人がときめくのは結末を知らないからだ。
あぁ、また私の心に名言が刻まれてしまった。その言葉の数々をスマホのメモ帳に書き溜めては寝る前に見返してニヤニヤしている。自分でも気持ち悪いことは分かっているのでどうか引かないでいただきたい。なにせ、ただのオタクなものですから。
「うぅ……」
果たして何のオタクかと問われればそれは韓国ドラマである。特に恋愛系、泣けるやつが好き。フィクション色が強すぎ、且つ昭和を思わせるベタな展開故に苦手な人も多いと聞くが私はそれこそが好きだった。財閥上等、貧乏上等、勘違い上等、死別上等。さらにそこに記憶喪失が加わると尚よし。現実の恋愛に夢を見ないからこそ、私はその夢をドラマで味わった。
「何でそうなるのっ……!」
そして今は最近のお気に入りをリピートしては泣いていた。いつも以上に感傷的になったのも全ては物凄く大きな4Kテレビのせいである。ココくんはどうして家にあまりいないのにこんな素晴らしい文明の利器を買ったのだろうか。今まで擦り切れるほどに見たDVDも大画面と高画質で見てしまえばまた違った作品にすら覚えた。だからこの週末は引きこもりを極め金曜の夜からほぼエンドレスでお気に入りの韓国ドラマを見続けていた。
「終わってしまった……」
そして最終話の盛り上がりに目頭を熱くし力なく仰け反れば、ソファの柔らかなスプリングが私を包み込んだ。実のところ、私を引きこもりにさせた真犯人はこの三人掛けのマラルンガソファだ。仕事の際、一度イタリアのショウルームにて座らせてもらいその弾力と柔らかさに虜になった。でも到底、一般OLの買える値段ではなく下唇を噛みしめながら帰国したのは今もはっきりと覚えている。それなのにまさかこんなところで再会できるとは。あまりの心地よさに最近ではここで寝落ちすることも多々あった。
「もうこんな時間か」
全十六話の長旅を終え、ふと時計へと目を移せばちょうど日付を超えようとしていた。明日は仕事なのでそろそろ寝ないと響くだろう。ティッシュで鼻をかんで立ち上がり、デッキからDVDを取り出した。そしてテレビ台の下の空きスペースに順番通りにしまう。この初回限定版のDVDボックスも前の家では置き場所に悩まされたというのにこの家には収納スペースが有り余っているので助かっている。
次いで机の上や大量のティッシュの入ったゴミ箱を片付け部屋を元通りにする。そして改めて見たリビングはやはり広くて綺麗だ。そもそも家具も必要最低限しかないのだから尚更そう見えるのかもしれない。でもそれは同時に寂しくも感じた。モデルハウスのような素敵な家も案外住むには向かないのかもしれない。
「じゃあ寝よっか」
ソファの上で項垂れていた彼≠ノ声を掛ける。もう随分とくたびれてしまったテディベアはカクン、とひとつ頷いて私に持ち上げられた。今日も家主は不在。最近は仕事が立て込んでいるらしく一週間ほどココくんとは顔を合わせていなかった。でも食器棚のコップの位置や畳まれたタオルの位置などが僅かに変わっていることから帰っては来ているようだった。それにしたって一人で住むには広すぎる。人感センサーで消灯する照明はそのままに私は彼と一緒に布団へと潜った。
◇
朝は七時に起きれば仕事に間に合う。だからスマホのアラームは六時五十分から二分ごとにスヌーズをセットして目覚めるようにしている。というのに今日はアラームが鳴る前に目が覚めてしまった。さらに付け加えるなら太陽が昇るよりも先に起きた。それはスヌーズよりもしつこく鳴り続けるインターホンのせいである。
「……はい」
血の巡りの悪い体を引きづってリビングのドアを開ける。そうして設置されたインターホンの通話ボタンを押し、さも寝起きですと言った声で私は出た。
『クソッやっと出やがったなぁ!さっさと開けろやカス‼』
「え、あっはい⁈」
ボリュームをそこまで大きく設定していないにもかかわらず耳をつんざくほどの怒声を喰らった。さすがの私もこれで脳が覚醒した。霞んだ眼を瞬きし、改めてモニターを確認すればいつかに見たタフィーピンクの髪が映っていた。突然の梵天ナンバーツー様のご来訪に驚きつつも指は反射的に開錠ボタンを押していた。
再び静かになった部屋で呆然とする。しかしすぐに我に返りココくんの寝室に向かった。だが何度ノックしても出てくることはない。まさかと思い玄関へと向えばそこには私の靴しかなかった。どうしよう、家主不在である。しかし、そうこうしているうちに再びインターホンが鳴り響いた。ここまで来たら追い返すわけにもいかないし迎え入れるしかない。そう覚悟を決め扉の錠へと手を伸ばした。
「はい、お待たせしまし——っ、たぁ⁈」
「ソイツ五徹して使いモンなんなくなったから休ませとけ。ンでボスからは今日明日は休みでいいだとさ」
扉を開けた瞬間、視界が銀色に染まる。そしてそれが勢いよく覆いかぶさり、その重さで体が後ろに倒れていった。玄関タイルに尻もちをつき段差の角が背骨に当たりそのまま頭までもがフローリングとこんにちはした。かなり痛いがそれよりも圧し掛かった重さに体は悲鳴を上げていた。
「ちょっといきなり何⁈」
「後は任せた」
「はぁ⁈」
「テメェ嫁だろぉ?面倒ぐらい見ろや!」
足音が遠ざかるのと同時にオートロックが掛かる音がした。朝早く起こされ言うだけ言って帰った男に軽く殺意を覚える。しかし今は体に乗ったものを何とかしなければ。
「急になんなの……ってココくん⁈」
視界の端で垂れ下がるピアスを見てその正体がココくんだと分かった。後ろに手を付き、なんとか起き上がりココくんを床に転がす。いつもよりも白くなった肌に目の下に濃く映る隈。呼吸音の一つも聞こえないその姿は眠り姫さながらである。しかし生憎、目覚めの口付けをする気もないので軽く頬を叩き声を掛けた。
「ココくん……?」
返事がない。ただのしかばねのようだ。さすがの私もこの状況には焦った。ここは一発、壊れかけのレディオを直す勢いで思いっきり叩いてやろうとしたところで唇が僅かに動いたことに気付く。恐る恐る首元へと手を伸ばせば脈拍を確認できた。どうやら寝ているだけらしい。そういえば五徹をしたと言ってたっけ。職場に泊まるとは聞かされてはいたがまさかここまで仕事をしていたとは。どうやら反社というのは外も中も真っ黒らしい。
「ここで寝ると風邪引くよ?」
でも先ずはココくんをこの場から移動させなければと思い再び声を掛ける。が、当然起きる気配はない。しょうがないのでいつかに見た救護搬送のテレビ番組を思い出しココくんを移動させることにした。脚を重ね、背後に回って両脇の下に手を入れる。そうしてチリ一つ落ちていない廊下を引きずっていく。だがしかし、それでも成人男性一人を運ぶのは寝起きの女にとっては重労働であった。
「しょうがない、私の部屋に運ぶか」
私の部屋は一番玄関に近い。だからココくんの寝室に運ぶよりも余程楽である。それに寝室とはいえココくんのプライベートルームである事には変わりなく、私が入れば契約を破ることになると思った。
「はぁ、疲れた」
そうして自分の布団へと何とか運び込んだところで時間を確認すれば三十分ほどが経過していた。カーテンの隙間からは薄っすらと白い光が差し込んでいる。もうひと眠りくらいはできそうだが目が冴えてしまい二度寝をする気にはなれなかった。そこでもう一度ココくんの顔を見た。先ほどは肌の白さと隈に驚いたがよくよく見れば少し頬がこけた気がしなくもない。ご飯は食べれていたのだろうか……
「まぁこれも妻の役目か」
ココくんとは偶に一緒に食事をとる。それは夜だったり、休日の昼間だったりで不定期であり不規則だ。でも全く互いの生活に干渉しないと思っていた私にとって、それは意外なことで少し驚いた。そしてもっと驚いたことと言えば私が仕事の日、夕食を用意してくれていたことがあったのだ。ココくんは仕事で家を出て行った後だったが一汁三菜用意されていたのには感動した。まぁ量はすごかったけど。
マンション一階のスーパーは二十四時間営業。そして出勤までにはまだ時間がある。私はもう一度、自分に「妻の役目」だと言い聞かせて財布片手に家を出た。
◇
いつものショートサイズでもなければトールも越してグランデのカップ片手に出社した。カフェインの過剰摂取は控えようと思いつつも朝に叩き起こされた影響で既に睡魔が訪れていた。それでもコーヒーお供に丸一日の業務を終え、席を立った時だった。
「ねぇ聞いたよ!結婚したんだって?」
私と同時入社した女性社員だった。結婚について私は人事の担当と自分の上司くらいにしか言っていない。でもそういう話はどこかで必ず周囲に漏れるものである。現に彼女の発言で近くにいた先輩後輩にも知れ渡ってしまった。
「えっマジで⁈なんだよ報告くらいしろよなぁ」
「すみません、言うタイミングがなくて……」
「わぁ先輩おめでとうございます!お相手はずっと同棲してた彼氏さんですか?」
「あー……そうではないんだけど」
「なになに?詳しく聞かせてよ!じゃあ結婚祝いってことで今から飲み行かない?ほら皆さんも」
彼女としては悪気はなかったのだと思う。そして周囲の人たちも。でも当の本人達にとってそれはおめでたいものでもないし語れるほどのラブロマンスもない。ただそこに韓国ドラマ並みの展開があったことだけははっきりと言い切れるが。
「いやでも急だし」
「月初めだからそこまで忙しくないでしょ?二時間だけでいいから行こうよ」
「今から飲み行くのか?」
「あっ課長も一緒にどうですか?」
ココくんのことも心配だし早く帰るつもりだった。しかし参加人数は増していき上司まで来ることになってしまえば断ることもできやしない。割とアットホームな会社ではあるがこういう節だけは好きになれない。それにこの人達は私の話を聞きたいというよりはお酒を飲む口実が欲しいだけなのだ。
「いつもの店予約できたぞ」
「ほら行こうって」
「あ、うん」
せめて連絡だけでも、と思いココくんにメッセージを一件送っておく。その既読を確認せぬままスマホをバッグへとしまった。
二時間が三時間に延長され、飲み会はお開きになった。飛んでくる数々の質問には九割の嘘と一割の真実で受け応えていった。周りの結婚している友達のエピソードを交えた作り話は自分で拍手を送りたいくらいの出来だった。唯一のオリジナル要素は「中学時代の同級生」だがそれも入れる必要があったかは謎である。
会社の人達とは店で、そして同僚とは駅のホームで解散した。定期券を使い改札口を抜けホームに続く階段を降りていく。そこで構内に発車を知らせるアナウンスが響いたものだから駆け足で電車に滑り込んだ。ゆっくりと車両が動き出し安堵したところでハタと気付く。あ、乗る電車間違えた。ココくんと住み始めて早一ヵ月。その生活には慣れたとはいえ体はまだ家の場所を覚えていないらしい。うっかり前の家に向かう逆路線のものに乗ってしまった。なにやってんだか、と小さくため息をつき乗り換え路線を調べるためスマホを取り出す。すると二件の不在着信と一件のメッセージが届いていた。それを見て慌てて次の駅で降りて私は電話を掛けた。
そしてその二十分後、私の前に一台の車が現れた。
「お疲れ」
届いていたメッセージには「迎えに行く」の五文字があり、悪いと思いながらもお言葉に甘えさせてもらった。
「ココくんほんとありがとう!今日はゆっくり休めた?」
「お陰様で」
街灯の白い灯りでは分かりづらいが顔色も今朝よりは大分よく思える。そして私が大量に作っていったご飯も食べてくれたのかお礼を言われた。
「それにしても急にガラの悪い人が来て驚いたよ」
「三途か?」
「そうそう、ピンク髪の人。朝から怒鳴って帰ってったよ」
「例の見合い、アイツが出ることになったからその八つ当たりだろうよ」
「へぇかわいそ」
「全く思ってなさそうだな」
どうでもいい、というのが正直なところである。でもココくんのお仲間だしもう少し気を使った言い方をすればよかったかな、と反省していれば運転席からは笑い声が聞こえた。ほんと反社ってよく分かんないや。
「そういやオマエのベッドカバー洗っといたわ」
「あー別に気にしなくていいのに。というか寧ろ私の布団で寝かせてごめんね」
「いや、オレの方こそ運ばせて寝床も占領して悪かった」
平日の夜だからか道は空いていた。法定速度を守り緩やかに車は進んでいく。でも間が悪いのかやたらと信号に捕まった。その度に車は停止線の手前でピッタリと止まる。
「私のことは気にしないで。でもまぁちゃんと布団で寝ようね、風邪ひいちゃうし」
「次は気を付ける。ところでオマエ、布団直に敷いて寝てんのな」
「あーあはは……」
思わずヘタな苦笑いを浮かべる。布団は前の家にあった来客用のものを一式持ってきてそれを使っている。マットレスは一応あるが下がフローリングなので身体も痛くなったりはする。早めに買おうと思っているのだがなくても何とかなっているので後回しにしていた。それに私にはあのソファがあるし。
「あれじゃ寝れねぇだろ。金出してやるからベッドくらい買えって」
「それはいいよ。自分で買う」
「生活は面倒みるっつったろ」
「生活って言っても洗剤とかの日用品だけで十分だから。あと食費って言って十万も渡してこなくていいから」
先日、「一カ月分の食費」と渡された封筒の中身を見て驚いた。確かに食費もみるとは言っていたが私としてはなくてもよかったので聞き流していた。しかし約束通りにココくんは私の食費を負担しようとした。こちらも要らないと返したが受け取ってはくれず、結局必要分だけ使わせてもらい残りは使っていない口座に保管している。
「あ?足りねぇの?」
「多すぎなんだよ。そもそも家賃と光熱費持ってくれてるだけで十分だから」
「経済面では困らせねぇって契約だろ」
「福利厚生が手厚すぎて返って居心地が悪いの」
そこまで面倒をみてもらうと自分に経済力がないように思えてちょっと嫌。なんか自立してないみたいで惨めになる。でもココくんは意外と頑固な性格なのか譲らなかった。
「ある意味オマエは労働者だろ。従業員保護もオレの仕事のうちだ、だからベッドは買う」
「なら労働組合立ち上げて抗議する」
「オマエしかいねぇだろ」
「いるんだなぁそれが」
二十年以上の付き合いになるW彼Wが私にはいる。ぬいぐるみのくせして私と同じように年老いてしまったがあのテディベアは私の長年の相棒だ。
「なんだよそれ」
「とにかくベッドは自分で買うから。早く家入ろ」
そんな話をしていたらとっくに車はマンションに着いていた。車が駐車スペースに停められたのと同時にシートベルトを外す。ココくんがエンジンを切るまでは外で待ち、そして一緒にエレベーターへと向かった。私がその後、だんまりを決めたことからココくんも無駄だと分かったらしい。その後は会話らしいものもなく家に入った。しかし、この沈黙を破ったのもまた私の方だった。
「ねぇ何やってたの?」
「仕事だけど」
「はぁ?」
いつも通りのリビング、かと思いきや物が散乱していた。ソファの前のローテーブルにはノートパソコンと冊子が置かれている。そして床には積み重なった本と紙の資料が散らばっていた。ココくんは私がリビングの机を使っていたことに怒ったと思ったのか「すぐ片付ける」と短く答えた。ちがう、そうじゃない。
「今日明日は仕事休みだって、食事と一緒にメモに残したよね?」
「あぁ。だから家にいんだろ」
「家でも仕事してたら意味ないでしょ!」
社畜の鏡か。そんなんじゃ体がいくらあっても足りないし確実に早死にすると思う。事実、死んだように寝てたじゃない。
膝を折って床に落ちている資料に目を通す。ひらがなが混ざらない漢字の羅列。どうやら中国語の文章のようだ。となると、おそらく例の取引についての資料なのだろう。
「オレ以外に出来る奴がいねぇんだよ」
「それでも仕事量偏り過ぎだよ。顔色も悪いしまだ休んだ方がいいって」
「余計なお世話。オマエは帰る家忘れるほど酔ってんだからさっさと寝ろ」
「それこそ余計なお世話。今日は六杯しか飲んでない」
「内容は?」
「初手はビールで後はスクリュードライバー」
「バケモンじゃねぇか。とっとと寝ろ」
社畜魂をみせるココくんのほうがよっぽどバケモノだ。それでいてアルコールの入っている私よりも正常な判断が出来ていないと思う。
「じゃあ私も手伝う」
「風呂入って寝ろ」
「すみません、よく聞こえませんでした」
「はぁ?」
AIさながらの滑らかな日本語で応答する。私はココくんを無視して散らばった紙を一枚ずつ集めていった。そうしてラグの上に座り込んではそれを順番通りに並べパラパラとめくる。そんな私の横でココくんも同じように腰を下ろして私の手から資料を奪い取ろうとした。でも私は離さない。
「オマエには関係ねぇ。それに手伝えることもねぇよ」
「中国語読めますけど」
「は……?マジで?」
大学では第二言語として履修していた。ただ本当に読めるだけだ。その教授がとにかく発音よりも単語を覚えろという先生で論文さえ読めればいいという思考の持ち主だったから。これが日本の教育の悪い所だと思う。実際に使えた試しはないけれど文法等は理解しているので文字であれば追える。
「翻訳機に打ち込みながらおかしなところは私で直す」
「いや、でも……そこまで迷惑かけらんねぇよ」
邪魔でもなくウザイでもなく、「迷惑をかける」という。それがココくんの良いところだと思うしダメなところだと思う。そんなんだから背負い込むんだよ。
「分かった。じゃあココくんの仕事手伝うからやっぱり福利厚生充実させてよ」
「福利厚生?」
「ベッド買ってやるって言ったでしょ。私の労働の対価としてベッドを要求します」
無償で物を貰いたくない私と、借りを作りたくないココくん。でもこれなら互いにフェアでしょ。ココくんは少し考えて「それなら……」と小さく呟いてソファに移動した。私は机の上を少し片づけて部屋から自分のノートパソコンを運んできた。
「全部は訳さなくていい。中国とミャンマーの直近五年の関係性が分かればオレがそれを元に資料を作る」
「分かった。因みにどんな趣旨の内容が書かれてるの?」
「麻薬の密売」
「うわぁ犯罪者だ」
「何とでも言え。それがオレの仕事だ」
きっとココくんならどんな仕事にでも就けただろうにどうしてこうなってしまったのだろう。少なくとも中学二年の頃は模範的な生徒だった。不良達とつるみだしたのが原因か。しかし、今も柴君を含む当時の人達と関りがあるわけではないらしい。となると高校時代になにかあったのだろうか。
「それなりにまとまったら声掛けるね」
「頼む」
でも今はそんなことを考えている暇はない。自身のパソコンを立ち上げ改めて資料を手に取った。
「ココくんってどうして銀髪にしたの?」
「ンだよ急に」
「話してないと寝る」
寝不足の体にアルコールはよく回る。基本的にザルではあるけれど今日ばかりは気を抜くと瞼が下に落ちそうだった。ココくんはというと彼もまた少し眠そうである。目の下の隈は今朝より薄まってはいたものの机の上の具合からして早々に起きて仕事をしていたのだろう。だからこれは互いの為でもある。だから、なんか話してと私は無茶振りした。
「じゃあ好きな食べ物は?」
「合コンか」
「……黙って仕事しろ」
「うそうそ、ごめんて」
そしてこの会話は本当にお互いの為になった。先日のオムレツ然り、私達は食の好みすら知らずにいた。世間一般では恋人になる前にするであろう会話を『夫婦』である私達がするのは実に滑稽で、そして初々しかった。
「ねぇ辛いの食べれる?」
「食えるけど」
「ほんと?今度、韓国から香辛料取り寄せて本格的なスンドゥブ作ろうと思うんだよね。ココくんの分も作ってあげるね」
「それは常識の範囲内での辛さだよな?」
「…………」
「おい、」
「はっ寝てたわ」
「嘘つけ」
眠気のピークも超えたのか目が冴えてくる。そして仕事もほぼほぼ片付き、あと一つココくんが資料をまとめれば終わろうとしていた。そこでふとある事を思い出す。それはココくんも同じだったのか先に言われてしまった。
「そういえば前にもこんなことしたな」
霞みがかった脳内から過去の記憶を引きずり出す。
中二の時、私とココくんは同じ委員会に入っていた。でもその記憶が薄いのは選挙委員に大した仕事がなかったからだ。選挙期間以外は実質ニート状態。だからこそ人気で、クラス総勢のジャンケン大会で勝利を勝ち取り委員になった。
「そうだったね。確か放課後の教室で資料作ったりしなかった?」
「作ったわ。そんでホッチキスの止め方で揉めた」
「あー懐かしい!私が斜めの向きで止めてたら『平行じゃねぇ』って喧嘩売られた」
ココくんがプリントの束を作って私が右端をホッチキスで止める。その単純な流れ作業をしているときに唐突に言われたのだ。今思えばそれが初めてココくんとした会話らしい会話だった。
「悪意ある言い方すんな。気になったから聞いただけだわ」
「喧嘩売られてガンつけられた」
「被害妄想」
内容にもよるが基本的には右端を四十五度の角度で止めることが一般的らしい。でもそんなこと当時は互いに知らなかったものだから無駄に口論は続いた気がする。
「結局どうしたんだっけ」
「できてるのを外すのも面倒だからってそのまま斜めでやった」
「あーそうだったかも。ココくんあの時、怒ってた?」
「あんぐらいで怒んねぇわ」
「よかったぁ」
「でもホッチキスの止め方以前に紙の端は揃えろとは思った」
ココくんって絶対に血液型A型だよね。血液型で人を分類するのはあまり良いことではないけれどA型の特徴が当てはまり過ぎて笑える。深夜によるハイテンションなのか無駄に声まで出して笑ってしまった。
「何がそんなに面白れぇんだよ」
「ココくんと話すの久しぶりだからつい楽しくなっちゃった」
「まぁ確かにオマエの顔見んのも久しぶりだわ」
くぁ、と小さく欠伸をして私は少しだけ座る位置を移動した。ソファの脚を背もたれ代わりにして体を僅かに傾ける。弾力のあるファブリックに包み込まれるように頭が沈んだ。
「やっぱりこの家は広いなぁ」
「おい、ここで寝んなよ」
やっぱりこのソファは世界一だ。私をダメにするソファとして認定して上げよう。ソファに触れている頭や背中からどんどん力が抜けていく。そして自分の意識もずぶずぶと暗闇に飲まれていった——私の嫌いな色だった。
「寂しいね」
広いと孤独を感じる。だからまたテディベアが手放せなくなった。暗い所が嫌いだから電気は基本点けっぱなし。手足が出てると蹴られるから布団を被らないと寝れなくなった。その癖もやっと直ったと思ったのに独りになるとダメみたい。やだなこんな自分。もっとしっかりしないとね。
嫌な記憶を思い出したのにその日の寝つきは悪くなかった。それはアルコールのおかげか左右に揺れる浮遊感からか。その答えを私が知ることはなかった。
◇
六時五十分から五回のスヌーズを止めて目を覚ます。いつもと変わらない部屋の風景、しかし着ていた服が昨日のままでリビングで寝落ちしたことを思い出した。きっとココくんが運んでくれたのであろう。お礼を言いたいところではあるがこのままでは遅刻するので急いでバスルームに向かった。
ベンティにまで進化したコーヒー片手に出社してなんとか一日の業務を終えた。外回りではなく最近は事務処理が多いので内勤がメインになっているのがせめてもの救いだ。
おかげで今日もほぼ定時に上がることが出来た。重い体を引きずりやっとの思いで帰宅すれば扉を開けた瞬間、いい香りが鼻を抜ける。それに誘われるようにふらふらとリビングに続く扉を開けた。食欲をそそる匂いがより一層強くなりお腹が鳴るのが分かる。カフェインの過剰摂取で先ほどまで空腹を感じていなかったのだが私の体は思ったよりも単純だった。
「何してるの?」
「うぉっ、びっくりした」
こちらを振り返ったココくんが「飯作ってる」と付け足した。背後からフライパンの中を覗き込む。そこには私の好きな料理が作られていた。そしてカウンターキッチンを挟んでダイニングテーブルの上を確認すれば二人分の食器が並べられていた。
「私の分もあるの?」
「一人分も二人分も変わんねぇからな」
「しかも私の好きな物」
「オマエの話聞いたらオレも食いたくなったってだけ」
「でも嬉しい!ありがとう」
「早く着替えてこい」
すぐに部屋に行き、洗面所で手を洗ってリビングに戻った。私も少しくらい手伝おうと思ってはいたが盛り付けまで終わっていたので出る幕もなかった。私はもう一度お礼を言って祈るように手を合わせて、いただきますを言った。
「すごく美味しいんだけど。お店開けるんじゃない?」
「こんな手の込んだ物、毎日作りたかねぇよ」
「頑張ってくれたんだ」
「だからオレが食いたかっただけ」
「分かったって」
これ以上は揶揄われていると思われそうだったのでその話題には触れなかった。その代わり、私もココくんと同じように味の感想を伝えた。その反応と言えば一言二言の数少ない言葉だったけど私の気持ちは伝えたかった。
「一家に一台ココくんの時代だね」
「オレは家電じゃねぇ」
「じゃあ家政夫?これで商売やったら意外と儲かると思うよ。私がプロデュースしようか?」
「すみません、よく聞こえませんでした」
「うわっ」
舌を出して笑ったその顔に、私はやられたなって思った。ほんっと可愛くないよね、ココくんは。でもそういうところは嫌いじゃないよ。