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半日近くかけて封印の谷まで下り、見たこともない恐ろしい仕掛けを解除し、ようやく手にした宝杯だ。ここにきて諦めることなど灰狼の学級の者達にはできないだろうし、自分としても骨折り損は御免だ。
追ってくる人形から逃げて撒きつつ、行く手を塞ぐ幻影兵達を倒し、無事にアビスの居住区まで戻らなければならない。

( ……こんな所で、道を途絶えさせるわけにはいかないのだから )

アビスの彼等を憐れむ心はあるし、手を貸すのは吝かでは無い。見たところ有能そうな者達ばかりだから亡くすのも惜しいだろう。しかしそれは、自分達の命あっての話だ。


「ああっ、近道を使おうと思いましたのに、閉まっているではありませんか!」

封印の谷で見せた陰鬱さはどこへやら。コンスタンツェの怒り混じりの悲鳴が地下に響いた。

「あー、誰か装置んとこ行く?取り残されちゃう危険もあるけどさ」
「仕掛けだから普通の鍵じゃ開かないんだよねえ……装置の横にある扉は鍵で開くはずだから、私が解除しに行こうか」

何もしてないんだから少しは働かないとね、と笑うのはリルメだ。取り残される危険を示唆されてすぐそんな提案をするのは考え無しの馬鹿か、実力や手段に相応の自信を持つ者くらいだろう。

「あー、そっか。リルメなら大丈夫だね」
「ん。私はアビスのいろんな所の鍵を持ってるから取り残されることなんてないよ」

なるほどリルメは後者らしい。懐から鍵束を出してチラつかせると、すぐ取り出しやすいポケットに閉まった。見たところ十本以上の鍵がジャラジャラとぶら下がっていたが、即座にあの中から適したものを選び取れるのだろうか。きっとあの鍵束の中から冷静に正解を選び取り、落ち着いて扉を開けるのだろう。そんな姿が不思議と想像ついてしまう。

( この状況で怯えも焦りもせず、相手を安心させるように笑みさえ浮かべているのだもの……やはり、ただの"オヒメサマ"ではないのだわ )

自分は彼女と交流があるわけではないが、ヒューベルトから「噂通りの人間ではない」という報告は受けていた。
ここに来て確信……以上のものを得るとは、エーデルガルトもさすがに考えてはいなかった。




ドッッ!!

強く耳を打たれたような拍動。瞬く間もなくガシャァアン!!と金属が砕けるような音がして、あまりの圧に目を閉じた。

「っ…く…!」

前髪が額を打ち、バシバシと小さな石のようなものが飛んできては鎧に当たっている。

( …そんな、っこんな所で…! )

死角から飛び出てきた幻影兵に足止めを食らい、予期せぬことに軍列の最後尾となってしまった。ハッとした時には既に遅く、遥か高みに振り上げられた鈍い光がこちらを狙い定めていた。あの太刀打ちもできないような人形が、目前にいたのだ。

「…!?……当たって、ない」

石は飛んでくれど生きている…そのことに気付いて、そっと目を開けた。
あの人形の攻撃は外れたのだろうか。自分は無傷だ。ならば先程の轟音と衝撃は?

視線を上げた先には、銀糸の髪が衝撃の余韻で波打っていた。

「……リルメ…?」
「エーデルガルト、無事だね?」
「!あなた、まさか…っ!」
「あ、私も無傷だよ?大丈夫だから、あの人形がまた動き出す前に逃げようか」

ふと人形を見れば、光る槍を振り上げた状態でガタガタと不規則に震えていた。ピシッパチッとあちこちで火花が散り、人形の表面に小さな稲妻が走っている。

「……あれは、壊れたのかしら…?」
「わからないけど、変に暴走とか爆発とかされたら困るからね……エーデルガルトは早く皆に追いついて」
「…?だったらあなたも早く立ちなさい。だいたい、どうしてこんな所に座り込んでいるのよ」

リルメは装置を解除するなり予定通り自分で鍵を開けて合流していた。戦えない彼女を守るように中央へ置いていたが、ベレトのいる前線で賊が待ち伏せしていたからと僅かに後退し……けれど、最後尾の自分の傍にはいなかったはず。それがどうして自分より後ろでへたりこんでいるのだろう。

「行って、エーデルガルト」

前線の喧騒と人形のたてる不気味な音が響くなか、彼女が自分の名を呼ぶ声は柔らかく鼓膜を揺らした。

「…リルメ?」

そして、彼女の額に浮かぶ汗にようやく気付いた。心做しか頬も青白く、笑みに力がない。

「……腰が抜けて立てない」
「は…はあ!?」
「これ以上、あなたを巻き添えにするわけにはいかないから、行って」
「何言ってるの!そんなこと、」
「どんなことであろうとも、やるの!……でなければ、足手まといと心中することになるよ?」

少し首を傾けておどけたように言うくせ、その声尻は微かに震えていた。

「大丈夫。この人形はしばらくここで足止めしておくし……私も死にはしないよ」
「……」
「…きっと、勝てるもの」

人形に視線をやって彼女が微笑む。その言葉を鵜呑みにして信じることなど、とてもできやしない。こんな所で腰を抜かす人間が、自分達が束になっても敵うかわからない人形を相手に何ができるというのか。あの光る槍で為す術なく貫かれて終わりだ。

( ……死にはしない、なんて…嘘だわ )

わかっている。その嘘がエーデルガルトを生かす為だとわかっているし、自分自身ここで死ぬつもりなど毛頭ない。彼女の嘘を飲み込んで先へ進まなければ、自分に未来はないのだ。……こんな所で躊躇っていては、望む未来を掴み取れないだろう。

「ほら、早くしないと置いて行かれるよ?ここの扉は賢いからね、あと少しで仕掛けが…」
「……………煩い」
「え?」

気付けば膝を折ってリルメの腕を掴み、それを首に回してしまっていた。彼女の冷たい腕に、ひやりと頭のどこかが冷静になる。

「ちょ、何してるの!?」
「……本当にね…私、何してるのかしら…っ」
「エーデルガルト、離して!」
「まったく…喋る元気があるなら足を動かしなさい!」
「無理!」
「どんなことであろうとも、やるのよ!」
「あ、真似した!」
「そんなことはどうでも、……っ」

元気な声が傍で聞こえるのに、掴んだ腕と寄り添った身体は何故かどんどん冷えていく。足も力が入らないのか、ずるずるとリルメの靴が引き摺られていた。

( 恐怖心からかもしれないけど、いくらなんでも冷えすぎだわ……腰を抜かしたのではなく、何かしらの攻撃を受けた可能性もあるのかしら… )

エーデルガルトとて鍛えているので華奢な女性を担ぎあげることは難しくとも引き摺ることくらいはできる。リルメもどうにか歩こうとしているようだし、少しは人形から距離が置けたところで、前方からクロードが引き返してきた。

「おい!お前ら何してんだ!?」
「クロード、ちょうどよかった。エーデルガルト連れて前線に…」
「しつこいわよ、リルメ。クロード、彼女は腰を抜かしたようだから、あなたが抱えて連れて行きなさい」
「は!?腰抜かしたって…まあ、こんな状況じゃさすがの姫もそうなるか……」
「え、いや、」

口では拒絶していたが、足どころか手にも力の入ってなさそうなリルメをクロードに渡すのは簡単だった。飛竜に跨るクロードは軽々と彼女を持ち上げ足の間に横抱きで収める。クロードの太腿に両足を乗せたリルメの、その靴先が削れているのが見えた。

キュイィィン

「!」
「……復活しそうだね」
「あの人形…止まってたのか?」
「そのようね。急ぐわよ!」

慌てて駆け出した直後、ガシャンッと扉が勝手に閉ざされた。自動で閉じる仕掛けがあれば、あの人形は追ってこないのだろうか。そう安堵しかけた途端、

キュイィィン!

「また出たぁ…」
「おいおい…何体いるんだよ…」
「……賊までいるのね…」

前線部隊が道を開いてくれているとはいえ、背後から人形と賊まで出て来られるとさすがに手に負えない。

「振り切るしかない、か……急げよ、エーデルガルト。先生達と合流するぞ」
「わ、わかっているわ!」

こちらに向かってくる賊。その賊の向こうには人形。自分で選んだ戦い方とはいえ、装備の重さに辟易しながら駆けた。クロードは付かず離れずの距離、少し前をこちらを窺いながら先導している。そのクロードに抱えられたリルメがよろよろ腕を持ち上げた。

「お、おい…なんだ?」

狼狽えるクロードによじ登るようにして座る位置を変えると、その肩に顎を乗せてこちらを見据える。正面から抱き着くように寄りかかられたクロードは手綱を持ってない方の手を上げて硬直していた。

「……人形に賊を片付けてもらおう」
「…は?」

バチッとどこかで火花が散る。クロードの背に回されたリルメの手に、滲むような光が宿った。

「エーデルガルト、後方に魔法を撃つからクロードより前に出て。クロードは、私を落とさないようにちゃんと抱えててね」
「魔法?あなたが?」
「うん。大丈夫だから、任せて」
「任せてってお前……」

クロードの背で揺れる指先が、ついっと光る軌道を描く。直後、近くに設置されていた洋燈が割れ落ちた。今のは風魔法だろうか。走りながら振り返り洋燈の残骸を見留めると、零れ散った洋燈の油に眩い光が飛んでくる。

「なんだ!?」
「ただの的外れな魔法…って、うわあ!」

素通りしようとした賊の傍目、ボンッと大きな火柱が立った。洋燈の僅かな燃料に炎の魔法を飛ばしたのだろう。

「あんた……か弱い姫と見せかけといて…」
「とんでもない魔力操作ね…」

ちらりと振り返れば、炎に行く手を塞がれた賊が一瞬で人形の餌食になっている。宝杯を狙う賊とはいえ、彼等が封印を解いたわけではない。にもかかわらず排除されたということは、人形にその辺りを識別する機能はないのだろう。アビスに連れて行けば何もしていない住民まで害を被ることは間違いない。

(……それにこの人形…谷にいたものとは比較にならない強度のようね )

倒れた賊を引き潰しながら進んだ人形は、燃え上がる炎の中をものともせず突っ切ってきた。

「……この先の仕掛けとやらで、本当にあの人形を止められるのかしら」
「……それは俺も疑問に思ってたところだ」
「細い通路も低い天井も壊しながら追っかけてきたらどうしよう…」

リルメの言う通り、あの人形が無理にでも廻廊を進めば天井も柱も壊されるだろう。そうなれば少し上にあるアビスの居住区は崩壊……するかもしれない。

( ……いや…そんなこと、ないわよね…きっと… )

「……ひとまず、ここを抜ければさすがに追ってこないんじゃないか?」
「ええ…あの大きさのものが通れるはずないのだから、壁に阻まれているうちにきっと止まるわ」
「…そう願おう…って、リルメ!…っ」

不意にクロードがぎょっとした声を上げた。抱えているリルメを慌てて引き剥がそうとしているが、彼女はぎゅっと強くクロードの背を掴んでいるらしく離れない。自分からは慌てたクロードの顔とリルメの背中しか見えないが、一体どうしたのだろう。

「お前、急に体が熱くなって…!」
「熱く…?」
「おい、大丈夫か!?喋れないのか?」

クロードがリルメの背を軽く叩いていた時、ドッッ!!と耳を強く打たれた。

ガシャァアンッ!

つい先程聞いたばかりの轟音と衝撃。何かが砕け散るように金属音が続いて、今度はドォオン…ッと骨身が痺れるような重低音が轟く。

「な、何事…!?」

一泊置いて、バチバチバチッと激しく鞭打つ音がした。見ればクロードの背後で、魔法の残照のような光が明滅している。

「お、おま…何を……今のは魔法か!?なんで今度は冷たくなってんだ馬鹿!!」
「…クロードうるさい」
( 魔法ですって?……なんて威力…! )

人形を見れば、先程同様ガタガタと痺れているように震えていた。エーデルガルトを狙った人形を一時的に止めたのも彼女なのだろう。

「……ってんめぇ…さっきからイカれた魔法乱発しやがって…!」
「ユーリス!これは一体…」
「説明は後だ!ここはもう良いから、さっさと合流するぞ」

ユーリスは現状を一目で判断した後リルメを見据え、てめぇは後で覚えてろよと低く告げた。ちらりとユーリスに振り返って、すぐクロードの肩に顔を埋めた彼女に、ユーリスは顔を顰めている。

( ……あら、 )

ヒューベルトが彼女を取り巻くものは面白いと評してもいたことを思い出す。こんな時にどうかと思うし下世話なことでもあるが、確かにずっと見ていればそんな評価も出てくるのかもしれない。

( …何より、彼女自身の評価も改めなければね )

あの魔法だけではない。冗談でも何でもなく、あの状況で微笑んで「先に行け」などと宣う性根。ユーリス達よりもアビスを掌握していそうな能力。
噂通りの愚かな姫でないなら、リルメは一体何なのか。無事に居住区に戻ったら、リルメとじっくり話をしてみなければならないだろう。