同情から逃げたい
毎年のことだが、青海の節は私の唯一の護身武器 魔法剣がどこか不安定になってしまう。
これを譲ってくれたシェンという師が故郷で愛した姫、その形見の剣なのだ。姫はこの節の星が美しい夜、祝福されるべき婚姻の席で殺された。そのせいか星が美しい夜は、主を奪われた怒りと次こそは奪われまいという意気込みで魔法剣そのものの力が空回るのだろうとシェンから聞いた。おかげで時折すごい力を発揮することもあるのだが、反面、つまらない失敗もしてしまう。
◇
散らかった本。ひらひらと風に舞う紙。そして座り込んだ私を見下ろして、男は鼻を鳴らした。
「ふ、ふん…いつも遊び歩いておるのだから、たまには労働のひとつでもするといい」
そそくさと立ち去る修道士を見送って、感情をいなすように息をつく。……よくあることだろう、こんなことは。
人目につきたくないから裏道を使ったのがまずかった…いや、幸いか。誰かに見られるべき場面でもない。
「あらあらぁ〜…」
「!」
と思ったそばからそんな声が聞こえた。柔らかく穏やかな女性の声。
「…失礼、何やら資料が飛んできたのだが……ん?」
「まあ…ローレンツかしら?」
( ……うわ、やだな… )
「ああ、君はメルセデスさんだったな。それより、この惨状……あなたはリルメ姫ではありませんか?」
ひらひらと舞う紙を拾い上げながらこちらを見た男子生徒にハッとする。
「あっ、拾ってくれてありがとう。そのまま置いといてもらって大丈夫だよ」
「何?そういうわけには…」
「メルセデス、だっけ?あなたもここは気にせず行って?これはすぐに片付けるから」
「……あら〜?…もしかして…」
不審そうに首を捻ったメルセデスは、座り込んだ私の前に膝を着いた。そして曲げたままの足にそっと触れられる。
「だ、大丈夫だよ。別になんともないから」
「…えいっ」
「っ!」
「まあ、ごめんなさいね。強く握ってしまって。けれどやっぱり、怪我をしているのは放っておけないわ〜」
「何?ならば医務室に連れて行かねば」
「大丈夫、平気だよ」
メルセデスの手をそっと押しやって立ち上がると、わかってはいたが足首がズキズキと痛んだ。けれどこの程度なら何とでもなるし取り繕える。
( こんなの、今更だ )
散らかった本や資料を拾い始めると「待ちたまえ」とローレンツに止められた。
「…転けて、ちょっと驚いただけだよ。別にもう痛くも何ともないから気にしないで。拾ってくれてありがとね」
「いや、しかし…」
「無理はよくないわ〜、足首腫れていたじゃない」
「むくみでしょ」
そう言いながらさっさと拾い終えてローレンツから資料を取り上げる。彼は真意をはかりかねたようにこちらを見ていたが、にっこりと笑みを向けてそれは黙殺した。
「じゃ、二人ともありがとうね」
「は!ま、待ちたまえリルメ姫!」
「待って待って、走ってはダメよ〜!」
「怪我に障るだろう!」
メルセデスが駆け出すとローレンツも弾かれたように走り出した。
「……は?なんで追ってくる…!?」
「君が無茶なことをするからだ!というか君は、」
「っあ、あれは……ディミトリ〜、リルメを止めてちょうだい〜!」
ローレンツが何か言いかけたがそれよりもメルセデスの声にぎょっとした。周囲を見れば、ディミトリとドゥドゥーが廊下の脇にいる。まばらにいる騎士や修道士の視線がなんだなんだとこちらを見ていて居心地も悪い。
「なっ、ど、どうしたんだ?」
「ディミトリ、今ちょっと困ってるから止めないで!」
そう告げると彼はハッとしたように足を止めて首を捻った。
困ったことがあれば何でも言ってくれと告げたのはディミトリだし、こう言えば今の私を見過ごしてくれるんじゃないだろうか。そう期待して駆け足のままディミトリと擦れ違おうとした時。
「メルセデス達が何か…」
「ディミトリっ、リルメ怪我してるのよ〜!!」
そう張り上げられた声が廊下に響いた。途端、私の足は宙に浮いた。
「……ディミトリ…」
「す、すまない…しかし怪我をしているなら話は別だろう」
一体たったの数秒で何をどうやったのか。ぐるんっと視界が回ったかと思えば次の瞬間には横抱きされていた。ひらりと落ちた数枚の資料をドゥドゥーが拾ってくれている。
「まったく…怪我が悪化したらどうするんだ。そもそも大修道院内を走るだなんて君はそれでも…」
「あーはいはい、私が悪かったよ。走らせてごめんねローレンツ」
「む…別に僕は……いや、まあいい。ところでその本はどこに運ぶんだ?君は怪我人だからね、僕が引き受けよう」
まあさすがローレンツだわと微笑むメルセデスに得意気に頷く彼を見ると、なんだか意地を張るのも疲れてきた。
ローレンツが貴族の嫁候補を見繕っていると聞いた時から、そしてその光景を何度か目にした時から、正直あまり関わりたくないと思っていた。家のために結婚相手を捜すところも、愚かで我儘な不肖姫を嫌煙していそうな程に気位が高いところも、きっと苦手だろうと想像していたのだ。
「……全部、食堂に持っていくところだったの。料理長に私からって言えば受け取ってくれると思う」
「食堂?……いや、承知した。この僕に任せたまえ」
「…ありがとう」
君は必ず医務室に行くようにと告げたローレンツは、詮索などはせずさっさと返しに行ってくれた。勝手に苦手意識を持っていて申し訳なかったかもしれない。
「……ところで、ディミトリ。降ろしてくれない?」
「リルメは足を捻ったみたいなの〜」
「メルセデス…そうなのか。では駄目だ、リルメ。このまま医務室まで運ぶぞ」
「……」
思わず顔を顰めそうになって深く俯く。長い髪をぎゅっと顔の前に寄せると、あまり好きではない銀色に視界が翳った。
「リルメ?」
ディミトリの気遣わしげな声を聞くに、彼は完全に友人としての善意を持って運ぼうとしてくれている。それを押し退けるのは感じが悪すぎるだろう。気を回してくれたローレンツにもメルセデスにも悪いなとは思う。
( でも、こんなところ見られたくないんだよなあ… )
先程の修道士も探りたいし、医務室に行けば目敏いマヌエラは気付かれたくないようなことも見抜いてしまうだろう。何より、ディミトリに抱えられているところを人目に晒したくない。
「……殿下、……」
「………なるほど。メルセデス、少し頼みがある」
「何かしら〜?」
「?」
ドゥドゥーがディミトリに何かしら耳打ちし、今度はメルセデスとドゥドゥーがひそひそと話す気配がした。
何を話しているのだろうと思いつつ、私には関係ない、もしくは私に優しい話ではないと確信している。すっかり捻くれてしまった感情のまま、もうディミトリを殴ってでも逃げたいなと考えてしまった。
「……」
「リルメ、少しの間だけ我慢してくれるか?」
「え?」
「ではでは、いきま〜す」
朗らかなメルセデスの声と共に、ばさりと何かが頭に覆い被さった。ふわっと石鹸が香って視界が真っ暗になる。
「な、なにこれ?」
「まあ、綺麗な髪ね〜。残念だけど、これもちゃあんとしまっておかないと」
メルセデスが垂れ落ちる私の髪を掬い上げて胸元に置いた。そして覆い被さったこれは…外套だろうか。それできゅっと私の頭から上半身を包むとディミトリに少し抱え直された。
「俺の外套で申し訳ない。洗ったばかりでまだそこまで汚れてないと思うが…少しだけ辛抱してくれ」
「えっと、ディミトリ…?」
「お前のことはちゃんと隠すから、医務室まで運ばれてくれるか?」
「……」
言葉を失った私に構わずディミトリは歩き出した。
( なんで嫌だと思ってることがバレたんだろう。……そもそも、なんでそんなことにまで気を使ってくれるんだろう )
医務室に行きたくないのも人目に晒されたくないのも私の我儘だ。運んでやるだけありがたく思えとか、行きたくないなら勝手にしろとか、そう突き放されるのが普通なのに。
( ……"友人"、だものね )
それにしたって手厚いと思うが、そういえば弱者に優しいと思ったこともあるのだ。だからディミトリのこれは、きっとそういことだ。
「…おっと、……少し止まってくれるか、王子様」
「……クロード。悪いが今は急いでいる」
「それは見ればわかるさ」
外套で見えないがクロードは同行しているメルセデスに何かしら告げたのだろう。彼女が少し低い声で「まあ、そうなの〜」と零して、それにぎくりと胸が嫌な音をたてた。
「気付かなかったわ〜…」
「俺もたまたま気付けただけだよ。これ、使ってやってくれ」
「クロード?お前、これは…」
「あら〜、いいのかしら?」
「ああ。その代わり、万全な状態に治してやってくれよ?俺の学級にいる姫のファンが泣いちまうからな」
「うふふ…ええ、もちろん」
クロードがそんな軽口を叩いて立ち去る気配がした後、メルセデスは私の膝に新たな布を巻いた。
ディミトリもドゥドゥーも何も言わなかったが、タイツが破れていることもバレてしまったらしい。
( ………嫌だな…)
なんて溜め息をついても医務室はすぐそこまで差し迫っていた。
◇
人を噂で判断するのは間違っていると思う。しかし火のないところに煙はたたない、ともいう。
メルセデスは信心深く敬虔な教徒だ。女神を信奉しているし、教団を信じてもいる。だから不肖姫の噂を鵜呑みにはせずとも、彼女は信仰心を持ち合わせていないのだろうとだけ確信すれば、無意識のうちに愚かで怠惰な不肖姫として認識してしまっていた。
本をいくつか抱えて人気のない裏道を歩く彼女を見て、ひそかに落胆してしまったのだ。
( ……今は合唱訓練と奉仕の時間…午前の会には、どちらにもいなかった )
休息日は生徒も交えて様々な信仰訓練が行われる。修道士や司祭の大半はそちらに参加しているし、フレンが出ているのも見たことがある。けれど彼女の姿は一度も見たことがない。やはりリルメに信仰心はないらしい。
「……あら?」
ふと、一人の修道士が目に付いた。
周囲をきょろきょろと見回して、落ち着きなく壁や地面を探っている。何か落としてしまったのだろうかと思ったが、懐を覗き込んではこそこそしているので違うかもしれない。
( ……女神再誕の儀で何か起こるかもしれないし、それに関係することかしら?困っているなら声をかけるべきだけれど… )
怪しむべきか心配すべきかと逡巡していたが、リルメが修道士に声をかけると彼は奇声をあげて腕を振りかぶった。あまりの反応に驚いたのか、腕をぶつけられた彼女が本を落として転けてしまっている。
「き、急に声をかけるな!」
「……何かお困りで?」
「煩いっ、お前には関係ないだろう!!」
なんて酷い言い方をするのだろう。リルメも不快だったのか冷ややかな声で
「…へえ?」と零されたのが耳についた。
「ふ、ふん…いつも遊び歩いておるのだから、たまには労働のひとつでもするといい」
そう告げて立ち去った修道士に、珍しく耐え難い不快感が湧いた。いつも生徒達には親切な人達なのだ、いくら彼女が不信心だからといって、それだけであのような言い方をするだろうか。
彼女の手にしていた本が子供向けの教材や、栽培関係のものだったことに気付くと、なぜだかわからないが胸が詰まるようだった。
「……ねえ、ディミトリ…あの子は大丈夫かしら〜?」
医務室でのマヌエラとのやりとりを思い出す。
ディミトリやクロードの外套に包まれて、ディミトリに抱えられている人間を見てマヌエラは目を丸くしていた。そしてそれがリルメだとわかるなりマヌエラは血相を変えて「また何かあったのか」とリルメではなく自分達を問い質した。対するリルメはディミトリから飛び降りると、彼への礼もそこそこにマヌエラを宥め始めた。
『足を捻っただけ?それだけで、あなたがそんな状態に甘んじてここに来るわけないじゃない!』
きっと、この言葉にいろんな意味が集約されていた。
『マヌエラさん、今回は…』
『どの薬がいるかしら…解毒剤は必要?鎮痛剤は切らしてなかったわよね…確かあそこに、』
『マヌエラさん!』
『!』
『約束を覚えているでしょう?……大丈夫ですよ、昨夜に狩りをして、ちょっとしくじっただけです』
たいした怪我はしていないからとマヌエラに言い張った彼女は、自分やディミトリ達に対する礼を捲し立てた。何も知られたくないから早く出て欲しいのだろうと察したし、自分達がそれ以上居座る理由はもなかった。マヌエラが彼女を請け負ったことで退出を余儀なくされたのだ。けれど、
( ……解毒剤…きっと、前にもそういうことがあったのね… )
マヌエラの反応を見ればわかる。
リルメは何度もマヌエラに心配をかけてきたのだろうことも、きっとわざとかけていたわけでもないのだろうことも。
「………ああ…、」
何か考え込んでいたディミトリの低い声に、思わず彼を見る。
「…ディミトリ?」
「どうやらリルメは、人に気を揉ませずにはいられないらしいな」
顎に手を添えて何か思案しているような横顔は、とても端正で誠実そうに見える。
事実、出会って間も無い相手だがメルセデスはディミトリをそういう人間として認識しつつある。そうでなければ不肖姫などと蔑まれている者にここまで心を砕かないはずだ。
けれど、少し伏せたその青い目の仄暗さだけは、なんだか少し気にかかった。
「……リルメは危なっかしい子なのね〜」
「そうかもしれないな……それより、クロードを捜してこれを返さないと」
がらりと一転した声音でそう告げた彼に、やきもきしながらメルセデスは頷いた。
( 考えていることも、心配なことも、もっと話してくれたらいいのに… )
ディミトリはいつも穏やかに「なんでもないよ」と微笑んで内側に隠してしまう。そういう点は先程のリルメの頑なさに似ている。
なんでもないから、大丈夫だから、自分なんかに構わないで。
そんなふうに壁を作ってしまうと、「ああそう」と簡単に人は離れていくだろう。私はあなたに必要ないんだねと、あなたから拒絶されるくらいなら私から手を差し伸べることもしたくないなと。
それでもメルセデスは、相手が悪い人でないのならと目をかけずにいられない性分だ。
( ……あまり踏み込んでほしくなさそうだったけれど、 )
一度お茶に誘ってみてもいいだろうか。甘いものは好きだろうか。たまに猫を構っているそうだし、可愛いものは好きかもしれない。そうだ、アネットにもこのことを話してみよう。ディミトリや知らぬ間に仲良くなっていたらしいアッシュに協力を頼めば、なかなか捕まえられないと噂の彼女を追うこともできるはずだ。
などと計画をたてていたメルセデスは、まさかディミトリがリルメに求婚しているだなんて噂が数節後に流れることになるとは夢にも思わなかった。