思うのだが。

「……ヒューベルト、だっけ」

諦めて溜め息混じりに呟くと「よくご存知で」と白々しい声が返ってきた。
大修道院を出る前から誰かにつけられている気がしたのだ。シャミアに察知能力の磨き方や人混みに紛れる方法などを指南してもらったのに、どうやらうまくいかなかったらしい。


「こんな所までついてきて、何の用なの」
「…二人きりになるためですよ」
「……とっても癪に障る笑みだね、用件をどうぞ」
「やれやれ…貴殿は衆目に晒されたくないだろうと考えていたのですが、」
「お気遣いありがとうとでも言えばよろしいか?」
「いえ、結構。二人きりの方が私も都合が良い」


それで結局何なのだろうか。こういう話の切り出され方は苦手だ。こちらの悪態を引き出されている気がするし、相手はこちらの悪態を確実に嘲っている。

「くくっ…そろそろ逃げ出されかねないので本題に入りましょうか」

やはり癪に障る笑みを浮かべながら、ヒューベルトは数歩こちらに近付いた。声を潜めて話すつもりなのだろう。どういう用件であれ、これ以上顔を崩すまいと顰めっ面のままヒューベルトを見据えた。


「先日処断されたロナート卿……彼が死の間際に遺した言葉をご存知ですか?」
「…遺した言葉?」
「あの女狐に誑かされている、真実をさらけ出さねば……そう、訴えていたそうですな」
「へえ…って、なんでそんなこと知ってるの?あの課題は金鹿の学級が担当したんだよね?」
「ええ、我々の課題はもっと穏便に済むものだったのですが……実はベレト先生に課題協力を頼まれまして、」
「…へえ?」
「……というのは冗談ですが、この程度のことは大修道院中に出回っている噂ではありませんか」
「それは嘘だ」
「何故、嘘だと言い切れるのです?不肖姫はあまり大修道院の人間と交流しないのでしょう?そのような噂には疎い、もしくは興味が無いのでは?」
「好きではないよ」
「…成程」


笑みを深めたヒューベルトは何を悟ったものか。笑顔には相手を威嚇するという側面もあるが、彼の場合にはその面しかないのではと思えてしまう。


「では、質問を変えましょう。ロナート卿の言葉、貴殿はどのように考えておられますか?」
「……女狐に誑かされてるとかどうとかいうやつ?それ、聞く相手まちがえてない?」
「と、いうと?」
「私の噂、知ってるでしょう?不肖姫とやらがそんなものに関心を持つとでも?」
「ではロナート卿の言葉も、大司教暗殺の密書も、どうでもいいと?」
「まあ愚かで怠惰な不肖者が気にすることではないね」


私の煙に巻いた返答にもヒューベルトは表情を変えない。ふむと頷いた彼は、「では」と声を改めた。


「我々の考えをお伝えしてみましょうか?」
「興味無いな」
「ロナート卿のいう女狐とは大司教殿を指しており、曝け出さねばならない真実がある。それは例えばロナート卿との過去の因縁や、これまで過去にもあった事件のこと……教えやフォドラの歴史にさえ、不実があるのでは…と」
「言ったでしょう、不肖者が気にすることではないって。教団の教えも歴史も理解せず、それが事実かどうかなんて欠片も興味無いのが"不肖姫"だよ」


じゃあね、と強引に話を切り上げて背を向ける。
ヒューベルトが「やれやれ」と息をついた。
ああいう教団の粗探しをする手合いは深く関わらない方がいいだろう、と足を早めた時。


「……そういえば」


少し距離を置いた背後でヒューベルトが声をあげる。立ち止まって首だけ振り返ると、彼は顎に手を沿えて思案するようにこちらを見ていた。


「貴殿は誰に追われているのですか」
「……追われている?」
「おや、お気付きないとは」
「監視なら心当たりあるけど」
「似たようなものでしょうな。……お望みとあらば、手を貸すのも吝かではありませんが…」


監視も追跡者も私が望むならどうにかしてくれる、ということだろうか。


「あなたが私に手を貸すの?どうして?」
「……さて。全ては我が主のため、とでも言っておきましょう」



( 主…エーデルガルトのこと? )

それでも私にはあまり関係ない。手を貸さなくていいから余計なことでこちらを煩わせないでほしいものだ。
ふうんとだけ素っ気無く頷いて、今度こそヒューベルトに背を向けた。









「ああ、いたいた」
「……リルメ?」
「アッシュ、今時間ある?ありそうだね、ちょっと来て」


緩い陽射しのなか、木陰でぼんやりと座り込んでいたアッシュを立たせた。何か言っているようだが明確な拒否はないのでそのまま手を引いて、大修道院の外れにある孤児院まで連れて行く。


「あーっ姫さまだ!」
「え、姫さまがオトコ連れ込んでるー!」
「カレシですかー?」
「ちがうよ、コンヤクシャって言うんだよ」
「姫さまだもん。どうせアソビでしょー?」
「またマセた言い方を覚えたねえ」


わらわらと集まってくる子供たちにアッシュは目を丸くしていた。ここには赤子から十二歳程までの子供が預けられる。そこから先は大修道院内で従士なり修道士なり何かしらの見習いとなるのだ。


「アッシュ、今日はごちゃ煮の日なんだ」
「ご、ごちゃ煮?」
「ヘンなやさいをいっぱい煮こむの!」
「変な野菜…?」
「ブサイクなやつとか腐りかけのとかねー」
「腐りかけ!?」
「たまに温室から分けて貰うんだ。食堂では扱いにくい小さすぎるやつとか、傷んできたやつとか」


あとは市場に出回る規格外の格安品とか。そういうものをとにかく小さく切ってしっかり煮込む保存食のようなものだ。離乳食にもなるし、水や牛乳で薄めてスープにもできる。


「アッシュ、料理はできる?」
「え、ま、まあ…得意な方です」
「ならよかった。この子達がいろいろ教えてくれるだろうけど包丁も使うからね、ちょっと見てやっててくれる?」
「あ…はい……って僕まさか子守りのために呼ばれたんじゃ…!?」
「だめ?」
「……だめじゃないです…」


お兄ちゃん顔まっかーと子供に揶揄われているが、アッシュは子供の相手も苦ではないと以前に聞いている。子供に好かれそうでもあるし人も良さそうなので、と放置して私は孤児院を出た。

用事を済ませて、孤児院の調理場に向かう。なぜか、かつてない程にいい匂いが漂ってきた。


「え、何このいいにおい」
「あー姫さまおかえりー!」
「姫さま、アッシュすげえな!アッシュってりょーりにん?」
「アッシュが変な葉っぱいれててね、みんなは嫌だって言ってたんだけど、今すっごくイイにおいするの!」


口々にアッシュを賞賛する子供たちは、いつの間にかすっかりアッシュの虜になっている。みんなで囲って話しかけたりちょっかい出したりしているが、アッシュは優しい笑みで対応していた。


「まあ…アッシュ……すっかりお母さんみたいになって…」
「っリルメ、いつの間に戻って…!」
「今だけど、…うわ、すごい、いい匂い」


大鍋をかきまぜる子供と、それを見守るアッシュの側に歩み寄る。鍋を覗き込めば、これまでにない香りとスープの色に思わず息をのんだ。


「な、なにこれ美味しそ…」
「姫さまーっ!」
「うっ」
「こら、火の近くで人にぶつかったら危ないよ」
「ご、ごめんなさぁい」
「……アッシュがお母さんになってる…」
「え」
「姫さま姫さま!わたしの写本見てくれた?」
「うん、字が綺麗になってきたね」
「えーっほんとう?ウィル兄には変って言われるのにぃ」
「ウィリアム司祭は期待してるんだよ。手先の器用な妹ならもっと上達するはずだって」
「そんなこと言われてもぉ」
「院長先生の生誕祝いのお手紙の時より綺麗になってたよ。大丈夫、ちゃんと上手になっていってる」


ウィリアム妹の頭を撫でると、彼女は嬉しそうに抱きついてきた。こうして懐いてくれば可愛いとは思うが、本来子供は苦手だ。初対面でこうも子供に群がられているアッシュは本当に尊敬する。


「……リルメ、姫さまって呼ばれてるんですね…」
「ま、まあ…なぜかね…」
「だって姫さまが1番きれいなんだもん」
「きれーで、やさしーんだよ」
「おいしいものくれるし、美人だな!」
「ときどきこわいけど、でも、目も髪もキラキラしててきれいなの!」

あそこがきれいここがきれいと外見を誉めそやす子供に苦笑していると、ひとりの子供がアッシュに耳打ちをしていた。

「……ほんとうはね、こじいんのめがみさまなの」
「女神様?」
「あー!それは言っちゃだめなんだよ!」
「そうだよ。それは孤児院の外で言ったら大変なことになる。だからアッシュ、聞き流してね」
「え?え、ええ…」
「女神じゃないから、きれいでやさしい姫さまなの!」


ウィリアム妹がそう言いながら「いつか姫さまのけっこんゆびわも作るね!」と話題を変えてくれた。「アッシュとおそろいでいい?」とおどける彼女に、アッシュが慌てて首を振るのを子供達がつついて笑っている。アッシュも揶揄ってくる子供の対応に料理を続ける子供の様子見にとバタバタしつつ笑っているのを見て、人知れず息をついた。







前節からずっと冴えないでいる。
雨季の鈍い空模様も次第に晴れてきたというのに、心は未だ晴れやかな空へと向けられなかった。

ロナート様の謀反の理由は聞いた。その顛末も、最期の言葉も聞いた。大司教暗殺の密書のことまで聞いて、処断は仕方がないことだったのだと言い聞かされた。

( ……いけないことを、許されないことをしたのだと、わかっている )

けれど未だに頭のなかから「何故」という言葉が消えない。そうらしいと理解はしても、納得できないのだ。何かがおかしい、ロナート様はただの罪人ではなく何か理由があるはずなのだ、と。


そんな折だった、リルメに手をひかれ孤児院へと連れてこられたのは。
年嵩の子が言うには、リルメが自ら生徒を連れてきたのは自分が初めてらしい。勝手にリルメのあとをつけて孤児院に入り込み彼女に叩きのめされた生徒はかつていたらしいが、リルメ自身が手を引いてきたのはアッシュが初めてなのだ、と。
あのか細い女性が誰かを叩きのめすというのは想像できなかったが、連れてきたのは自分が初めてだと聞けば妙に胸が騒いだ。きっと先日買い物を手伝ったことへのお礼なのだろうと自分に言い聞かせる。


「アッシュは本当に子供に好かれるね。子守りを任せて正解だったよ」

そう穏やかに笑ったリルメに、いやこれはお礼でも何でもなく手伝いに駆り出されただけ!と騒ぎたてる胸を宥めた。


「……リルメこそ、随分と慕われていますね」
「子供はこの顔と餌で釣れるみたいだ」
「釣れるって…」
「子供は苦手だったんだけどね……つい気晴らしにくるようになっちゃった。ここは教団の人間もあまり近寄らないから」
「そうなんですか?」
「孤児院の世話をする人は決まってるから、聖職者の奉仕は必要ない。信仰教育を受けたければ大修道院まで出向きなさいってのもあるから、わざわざ説教に来ることもない」
「……」


それでも聖職者であれば孤児などの弱者を気にかけるもの、と思っていた。ここは衣食住も教育もそれなりに満たされているから問題ないと、リルメは言う。それはまるで「自分が手をかけているから聖職者の施しはいらない」と言っているようでもあった。


「でも、私が孤児院に出入りしていることは、あまり口外しないでね」
「ど、どうしてですか?あなたがしているのは、孤児院の支援に繋がっているんじゃあ…」
「ふふ、誰も不肖姫がそんなことをしているとは考えないよ。せいぜい子供と遊んで気晴らししてるくらいにしか思われない」
「そんなことは、」
「ある。どこで何をしてるかわからないが、ふらふら遊び歩いているらしい…と思われるくらいが都合いいの」
「……リルメ」
「孤児院というのはね、よくも悪くも利用されやすい。だから私が先に手をつけて利用してるだけ」
「利用…?」
「ここは孤児という弱者の保護施設ではない。けれど、それを大多数に知られたくもない。……わかるね?」


庭で駆け回る子供達を眺める。ただ追いかけっこをして遊んでいるように見えるが、リルメは変わった規則と罰をつけることを提案していた。実は訓練にもなるのだと、ひっそり笑って。


「………だから、甘んじて"姫さま"と呼ばれてるんですか?」


ぽつりと呟いた自分のそれに、リルメは白緑の美しい目をぱちりと丸くした。色素の薄い睫毛が瞬くのに見惚れていると、今度はくしゃりとその目元が緩む。


「ふふっ……びっくりした」
「っ、…び、……びっくりは、こっちのセリフです…!!」
「なんでよ…ふふ、」


目の前で唐突に笑われたらそれは驚く。黙っていれば冷たくさえ見え、子供達にはたいそう綺麗綺麗と言われる美貌だ。
……そんな風に笑われると、困る。


「ああー!姫さまがアッシュとイチャついてるーう」
「いっ、いちゃ…!?」
「アッシュお顔まっか!」
「すきなのー?」
「こいなのー?」
「私はアッシュいい人だと思うけどね」
「っ!?」
「ひひひ姫さまがアッシュたぶらかしたー!!」
「けっこんだあぁ!」


きゃあきゃあと騒ぎながら子供達が群がってくると、あっという間にリルメと離される。そのことに内心ほっとしながらも、子供の揶揄に真っ赤になったままの頬はどうにもならない。
けっこんだ、いやこくはくだよ、と言い合う子供達のそれは、聞き流すには威力が強すぎる。


「もう、アッシュからかうのはそのくらいにしなよ」
「なんで姫さま赤くならないのー?」
「けっこんだよ!?おいわいだよ!?」
「さてはお祝いケーキ食べたいだけだな?」
「ねーねー、やっぱアソビなのー?」
「アッシュが姫さまにもてあそばれたー!!」
「ちょっ、人聞き悪いこと言うな!」


楽しそうに逃げ回る子供の声と、そんな子供を捕まえて怒った顔を作ってみせても結局は子供の笑顔に釣られて緩んでしまっているあの顔。動き回る子供に振り回されて、晴れた夕暮れにキラキラと照らされる白い髪。実は荒れているらしいと知ったばかりの指先ではなく、触れても痛くない手の甲で汚れた子供の頬を拭う柔らかな手付き。


「………アッシュ、コイでしょ」


子供の揶揄う言葉でさえ魔法のよう。
ちがうよ、と笑って首を振ったけれど、その声は少し泣いていたかもしれない。



愚かで怠惰な"不肖姫"。綺麗な人だとは知っていたけれど、評判は頗る悪い人だとも聞いていた。

けれどその裏には、孤児院の祝いのためにベリーの値切りで頭を抱えたり、穏やかに笑って子供に姫さまと慕われるリルメがいた。……かと思いきや、冷たく現実的な思考を隠し持つ"姫さま女神"もいた。

その二面性を知って思いを馳せたのは、ロナート様の悲しみと怒りだった。自分が知らなかった、憧れてばかりで知ろうともしなかった過去。
それを思い知って殴られたような心地がしたと共に、どこかで冷たい色をした光明が見えた気もした。