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初めてここを訪れたのはいつのことだったか。そう遠くはない昔のことだ。
私に様々なことを教えてくれたシェンという老人を、数日にわたって連れ回し辿り着いた場所だった。
「ここは、大聖堂前の橋梁の下……か?谷底にこんな場所が……」
「へえ……いつも歩いてる橋梁を、遥か下から見上げる日が来るとはね」
呆然としているディミトリはさておき、興味深そうに辺りを見渡すクロードは連れて来たくなかった。いや、本当はベレトも生徒達もみんな連れて来たくはなかった。
「……リルメ」
「ベレト先生?」
「自分は…教団の問題についてはよくわからないけど、リルメが心配してることはわかっているつもりだし…クロードのこともちゃんと見張っておくから、あまり警戒しないで」
「おいおい先生、俺が何か悪さをすると思ってるのか?」
酷い話だ、と茶化すようにクロードが笑う。私も別に彼が悪さをするとは思っていないが、そんな懸念を持ちたくもないから何も知られたくなかった、というのが本音だ。
( ……でも…あの仕掛けが私達だけで解除できるとは思えない )
先程まではそんな苦労をする必要もないのだと考えていたが、コンスタンツェが夢のために宝杯を求めているのなら話は変わってくるだろう。
……そのコンスタンツェは岩陰に隠れているけど。
「おーい、コンスタンツェ。ここまで来たんだから腹くくれって」
「ほぉらコンちゃん出ておいでー?」
「…彼女はなぜあんな所に?」
「宝杯を探さなくていいのかしら?」
私達の催促とエーデルガルト達の不審そうな眼差しに耐えられなくなったのか、コンスタンツェは声を荒らげて立ち上がった。
「……ああっ、もう!そちらに行けば良いのでしょう!?行けば!」
覚悟を決めたように胸を抑えてコンスタンツェが踏み出す。陽射しを避けるようにゆっくり俯いた彼女は、暗い面差しで視線を寄越してきた。
「………………あら、私……皆様に大変、失礼な口を利いてしまいましたわ。お詫びいたします。皆様の横に並び立つのもおこがましい……私は地面を掘って埋まっておきますわね」
「……谷底でも、陽の下は陽の下か」
「はいはい、埋まってる暇はないから行くよ」
冷たい手を取って歩き出せば、ふらりと頼り無い足取りでついてくる。
「まあ…私のような下賎の身に触れると貴方様の手が穢れてしまいますわ…」
「え、えええ…?どうしたの、コンスタンツェちゃん」
「陽に当たると、こーなるんだって。だからコニーは地下に籠もってるわけ」
「……もう一つの人格、と言うのだろうか。ここまで斬新なものは初めて見たが…」
先程までの元気な様子から一転、卑屈で根暗になったコンスタンツェを皆が不思議そうに見ている。私など皆様の目に映す価値もございませんわ…などと呟いているが、途端に「はっ?」と顔を上げた。何かに気付いたのだろうか。
「……この魔力の気配……!?何かがありますわ、この先に……」
コンスタンツェが重たい眼差しを持ち上げて辺りを見渡す。
「そう、ここは封印の谷で……たぶん、人の気配を察知して何かしらが発動する」
何もなかったはずの谷底に次々と兵が浮かび上がる。まるで幻影のようだが、あれは実在する脅威だ。
「……どうやら仕掛けがあったようね。封印を守護しているのかしら…」
「おっと……あれは何だ?巨大な人形とでも言えばいいのか……」
「動く尖塔みたいだよね、あれ。性質としては魔獣と似たようなもんで、攻殻を剥がせば倒しやすくなる人形……だと思うよ」
「……状況はさっぱり掴めねえが、とにかく不味そうなことだけはわかるな」
そう言いながら私を見たユーリスは、コンスタンツェと繋いでいた私の手を剥がして取った。
「ちょっと、こっち来い」
「……ユーリス?」
手を引かれてアビスの出入口付近まで来ると、ユーリスは私を倒れた古木に座らせた。
「お前な…何をどこまで承知してんのか知らねえが、あれこれ迂闊に喋んなよ。あいつらにも隠してんだろ、いろいろと」
「……えっと、」
「だが、あいつらの目は誤魔化せても俺様の目は誤魔化せないからな」
「った!」
顔を近付けて声を潜めるユーリスは、私の鼻先をぴんっと指先で弾いた。
「お前はそこで大人しくしてろ……"休養中"…なんだろ?」
「…む」
知っていたのか……いや、それともカマかけか。肯定も否定もできずに溜め息を吐くと、諦めたように「気を付けてね」と手を振る。
「……リルメ、具合が悪いのか?」
「先生か……いや、こいつを関わらせたくねえ俺の我儘だよ」
「…わかった。危ないから、リルメはここで見ていて」
「……」
「みんなのことは、必ず守るよ」
そう言ってベレトは頭にぽんっと手を置き、ユーリスと連れ立って行ってしまった。
( ……まあ、こうなるよなぁ… )
灰狼の学級のみんなやディミトリは知っているが、私は表向き戦えないことになっているのだ。戦闘の場面になれば、こうして口も手も出さずに見学せざるをえない。
もしも何か損失があれば、とか、アビスが責任を問われるようなことになれば、とか。それを考えずにいられることはないが、今回はコンスタンツェの望みを優先してしまった。
( …ていうか……今、気付いたけど…始原の宝杯を教団に渡すことは、本当にコンスタンツェの手柄になるの? )
始原の宝杯。地上の書庫はもちろんのこと、アビスの書庫にも殆どその文献は残っていない。英雄の遺産に匹敵する程の貴重な神器であり、女神が作ったとされている。
( ……始原の宝杯を目にしたことはない。けれどシェン爺があの人形や幻影の仕掛けを見た時、"ひどく保守的なフォドラのものにしては革新的だ" と評していた )
シェンはフォドラから遠く離れた場所で生まれ育った人だ。文明も文化も全く違う場所を知るシェンが、あの人形や仕掛けは人の手で為せるものだろうと言っていた。しかし現代のフォドラを見るに、滅びた文明のものかもしれない、とも。
( 宝杯は女神が作ったもの…とはいえ、守護する仕掛けは人間が作っていても不思議は……というか宝杯の儀を執り行った四使徒とやらは、人間だったのか?四聖人と同じく女神の眷属だったのなら、純粋な人間ではなかったのかもしれない )
その四使徒による儀式では、女神再臨が叶わなかった。宝杯の儀は失敗、という記述があったのだから何かしらの悲劇すらあった可能性も高いだろう。
( だからこそ、こんな仕掛けを作って封印した…? )
もしそうであれば、そんなこと大司教が知らないはずもないんじゃなかろうか。宝杯を手にする予定はなかったので何も確認していないが……、わざわざ四使徒が隠していたものを引っ張り出して献上することは、本当に手柄になるのか?
( ……逆に私たちが、封印を暴いて盗み出した賊、みたいになるのでは………、 )
そのことに思い至り、ああこれはまずいと慌てて頭を動かす。
賊の件に対処する為とはいえ、そんなことはアビス側の事情でしかない。生徒は助力を請われだけだからお咎めはないだろうし、ベレトは大司教のお気に入りだし何より新任で教団のことなど深くは知らないだろうから彼も差程お咎めはないだろう。
問題はアビスだ。アルファルドは恐らく止めたのだろうが、それを振り切ってしまったコンスタンツェ達は大変にマズイことになるかもしれない。……し、案内してしまった私は更にマズイ。
( ……とにかく、万一に備えて言い繕い方を考えておかなきゃ…! )
" 愚昧ノ徒二死ノ鉄槌ヲ!"
人形のものらしきそんな声が聞こえてくると、思わず震え上がってしまった。
◇
……あれこれ考えてはみたものの、異彩を放つ杯を手に戻ってきた彼等を見たらもう慄くしかなかった。
「岩壁にさ、失われた四人の使徒の紋章らしきものがあったんだ。それが何かに反応して……これが出てきた。君の目から見ても、始原の宝杯だよね?」
リンハルトが確信を持って問いかけてくる。しかし、どう言い訳しようかなんて考えるあまり返事も「そうなんじゃない?」と雑になってしまった。
「リルメ、一雨きそうだから早く戻ろう」
ディミトリに促されて、ふと皆を見渡す。ボロボロになってはいるが誰ひとり欠けていないし、取り返しのつかないような損失もなさそうで、そこはホッとした。……のも束の間、おかしな物音が聞こえてきた。
「…ん?何、この音……っ!」
異変に気付いたベレト達も慌ててこちらに走ってきた。
「なんだ、こりゃ!?追っ手か?」
「ちょっとーっまた幻影兵出てきたんですけどー!?」
「おい待て、なんかやべぇ人形も召喚されたぞ!みんな、走れ!」
仕掛けが解除され一度は消えたはずの幻影兵が、再びゆらりと浮かび上がる。ユーリスが先導してアビスの廻廊へ駆け込んだが、幻影兵はそれでもなお追って来ていた。
「封印がとけたってことは持って行っていいよってことじゃないの!?何か封印に悪さでもした?」
「んなこと知るかよ!いいから走れっ!」
キュイィィン ガシャッ
聞き慣れない音が背後から迫ってくる。あの人形が動く音だ。シャカシャカと布擦れのような乾いた音がするのは幻影兵だろうか。
「……ああクソ、こんなことになるとは!」
ユーリスの苦しげな声に混じって皆の喘鳴が響き続ける。ただでさえ彼等は戦闘後なのだから、こうも走り続けるのは厳しいはずだ。
疲れることが嫌いなハピは、諦めて宝杯を返そうと言う。
「あのデカいのに投げつけようよ。それでも止まらなかったら、まあ死ぬしかないしー」
「ここで心中かあ、それはやだな」
「おーっほっほ!私は諦めませんわよ!死ぬまで死んだりしませんわ!」
ぜえぜえと息絶え絶えになりながらも力強くコンスタンツェが宣言した。その強さが好きなので私も諦めたくはない。ならば、あちらに諦めてもらうしかないのだが……、
「本当にしつこく追っかけてきやがるな、あの気味悪い人形どもは……!」
「……ハピの言うように、宝杯を手放さない限りついてくるんじゃねえか?」
「も、もしあれをアビスまで連れていったら、街が大変なことに……」
アッシュの慄いた声に一瞬しんっと皆が口を閉ざした。予断なくベレトが「迎え撃とう」と提案すると、やむを得ないという空気が流れる。ハピがひとり不服そうに「え〜…」と呻いていた。
「……よし、もう少し走るぞ。敵を食い止めるのに都合のいい場所がある!」
「!あの仕掛け扉か!確かにクソ頑丈だったな。拳が砕けるかと」
「殴ったんですの!?なんで貴方はいつもそう……!」
「殴れば見極められると思ってんでしょ。ほんとバカじゃん」
「おい、バルタザール……仕掛けが壊れてたらてめぇを人形に食わせてやるからな!」
次々に罵られてたじろぐバルタザールに「だからいつまで経っても借金王なんだよ」と囁けば「誰が借金王だ!」と吠えられた。なぜ私だけ言い返されたのだろう、解せぬ。