30
始原の宝杯。
その記述を目で追って、ふうっと本を閉じた。コンスタンツェお手製の不完全な傑作の作動を止めると、ヴゥンと音がして魔導具が光を消す。静まり返った書庫の上階に人影はない。本棚の横にかかるタペストリーをめくり、模様を描くように壁をなぞる。薄らと転移陣が浮かび上がった。
( ……手段は選んでられないよな )
転移陣に魔力を流し込み目を閉じる。暗闇に踏み入るような不安定さを感じた背後で、めくっていたタペストリーがバサッと元に戻る音がした。
◇
始原の宝杯。
敵の狙いと思われる宝物だ。それはアビスの更に地下層、封印の谷に眠っているらしい。
アルファルドに止められたものの、それで事態が好転するのならと、宝杯を求めて一行は地下へ向かう。自信ありげなコンスタンツェの先導で進んできたが、似たような薄暗い風景が続く現状に不安になっきた。
「……ねえ、迷ってたりしませんよね、これ?もう三日くらい歩いてる気分なんですけど」
「三日って、キミ……まだ半日も経ってないくらいじゃん」
リンハルトとハピの言葉に隣を歩くアッシュが小さく唸った。薄暗く埃臭い廻廊が延々と続くのがどうにも気味悪いらしく、その顔色は優れない。
「でも確かに、これ以上の時間をかけるなら、水や食料にも懸念が出てくるわね」
「そうだな。もう少しだけ粘って駄目なら引き返したほうがいい」
「おい、クロード。そう簡単に引き返すだなんて言ってくれるな。次はいつアルファルドさんとリルメの目を出し抜けるかわかんねぇんだからよ」
「だぁれの目を出し抜くって?」
「ぬぁ!?」
「きゃあっ!」
先導のコンスタンツェとバルタザールが一つ角を曲がった矢先、そんな奇声をあげた。隣のアッシュもそれに釣られて「わああっ」と跳ね上がる。
「ななっ、なぜここにいますの…!?」
「ぅおおお前、書庫にいたんじゃねえのかよ!」
「さてね。私は賊対策するためにこの辺りに来たんだけど……コンスタンツェ達も?」
微笑んでいるのに目が笑っていない。明らかに異議のありそうなリルメにコンスタンツェは狼狽えている。
「ま、まあそうですわね。賊対策になりえるはずですのよ」
「始原の宝杯が?」
「ええ、敵の狙いがそれならば…って、あら?知っていましたの?」
「前から賊が宝探しに来てることは知ってたよ。封印の谷に始原の宝杯があることも、まあ、随分前に文書で見たことがあってね」
「……『全部知ってる』ってそういことかよ」
バルタザールがやれやれと額に手を当てて首を振った。だよな…お前ここで育ってるもんな……と呟くバルタザールにリルメは笑みを深めた。
こうして彼女を俯瞰して見てみると、嘘は言わないが全てを話しているわけでもないのだと嫌でも察する。教団関係者のような潔白さや堅さはなく、どことなく貴族のようにも見えた。
「始原の宝杯は英雄の遺産に匹敵する宝物だ。それを教団に渡してしまえば賊問題が解決すると読んで、コンスタンツェ達はアルファルドさんの心配を振り切って来ちゃった…って感じかな?」
「う…っ」
まったくもってその通りだ。バルタザールはリルメを出し抜いたと言っていたが全て筒抜けになっているではないか。
「……で、お前はそんな俺たちを止めに来たのか?」
返答に窮するコンスタンツェの横に、ユーリスがまるで受けて立つかのように並んだ。リルメひとりが対立しているような構図に思わず眉が寄る。隣のアッシュやヒルダも「大丈夫かな…」と呟き、ベレトとクロードとエーデルガルトは静観していた。
「それとも……一人で始原の宝杯を取りに行こうとしていた、とか?」
…うわ、有り得そうだな。クロードの小さな声につい頷く。まだできることはあると言っていた彼女に嫌な予感がしていたが、もしや当たっていたのだろうか。
そんなこちらの懸念を一蹴するかのように、リルメは「まさか」と笑った。
「どっちも違うよ。私は、始原の宝杯を取りに行く必要はないと思ってるからね」
「…あ?どういうことだ?」
「封印の谷には宝杯を守る仕掛けがある。わざわざあんな所に行って必死こいて仕掛けを解いて…なんて、面倒だから賊に取りに行かせようと思ってさ」
思いもよらない答えだった。
は?と首を捻ってばかりのこちらに、リルメは手に持ってた紙を少し広げて見せた。
「それ…お前…!」
「…なにソレ…地図?」
「封印の谷に繋がる経路図。今はちょうどこれを作ってたところなんだよ」
「経路図って…いつから……」
「いや、つーかお前、封印の谷に行ったことあんのかよ!?」
「実際に見てきたよ。だから思ったんだ。いっそのこと谷底まで賊を引き込んでしまえば、宝杯を守る仕掛けが賊を纏めて片付けてくれそうだなって」
( ……なるほど、一理あるな )
彼女が様々なことを知って動いていることに驚きはしたが、知っているからこそ打てる手だろう。やはり彼等はもっと早くからこの問題について話し合うべきだったのだ。それとも、リルメと彼等はそこまで近しい仲ではないのだろうか。
「その、仕掛け?ってスゴイの?」
「すごい…うん、すごい手強いよ。あの程度の賊なら片付けられると思う」
「……仕掛け…ならば摩耗するのではなくて?」
「さあ?私にはとても理解できないものだったから、わからないな」
「いつ壊れるかもわからない仕掛けをあてにして、何度も賊を地下深くに引き込むのは賛成しかねますわ。それに、もしも賊が生き延びて情報を持ち帰られたらどうしますの?」
「もちろん、入ったからには生きて帰さないよ。こっちも傭兵を手配するつもりだから、そこは心配しないで」
「傭兵だと?ろくに金も払えねぇアビスに来る傭兵なんざ…」
「ロック婦人に頼んでおいた。ユーリスが死ぬかもしれないから助けてってね」
ロック婦人とやらが誰なのかは知らないが、ユーリスは口を噤んでしまった。
正直、リルメの考えている事の方が安全な気はする。封印の谷まで誘導してそこの仕掛けで賊を始末できれば、灰狼の学級の彼等が戦うことも減るだろう。きっと彼女のことだから住人達に被害が及ばないよう手は打つだろうし、ユーリスが反論できないような相手に助力を頼んでいるのなら安全なのではないだろうか。
「……もうそれでいいんじゃない?」
「リンハルト…疲れたからっていい加減な口出しをしてはダメよ。この件の方針は彼等が決めることだわ」
「だが実際、リルメの案は悪くないよな。仕掛けの強度に関しては懸念もあるかもしれないが…」
「こうして見ると、リルメちゃんっていろんな手を隠し持ってそうだよねー。仕掛けのこともなんとかしちゃうんじゃない?」
これはもう引き返す流れになるのだろうか。そんな空気に振り返ったコンスタンツェが、慌てたようにリルメに詰め寄った。
「も、もし…もしも、万一、賊が宝杯を手にしたらどうするつもりですの!?」
「盗られたら?まあ、始原の宝杯はどこに行こうが真価を発揮することはないだろうし、簡単に壊れるもんでもないし……盗んだ人間が無事でいられるとも限らないじゃない?」
「それは一体……っいえ、それでもなお、敵がどれだけ賊を送り込むかわかりませんわ!何も持ち帰れないことに痺れを切らして軍勢が攻めてきたら…」
「その規模になったらさすがに上で止められるかな。上から通されれば、それは教団の介入になる。どう話が転んでもアビスに危害は加えさせないようにできるし、ここに責任を負わせるようなことはさせないよ」
リルメの声音には確固たる自信があった。絶対にどうにかすると約束しているわけではないのに、それだけの力強さがあるように思える。
しかしハピやバルタザールは浮かない顔をしているし、ユーリスも眉を寄せて明らかに不機嫌そうだ。そしてコンスタンツェは必死に次の反論を探しているようだった。
「……コンスタンツェ、お前、妙に宝杯にこだわっていないか?」
封印の谷に行こうと彼女が言い出した時から薄らと感じていたが、リルメとのやり取りで確信した。平行線になりそうな話の流れを変えるべくそう問えば、コンスタンツェは目を丸くした。
「あ、あら……な、何の話でしょう?私に他意などございませんわよ、ほほほ」
「功を立てて教団に認められたいんだろ。取り潰された実家を立て直すためだとさ」「な、なななぜそれを知っているをのかしら?貴方まさか私の身辺を勝手に探りましたの?」
「口癖みてえに言ってるじゃねえか、お前。私の夢はヌーヴェル家の復興ですわ、って」
「あ、やっぱりコンスタンツェさんって、ヌーヴェル家の元令嬢なんですね。先生は知ってます?数年前まで帝国の西部にあった子爵家ですよ」
ヌーヴェル家…名前だけは知っていたが、まさかこんな所にいたとは思わなかった。
「ヌーヴェル家は、5年前に爵位を失ったの。戦役の責任を取ってね」
5年前…ということはダグザ=ブリギット戦役のことだろうか。帝国西部にあったというのとは、ヌーヴェル家はその戦役の前線にいたのでは……と、そこまで考えて胸が重くなった。
「……まるで他人事のような仰りようね」「私にできるのは、何もできなかった父に代わってこの頭を下げることだけよ。貴方がそれを望むのならば……」
「……結構ですわよ。私が望むのはただ一つ。帝国を守るために誰より勇敢に戦い、命を落とした両親のため……」
「……」
「爵位を取り戻し、ヌーヴェル家を再興させ、かつての栄華を再び……!」
両親も爵位も失った彼女がここにいる理由。ヌーヴェル家の者は彼女ひとりなのだろうか。それでもと再興を望み強く拳を握ったコンスタンツェに胸を打たれていると、気の抜けた声で「あ、なるほど」とリルメが呟いた。
「そういうことなら取りに行こうか、宝杯」
「はあ?」
「よ、よろしいんですの!?」
唐突に強情さを緩めたリルメにこちらも拍子抜けする。
「手強い仕掛けがあるんじゃねえのかよ」
「解き方は想像つくし、慎重にいけばなんとかなるんじゃないかな。試してみる価値はあるよ」
「お前…急にどうしたんだ?さっき言ってた策はいいのか?」
「宝杯取りに行ってみて駄目だったらその策でいこう。それよりも、コンスタンツェの夢の方が大事だからね」
「わ、私の…?」
「それに関しては絶対に味方するって…何度か言わなかったっけ?」
「あ…」
目を見開いたコンスタンツェが、ぐっと息を詰まらせたのが見えた。そして少し顔を歪ませると取り繕うようにリルメを睨む。
「な、ならば…あの魔導具を改良すべきですわ!貴女がずっと持っているせいで研究が進みませんのよ!?」
「いやー…あれはリルメが持ってた方がいいじゃん?」
「コンスタンツェに持たせるとまた爆発が起きちまうからな。それより、早く行こうぜ。助っ人をいつまで待たせるわけにはいかねえだろ」
ユーリスがこちらに振り返ると、リルメを振り返った。そういえば彼女は自分達の助力に納得していなかったが今はどうなのだろう。何を言うのか、リルメが口を開こうとしたその傍でユーリスが手早く動いた。
「ベレトせ…んぐっ」
「お前、また徹夜しただろ。目が充血してんぞ」
何か言いかけたリルメの口に糧食が突っ込まれ、慌てた彼女をバルタザールが肩に担ぎ上げた。
「んむ!?」
「よっこらせっと……ったく、道案内も仕掛けの解除もお前頼みなんだからしっかりしてくれよ?」
「あっ、こら、ユーリス!人の口に食べ物を突っ込むのはお止めなさいと何度言えば…!」
「姫が手汚さなくてすむように給餌してやってんだろうが」
「はっ、ものは言いようだな。で、どっちに進むんだ?」
「……そこを右…ぎゃっ蜘蛛の巣!」
「うぉっ前が見えねぇ!」
「あー?仕方ねぇな」
「ちょ、ユリー急に剣振り回さないでよ」
「ユユユユーリス!それをこちらに投げてはなりませんわ!!」
「おー悪ぃな」
「リルメお前、人の頭に急に抱きつくんじゃねえよ……いや、でもこれは役得…いってえな!」
バルタザールに鋭く蹴りを入れたユーリスが、こちらを振り返って小さく頷く。細かいことは有耶無耶にしてそういう流れにしてしまおう、ということだろうか。
「よかった……やっぱり仲良かったみたいですね」
先程までの雰囲気は何だったのか。和気藹々とし始めた彼等にホッとして頷いた。
「リルメちゃん、急にお姫様みたいになっちゃった」
「ああ、不思議と違和感ない……って、いやいや。リルメは最初からお姫サマだろ?」
「そーいうんじゃなくてさー、なんていうか…」
「まあ煌びやかな場所でチヤホヤされる類の姫ではなさそうだからな」
地上で疎まれている不精姫ではなく、しかし彼等の中心に君臨する姫でもない。今の和やかな雰囲気も自然と馴染むが、それでも彼女はユーリス達と同じ目線にいる者ではないのだろう。