◇◇◇
がらん、としていた。
動くものの姿はひとつもなく、風がびゅうびゅうと吹くたびに瓦礫がぱらぱらと落ちるだけ。
私はひとり。寂しげな瓦礫の下で、息を潜めて泣いていた。
( 何もない )
昨夜は、星を眺めながら眠った。親しくしていた同胞の隣で、静かに星海の星の美しさを語り合った。赤く美しい光が舞い降りた過去の最も素晴らしかった日を、そこから始まった満ち足りた日々を、静かに語り合って眠りについた。
朝も夜も関係なく、いつだって最上であるこの土地を愛していた。
頭上は夜の訪れを知らせている。空は昼盛りの紺碧色を僅かに深め、朱に柔らかく色付いた雲が薄くたなびいている。変わらず美しい空のその下は、空以上に赤く、乾いていた。
「…っ」
びゅうっと一際強い風が吹き付け、ガラガラと瓶のようなものが転がっていく。血の轍をつくるそれは、昨夜同胞が手にしていたものに似ていた。
「……寒い、」
その呟きは静かに消えた。
さむいね、と返ってくることはもう二度とない。
「……久々に見たな」
幼い頃によく見た悪夢。恐らくだが、赤き谷ザナドがおぞましく赤くなった時の夢。
今でこそ殆ど見ることはなくなったし、前前節にザナドに出向いた際にさえ見なかったというのに。
( …あの剣かな、やっぱり )
ベレトが手にしていたあの剣を見た時、あの感覚が何かを告げていた。自分の中にある何か、それこそあの悪夢を見せている何かが、酷く心を動かしていたのだ。
( あれは、…私は、何なのだろうな… )
こういう時に考えてしまう。未だ明確にはなっていない、自分の出自を。
私は、赤子の頃に大司教がどこかから連れて来た、と認識されている。私もそれ以上のことを知らない。産みの親はわからないと言われていたし、セイロスの紋章を持つ理由も知れていない。そしてこの悪夢を見せる、何かのことも。
( 悪夢について大司教に話したことはないけど、たぶんあの人は何も教えてくれないだろうな )
大司教は私の実の親を知っているような気がするのだが、きっと何事もなければ私が死んでも口は割らないだろう。頑固なのだ、あの人も。
「……セイ、起きてるか?」
「!」
不意に扉が開いてカトリーヌが入ってきた。
今気付いたが、ここは騎士棟にある"セイ"の私室だ。最近用意したばかりのもの。
「お、顔色もよくなったな」
「カトリーヌさん…すみません、状況が、」
「まあ、とりあえずこれでも飲みな」
差し出されたのは水と重湯だった。首を捻りつつそれに口をつける。
「巡回してたアタシらのとこにウィリアム司祭が来たんだ。聖廟が襲撃されてるってな。その時耳打ちされたんだよ、セイがひとりで様子見てるって」
「…うん?」
「アイツ騎士団のこと相当把握してやがるよ。私と一緒に巡回してた騎士が"セイ"にとってどういう相手なのかわかってた。だからそいつには、自分と手分けして各所への連絡と一般人の退避をさせてたんだ」
「へえ…さすが最年少で司祭になっただけありますね、目敏い」
「……全くだ。で、アタシは
「えっ」
目を丸くする私をじっと観察したカトリーヌは、気遣わしげに眉を寄せた。
「……アンタ、丸二日眠ってたんだぞ」
「え…!?」
「マヌエラは大きな外傷もないし様子見するしかないって言ってたんだ。二、三日目を覚まさないことは過去にもあったらしいし…たぶんそろそろ起きるだろうって」
「あ、それで重湯…」
「ああ、マヌエラの見立て通りだったが……大丈夫なのか?」
「はい…不調は特にないかと。それより二日寝てたってことと、生徒の前で倒れたってのが…」
恐らく生徒というのはリシテアだろう。リシテアと会話して以降の記憶がない。彼らの前で兜を外されてたら終わりなのだが、
「セイが倒れてすぐアタシらが到着したみたいだからな。正体はバレてないさ。たぶんな」
「…たぶん……まあ、そこはいいとして。襲撃者は西方教会が噛んでました?」
「なんだ、気付いてたのか。噛んでたどころか、首謀者だったよ。ロナート卿の件も含めて、奴らが企てたことだった」
「……」
ロナート卿の件。カトリーヌにとってはただの反乱ではなく、過去の親友が関わる悲劇の決着だった。
あの件について知ってはいても彼女に深く聞くつもりはない。カトリーヌ自身、後悔もないだろう。西方教会がロナート卿の死に関係していたことよりも、大司教暗殺を目論んだことに対する怒りの方が大きい気がする。
「西方教会は…処分されました?」
「当然さ。聖廟を襲撃してた奴らは全員処刑。西方教会にはアタシら騎士団が派遣されることになる」
「…そう、ですか」
処刑という手段は取って欲しくなかったのだが、今回は相手の行いも悪すぎた。
ロナート卿の反乱を煽り、教団が最も神聖視する儀式に水を差した。そのうえ、セイロスの棺にまで手をかけたのだ。これで処刑されなかったら過去の死者が浮かばれない、……と思うことにするしかないが、ひとつだけ、手を打っておこう。
◇
騎士棟を出て一度アビスに降りる。
いくつかある出入口は最近少し減らされた。特に理由は聞いていないがきっとあの不審な敵の介入を防ぐためだろう。いつそのことを話し合うべきか悩むが、アルファルドは最近なかなか会えないしユーリスもおかしい。コンスタンツェ達も何も言ってこないから最早暗黙の了解のようになっているが、そろそろ事態の擦り合わせくらいはしておくべきだろうか。
軽くアビスを巡回して、そこでようやく鎧を脱いだ。セイロス騎士団としてうろついてると、リルメとは違う視点で見ることができるので、時折そんな風にして皆と他人のフリをしている。
( ……夕方か )
地上に戻れば先程の悪夢を思い起こさせる赤い夕焼けがあった。
何もかもを失った絶望の朝焼け、その先に再び訪れるおぞましい赤さの夕焼け。冬の夜のようにぎしりと凍てつく心が、赤く赤く闇で塗り潰されていった。
( ……まあ所詮、夢は夢だ )
どれ程あの夢に胸を締め付けられようと、ベレトが手にした剣に血が沸き立てられようと、それらは私自身の意思には関係ない。私の中にいる何かの話。
幼い頃から中にいるそれの正体さえ知れないのだ。十年そこらの付き合いしかない魔法剣を自分のものとして御しきれないのも仕方ないことなのかもしれない。
( どちらも私の一部であるはずなのに…… )
なんて深く息を吐いて、大修道院に足を踏み入れようとした。 瞬間。
「っ!」
じりっと二の腕を何かが掠めた。
弓矢だった。
( ……鎧脱がなきゃよかった… )
すぐさま魔法剣を抜いて視線を巡らせる。どくどくと嫌に脈打つ二の腕は、じんわり熱を持っていった。恐らく毒なのだろう。体の魔力を巡らせるが、魔法剣の不調も相俟ってか、うまくいかない。
「っ、くそ」
二激目の矢はどうにか弾いたが、足元がふらついた。毒のせいというよりは、丸二日寝ていて鈍ったせいだろう。
「…ぅ…っ」
ぐらりと視界が傾いて、あ、やっぱ毒のせいかも…と思ったが既に遅い。剣を支えに膝をつき俯くと、足音が聞こえた。
「……やっと、」
「…だ、れ」
「やっと取ったぞ…被検体…」
( ……今回はイカれた学者か )
学者は厄介だ。おかしな毒を使うやつが多い。
手持ちの解毒剤でどうにかなるだろうか。蹲る体に隠れてひとまず薬を口に含む。舌に乗せた薬の苦味に安堵して静かに息を吐き出した。苦味がわかるうちはいいし、まだ胸も喉も軋んでいない。腕が熱くて、頭がぐらぐらするだけ。……だから、大丈夫。
「……」
浅く呼吸をしながら顔を上げると、知らない男がこちらを見下ろしていた。学者らしく白衣などは着ていないが、狂喜の見えるその顔はイカれた学者そのものだ。
「…嗚呼、やはり…美しいな。どろどろにして沈めてあげよう…」
( ……これは、学者か?それともただの異常者か?どっちだ? )
どっちにしろ今は万全でもないのだから逃げた方がいいだろう。男を睨めば恍惚とした顔のままこちらに手を伸ばしてきた。
「さあ、おいで…そう怖がらなくていい。私は君を幸せにしてあげたいだけなんだ」
「余計な、お世話…!」
「良い声だ……けれど、もう、そんな風に押し殺した声で怒ったり泣いたりしなくていい。私が存分に大声で泣かしてあげよう」
「今、大声を…」
「あげられないだろう、君は」
「…は?」
「毒のせいでも何でもなく、こんな時に助けを求めて声をあげられる子ではないと知っているよ…ずっと見ていたからね」
「……」
「哀れなリルメ。この大修道院の大半の人間に疎まれているせいで……私のようなものにくれてやってもいいと思われているのだろう?」
聞きたくなかった。それは嘘だと声をあげたかった。
どこぞへ嫁げと望まれていても、それはあくまで教団の利になるまともな相手の元へならということだったはずだ。異常者でも何でもいいから引き取ってくれと望まれる程に嫌われているなんて、そんなことは……、
( …他人には、言われたくなかったのに )
「…っ」
「言葉もないだろう。君を愛せるのは私だけ、」
「あれー?あっちに誰かいるのかな?」
軽やかな女の子の声。
不意に聞こえてきてのは、可愛らしいそれと足音だった。そして聞いた事のある無愛想な声。
「ちっ」
「んぐっ」
「静かにしろ」
口に押し当てられたのは薬品臭い布だった。咄嗟に息を止めたがそう持たない。暴れる程の力も出せない私を男が抱えあげた時、ガランっと手にしていた魔法剣が落ちた。
「んんんーっ!」
( 気付け、気付け! )
もう薬品を吸ってしまうことは割り切って、くぐもった声を張り上げた。
すぐに聞き慣れた舌打ちと足音が近付いてくる。
「ちょっ、待ってよフェリクス……え!?」
「…っリルメか!」
その姿についホッとして、僅かに息を吸ってしまった。つんっと鼻の奥が痺れて生理的な涙が浮かぶ。
「くそっ!」
男は私を腕に抱えたまま走り出した。
おかげで口に当てられていた布は取られたが、がたがたと身体や視界が揺れて気持ち悪い。先程の薬で最初の毒は対処できたのだろうし息さえできればこっちのもん…と思っていたけど、深く呼吸をすれば吐きそうだ。
「…はな、せ」
「離すくらいなら殺すさ!そして私も死ぬっ!」
「ふざけるなよ貴様ひとりで死ね!」
「何なのよその人〜っリルメさんを返しなさ〜い!!」
追ってくるフェリクスと女の子の怒号が薄闇に響く。女の子にいたっては全く面識がないのに追ってきてくれているせいか、こんな状況なのに胸が熱くなる。
けれどこの道は人目につきにくい裏道だ。私を抱えていてなお存外にも足の早いこの男が二人を撒いてしまう可能性もある。
( ……こうなったら、やるしかない。私も無傷じゃすまないけど、それは今更か )
ふと苦笑いを浮かべかけて頬が痺れた。やるなら毒が周り切る前だ。現状は腕で太腿を抱えられたような浅い俵担ぎであり不安定だ。
私がこの男の肩を掴んでいなければ頭から落ちるし、その力はないが暴れれば諸共転倒する。けれどその辺は仕方ないと割り切って、男の頭をぎゅぅと胸に抱え込んだ。
「な!」
「……」
「ぁが…っ!」
男の視界を覆い動揺したところに力を振り絞って膝を上げた。男の顎の下に膝が入るとぐるりと視界は回って宙に投げ出される。
「っ…」
「手を伸ばせ、リルメ!」
追い付いたフェリクスに言われるがまま手を伸ばすと、強く引っ張られて持ち上げられる。男が巻き込まれるように倒れ込んできたが、女子生徒が「えいっ」と突き飛ばして剥がしてくれた。
「…ふーっ」
力がうまく入らずフェリクスの肩に寄りかかると、互いの吐き出す息が重なった。安堵と疲弊の息だった。
「リルメさん、大丈夫ですか!?」
「アネット、見ておけ」
地面に私を下ろしたフェリクスは素早く倒れた男に近寄って検分している。よく見ればアネットという女子生徒は何故か手にジョウロを持っていた。
「……それ、ちょう、だい…」
「それ?えっあ!やだ私ったら…温室から持ってきちゃった!」
( 水やり当番だったのかな…フェリクスと二人して気付かないって… )
「あ、もしかして水ですか?ならもっと綺麗なのを…」
「それ、すぐ」
痺れて唇が震える私に気付いたのだろう。アネットはハッとしたように目を瞬いて、ジョウロの口先を私の顔に近づけてくれた。
「こ、零したらごめんなさい…!」
「…ん」
目を細めて彼女に小さく頷き、唇をジョウロの口先に持っていく。そこからちょろちょろと遠慮がちに流れてくる水は心做しか臭いがこの際文句は言えない。
のろのろと懐から別の薬を出してアネットに飲ませてもらっていると、フェリクスが渋い顔で戻ってきた。
「……毒か」
「そう…アネ、水」
「は、はいっ」
口に水を注いでもらいながら横目で見ると、あの男は裂いた服できっちり木に縛られていた。
漸く口の痺れも取れてきたし、頭がくらくらする感覚も薄れて頭痛程度になってきた。
「…ありがとう、二人とも。助かったよ。あとは私やっとくから、二人は、暗くならないうちに戻ろか」
「こんなことがあった直後にひとりにするわけあるかこの馬鹿」
「ちょっとフェリクス!言い方!」
「お前はまだまともに喋れないこいつを医務室に連れて行け。騎士団には俺が行く」
つっけんどんな言い方ではあるが、常識的な言い分でもある。彼は戦いが好きすぎる気もしていたが、そのあたりはまともだよなあ…とその横顔を見上げてふと閉口した。
( 怒って、る…? )
それは厄介事に巻き込まれた怒りなのか、異常者に対する怒りなのか、はたまた…何なのか。
じろりと睨み下ろされて何か言いたげに口を開閉したかと思えば、舌打ちをして背を向けられた。……変な子だ。遠慮しないで何でも言えばいいのに。