ハンネマンの部屋を出て一階に降りると、外は随分と陽が落ちていた。とろりとした夕暮れに新緑の葉が溶け込み、その眩さに目を細める。コーデリア領ではあまり見ない木々と、蕩けるような陽の近さにどこか心が騒いだ。これはきっとガルグ=マクに来なければ見られなかった景色なのだと考え、この光景を大事な記憶の中に押し込んでいく。

( ここで春を過ごすのは、きっとこの一年だけ。その間に、できるだけ多くのものを焼き付けておかないと )

いつからか、そんな思惑を持って、こういった何気ないものに目を奪われるようになった。それは感傷だったり、思春期特有の心の動きだったりするのかもしれない。けれど今しかないのだと刹那的に生きることが、そして一瞬一秒を大事にすることが当然のようになってしまっている。

( …リシテアの影響かな )

いつも時間に追われているような、生き急いでいる妹の影響を受けているのだとしたら、それは良くないことだ。彼女の姉である以上、私には余裕がなければならない。


「こんにちは」
「!」

誰かが近付いて来ていることに気付いてはいたが、あまりにも淡々とした声に思わず肩が跳ねた。

「こ、こんにちは」
「……もう、こんばんは、の方がいい?」
「…それは別に、どちらでも」

そう…と、どうでもよさそうに頷いたのは知らない男性だった。生徒でもなければ教団関係者でも、騎士団でもなさそうである。言動もそうだが、服装から見て傭兵か何かだろうかと首を傾げると、目の前の男性も鏡のように首を傾げた。夕陽に翳る藍色の髪がさらりと揺れて、人形のような表情を彩る。

「俺はベレト=アイスナー」
「…私はリルメ=フォン=コーデリア。もしかして、先日の課外活動で級長達を助けたっていう…?」
「たぶん」
「…たぶん…あなたなんだろうね。クロードから変わった人だって聞いてるし」
「変わってる?」
「というか、掴み所がなさそう」

私の言葉に首を傾げたベレトは徐に自分の両手を見下ろした。そして服の裾をひらひらさせて、なぜかちらりとこちらを見る。

「…掴み所はね、物理的に掴める所という意味ではないよ」

まさかと思いつつ口にしたそれに、ベレトは目を瞬いた。もしかしなくとも天然……というか、率直ではない会話が得意じゃないのかもしれない。

「…私達の級長を助けてくれて、ありがとう」
「こちらこそ」
「え?」
「勉強になる、と思う。いろいろと」

何かを思い返しているのか、それとも言葉を探しているのか。思案しながら口にしている内容は、淡白な口調でありながら、なんだか気が抜けるくらい害意がない。ハンネマンの難しい話を聞いた後というのもあって、少しばかりほんわかしてしまう。

「あなたは、いつまでここにいるの?」
「…さあ?」
「え、自分の今後のことを把握してないの…?」
「ここの教師になるらしい。でも、いつまでやるのかは知らない」
「教師?え、このふわふわが…?」
「ふわふわ…?」

ほんわかするが彼が教師となるなら話は別だ。クロードの話では、腕こそ立つがセイロス教の名すら知らない…どこか浮世離れした人らしい。セイロス教を知らないということは、フォドラの歴史も恐らくろくに知らないと思うのだが、教師はそれでもいいのだろうか。

「ちなみにどこの学級かは…」
「決まってない」
「そう…」

金鹿の学級の担当になったら不安だなと思いながら「あっ」と声を零す。

「教師の方にこの言葉遣いは失礼でしたね」
「?別に、さっきまでのでいい」
「と言われましても」
「自分はまだちゃんとした教師じゃない。仕事だからできる限りのことはするけど、学びが必要なのは同じで…、」

不安だなと思っていたのに、存外しっかりした考え方に目を瞠る。

「ハンネマン先生とマヌエラ先生が教師で、自分は…生徒との中間くらいに思えばいい」
「一人前の教師ではないから、と?」
「そう。…半人前、だから」

やっと適切な言葉を見つけたと言わんばかりに「半人前」と繰り返したベレトに、「じゃあ私たちと同じだね」と笑いかければ得心したように頷いた。

「リルメの学級は…クロードと同じ?」
「そうだよ」
「わかった」

ひたすらに淡々とした声音だが、少しだけその口角が上がったように見えた。かと思えばとっとと背中を向けて立ち去ってしまったのだから、やっぱり掴み所がないのかもしれない。