閃きの斜陽


ジュリアの元へ通い始めて早五日。
少しでも生きる力を取り戻す為にと回復魔法を施したり、按摩をしたり、手足を動かさせたり、ひたすら語りかけたりと、その程度だ。どうせ味わってなどいないだろうからと、食事も飲用にした傷口やアビスでも手に入れられる程度の薬草を取り入れたスープに変えた。私からすればとても食べられたものではないのだが、ジュリアは眉ひとつ動かさずにそれを嚥下する。そんな母親をダリスは痛ましげな目で見ていた。


「あの人、そんなに具合悪かったんだ。」

知らなかったな。ぽつりとハピが呟いて、ポソポソのパンを齧る。このパンは口の中の水分を持っていくので、スープに浸さなければとても食べられない。ハピはよくそのまま食べられるなと思ったが、彼女の故郷には似たような食べ物があったらしい。コツを掴めば少量でお腹が膨れるからいいのだと糧食扱いしていた。ちなみにこんなものでもジュリアは口に入れてしまえば飲み込んでしまうのだ。

「アルファルド様も一度様子を見て、主に祈るしかないと仰っていましたもの。気鬱など薬でどうにかなるものでもありませんわ。」
「…まあ、そうですよね…。」
「でも貴女、ここのところ毎日通っているのですよね?もう随分と疲れているのではなくて?」
「当たり前じゃん。話も聞かない、死にたいばっかりで、何をしても変わんない人の相手なんて…ハピはムリ。自分まで暗くなっちゃいそう。」

飾らないハピの言葉に苦笑すれば、コンスタンツェもそれに同意した。そんなものに引き摺り落とされるなどたまらない、と。

「…食事中にする相談ではありませんでしたね。お気を悪くさせてしまって、すみません。」
「そ、そういうわけではないですわ!別に貴女の相談に気を害したとかではなく、その…、」
「リルメがそこまで困ってるのが、なんか変なんだよねー。そんなしんどそうなの、ハピ達だってしたことないのにさ。」

それはきっと自分の力量を知り、できることとできないことを切り分けてきたからだろうと思う。これまでの灰狼の学級がどのようなことをしてきたのかは知らないが、私が今しているのは、謂わば「無駄な足掻き」のようなものなのだ。
けれど、それを指摘せずに心配してくれるハピとコンスタンツェには救われる。出会ったばかりだが、この二人は心優しい人間なのだと勝手に思ってしまっていた。



「何やってんだ、お前。」

手持ちのお金で商人から薬草を買った時。偶然見ていたらしいバルタザールに頭を叩かれた。彼は人の頭に手を出すのが好きなのだろうか。

「何って、見たらわかるでしょう。買い物ですよ。」
「ただの買い物なら文句はねぇ。だが、それは…、」

そこで言い淀んだのはなぜだろう。これはジュリアの為の薬草だ。ダリスを気にかけ、その母親の回復を願っていたのはバルタザールとて同じだったはずなのだから、文句を言われる筋合いはない。

「……バルタザールも、気鬱に薬など効かないと言うのですか?だから無駄なことをするな、と。」
「……誰がそんなこと言った。」
「いえ、誰も。…もしかしたら、私の心の声だったのかもしれません。」
「……。」

実際、意思疎通ができない彼女をどうこうするより、ひとりになってしまったダリスを支える方が楽だとは言わないが、現実的には可能なのだろう。ダリスに期待を抱かせてしまえば、その分失った時の絶望も大きいのだから、きっと、早々に諦めてしまった方が皆の為にもなる。

「…じゃあ、その薬草はなんだ。惰性で買ったのか?」
「ふふ、まさか。」

少し笑ってから気付いたが、確かに私は少しばかり疲れていた。頬に力が入らず口の中が乾いている。

「おい、お前ちゃんと寝てんのか?」
「ん?別に肌荒れもしてなければクマもないはずですよ。」
「……女は化粧だの何だので誤魔化すらしいからな。」
「失礼な。私はいつでもすっぴんに自信を持っていま…っわ!?」

唐突に腰を掴まれたかと思うと、ぶわっと身体が持ち上がった。

「ば、バルタザール…!?」
「落としちゃいけねぇから大人しくしてろよ。」
「は!?ちょっ、一体…っ」

見た目通り大きな腕に抱えられ、膝裏にはバルタザールの手が回される。眼下にあるバルタザールの頭を叩いて降りようかと思ったが、意図がわからない以上それも躊躇われた。
混乱する私を他所に、通路の松明をひとつ持ち、目を丸くする門番に「ちょっと出てくる。」と告げたバルタザールは、私の知らない通路を進んだ。

「あの…バルタザール、どちらへ?」
「だいたいわかるだろうが。」
「わからないから聞いてるんですよ。あと降ろしてください。」
「あ?」
「どこかへ行くなら普通に歩きます。」
「疲れきった女歩かせたら文句言われんだよ。」
「文句?どなたに?」
「それは……ん?あー、えー、…誰だっけ……何だ、ド忘れしちまったな。昔そう言われて、誰かを抱えた覚えはあるんだが…。」
「何ですそれ…。」

そんなやりとりをしながらも、バルタザールはなかなかに安定感があったので、そのまま楽をさせてもらう。

「……ていうか、これ…外に行くつもりですか?」
「今気付いたのか。」
「え、ちょっと…誰もいないとこにでるんですよね?」
「ああ、たぶんな。」
「たぶん!?」
「誰かに見られちゃ困るのか?」
「アビスにいるのはそんな人間ばかりなのでは?かくいうあなたも。」
「はっはっはっ。」

そう笑いながらバルタザールは光が差す穴に私を潜らせた。そうして久々に出た地上は、なんだかやけに眩しい。

「……う、わ…。」
「っかー!やっぱ地上は空気が違うねえ!」
「…う…っ、」
「なんだ久しぶりの地上に感動したか?」
「ひ、陽射しが強くて気分が…。」
「おいおい、すっかり日陰者だなお前も。」

口元を抑えた私をさっと抱えて日陰に移動したバルタザールは、私を木に寄りかからせると思いっきり背伸びをした。こうしてみると、外の明るさが似合う男だ。賭けに弱く借金まみれになる才能さえなければ、きっとレスターの格闘王として輝いていたのだろう。

ゆっくりと視線をあげると、そこは木立の中だった。背後には女神の塔と大聖堂が見える。

「ここは…女神の塔の裏側なのですね。」
「ああ。鬱蒼とした木々に埋もれた塔の根元だ。ここから人気のある所に出るのは苦労するが、気晴らしに出るだけなら十分なんだよ。」
「時々外に採集に行くと聞きましたが、」
「そりゃ別の場所だな。少し進めばわかるが、この周辺は断崖絶壁だ。木と雑草と虫くらいしか取れねえよ。」

眩しさに慣れた目を凝らせば、以前はどこにでもあったような木々とくさむらが、とても健やかなものに見えた。地面には木漏れ日が揺れていて、風は穏やかだ。

「ほらな。」

不意に私の顔を覗き込んだバルタザールは、呆れたように溜め息を吐いた。

「何がです?」
「アビスみたいに薄暗いどこじゃなく、こういう陽の下に出りゃわかるんだよ。顔色もクマも、シワも毛あ…っぐふ!」
「すみません、余計な指摘が聞こえたもので。つい。」

鳩尾を押さえたバルタザールを置いてゆっくりと歩を進める。さく、と土草を踏みしめる柔らかな感触に、足は恐る恐る触れる。
木に触れると、朝露にしっとりした皮を感じた。皮を剥がして木から油を取りたい。
そんな衝動を殺して更に進んでいけば、木々で覆われていた視界はすぐに開けた。

「……断崖絶壁…。」

正しくそう呼べる場所だ。見渡す眼下は深い霧の海、見上げた先はどこまでも続く空。少し振り返れば大修道の立つ山があるのだが、そんなことはどうでもいいくらい、そこは世界の果てのようだった。