静かになった地下闘技場を見渡して、ふうっと安堵の息を吐く。先程までは次々と敵が四方から現れて、その対処に追われていたのだ。あれだけの敵を灰狼の学級の人間達だけでこれまで対処してきたのだというなら凄いことだと思う。
「あー、疲れたー」
「やっぱ人手があるとラクなもんだな」
「…やはりあの魔導はもう少し威力を調整して…」
「おい、コンスタンツェ。ここで研究おっぱじめんじゃねえぞ」
へとへとになっている自分達と違って慣れたように返り血を拭っている。地下の薄闇に馴染む彼等は、やはりどこか空気が違った。
( リルメも、彼等に近いよなあ )
先程、灰狼の教室で出会した時。ヒルダは仰天していたが、自分はすんなりと受け入れることができた。リルメは孤児院に心を砕ける人なのだ。弱者の多いアビスに出入りしていることなど、何の違和感もない。
( ……でも、どうして賊のことをこれまで話し合ってこなかったんだろう )
賊のことに関しては先程初めてユーリスと話を擦り合わせたようだった。どことなく寒々とした雰囲気で会話をする彼等は不仲に見えた。
( 僕らに手助けしてほしくないリルメと、手助けを望む灰狼の学級。……僕らの介入が彼女の不都合になるのだろうか。それとも灰狼の学級が僕らを騙そうと…って、それはないか… )
自分はリルメという人間を深くは知らない。教団の人間らしからぬ言動で疎まれていることと、それをものともせず堂々とする強さがあること。孤児院やアビスを支援しているらしいこと、それを公にせず人知れず働いていること。……きっと、悪い人間ではないこと。
( リルメは隠したがりなのかな。彼女なりの守り方があるから、僕らに介入してほしくないのかも )
そう考えるのが自然な気がしてきた。でも、彼女の考えがわからないうちは自分達も引けないだろう。彼女がどんな風にアビスを守るのか全く予測ができないし、なんなら良い予感もしない。
( ……そういえば殿下、どうしてあの時リルメを止めたんだろう )
先程のディミトリとリルメのやりとりを思い出す。二人が思ったよりも親しげだったことや、フェリクスと彼女に交流があったことも意外だった。……が、それよりも。
ディミトリは相手の意見も聞かず「やめておいたほうがいい」などと勝手に決めつけるようなことはしない人だ。その彼が
いろいろ考えて想像を巡らせると、今ここにはいないリルメのことがとても心配になってきた。
「アルファルド様!よくぞ駆けつけてくださいました!」
取り零した敵にユーリスが狙われた時、彼が魔法を放ち助けてくれた。アビスの皆が慕うアルファルドは、教団の人間らしくもない色味の衣装を纏っている。
「ええ、間に合ってよかった。リルメに呼ばれて来たのですが、私も皆さんの役に立てたでしょうか」
「助かったよ、アルファルドさん。アイツはどこにいんだ?」
「今は書庫にいるはずですよ」
アルファルドの言葉に少なくない人数が安堵したのがわかった。何かしでかしそうだと勝手に心配したが、杞憂だったのかもしれない。
「ベレト先生。こうして、君と話すのは初めてですね。君のことは大司教猊下からも聞き及んでいますよ。私はアルファルド。教団から、アビスの管理を任されている者です。と言っても、私自身は一介の修道士にすぎませんが…」
「はじめまして。あなたのことはユーリス達やリルメから聞いている」
「……では、彼らの身の上もすでに聞いたと思います。アビスに生きる者たちは皆、それぞれの事情を抱え、地上で生きることに難がある。フォドラでは迫害されがちな、ダグザやパルミラの民……病や貧困のために地下での暮らしを余儀なくされた者など……行き場所のない人々の居場所を作る、というのが私の務めだと思っております」
「居場所がこんな日の当たらないところで、病や貧困から抜け出せるかね……」
「やめろ、クロード。アルファルド殿、気にせずお話しください」
「実を言えば……彼らにも、もっと良い生活を送らせてやりたいのですが。猊下も教団も、アビスの存在そのものを煙たがっているようですし……」
アルファルドの言葉にふと引っかかる。
以前リルメに連れて行かれて以来、孤児院へと何度か出向いた。弟達がいるのは別の所で、そう気安く行ける場所ではないが、孤児院ならば出入りしやすいのだ。
そこで孤児院の先生に聞いたことがある。
『この孤児院はただ身寄りのない子供を預かっているだけではない。ここはいずれ教団で奉仕を行う者の育成所であり、資金作りの枠組みのひとつなのだ』
育成所、というのはわかる。文字の読み書きを教えていたり、将来騎士になりたいと望む子供が従士として励んでいたりするからだ。
『資金作りの枠組み、とは?』
『高度な読み書きが出来る子には写本を、従士の子には温室で学ばせた畑仕事を市井で行わせ、幼い子には料理や手仕事をさせる。この大修道院にある施設を利用した教育で、大修道院内外と商売をする取り組みのことだ。大した金額にはならないが、そこで得られた報酬は貧困層に当てられることになる』
それ以上を教えられることはなかったが、彼の言っていた貧困層とはアビスのことではないか、と今気付いたのだ。大修道院内ではなく、城下の貧困層へとも言われなかった。もしもその枠組みにアビスが組み込まれているのなら、教団も容認のうえ、ということになるはずだが…。
「近頃は教団の中でも、アビスの浄化を謳う者たちが増えつつあります」
これまでは容認してきたけれど、今はそうではないのだろうか。
「教団なんてそんなもんじゃん。いくら弱者の救済を掲げててもさ」
「だから、そんなもんで終わらせちゃいけねえんだよ。おれだって、賞金稼ぎ相手に派手にやり過ぎて匿ってもらってる身だし……ハピも即、首に関わんだろ?」
「まーねー、リルメがいなきゃハピたぶんもう死んでたんだろうなー」
呑気に背伸びをしながらハピが呟く。
彼女にどんな事情があるのかわからないが、もし救われた過去があるのなら。アビスにとってのリルメはアルファルド同様の存在なのかもしれない。
◇
書庫を覗いてみるとリンハルトとコンスタンツェがいた。
地下闘技場での戦いで捕らえた敵を詰め、自分達はある推測をたてたのだ。あの賊は宝を求めているようだった……それはもしかしたら地下の最奥に眠る"始原の宝杯"では?と。
「うわあ…」
アビスの書庫は大修道院にあるものより壮大な造りになっていた。中央部分の吹き抜けから見上げれば、存外高くまで階層が積まれている。下もそれなりに階層があるようだ。ここにある書物だけで一体いくらになるのか…と、金額を換算しようとしてすぐにやめた。間違いなく、途方もない額だ。
( これだけでもアビスの価値は底知れないのに……宝物まであるっていうのか? )
そのことにゾッとして二の腕を摩っていると、リンハルトが顔をあげた。
「あれ…アッシュ、どうしたの?」
「あ、調べ物の邪魔してごめん。リルメを探しに来たんだけど…これじゃ、探すのも大変そうだね」
「彼女なら、さっき擦れ違った住人が上階にいるって、言ってたような…」
「リルメはたまに不可侵の魔導具を仕掛けていますから、こういう時は無闇に探し回らない方がよろしくてよ」
「不可侵の魔導具?そんなものがあるの?」
「私が作り出した傑作ですわ!少し特殊な魔力操作が必要で、失敗すれば甚大な被害も出ますが、一定の領域に人を寄せ付けない最強の盾にもなりますのよ!!」
「へえ…そんなものがあるとはねえ……知らなかったなあ」
「……世に出すには要改善だと、リルメやアルファルドさんに止められましたから仕方ありませんわ。ですが!これもいずれ教団に認めてもらうための試練…!」
「それより君、その本を調べ終わったならこっち見てくれない?」
「わ、わかってますわ!」
再び調べ物に没頭し始めた二人の邪魔にならないよう、そっと書庫から出る。
賑やかな食堂らしき場所に足を向けると、ハピとベレトがいた。
「アッシュ、何をしていた?」
「リルメを探してたんですが、今は近付かない方がいいって言われちゃいました」
「あー…コニーの魔導具使ってるんだろうね」
「魔導具?」
「一定の領域に人を寄せ付けない不可侵の魔導具だそうですよ」
「そうそう、触れたら大ケガとか…もしくは静電気がくるとか何とかで……どうして被害の度合いが変わるのかはコニーにもわからないんだって。だからお蔵入りしたってワケ」
「は、はは…それは確かに要改善だね」
「リルメは安全に使えるのか?」
「うん。そういう魔力操作?か何か上手らしいよ。ハピのことも軽々と持ち上げちゃうしさー」
「え」
何気なくそう言ったハピが、少し懐かしむように微笑んだ。
「その…ハピ、嫌だったら話さなくていいんだけどさ」
「…なにー?」
「さっき、リルメがいなきゃ死んでただろうなーって……あれ、どういうこと?」
恐る恐るそう問いかけてハピの反応を見る。
彼等が只事ではない理由でここにいるのだと察しているし、簡単には口にできない過去があるのであろうこともわかっている。けれど知りたいのだ、彼等のことや、このアビスの深さを。
「んー…まあキミたちならいっか。さっきの戦いで、ちゃんとハピたちのこと守ってくれたし」
「え!」
「詳しくは言えないけど…でも、他の人にあんま言わないでね」
「も、もちろん!先生も言いませんよね?」
「ああ、約束する」
しっかり頷いてベレトと自分を見つめたハピは、壁に凭れかかって口を開いた。
「ハピさー、子供のころに故郷から連れ去られて実験台にされたんだよねー」
「…え…」
衝撃的な始まりに言葉を失う自分を置いて、ハピは淡々と話し続ける。
「その後は教会に保護されて、ここの騎士に体を治すって約束されて連れてこられたんだけどさ、」
「……」
「あれこれやっても結局ダメで、最終的には死んじゃうかもってなって…」
「…ど、どうして…」
「悪いやつに利用されて死んじゃうか、悪いやつに利用されたせいで騎士に討伐されるか、そうやってハピを悪用される前に処分してしまうかって話になって、」
「そんな…!」
珍しく目を丸くするベレトと、あまりの話に息を詰まらせる自分を見て、それまで心を押し殺すかのような淡々と話していたハピが、少し穏やかに笑った。
「そん時のハピを見つけてくれたのがリルメでさ、いろいろあって謹慎中だったのに、教団のお偉いさんのこと殴っちゃったんだよ。うるさい、ブタめって…ふふ、あの顔で言っちゃったんだよ?」
「ぶ、ぶた…」
「まー、さすがに故郷に帰してはもらえなかったけどね。死なずにここで、それなり楽しく生きてるのは、やっぱリルメとアルフさんのおかげかな」
「……ハピ…」
さらっと、触りだけ話してくれたのだと思う。深い事情はわからないし、ハピの感情についても言及されていない。けれど簡単に聞いただけでも凄く酷い過去だとわかる。
「リルメね、スゴイんだよ。頼りになるの」
「……今回のことは相談してなかったみたいだけど、それはどうして?」
「今年はさ、リルメ事情があって地上のことで忙しいみたいだから。リルメの将来のことを考えるなら、黙ってたほーがいいって、アルフさんも言ってたし」
「それは、どういう意味?」
「さあ?傷が残ったらとかどーとか言ってたけど、ハピにはよくわかんない」
……普通に考えれば、女性に傷を残してはならないというのは一般的なのかもしれない。けれど、何かあっても相談されず、自分達のような他人を頼りにされれば彼女はどう思うだろう。
「……大丈夫」
「先生?」
「ハピ達のことは守るし、リルメに傷も残さない」
誰かに伝えるというよりは、自分に言い聞かせているようだった。そしてもう一度「大丈夫」と呟く。ハピが応えるように「ダイジョーブ、だよね」と頼りなさげに呟けば、酷く胸が締め付けられた。
悲惨な過去を持つハピと、地上で不遇されているのに影でアビスや孤児院を支援しているリルメ。そして様々な事情を持ちながらもアビスの為に戦うユーリス達。
彼等の力になりたい。今回の件だけでなく、この先も。