品
「約束ですよ、ハンネマン先生」
紋章学の父とされる老紳士に失礼なくらい念押しすると、彼は「う、うむ」と自信なさげに頷いた。
「しかし研究者としては難しい約束であるな…」
「妹が良しとしていることなら、私も文句はありません。ただ、嫌がることを強要しないでほしいだけなのです」
「もちろん、リシテア君を傷つけたり苦しめたりするつもりはないが…、研究するうえで必要な情報や事象というのは自ずと浮かび上がってくる」
「ええ、そういうものもあるかもしれません。ただ、話せないことも議論したくないことも彼女にはあるので、その辺りの引き際を見誤らないようにしてほしいのです」
「……その時は、君が協力してくれるのかね?」
ハンネマンの問いかけに微笑んで答えた私は、さぞかし可愛げのない生徒だっただろう。
二十歳を目前にした未熟な初々しさもなく、素直でもなければ尖った反骨精神もそこまでない。歳の割に扱いづらい、と言っていたのは誰だったか。そんな言葉にすら首を傾げてよくわからないふりをして流していたのだから本当に可愛くない。
( …紋章学の本ばっかり… )
本の敷き詰められたハンネマンの部屋で、紋章の有無を調べる道具が時折 不可思議な音をたてる。私がこの道具に手を翳したところで何の反応も得られはしないのだが、愛する妹が手を翳せば有り得ないことが起きるのだろう。随分と特殊な妹の、その状態を口外しないことと引き換えに、ハンネマンの研究材料となることを選んだのは妹自身だ。
「…ハンネマン先生」
「何だね?」
呼びかければ、穏やかにこちらの言葉を待ってくれる。研究者にありがちな現象として、好奇心や探究心に振り回されやすい部分はあるのだろうが、普段は至極 理知的な先生だ。長年ガルグ=マクの士官学校で教師をしてもいるのだから、それなりに信頼できる人物なのだろう。
「あなたはどうして、紋章学を解き明かしたいのですか?」
「…何?」
「あなたは常々口にする。解き明かしたいという言葉を。明かしたい…ただ知りたいだけではなく、紐解きたいというのなら、それは何の為なのですか?」
権威に執着しているなら、きっと教師になどなってはいないだろう。名高い学者としてどこぞの貴族に囲われ、富と名声を得ることもできるはずだ。彼の所作を見るに…というか識者というものの多くはそれなりに貴い生まれであるものだ。ハンネマンは、そういったものに執着はないように思えるが、であれば何か紋章学を追求する先に目的があるのかもしれない。
「リルメ君。知を得るというのは、崇高なことだと思わないかね」
「……崇高…」
「士官学校では主に戦い方を学ぶが、この大修道院では様々な学問を推進している。私は紋章学を、マヌエラ君は医学を、そして修道士や司祭達は信仰を研究し続けているのだよ」
紋章学や医学はわかる。ハンネマンは紋章の研究を、マヌエラは騎士団などへの医療実習を、教師業の傍らで行っているらしい。
しかし信仰の研究とやらは初耳だ。どういうものなのだろうと疑問を持った私に、ハンネマンは教師らしく説明してくれた。
「セイロス教は確立された宗教であり、その歴史も教え説かれている通りだ。ならばあとはもう布教するばかり……というわけにもいかないのが、信仰なのだよ」
「……私は信仰心が薄いので、よくわかりません」
「そういう者は一定数 存在する。ただ心理的にそうであるのか、もしくは教えの一から十までの全てを信じきられないからなのか。……その辺りの感じ方は個人によって千差万別であろう」
「……」
「教えや歴史のどこかに疑問を持つならば、それを紐解かねばならない。正確さが全てではないが、謎のままであればそれは曲解を招くものだ」
「……」
「…故に、多くの人間が書物を何度も読み込み、天井画の些細な点から様々な考察をし、論文を書き、研究は捏ねくり回されながら進む。そうして固定されていく"正確さ"は、進歩であり、変化になり得、歴史の一端ともなる」
「……」
「これを浪漫と言わず何と言うのだ!」
「……」
そういう話が聞きたいわけではないのだが、と曖昧に笑って受け流す。結局、知りたい答えは得られなかったが、もしかしたら時期尚早なのかもしれない。まだ士官学校に来て数日なのだから、ハンネマンに関しては焦る必要もないだろう。