29 ハピ編



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「やっと見つけた」

それは久しぶりに感じた心の動きだった。


これまでは、うんざりしていて、疲れていて、恐れ怯えているような大人の声ばかり聞いていた。優しい言葉を吐いていた口は、すぐに溜め息をつくようになり、次第にハピの心を疲弊させる言葉ばかりを吐き出すようになっていた。大人たちの拒絶を孕んだその声も、言葉以上に雄弁なその目も、ハピの心を酷く摩耗させるものだった。

「大丈夫?」

優しく細められた目と柔らかな声。
もう、そんなものを信じるつもりはなかった。そっと差し出された手だって取るつもりはない。どうせ柔らかなその声はいつしか凶器のように鋭くなってハピを傷つけるのだ。これみよがしに溜め息を吐いてその手を振り払い、そのうちハピを目に写すこともなくなるのだ。あの大人達のように彼女だって嘘をついてハピを突き放すに決まっている。

「ほら、立てる?ここを出ようよ」
「……」

それなのに傷だらけの指先とマメの潰れた掌を見て、つい、呟いてしまった。

「……手、痛そーだね」

いずれハピを振り払うであろう手のことなんて、どうでもいいはずなのに。

「優しいんだね、でも大丈夫だよ。もう何も感じないから」

そう、疲れたように笑った彼女を見て久しぶりに心が動いた。それは嫌でも悲しくもない動きで、自分でもどういう感情なのかはわからなかった。



「へえ、ハピかあ…なんか可愛い名前だね。ご両親の名前もそういう感じなの?」

ハピの境遇を聞いておきながら無遠慮に家族の話を聞かれたのも珍しかった。
こういう話をすると寂しくなるかもしれないから、長く会えていない家族のことなんて答えにくいかもしれないから、きっとあまり考えさせてはいけないから。そんな建前で諭されてきたこともあって、家族や故郷のことを考えるのは避けてきた。寂しくなってしまうのは事実だから。

「……さあ?」

そうはぐらかすように首を捻ってから、少しだけ胸が苦しくなった。

九歳の時、故郷から連れ去られた。得体の知れない実験をされ、恐怖のまま、言われるがままに溜め息を吐いて、そして魔獣が現れた。ハピを囲む大人達も、泣き叫ぶ魔獣も、ハピ自身の現状も、この先の未来も、何もかもが恐ろしかった。その恐ろしさは、実験から解放され、ハピを連れ去った脅威の大人達から離れても変わらなかった。おかしな体質のせいで人から恐れられ煙たがられ、それなのに虚しくなって溜め息を吐くこともできない。悲しくても息を呑みこみながらほたほたと涙を落とすしかなく、心が動く度に勝手に零れ落ちそうになる空気を生まないよう息を何度も浅く止めた。
そうしているうちに息苦しさも胸の痛みも感じなくなったのだろうと思っていた。

( ……窓辺の花、何だろう…初めて見るヤツだな )

セイロス騎士団に保護されてからは、いつも窓のない狭い部屋に押し込まれていた。部屋から極力出るなと言われ、扉の外にはいつも騎士がいた。用もないのに扉を開けると怒られた。清潔な寝具があったし食事も最低限のものを与えられたと思うが、まるで牢に閉じ込められているようだった。時折外に出されて体質を治すためのあれこれをされたが成果はまるで出なかった。

あの日リルメと出会ってから、セイロス騎士団による検証は「改善不可」という結果を残して終わった。

大司教と呼ばれる女性や大人達がハピの処遇を話し合うなか、誰もハピ自身の意見は聞いてくれなかった。当然のように「危険な体質だから野放しにはできない」とされ、けれど危険だからこそ誰も関わりたがらなかった。だったら故郷に帰らせてほしかった。

( ……たぶん家族のためなら、溜め息もガマンできるのに。気が緩むからダメなんて、勝手に決めないでよ )

とても腹が立っていた。ファーガスの教会から引き取られることで、故郷からは更に遠ざかってしまった。それでこの体質が治るならとここまで来たのに、やはり手に負えないだなんて。それならそれで仕方ないけど、手に負えないなら手放してくれればいいではないか。

( ……家族と安全に過ごすためだからって言ったくせに。少しの辛抱だって、そう言ったくせに )

嘘つき。嘘つき嘘つき。大キライ。
息苦しさも胸の痛みも感じなくなったと思っていたのに、ぐるぐると不快感は渦巻いた。

「彼女は私が引き取ります。アビスならば、再び誰かに攫われたり異端扱いされたりする恐れも減るでしょう」

誰もハピと関わりたがらないなかでそう名乗り出てくれる人がいても、不快感は消えない。どうせここに縛り付けられることに変わりはないのだから。

アルファルドと名乗ったその人は、ハピの手に負えない体質を知っているはずなのに優しかった。そして悲しげに謝った。

「ごめんなさい……本当は家族の元に帰してあげられたらよかったのですが、力及ばず…」
( ……どーせ、デマカセでしょ。とりあえず謝っときゃいいって思ってんでしょ )
「あの子…リルメも尽力してくれたのですが、どうしても叶いませんでした」
「…リルメ?」
「ええ、あの部屋から君を出した少女ですよ。リルメは誰にも告げず独断で君を解放したので、君の管理をしていた司祭と対立してしまったのです」

様々な疑問が浮かぶ話だった。
あの日ハピはリルメの手を取らなかった。傷だらけの手を掴むと痛いかもしれないと思って、自分で立ち上がった。けれど心做しか悄気たリルメを見て慌てて彼女の服裾を掴んだのだ。そして尋ねた。
「ここから出られるの?」
彼女は肯定も否定もしなかった。
「こんなの、やったもん勝ちでしょ」
いつも扉の外にいる騎士はいなかった。遠くから騒々しい声が聞こえてきたが、彼女は反対方向に向かって歩き出した。見かけた猫に餌をやって、猫じゃらしで遊んで、干し果実を分けられた。甘いものを食べたのもかなり久しぶりで浮かれていたら、いつものとは違う見慣れない騎士に見つかってあの部屋に連れ戻されたのだ。強く怒鳴られていたリルメがどんな顔をしていたのかはわからない。けれど「またね」と呟いて自分の服裾からハピの手を引き剥がした。

「あの子は最悪の展開を避けたかったのでしょうが、少々問題のある手段を取ってしまったようで……今は謹慎しています」
「謹慎?…ていうか、最悪の展開ってナニ?」
「これは告げるべきかどうか悩んだのですが……君はきっと勘のいい子なので伝えておきますね」

アルファルドがそう前置きして口にしたのは、現状よりも更に悲惨な顛末だった。

溜め息ひとつで魔獣を呼ぶ体質。魔獣は家畜などの獣よりもはるかに凶暴で制御がきかない生物だ。子供や老人などの無力な者を簡単に殺してしまう災厄のようなもの。そしてそれは、武力にもなる。

「君の体質を軍事利用しようと画策していた者がいたのです。君の管理をしていた司祭とその者が繋がっていたようで、その…、」

少し口にはしにくい手段でその企みを暴いたらしい。しかしなかなかに悪辣な手段だったせいで、謹慎中となっているのだと。

「軍事利用される、ということは君に死の危険が付き纏うことになります。司祭と繋がっていた者は、教団と敵対しかねない相手だったので、そこに君が組み込まれれば討伐対象になったかもしれません」
「……なにそれ…どっちにしろ死ぬじゃん」
「ええ…許し難いことです。そのような者から君を保護するためにも、ここにいて欲しいのですが…」

イヤだと言っても聞いてはもらえないのだと、もうわかりきっている。渋々頷いたハピにアルファルドは謝罪と感謝を重ねた。




アビスで過ごすようになって数日。
退屈だが必要以上に干渉されることも煙たがられることもないアビスは、騎士に保護されていた時よりはマシだった。これならアルファルドやリルメに感謝してもいいかもしれない、と思った時。

「いたぞ、こっちだ!」
「…え、何…」
「気をつけろ、溜め息つかせるなよ!」

どこからか現れた賊のような者達に、静かな地下通路が騒然とした。ハピはあっという間に取り囲まれ、猿轡をかまされる。

「むー!?」
「捕らえたか!?」

ドタドタと駆けてきたのは、以前までハピの管理をしていた司祭だった。危険人物と繋がっていたこの司祭は騎士団に拘束されたのだとアルファルドは言っていたはずなのに。どういうことだろうか。

「……よし、では早く売りつけに行くぞ」
「おい、今度こそ金は出るんだろうな?」
「あの方の元に辿り着きさえすれば、そこからたんまり褒賞は出るんだ!儂が交渉して割増してやるからきっちり働け!」

喚き立てる司祭にうんざりしながら、賊がハピを担ぎあげた。
周囲の住人達は無力な女子供や病人や老人ばかり。怯えて震える彼等に害が及ぶくらいなら、自分は大人しく連れ去られた方がいいのだろうか。どうせ自分がいない方が、ここも平和になるのだろう。

「…リルメがきた…!」

全て諦めるべきかと落胆した時、周囲から歓声があがった。

「間に合ってよかった!」
「お願い、あの子を助けてあげて!」
「ハピちゃん、優しくしてくれたの!連れて行かないで!!」

嗄れた老人の声に、か弱い女性の声。泣きそうな子供の叫びに、思わずじわりと涙が浮かぶ。

「き、貴様どうやって…がはっ!」

賊が悲鳴をあげて次々と倒されていく。同じ年頃の少女とは思えない動きに、ハピを担ぎ上げている賊もたじろぐばかり。司祭も腰を抜かして罵声を浴びせることしかできていない。

「こ、この不精姫が…どうせ見張りの騎士に色仕掛けでもしたのだろうがこの儂には通用せんぞ!貴様のような汚らしい女、金にしかならんのだからさっさと売ってしまえばよかったのだ!!」
「姫さま、がんばってえ!!」
「あなたは私達の光よ、負けないで…!」

司祭の罵声を掻き消すような周囲の歓声。リルメは無言で光る剣を奮って、とうとうハピを担ぎ上げているだけの賊も倒して解放してくれた。

「こんな物が英雄扱いされるとは、アビスもつくづく腐りきった場所だ!反吐がでる!こいつらも全員売り捌いてしまったほうが世のぉがっ!?」
「うるさい、豚めが」

味方を失ってなお腰を抜かしたまま喚く司祭を、リルメは顎から蹴りあげて踏み付けた。まるで魔法のように血を払い、物語の騎士のように剣を収めたリルメに、きゃあっと周囲が沸く。

「ごめんね、来るのが遅くなって」

そう言いながら猿轡を外してくれたリルメは、よく見ればあちこちが泥だらけで小さな傷もたくさんあった。

「…だい、じょーぶ?」

短時間とはいえ猿轡をされていたせいか、微妙に鈍る口元で問えばリルメは綺麗な顔を緩めて頷いた。

「あの司祭に関しては、もう大丈夫だよ。灰狼の学級に声かけといたから、アルファルドさんもすぐに来てくれるだろうし」

そっちではなくリルメが大丈夫かを聞きたかったのだが、きっと彼女は笑って大丈夫だと頷くのだろう。


後日アルファルドに頼み込んで、あの日の顛末を聞いた。
拘束されていた司祭は騎士を買収して牢から逃げ出すと、騎士にリルメの拘束を命じたらしい。アビスでハピを捕らえる際の障害になりうることと、己の悪事を暴かれた逆恨みから「可能なら傷物にしてしまえ」とも命じたそうだ。

「……ほ、ホントに大丈夫なの?リルメ…」
「ええ、本人も元気そのものですし、彼女を襲った騎士がボロボロにされていたくらいです。幼い頃からシェン殿に鍛えられているリルメがそう簡単に負けるはずもありませんね」

確かに賊を倒した時の動きは、その辺りの騎士など相手にならない程のものだった。けれど、彼女だって自分とそう変わらない年頃の少女だ。自分だって何もかも諦めたかのように思えていても、死ぬかもと思えば恐怖するし、周囲に無事を望まれれば涙が滲むこともある。

「……アルフさん、頼みがあるんだけど…」



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「あれを機にハピも変わったのでしょうね。始めたばかりの魔導でも、その才には目を瞠るものがありました」
「おーげさだよ、アルフさん」

出涸らしのお茶を飲みながら、過去のあの日を思う。嘘ばかりの騎士や自分の境遇に恨み辛みを重ねてばかりだった日々は、リルメに見つけられたあの時から変わった。いや、正確に言えば恨み辛みは消えていないし故郷に帰りたいとも強く思うのだが。それでも、

( 最悪…ばかりではなくなった )

自分は今ろくでもない死に方もせず生きているし、出涸らしとはいえ好みのお茶を飲んで笑えてもいる。自分を守ろうとしてくれる人がいて、自分が力になりたいと望む人がいる。

( ……たぶん、シアワセ、なんだろうな )

狭い牢のような部屋で外を眺めていただけの時よりも、ずっと。