土産話

イタリアと日本に気候の違いはほぼない。しいて言えば地中海性気候に属しているため日本よりは湿度が低いといったところか。だからといって帰国した翌日に倦怠感とも言うべきかじめっとした気持ちになったのは湿度のせいでも時差ボケでもないのだろう。

「よぉ、重役出勤かぁ九井?」
「……三途か」

今日からまたヤク中者と女好きと浪費家と唯我独尊を具現化した人間の面倒を見なければと思うと頭が痛くなるのだ。そして第一村人ならぬ第一反社に声を掛けられた九井はこちらへとやってくる男にバレぬよう小さくため息をついた。別にあからさまについてもよかったのだが絡まれると色々と面倒くさいのだ。

「オマエの分の仕事はたんまり残してあんだから感謝しろよぉ」
「そりゃどーも。それよりオレのいねぇ間にトラブルはなかったか?」
「あー一つや二つあったんじゃね?」

なら十や二十はあったのか、と脳内変換をし九井は三途と共に事務所のエレベーターへと乗り込んだ。そしてボスの部屋に行くと告げた三途と別れ先にエレベーターを降りる。

自分が仕事場にしている部屋へと向かえばその扉の前はしん、と静まり返っていた。それもそうだ、何故なら事務所内ではいつでもどこでも発砲していいように全ての壁を防音壁にしたのだから。だがしかし胸騒ぎはする。憂鬱な気持ちになりつつもカードキーを使い鉛よりも重い扉を押し開けた。

「おっオレらが汗水垂らして働いてる中、優雅にバカンス行ってた九井サマのお帰りだ」
「そう虐めてやんなよ竜胆。お家帰りたーいなんて言い出したら困るだろぉ?」
「なんだぁ?いねぇと思ったら遊び行ってたのかよ。通りで経理申請下りねぇわけだ」
「ア?明司は三途から何も聞いてなかったのか」
「九井、早速で悪いがこの資料見てもらってもいいか?」

はい、地獄。何故なら扉の先には梵天幹部が勢ぞろいしていたからである。大して仲良くもないくせにこんな時だけどうして息が合うのか。そしてさっき別れたばかりの三途までもが姿を現した。どうやらボスが見当たらなかったらしい。

「おい、マイキーの居場所知ってる奴いるかぁ?」
「知らねぇよ」
「三途の監視がウザくてどっか行ったんだろ」
「あ?」

目が合うだけでポケットなモンスターを使わずに始まるバトルには嫌気がさす。そして至る所に積み上げられた紙の束には頭痛を覚えた。パソコンのメールも重要性の高いものだけは転送されるよう設定していたがそれでも未読のものはかなり溜まっていることだろう。
鶴蝶からは資料を受け取り、その他大勢は適当にあしらいながら一番奥の自分のデスクを目指す。

「なぁ当然土産はあるよな?」
「ン」
「えっマジであんのかよ」
「いない間、迷惑かけて悪かったな」

集って来た竜胆に菓子が入った紙袋を渡せばその隣にいた蘭からは意外だと驚かれる。次いで「結婚して丸くなったな」と望月が続ければ煙草に火を点けようとしていた明司の手が止まった。

「なにオマエ結婚してんの?」
「そうだけど」
「いつ?」
「結構前」

資料に目を通しながら九井は生返事で答える。その様子を見ていた鶴蝶が尚も唖然としている明司に掻い摘んで説明した。梵天内で東城会との見合い話が上がった際に婚約者を連れてきたのだと。因みにその見合いのW生贄Wとして三途が選ばれたわけではあるが梵天が東城会を早々にねじ伏せたためその話もなくなった。

「九井の嫁ってどんな奴?」

明司から逃げきったと思えば次は竜胆から質問が飛んでくる。自分のデスクまでがまるでゴールデンボールブリッジである。しかしこれは誰に当てたわけでもない独り言に近かった。現に竜胆は貰った菓子の包装を破き早速一つ口の中に放り込んでいたのだから。しかし竜胆の独り言を聞き逃さなかった弟想いの兄がいた。

「フッツーの女。でも意外と気ぃ強くて面白れぇの」
「へぇ意外。じゃあ家では尻に敷かれてんだ?」
「ウゼェー」

ニタニタとこちらを見てくる竜胆を一蹴し九井はパソコンの電源を入れる。一週間ぶりに起動させたそれはいつもより立ち上がりが遅いように思えた。その鈍いモーター音を聞きながら自身の鞄の中身を確認したところであることを思い出す。

「三途」
「あ?」
「これアイツから」

九井から三途に紙袋が渡される。それは飾り気のないただの茶袋で片手に収まるほどの大きさ。三途が音を立てながら中身を取り出せばそれは更に白の薄いシートに包まっていた。めんどくせぇと言いつつも中身が気になるので留めてあるテープを指で割いていく。九井もその中身は知らなかった。そして他の彼等も気にはなるのか三途の手元をじっと見ていた。

「なんだこれ?」

出てきたガラス瓶には白い粉が入っていた。そしてその中には黒の粒も混じっている。新しいブツかぁ?とその瓶を振ってのけた三途に、横から口を挟んだのは一つ目の菓子を食べ切った竜胆だった。

「塩じゃね?」
「はぁ?ンならこの黒いやつは何なんだよぉ」
「トリュフだよ。トリュフ塩だろ、それ」

塩、と聞き九井はあることを思い出す。それはかの有名な大聖堂に寄った時の事、アイツは突然お祓いはできないのかと言い出した。当然、海外にそのような文化はなく、それならば魔除けの物を……とロザリオや赤い角を買っていた。そして帰国後、これを三途に渡してほしいと頼まれたのだ。彼女からしてみればこれは清めの塩とも言うべきか。つまりは嫌味だ。

「何笑ってんだよ」
「別に」
「まさかこれに毒でも入ってんじゃねぇだろうなぁ」
「ンなわけねぇだろ。ただ今後アイツには関わんねぇ方がいいぞ」

マジで一服盛られるかもしんねぇな、と笑った九井に周囲はやや驚く。言葉こそ相変わらずだがその表情は今まで見たことがないものだった。眉を八の字にし目尻を下げた顔には「の」から始まる三文字の単語が滲み出ている。そしてこの中で一番付き合いの長い蘭がそんな九井を面白がり絡んでいくのはある意味必然であった。

「もしかして三途に嫁取られると思ってんの」
「はぁ?ありえねぇよ」
「へぇ。随分と愛されてる自信あんのな」
「何が言いてぇ?」
「今度声掛けてみっかなぁ。ああゆう女って落としたくなるもんだろ」
「ったく、ふざけんのもいい加減に——」
「なんだオマエらもいたのか」

扉が開錠される音と共に佐野万次郎が姿を現す。三途が駆け寄る姿を横目に、万次郎は履き慣れたサンダルをペタペタと鳴らしながら皆の方へと歩いていく。そして九井をその場に呼び寄せた。

「結婚祝い」

華奢な体の割に手の大きさは成人男性のそれと同じ。しかしその手からでも滑り落ちそうなくらいの厚い札束が目の前に差し出された。五分の一ずつ紙帯に束ねられていることから五百万という金額が導き出される。

「え、は?」
「ン」

景色も写さぬ瞳で万次郎は札束を押し付ける。そうなってしまえば九井も受け取るしかなくなり、抱きかかえるようにして五百万を受け取った。万次郎はようやく自由になった手をぷらぷらと振りソファへと腰掛ける。すると、まるでそれが合図かのようにその場にいた皆が一斉にスマホを操作した。

「後で口座確認しとけよ」
「オレの時には倍返しでよろしく」
「は?」

蘭と竜胆が脈絡なしにそう言った。

「マ、土産代は振り込んどくわ」

明司が煙草に火を点けながら笑う。

「過労死しねぇ程度にこれからも働けよ」

望月は頭をかきながらスマホをポケットにしまった。

「お幸せに」

鶴蝶は散々考えた末に一言だけそう伝えた。

「テメェの嫁にヨロシクなぁ!」

そして中指を突き立てた三途が吠えた。

皆、これで用は済んだとばかりにぞろぞろと部屋を出ていく。その様子を九井は途中から返す言葉も忘れて呆然と見ていた。
そして最後まで部屋に残っていた万次郎は一つ菓子を食べ終えて立ち上がる。ヒタヒタと湿ったような音を鳴らすサンダルを目で追っていけば扉の前でぴたりと止まった。そして、

「家族は大事にしろよ」

こちらを振り返ることもなく、そう言い残して部屋を出ていった。
ひとり残された九井はやはり呆然として。
しかし数秒後には声を出して笑っていた。


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