呼び覚まされた


翌週には女神再誕の儀がある。私はこれが嫌いだ。
まず、名前が嫌いだ。かつてはいたとしても現在は女神など存在しない。それが再誕するなどという字面が気に食わない。実際は、女神がいるとされる星海の星が春には見えず、今くらいの季節から見え始めるからという設定があることくらいは知っているが、……女神が見守る季節も星が見えない春も何も変わりはしない。なぜなら女神は、"見守るだけの存在"でなければならないから。
あと、もうひとつ。一般人が多く来るのも嫌だ。各地の巡礼者や貴族だけでなく、城下の老若男女が訪れる祭りのようになる。普段は閉鎖されている場所が公開されることもあり、大修道院内外はたいそう賑わうのだ。その浮ついた空気が煩わしくて嫌いだ。


「一昨年は人混みにまぎれて拉致されかけたもんなあ」

ウィリアムがからりと笑って水を差し出した。イェリッツァは慣れたように、フェリクスは戸惑うように受け取っている。


「拉致、だと?」
「そこはほら、この顔だからな。特殊な嗜好の奴等を狂わせてしまうらしい」
「ちょっと、変な言い方しないでよ」


軽く睨むと朗らかに「悪いな」と微笑まれた。ウィリアムはアルファルドの次に世話になっている司祭だし気安いのはまったく構わないのだが、フェリクスやイェリッツァの前でその話はしてほしくない。


「……そもそも、何故ここにいる」

休息日前のフェリクスとの手合わせ。今日はイェリッツァも交えて行っていたのだが、先程ふらりと水差しを持ってウィリアムが現れた。訓練場は司祭が来るような場所ではないので、フェリクスはわかりやすく胡乱げな目を向けている。


「今年は大司教暗殺だのと何だのと騒がれているが、リルメにとっては元々注意が必要な時期だろう?再誕の儀当日だけでなく、前日から妙な仕込みをする奴も過去にはいたからな。身辺警護だよ」
「ああ…落とし穴とか捕縛網とか毒矢とかね…」
「…は…?」
「あ、その類の罠はシャミアさんが片付けてくれてるってよ。五年前にあの人が来てから、格段に安全になったよなぁ」


私とウィリアムの話を聞くフェリクスの顔は、まさにドン引きだ。異質なものを見るような目をされるのは慣れているが、多少付き合いはあるうえフェリクスのようにそういうのを気にしなさそうな人間にその目をされると少し傷付く。


「そんなわけで、こいつが一人で人気のない場所に行こうとしてたら止めてやってくれるか、フェリクス君」
「あまり気にしなくていいからね、フェリクス」


にっこりとウィリアムに笑みを向けられたが応戦するように微笑み返す。生徒に余計なことを言うんじゃないという意思は伝わっただろうか。
フェリクスは何とも言えない顔をして舌打ちをすると、「当人が強くなればいいだけだろう」と再度剣を向けてきた。全くもってその通りだし、フェリクスと私の考え方は近そうなので嬉しい限りだ。







「それにしても、騎士に扮するってのは妙案だよなあ」

隣を歩くウィリアムが感心したように呟く。パリッとした司祭の正服に身を包む彼は、いかにも威厳と慈愛に満ちた笑みで周囲を見渡している。擦れ違う一般人の会釈に微笑んで返す姿など、まさしく聖職者だ。
対する私は司祭を警護するセイロス騎士・セイに扮していた。


「騎士姿なら顔もパッと見ではわからないから別人に成りすますこともできる。リルメ本人は引き篭ってサボってることにしていても全く疑われない不肖姫だし、まさか騎士になって働いてるとは思われまい」


もう普段から騎士になってればいいのでは?などとシャミア同様簡単に言われたが、そうはいかないだろう。有力な結婚相手を探すために出歩いているところを見せなければならないし、普段は騎士仕事などしている暇もあまりない。セイロス騎士団の大半は私に協力的だが、もちろんそうでない騎士だって大勢いる。


「……来年からはこの手でいくべきですね」
「お前が楽な手段を取ればいいさ。引き篭ってサボってたっていいんだよ。さすがにこの時期は、武器も本調子じゃかいんだから大人しく……、!」
「…ん?」


ふと、足が立ち止まる。ウィリアムを制して人差し指を口に当てると、賑やかしい大修道院の中で耳を澄ませた。

「……聖廟から、か?」
「…みたいですね」

廻廊の先を進むと聖廟がある。今日は聖廟も公開されているし、一般人が出入りする以上、多少騒がしくなるのは想定内だが。けれど、この騒がしさは和やかなものではない。


「……たぶん、戦闘が起きてますね」
「戦闘!?おいおい…開場されたばっかだってのに…」
「ウィリアム司祭は騎士団を呼びに言ってください。私は一般人が近付かないようにして、聖廟の様子を見てきます」
「もう再誕の儀も始まってるし、一般客を巻き込むわけにもいかないならな……わかった、無理をするなよ」
「はい」


まだこの辺りの人気は多くない。ウィリアムなら騎士や修道士にも声をかけて、一般人が入り込まないよう呼び掛けをしてくれるだろう。手早く立ち入り禁止の鎖を廻廊に掛けると、足早に聖廟へと向かった。

( ……足、まだ地味に痛いなあ… )

やっぱり今日は引き篭っておくべきだったのかもしれない。けれど大司教暗殺なんぞを目論まれたら、大人しくはしておけないだろう。

( あーあ…やってるわ )

近付けばわかる戦闘特有の喧騒。半ばうんざりしているが、早々に当たりを引けたことは運が良かったと思うべきだろう。
聖廟へと続く階段を降りると、見慣れない外套の背がいくつかあった。しかし、どうやっても見学に来た一般人には見えない。というか奴等、一個小隊を連れてる。

( ……さすがにひとりで突っ込むわけにはいかないか )

息を殺して身を潜める。がやがやと大人数で聖廟の中へ踏み入った敵を見送り数秒待つ。そして音をたてないように階段を降りて、気配を薄める呼吸を意識した。

( …シャミアさんの言ってた通りだ。この呼吸方は集中力も高まる )

教わった通りの動き方で壁に張り付き聖廟内を覗う。単独での隠密行動は敵に何も悟らせないことと好機を逃さないことが重要だ。

( あれ?金鹿の学級?…ここを警備してたのか… )

偶然なのか、はたまた予め敵の狙いを推測していたのか知らないが、……いてくれて良かった、と思うべきか。ベレトは新任教師なのに何かと教団の荒事に遭遇しやすいようで不憫な気もする。が、元傭兵だけあって戦闘慣れしているのは救いだろう。

「……?」

全体を視認していると、聖廟の中央に異色な影があった。周囲で戦闘が起き、弓矢や魔法が飛び交うなかで、ただ佇んでいる仮面の騎士。少し視線を巡らせて、時折馬を宥めている。味方には見えないが、だからといって敵というわけでもなさそうだ。

( ……まあ、こちらに攻撃してこないならそれでいい。只者じゃなさそうだし、騎士団が来るまでは放っておこう )

それより、奥でセイロスの棺に手をかけている人間が気になる。まさか封印を解こうとしているんじゃなかろうか。

( ……そう簡単なことではない、はずなのに……何だろう、この感覚 )

嫌な感じや怖気というものだろうか。それにしては心が沸き立つような感じもする。

不思議な感覚に首を捻りながら、柱に身を隠しつつ、奥へと進む。あの仮面騎士は私の存在に気付いていそうだが、周囲に指摘してあげている様子はない。おかげで私はすんなりと敵の背に回ることができた。それもこれもシャミア直伝の隠密行動指南のおかげだろう。


「うおおっ、騎士団のひとじゃねえか!応援に来てくれたのか?」

大柄な男子生徒の大声が聖廟内に響く。彼が挟撃されそうだと思ったから敵の背を討ったのだが、離れたところでベレトが一瞬肩の力を抜いていたので手助けできていたのだろう。あまり彼の采配を狂わせたくはないが、少し混ざるくらいならいいか。
彼等と顔を合わせたのはロナート卿の件以来だ、さすがにセイとして認識されることもないだろう。


「今は私ひとりですが、応援は呼んでますので、もう少々ご辛抱を」


低い声を意識して告げれば、大柄な男子生徒は「助けてくれてありがとうな!」と戦場に似つかわしくない温かな笑みを浮かべた。

( …いい子そうだ…けど、危なっかしいな )

見ろぉオデの筋肉ゥ!と叫んで拳を奮う姿は面白いのだが如何せん隙だらけだ。極力彼の周囲に目を配りながら、鋼の剣に擬態させた魔法剣を振る。他の生徒も安心して見ていられる程の技量ではないが、そこはベレトがうまく指揮して補い合っているようだ。

「…?」

目の前の敵を躱して、身を翻しながら切り伏せる。ぐらりと倒れた敵の、その鎧の意匠には見覚えがあった。

「……」

周囲を警戒しつつしゃがんで、敵の服と鎧を検分する。血に汚れているが、襟裏にはセイロス正教会の紋章があった。そして敵の落とした剣を拾い上げて柄付近を見れば製造元の印もある。

( …これは確かファーガスの鍛冶商会の……で、教会関係者ということは…… )


「……何かわかりました?」
「!」


思わず肩を跳ねさせて少しだけ顔をあげた。兜を被っているとはいえ顔をあげて真正面から対峙すればさすがに目元が見えてしまう。声と肩に揺れる外套からしてクロードだろう。


「……彼らの正体は仮定できました。…あの中央の騎士は、さておき」
「あの危険そうな仮面の騎士は俺達も疑問に思ってましたが、……少なくともこいつらは騎士団の知らない敵ではなかったってことですか?確か…セイさん、でしたっけ?」
「え……なん、…!?」
「うおっ!?」


クロードにセイと呼ばれた驚きで顔を上げた途端、咄嗟にクロードを突き飛ばして即座に身を転がした。瞬間、二人が立っていた場所にザンッと鋭い斬撃が走り抜ける。

「っ!」

足元に倒れていた敵がその斬撃でビクンっと跳ね上がり血飛沫が舞った。素早く振り返れば、これまで一歩も動いていなかったはずのあの騎士が大きな鎌を振り上げて向かってきている。

「は!?あいつ動かなかったはずじゃ…っ」
「…私が引き受ける!下がって!」

深く息を吸って吐き出す、しかし手短に。魔力の循環を意識すれば身体がじわりと熱を持つ。そしてシャミア直伝の呼吸法に切り替え、吸って吸って吐く、

( 瞬間に、動く! )


恐ろしくはない。
こんな瞬間は何度も訓練で乗り越えてきた。もちろん訓練と実践は違うが、イェリッツァの訓練は殆ど実践だ。容赦がなさすぎて耳や腕を落としかけたのは一度や二度ではない。

( じっと待ち構えるよりも敵の狙いがぶれる予備動作を入れる…そして、敵の動きを読む……最初はそんなことできるわけないと思ってたな )

騎馬の初撃は受けてはならないと教わったことがある。馬上からの攻撃は歩兵にとって不利であるうえ、たいていの騎士は馬の助走までつけてくる。受け止めようものなら骨は折れて身体が吹き飛ぶだろうし、受け流す程の技量は私にはない。だからこそ重ねていた訓練が、こんなところで機能するとは。

「……はあっ!」

振り下ろされた大鎌を避けると、仮面の騎士は巧みな馬術ですぐに追撃してきた。

( これは弾く! )

一際魔力を込めて剣を振り上げる。
ゴォンッと重金属のような音が鳴り響いた。肘まで震えるような衝撃を感じながら、瞬時に握り直して次激を流す。

( 集中しろ… )

息付く暇もない攻め立てはどこかイェリッツァのものに似ている。しかし物騒な大鎌に加え馬上からの攻撃、肌がひりつくような殺気も相俟って本当に…、

「し、( …死にそう! )」

攻撃範囲の広い大鎌のせいで懐にも入れず躱す弾くで精一杯だ。あれで手加減してくれているイェリッツァとは違う。手足が落ちそうだと思った時には本当に落ちていると思うべきだろう。最近は不安定だった魔法剣も、やたらと研ぎ澄まされている。かと思いきや、

「…っ!」

上体を逸らして大鎌を避けた瞬間、足首に衝撃が走ってガクンっと片膝を着いてしまった。剣が暴走するように振り上げられる。
( やばっ、死ぬ…! )

「ぅあ!?」
「わりいな、騎士さん!」

突然ぐわっと身体が宙に浮いて後退させられた。先程の大柄な男子生徒だ。


「マリアンヌさん、頼んだぞ!」
「え!…は、はい」
「お前やっぱりつえーんだなあ!カッコよかったぞぉ」


私を床に下ろして、よぉしオデもやってやる!と意気込んで彼は駆けて行った。あの仮面の騎士はベレトを中心に生徒達でどうにか囲っているらしい。


「……あ、あの…失礼します…」


喧騒のなかで消えてしまいそうな声。見上げると顔色の悪い女子生徒が治癒魔法をかけてくれていた。

「ありがとうございます、助かりました」
「い、いえ…」

立ち上がると足首の痛みは感じなかった。一時的なものだが十分だろう。
「お礼に」と告げて女子生徒の頬に手を近付けると、彼女は怯えるように狼狽えた。けれど「大丈夫」と構わず、ちょんっと頬骨に指先で触れる。

「え?…あ…温かい…?」
「敵が随分減っています。あなた達のおかげですね」
「それは…先生や、皆さんが…」
「先程の生徒は真っ直ぐあなたに向かって頼んできたでしょう」
「…いえ…私は、」
「俯くな、せめてここでは」

頬を包んで顔を上げさせたが困ったように視線が定まっていない。
ふと歓声があがったので見てみれば、仮面の騎士が撤退していくのが見えた。

( 数の暴力が勝った?…あの特殊そうな大鎌でまとめて蹴散らされていないということは、余程上手く動いたんだろう )


「……ちょっと、自信なくすな」
「…え?」
「大丈夫でしたか」


駆け寄ってきたベレトに頷いて、あの大柄な男子生徒に指示してくれたであろう事と仮面の騎士を撤退させてくれた事に礼を言った。


「あとは棺に手をかけている魔導士、あの者を一刻も早く止めなければなりません」
「?わかりました」


相変わらず何を考えているのかわからないが、ベレトは頷いてすぐに駆け出して行った。そして生徒に周辺の敵を止めるよう指示しながら、自身は真っ直ぐにあの魔導士へ切りかかっていく。

( …雇い主教団の意向を最優先にって感じかな……さすが傭兵だわ… )

周囲を見渡せば、もう敵の姿は殆どなかった。息があるかどうかはさておき、ここでの戦いが激化することはもうないだろう。


( 女神再誕の日に聖廟襲撃か……私の知る限り、記録を見てきた限りでは、前代未聞だな )

それも儀式に合わせて各地から訪れた教団関係者が混じった連中だ。

( ……大司教に掛け合った方がいいな、彼らの処断が決定する前に )


「どこへ行くんですか?」


聞き覚えのある可愛いらしい声。足を止めると、いつか魔導について語り合ったリシテアがいた。


「……ええ、少し…彼らの捕らえ方について騎士団と話し合わなければいけませんので」
「捕らえ方…?敵の見当はついてるんですか?」
「これは教団関係者の可能性があります。ともすれば重大な背信行為とみなされ殺される前に、手を打たなければ」
「……」


何から突っ込めばいいのかと言葉に窮しているかのような顔でリシテアは黙り込んだ。


「戦闘で死んでる分には仕方ありませんが、こういうものの後始末はきちんとしておかなければ後が厄介なのです」
「……」


ぱちり、と大きな目を瞬いたリシテアはゆったりと首を傾げた。まるで猫みたいだ。

ぞわっ
「…!」

唐突に、身の毛がよだった。ずっと微かに感じていた不思議な感覚が、明確に心臓を全身を撫で上げる。

( あれは、ベレト先生が持っているのは、 )

鈍く光る歪な剣。まるでカトリーヌの持つ雷霆のようだが、それ以上の何かを放つ剣。

「…っ!」

心臓が掻き毟られ血が沸き立つような、痛みと苦さと、憎悪。いや、これは……歓喜だ。
視界を赤い何かが侵食して、ついには暗転した。