噛み合えないわけ


先程の居住区へ戻るなら右に1回、真っ直ぐに1回、左に2回、右に1回、の順で曲がるように。

そう言い残してリルメが足早に立ち去った。案内された出口に至るまで随分と歩いたように感じたが、実際にはそんな簡単な順路なのかと思うと拍子抜けだ。


「置いて行かれた…」

担任がどこかしゅんとして呟いた。

「明らかに深入りしてほしくなさそうだったからな」

こんな薄暗い所に置き去りするくらいだ。早く帰ってほしいのだろう。


「……まあ、リルメの言い分もわからないわけじゃないんだが」
「クロード?どういうことだ?」
「俺もそうだがディミトリもエーデルガルトも他の奴らも、だいたい貴族だろ?ましてや俺たちは次期盟主だの国王だの皇帝だのと大層な肩書きまでついてる」
「ここでは一生徒でいるつもりなんだが…」
「個人だけの問題じゃすまないってことだよ。俺だって貴族扱いしてほしいわけじゃないし、武器をとって戦う以上、怪我したり死んだりする覚悟はしてるつもりだ。けど、俺たちだけが覚悟してたって仕方ないのさ」
「……周りが黙ってない、ということか」
「そう。俺たちの周りもそうかもしれないし、俺たちとは無関係だけど教団を敵視してる連中がその問題に付け入るかもしれない。結果として、余計にアビスが疎まれるようなことになるかもしれない」


この王子様に対して言いはしないが、自分達がアビスに出入りすることは可笑しな勘繰りもされかねないのだ。
地上の人間からすれば得体の知れない、汚い場所。無法地帯のように写るかもしれない。そんな場所に貴族が出入りすれば、女や金、酒、などに関する下世話な勘繰りをされかねない。つまり、外聞が良くない。リルメはそういう意味でも生徒に傷をつけたくないのだろう。


「…以前、どんなことがあったんだろうか」

何やら考え込むディミトリの傍ら、ベレトがぽつりと呟いた。

「大司教と話していた件のことか?」
「そう」
「誓約があるにも関わらず損害賠償をさせようとした貴族…だったか」
「リルメも関わっていたのかな」
「それは俺にもわからない。だが、再びそういったことを起こさないためにも、リルメは俺たちを巻き込むまいとしていることは確かだ。俺に何かあったところで祖父さんが教団を責め立てることはないだろうが、他の連中はわからないからな。何がどこにどう影響するかわからない以上、安易に首を突っ込むべきじゃないのかもしれない」
「……」


それは理解している。ここに他の教師やセテスさん等がいれば、アビスに関わるなと口を揃えて言うだろう。


「……しかし、だからといって何もせず出ていって、そのうえここでのことを忘れられるかといったら…俺は無理かもしれないな」
「クロード…」
「」

自分の問いにきょとんとした担任は「どうする、とは?」と首を傾げた。リルメに案内された出口と、居住区へ戻る通路を交互に指差してみせる。ベレトは悩むまでもないかのように、無言で居住区への通路を指差した。
それと同時に何やら考え込んでいたディミトリが顔をあげる。

「俺は戻るぞ、先生」
「ディミトリ?」
「アビスの彼等も心配だが、リルメも何をしでかすかわからないから放っておけない」

それは同感だった。
リルメ自身に「関わらないでほしい」と言われた手前、これまではあまり積極的に関わってはこなかった。けれど彼女がアビスを見る目や、アビスの住人が彼女を見る目を知っただけでもわかる。リルメはここを大切にしているし、そんな彼女を住人達も「教団の人間なんて」と言うことなく受け入れている。

( それに…地上では素っ気なかったり表情を繕ってたりするくせに、ここではそんな素振りもない )

だからこそ、わかりやすくなっている気がするのだ。彼女が手段を選ばないであろうことが。

「…というかディミトリ…お前、なんか、怒ってるのか?」
「いや?」

唐突な自分の問いにディミトリは笑みを深めて首を傾けた。なんとなく彼に頑ななものを感じたのだが笑って隠されたので、意外とこいつは器用なのかもしれないと心象を改める。いや、貴族らしい、というべきか。

「自分も心配だ。アビスのことだけじゃなくて、リルメのことも」
「よかった…先生もいてくれるなら心強いな。では、早く戻ろう」
「えっと…まずは、左に1回…」
「待て先生、右に2回ではなかったか?」
「おいおい勘弁してくれよ。右に1回、真っ直ぐに1回、左に2回、右に1回…だったはずだろ?」

そう問えば担任は目を瞬き、ディミトリは首を傾げた。そう難しくはないと思ったはずの順路なのに、途端に自信がなくなってきた。そして嫌な予感もしてきた。

( これ…無事に戻れるのか? )

ここで迷子になって白骨死体となるのは避けたいな、なんておどけようとしたが笑い話にもできない気がしてきた。右に左に真っ直ぐに…と、真剣にリルメの声だけを思い出して、薄暗いアビスの回廊を睨み見たのだった。







結果として、散々迷いに迷った挙句ようやく灰狼の教室へと戻ってこれた。それもこれも、バタバタしていた灰狼の学級の連中に途中で拾ってもらえたおかげだ。

「おや、戻れたんだね」

おかえり。穏やかに微笑んだリルメの、しかしどこか冷ややかな声に嫌にドキリとした。

「すごく迷った」
「ふふ、すみません。あれでも1番簡単な順路を教えたはずなんですが…」
「クロードが初めに覚えてた順路が正しかったんだと思う…すまない、クロード」
「いや、俺も途中から自信なくなってたからな……あいつらに拾ってもらえなきゃ、どうなってたか」

視線を横に移せば、ユーリスに何やら喚き立てるハピや元気に高笑いをするコンスタンツェがいる。彼等を囮にして賊をアビスに引き込んでいたらしい。

「……囮、ね」

その会話を聞き取ったリルメの呟きがやけに冷たい。
敵を中に引き入れる囮となったバルタザールやハピは、彼女と目を合わせるなり後ろめたそうな顔をしていた。

「お、おうリルメ…これにはワケがあってだな…」
「てゆーか、どこまで知ってんの…」
「全部、知ってるけど?」

瓦礫に腰掛け不遜な笑みを浮かべるリルメは、小柄なはずなのに見下されているような気がする。女王様感、のようなものが出ているのだ。

離れた所でユーリスが顔を強ばらせているが、自分達がいない間にちゃんと話はできたのだろうか。
クッキーを素直に食べさせられていたリルメには驚いたが、不貞たように背を向けた彼女にも、背を向けられて呆然とするユーリスにも、少しヤキモキしていたのだ。元は仲がいいのだろうし、この件で変に拗れてなきゃいいがな、とお節介だが思う。

「東側に敵を引き入れてるって言ってたよね」

バルタザール達だけでなく途中からは自分達も囮になって敵を中に入れている。囮役を別の奴らに交代した今は、敵を撹乱中らしい。

( それにしても…リルメや灰狼の学級はどれだけこの地下空間を掌握しているんだろうか )

この太陽も風もない地下で東西南北を把握できるとは恐れ入ることだ。今しがた敵を撹乱し四方八方から地下に引き込んでいる連中も、あの入り組んだ通路を理解してその役をこなしている。慣れただけかもしれないが、先程まで入り組んだ廻廊見事に迷子になっていた自分からすれば感服ものだ。

「ああ。シェン爺が言ってた、例の場所だよ」
「使えるようにしたんだね」
「最近な。瓦礫は一箇所だけ入口潰すのに使ってる」

しかし、これは…ちゃんと話ができたのか、できてないのか、どっちだ?
ふうんと口元に手を添えて思案するリルメと、それを探るように見据えるユーリスの感じからして、どうも拗れているようにしか見えない。

「リルメも戦うのか?」

その時、不意にベレトがそう尋ねた。リルメが目を瞬いてベレトを見上げるのと、ディミトリが間に入ったのはほぼ同時だった。

「お前はやめておいたほうがいい」
「…ん?」
「いろいろ事情はあるだろうしアビスのことも心配かもしれないが、先日フェリクスが…っ」
「ぉっと黙ろうかディミトリ」

ぱっとディミトリの口を手で塞いだリルメは、「何を言おうとしたのか知らないけど」と言いながら、徐々にしまったと言わんばかりの顔になっていく。ディミトリは目を丸くしていたが、にっこりと王子然とした笑みを浮かべた。

「……ここでも言わない方がいいのか?」

ディミトリが口を塞いでいたリルメの手を剥がして囁くように言う。気遣うようでいて顔は微笑んでいるのだから、こいつは案外意地が悪そうだ。そして思ったよりもこちらは仲が良さそうだ。

「フェリクスがどうかした?」

何にも気付いていないのか、はたまたわざと聞いているのか。あどけなく首を傾けたベレトに、リルメは何でもないですよと苦笑している。

「……それよりも、ベレト先生」

一転、表情を消したリルメにベレトも姿勢を正す。

「ここに戻ってきたということは、アビスの賊退治に手を貸してくださるということですか?」

言葉のわりに冷ややかな声だ。ユーリス達はともかく、彼女が懸念を持つことは……というより、自分達の手助けを望んでいないことは、わかっている。
それでも、彼等を放って地上に戻れば必ず後悔するだろう。彼等に何かあればその後味は凄まじく悪いだろうし、アビスはとても興味深い場所なので荒れたり浄化されたりするのも望ましくない。

「……大丈夫だから」
「え?」
「リルメの大事なものは、自分が守ってみせるから……だから、安心してほしい」

ベレトは正した姿勢のままリルメを見据えてそう告げた。
あれこれ言葉を尽くして説き伏せることなく、相手にとっての要点だけを掴んでしまうところ。担任のこういう部分を不思議と狡いと思う。そしてこの「安心して」と言われれば不思議と安心したくなる、不思議な声。彼の強さや特別さを知り始めた今はなお、狡く思う。

「……私、そこまで先生のこと信用してませんよ」
「うん、信用はしなくていい。けど、ここで皆を守れたら…少しは安心できる?」

リルメの目に揺らぎが見えた。けれどそれは一瞬で、押し殺すようにきつく目を閉じ開かれた時にはもう強情な目があった。譲れないものがある、頑なな目だ。
それを見返したベレトは、徐にその頭に手を乗せた。

「え、」
「……大丈夫。困らせないから」

大丈夫、大丈夫。ベレトはそう言い聞かせるように、けれど慣れていないのか不器用に頭を撫でている。戸惑うように目を瞬く彼女の顔は、迷子の子供みたいだ。その不安げな表情には手を差し伸べずにはいられないものがある。

( さすがのリルメもこれで絆されてくれるか…? )

彼女が戦うかどうかはさておき、ここにいる全員が協力体制を取れれば理想なのだろう。
などと安易に考えて、それはすぐに散った。

「……無責任なこと言うな」

不安げな顔を更に歪めて低く呟くと、リルメはベレトの手を押し退けて足早に教室から出て行ってしまった。

「…怒らせてしまった…」
「あー、まあ、そう気を落とすな。アイツは手負いの獣みてえなもんだからな、簡単には手懐けらんねえよ」
「ちょっとバルタザール、獣とはなんですの獣とは!」
「例えだよ例え!それにしてもアイツ、地上でちゃんとやってんだな」
「ちゃんと?」
「ちゃぁんと上の連中の思惑通りにお前らと交流してんだなってことだよ」
「そうだろうか?自分は教師になったばかりの頃、リルメに安心させてもらったけど、同じようにはしてあげられない…」

そう俯くベレトに詳しく聞けば「あなたなら大丈夫だ」と何の根拠もなく言われて安心したのだと言った。それこそ無責任ではと思わなくもないが、それで担任が安心できたのなら別にいいのだろう。

「……じゃ、ここでひとつ成果をあげて、リルメに安心してもらおうじゃねえか」
「ユーリス?」
「男なら口先だけじゃなく拳で語れってことだな」
「ちげーよ」

そろそろ行くぞ、と周囲に呼びかけるユーリスが先頭に立つ。女のような化粧を施しているが、勇ましく歩きお頭と呼ばれている彼はここでは頼もしい男なのだろう。

( ……しかし、全体が見えないな。ユーリス達とリルメ、アルファルドとかいうお偉いさん… )

仲が良さそうなのにどこか擦れ違っている彼等を不可解に思うし、もどかしくも思う。一人でどこかへ行ったリルメは今何をしているのだろう。

( アビスを守りたい気持ちは同じなはず…だが、選べる手段が違うのは立ち位置の違いか? )

リルメは不精姫などと呼ばれているが、アビスの管理をする教団側の人間。対するユーリス達は、教団なんて…とそれを遠巻きにするアビス側の人間。……いや、地上でのリルメの境遇を思えば、彼女はその板挟みになっている立ち位置とも言えるだろう。

( リルメ自身が選んだ生き方かもしれないが、同情するな )